3-3 四足獣の混世魔王2
炎に焙られた体で地面を転がった。熱殺領域より逃れてから跳び上がり、ようやく呼吸を再開する。
「はァッ、はァッ、はァッ」
肺が重い。一度の呼吸で得られる酸素が妙に少ない。
体を焼かれて皮膚呼吸できなくなっているから、と見当違いな事を考えている間に足の力が弱まってグラつく。実際は炎が周囲の酸素を燃やしているからだと気付ける程に、脳に酸素が届いていない。
「はァッ、はァッ、はァッ」
呼吸が苦しいのであれば、すぐにその場から離れてしまえばよいというのに、俺は離れようとしない。
炎の獣に睨まれているからだ。
獣との戦いは隙の読み合い。今、背中を向ければ確実にトドメを刺される。
“GAFFFFFFFFFF!!”
炎の塊による遠距離攻撃を、千鳥足で回避する。
「はァッ、はァッ。……ノーコン、ははっ」
そう虚勢を張った途端、金縛りに襲われて額を地面にぶつけて倒れた。
酸欠が原因ではない。見えない巨大な手で地面に頭を押し付けられて、平伏を強制されている。
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“『人類平伏権』、復讐するべき人類に形だけの謝罪を強制するスキル。
視界内にいる人の類に平伏を強いる事ができる。一度平伏させた相手に対しては一時間のインターバルが必要となる”
“取得条件。
人類に復讐する権利を有する者のCランクスキル”
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何本ものバーベルを積まれたかのごとき状態で動けないというのに、獣の奴は無慈悲だ。
獣の体から扇状に広がる炎が俺の体へと達する。残念ながら耐火スキルを覚えていないため、焼かれるがままだ。
痛みを感じるならまだマシだ。
痛覚を焼かれて、痛みを感じなくなったのならもう終わりである。
これ以上は本当にマズいと感じた脳が、酸素もないのに高速回転し始める。ともかく『魔』が足りない。『魔』があれば『既知スキル習得』経由で使えるスキルがいくつかある。
「『魔』の残量は0だが、真の0ではないはず」
『魔』の減少は、パラメーター低下と外部流出の二度起きた。
流出した分の『魔』を取り戻すのは難しいだろうが、パラメーター低下により減った分の『魔』であれば原因を解消できれば取り戻せるのではないか。確証はないがやってみる価値はありそうだ。
弱体化は間違いなく混世魔王のデバフによるもの。俺の『魔王殺し』や『オーク・クライ』に類似するスキルと想定される。ならば、スキルを相手にかけるための条件も似通っているはずである。
『魔王殺し』の場合は、相手を視認する事だ。
「だったら、『暗澹』で視界を遮れば――」
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“『暗澹』、光も希望もない闇に身を置くスキル。
スキル所持者を中心に半径五メートルの真っ黒い暗澹空間を展開できる。空間外からの光や音の侵入は拒絶されるが、それ以外については出入り自由である。『暗視』スキルがあれば空間内でも視界を確保可能。
空間内に入り込んだ相手の『守』は五割減、『運』は十割減の補正を受ける。
スキルの連続展開時間は最長で一分。使用後の待ち時間はスキル所持者の実力に依存する”
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俺の体を中心に、真っ黒い球状空間を展開する。
音も光も通さない暗澹空間に身を潜める事により、混世魔王の憎悪に燃える視線から逃れた。これにより、奴のデバフスキルの発動条件から逃れて俺の『魔』は復活を果たす。
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▼御影
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“ステータス詳細
●魔:0/98”
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「――か、変わらねえッ。ギャアア!?」
不正解の罰ゲームは火炎放射だった。不格好にも転げまわって後退だ。
勘違いしてしまっていたが、相手を萎縮させるタイプのスキルは別にスキル所持者が相手を知覚する必要はない。相手がスキル所持者を見て勝手に委縮するのである。俺が混世魔王を知覚している以上、デバフは続いてしまう。
空に飛び上がるのを止めた混世魔王は、ジワリジワリと俺の体を焼いて楽しんでいる。130の『守』がどこまで皮膚を分厚くしてくれているか分からないものの、そう長くはもたない。
熱せられたナイフが熱くて曲がりそうだ。が、安いプラスチック製の癖に仮面だけは加熱されるだけで溶けも割れもしない。
仮面は物質として見えているだけの俺の自制心だ。俺が自ら外さなければ、外せない。最終手段とはそういうものである。
……いやまあ、外すか。劣勢だし。
外せば仮面に隠れた顔の穴の向こう側より、混世魔王を倒せる悪霊をまず間違いなく呼び寄せられるだろう。だからといって安易に頼るのは、少し、ゾクりとしてしまう。ニヤけてしまう。人間性喪失のチキンレースにワクワクしてしまう。
仮面へと震える手を伸ばそうとして、顔を振る。
そして、また手を伸ばして、引っ込める。
そうやって俺が逡巡している間に、事態は動いてしまう。
「――そんなに悩むぐらいなら、止めたら?」
アンダースローで投げ飛ばしていたはずのクゥが、いつの間にか俺と並んでいる。炎に直接触れていなくとも輻射熱で皮膚が焦がされるというのに、この女、何を考えている。
「下がれッ、焼け死にたいのか!」
「御影君がやられたら次はか弱い私の番なのよ。どうせ焼かれて死ぬのなら、私が少しだけ時間稼ぎしてあげる。まあ、一瞬で焼け死ぬから本当に少しだけなんだけど」
熱さを感じて汗だくになっていながら、クゥは歩みを止めない。ただの村娘が無理をして、両腕を広げて俺の前に立った。
まるで、俺を庇っているみたいだ。
「……あぁ。こうして誰かを庇うなんて、私はあの子みたいだ。あの子も今の私みたいに選択肢が限られていたから、こうやって動いたのかな」
クゥは何もかも間違っている。状況が差し迫っているからといって、妥協で他人の身代わりになるものではない。そもそも、己の体が盾にならないと知っていて行う身代わりは無意味、ただの自殺ではないか。
“GAFFFッ!”
炎はクゥの間違いを正してはくれないだろう。混世魔王から溢れた灼熱が広く視界を覆い尽くす。
いや、間違っていたのは俺の方だった。
クゥの姿が火炎の中に消えてから仮面を外す決心を付けるなんて、何もかも遅かった。
「――深淵よッ。深淵が私を覗き込む時、私もまた深淵を覗き込んでいるのだ!」




