13-7 伝授するは
憎むべきは救世主職。
それは、惑星系の中心となりて世界を長く照らして生命を育む希望となるはずだった女神の娘達を虐殺した心無き悪魔の蔑称。
救世主職は心が壊れるまで存分にいたぶらなければならない。私の心を壊したのだから、お前達の心も壊して、ようやく対等と言えるのではなかろうか。
私は十姉妹の乳母として彼女達と触れ合った。そういう立場にいた。
幼き太陽は私の枝から飛び立ち、世界を照らす。私の寝所で眠りにつき、世界を休ませる。管理神としての役割がある羲和様に代わって、実質的な育児はすべて私が引き受けていた。
手はかかった。子供相手なのだから当然である。育児に頭を悩ませた事も多い。
それ以上に誇らしくもあった。新しい管理神を育てているのだという責務は、維管束を滾らせるには十分以上だった。
また、乳母として長年、接触する上で避けられない事であったが、十姉妹は私の中でどうしようもなく愛おしい存在となり、心の多くを占めてしまった。ただの乳母でしかないというのに、不敬にも、実子に等しい愛情を彼女達に与え与えられてしまっていたのである。
創造神自らが植えた慈愛の象徴たる世界樹としては、偏愛はあまり褒められたものではないのだろう。しかし、心は心臓のように動いてしまうものだ。心臓が止められないように心だって止められない。
けれども――私の心はある日を境に粉々に壊されてしまった。止まってしまった。
愛しい愛しい私の娘達が、全員、帰ってこなかったのである。
体中の葉をもがれて、枝を切り落とされたような喪失感だった。いや、それ以上の空虚感だった。とても、信じられたものではない。今も信じていない。
どうして、私の娘達は……殺されなければ…………惨たらしく一人一人恐怖を与える矢で丁寧に射殺されたのか。あまりにも残忍だ。娘達の恐怖を思うだけで窒息する。聞かされた殺害方法に、私は今でも枯れてしまいそうだ。
壊れて中身の零れた私の心。
娘達への愛情の代わりに満ちてきた感情は、ドス黒い憎悪だ。
すべての罪は救世主職にある。
やくざな救世主職が失敗した所為で娘達は全員、死んでしまったのだ。仇である。実際に娘達を高笑いしながら射殺した救世主職はもういないが、その程度の事実がどうした。私の心はもう壊れてしまっている。事実を理解できる正常性は既に失われた。
救世主職など所詮は役割。創造神の編み出した摂理の末端、歯車の一つ。
ならば、同じ職業の歯車を折檻して憂さ晴らしをする他ない。
近場に憂さ晴らし用の救世主職を一人、囲っているが……相性が悪く長期戦が続いている。
微弱ながらも、昼夜で形勢が逆転する均衡具合は激怒ものだ。向こう数百年、じっくりと絶望させながら殺してやるべき相手だろう。
最近、新しく玩具用の救世主職を下賜された。とてもいたぶり甲斐があるではないか。まるで潰せば贓物が飛び散るカエルのよう。人間の形を保つために殺してはならない、という厳しい制約はあるものの、その分、長く苦しめて楽しむ事ができる。
日に日に疲弊しているのに、毎朝立ち向かって、毎夜探索して、と健気なところも実にいい。すぐに壊れて動かなくなるようでは玩具ではない。
当然ながら、逃げられる事だけは避けなければならないが。
逃走対策で周囲一帯を根で囲み見張っている。それだけでも十分だろうが、救世主職に巻いた鎖は元々、私の体を削った一品だ。位置の把握もすぐに行える。当然、この機能を救世主職は知っていない。姿を隠したとしても追跡は容易だ。
羲和様の神々しい御神体が山脈より昇っていく。
また、新しい玩具を痛めつける朝がやってきた。ここ数日は元気がなくなっているが、それでも、今日も頑張って挑んでくれるはずだ。
さあ、早く私の壊れた心を少しでも満たすべく、痛めつけさ――、
「――おい、仮面の救世主職。お前……どこに消えた??」
――数時間前。
闇落ちした世界樹の生態について俺程に精通している人間はいない。普通の聖なる樹木としての世界樹についてはまったくの未知だが、超大型なトレントと化した奴なら博士号を取れるという自負がある。
……何という事だ。一切、嬉しくない。
「巨大な本体と無数の根。そして驚異的な超回復能力。倒すとなるとこの上ない難敵となる一方、身を隠すだけならそう難しくない」
「まるで試した事があるような口ぶりだ」
「ああ。一度、隠れながら登攀したからな」
「おいおい、嘘も大概にし……嘘だよな?」
主様に『暗殺』を仕掛ける時に実施した。
あの時の『暗殺』は失敗したものの、それは予想されていたからだ。俺の『正体不明(?)』を解除するためにワザと近寄らせた面もあるが、隠れながら木登りする俺を見失っていたからこその誘い込みだったのだろう。
世界樹の体は大き過ぎるのだ。根の本数も多過ぎる。化物とはいえ制御できる範疇を超えてしまっている。ゴブリンが住み着く隙があるくらいだ。
根の壁の近くでは振動検知による自動防衛となっている事も、その証拠だろう。
「根の一つ一つに見張られている心配がない。だから、コソコソと穴を掘って脱出するのも可能だ」
もちろん、隠れて作業を行うなら扶桑樹本体から見えない位置でなければモロバレである。周辺に根がない事も前提だ。根は適時、手動操作も可能だったはずだ。
そのため、俺達は廃墟まで戻ってきている。この辺りは根を見かけない。扶桑樹の本体からも丁度、見えなくなっている。
「穴を掘ると言ったな。道具はどうするんだよ」
「道具はない。が、紅。妖怪職はランクアップしたよな」
「……てめぇを喰った時に」
やはり、だ。妖怪職は人食によりランクアップする。
「ちげぇよ。いや、徒人を喰っても上がるが、それなら今頃、世の中は上級妖怪だらけだろ。妖怪は人の世を乱す事で上級へと至る。人食はその一つってだけだ」
世を乱す。妖怪のランクアップには個人ではなく集団や社会に対する影響が必要らしい。どことなく魔王職に似通っている。紅がランクアップできたのはランクが低かったからか。Sランクの妖怪にはどれだけの悪事が必要となるのやら。
予想は外れてしまったが、紅がランクアップできたのであれば不都合はない。
俺が当てにしているのは妖怪職の固有スキルたる『妖術』だ。
「妖術と魔法の明確な差は俺には分からない。ただ、三節呪文くらいであれば、あまり変わらないというのが実感だ」
火の球を飛ばす。
風で吹き飛ばす。
そういった単純明快な現象の発生は妖術でも実現できている。
「俺の親しい魔法使い職に、土魔法のスペシャリストがいる」
「……その感じ女だな」
「呪文も知っている。目からレーザーをぶっ放すよりは簡単だと思うが、どうだろう、紅」
「嫌だよっ。知らねぇ女と比較されるなんて、ぜってぇ嫌だ!」
嫌だ、嫌だ、と言っている紅に呪文を教え込む。どういった感じの魔法なのかもイメージをしっかり伝える。
魔法と妖術では細部に差異がある。本当に妖術で土魔法を再現できるかは賭けだった。
「ああ、嫌だ。御影の頼みだから逆に嫌だ。ここから逃げるためじゃねぇなら、絶対に覚えねぇ!」
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“『天才』、天性の才能を有する者のスキル。
スキルの習得確率上昇、習得速度上昇効果がある。本人に学習意欲があれば。
また、一度学習したスキルの熟練度の上昇効果も有する”
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だが、紅は行使してみせる。土魔法が発動する。
「――模倣、人形、自律人。急急如律令」
地面の砂が盛り上がって固まっていく。人間サイズの穴が生じると共に、赤い砂が原材料の魔法の人形、ゴーレムが生成された。
「おおっ、できたぞ!?」
「無生物を使役する妖術か。微妙に面倒だが、まぁ、この程度ならな」
紅は誇っていい。初めて作ったゴーレムがマッスルポーズを作っている。
「……だが、これで穴を掘れるのか?」
「掘らせるんだよ」
「何百人いるんだよ。作るのに『魔』をどれだけ消費させるつもりだ」
「『魔』には余裕がある癖に。俺以上に豊富じゃないか」
「鬼かっ」
「鬼は妖怪の紅の方だろ」
朝までに脱出路を掘り上げる。ゴーレムは作れば作る程に穴は開くし、人手となる。
さて、大脱走の始まりだ。




