14-3 睡眠と起床
ヒガンバナの素性が申告通りならば、百年におよぶ復讐の真っ只中に彼女はいる。決して幸運な人生とは呼べない。復讐を百年も続けなければならないというのは魂の拷問である。
だが、出身世界たる地球に戻る事さえできないヒガンバナにとって、復讐であっても目標は必要だったのだろう。故郷に帰る手段がない現実に絶望するくらいであれば、故郷に巣食う復讐対象をいつか滅ぼすと黒く誓って現実を見ないようにする方が正常でいられる。人間が正常でいるためには、必ずしも正常でいる必要はない。
黄昏世界で妖怪への勝ち目を失ってなお半世紀もの間、扶桑で持久戦を続けられたのも復讐心があったからである。
「……どうかしましたか。仮面の御影さん?」
「いいや、何でもない」
すぐにでもヒガンバナに復讐は不要であると信じてもらうのが本当は正しいというのに、状況が許してくれそうにない。
復讐対象は既に葬られている。
だから、お前の百年の復讐は無意味だった。
だから、お前自身も無意味だった。
……こんな告知を百年も頑張った相手にしたくはない。
せめてここが敵地でなければ別だっただろうが、凶悪な妖怪たる扶桑樹の根はヒガンバナの結界への侵入を常に試みている。危険な状況が続く中でヒガンバナの心の支えを失わせる訳にはいかない。
安全地帯を失わないためや俺の命欲しさだけではなく、ヒガンバナの命のためである。
ああ、なんて言い訳がましいのだろうか。本当にヒガンバナのためなのか自分で自分を疑ってしまう。
「それにしても、扶桑樹はいつまで経っても侵入してこないのか」
信用度ゼロのため信じて欲しいと願ってもヒガンバナに一蹴されてしまうだろうが。
それでも下げられるリスクは下げておくのがリスクマネジメントだ。俺が復讐対象たる主様を討伐した事についてこれ以上触れないでおく。話題も変える事にしよう。
「ええ、そうですね。五十年ずっとこの調子です。日中は扶桑樹がやや優勢、夜間は私がやや優勢で陣取り合戦を続けています」
「よく『魔』が続くものだ」
「そういう体質です」
黄昏世界は異様に『魔』の回復が遅いというのに、魔法使いがソロで五十年間もよく戦えたものだ。俺の場合は体質があっていないのだろうか。
「夜間はやや優勢……ああ、だからか」
扶桑樹の日勤体制の原因が分かった。夜間はヒガンバナの攻勢に忙しくて、俺ごときに構っていられなかっただけだったらしい。
「夜に攻め込んだ分を、昼に取り返される試合を半世紀も続けているとさすがに飽きてしまいます。そういった意味ではあなた方の到来は好都合でしたね。あなた方の望みは一切叶えるつもりはありませんが、暇つぶしの話し相手であれば歓迎しますよ」
そして、ヒガンバナが俺達を助けたのも気まぐれであった事が判明してしまう。妖怪だろうと話し相手ができるのであれば大歓迎だった。
随分と無用心……という訳でもないか。俺達は花園の中心付近にいて、毒草だらけの花園に囲まれている。『耐毒』可能な俺は別にして、紅については脱出不可能である。不審な行動を起こせば地面の下から追加で花が生えてくるのは間違いない。
「全然話が進んでいねぇ。おい、御影。どうするんだよ?」
紅に背中をつつかれているが、残念ながらアイディアを出してくれるスイッチは俺に実装されていない。
「徹夜明けで頭が回らない。眠いから寝る」
「暢気なのか豪気なのか分からねぇ発言だ」
「実際眠い。今日はもう疲れた」
扶桑樹の所から脱出するのに全力を出してヘトヘトだ。夜中に穴を掘ってからの全力疾走で疲れているのは確かである。
「ヒガンバナ。喉が渇いたから水をくれないか。ついでに食べ物も」
「望みは叶えないと言いましたよね?」
「出してくれないと、ヒガンバナがさっき零したお茶を啜るぞ。そんな真似を客人にさせるなよ」
図々しい注文であったが、半世紀ぶりの客人をもてなしてくれたのかヒガンバナは湯呑みと皿を用意してくれた。
緑色のお茶と緑色の葉物の御浸しだ。
質素であるが、荒廃した黄昏世界で出される食事としては最上級に位置する。
「う、うまい! 環形動物門貧毛綱やモモ以外にも、黄昏世界に人間の食事ってあったんだな」
「待ってください。モモはともかく、今、私の料理が地下生物と同列に扱われませんでしたか?」
「緑茶か。実家で飲んで以来だが、これ、うめぇな」
久しぶりの食事に満足した俺と紅は場所を借りて眠る。紅も疲れていたのか、俺よりも先にいびきをかき始めた。
横になった俺もウトウトしていき、意識を手放していく。
「……この妖怪達。ちょっと無用心過ぎませんか」
そうは言うが、日よけ用の日傘だけでなく布団まで用意してくれたのはヒガンバナだしな。
彼女は、目を覚ました。
「――起きられましたか。ようやく、体に馴染んだのですね」
「まさか同調できるとは思わなんだ。此方も其方も消えてなくなる算段が高かったというのに。脅迫を受けた際には間違いなく失敗すると思っておった。そうでなければ受け入れなどせんかった」
彼女達は、目を覚ました。
「人聞きの悪い。脅迫をした覚えはありません。あのままでは犬死するだけ。せっかく匿っている人々も惨殺されるだけ。こう事実を伝えただけです」
「神を畏れぬ不遜な輩よ。此方の窮地に見返りを求める行動を脅迫と言わず何と言う」
体と魂の同期に予想外に時間がかかった。あるいは、予想外に早く仕上がった。
目を覚まさないまま消えてしまう可能性が一番高かったはずだというのに、こうして起床したのは奇跡である。
二つの魂には限りない差があった。衛星にも匹敵する巨大な魂を人体に臓器移植する無謀な挑戦であったといえば、現状がどれだけ奇跡に奇跡を重ねたかのように見せかけた詐欺事象であるかが分かるだろう。
二つの魂は何もかも似ていなかった。人間側の魂は罪深い。神性を宿すには不適合だ。
唯一の類似点は属性だけであったが、その程度は血液型が等しい程度の類似性しかない。縁なき魂を接合するには不十分だった。
「神性を宿した前例を知っていたので、わたくしは成功すると思っていましたわ」
「今更ゆえ文句しか言わん。犬死するはずだった神性の権能だ。勝手に使うがいい。使えるものならばな」
しかし、奇跡は起こした。
時間がかかってしまった分は、これから取り戻す。
「さあ、御影様。これより月の魔法使いが、助けに参りますわ」




