13-4 扶桑旅行二十日間
紅と和解を果たして、ようやく状況をマイナスからゼロに戻せた。まあ、ゼロの状態が主様級の化物が支配する島への幽閉なのだから、0と1の間には果てしない溝がありそうだ。
「目標を立てよう。最優先は扶桑からの脱出だ」
黄昏世界の島流し先たる扶桑は随分な辺境にあると聞く。脱出は困難だろうが、だからと言って試さない理由にはならない。多少前向きになれる情報があるとすれば、気候変動による猛暑で海が干上がっているらしく、扶桑は島であって島でなくなっているようだ。元々、俺達が旅していた大陸まで歩いて戻る事もできなくはない。
「……海が蒸発するって、世紀末も甚だしい。太陽の赤色巨星化によるハビタブルゾーンの喪失も末期状態だな」
「はぴたぶる? ぞーん?? なんだそりゃ」
「あ、いや。なんでもない」
現地民の紅には、黄昏世界が膨張した太陽に飲み込まれてすべて燃え落ちる事実を正しく告知する必要があるだろう。が、今のタイミングで言うべきではない。絶望的な状況で更に絶望させても悪趣味なだけだ。扶桑を脱出するまで保留とする。
「脱出方法を探すと同時に、もう一つ。扶桑樹がどうして夜になった途端に攻撃を止めたのかを調べる」
扶桑樹の救世主職に対する恨みは本物だ。本物だからこそ、どうして夜になっただけでリンチを止めたのかが非常に気になる。
「紅、扶桑樹と御母様の十姉妹の関係性を知っているか?」
「ああ。扶桑樹は元々、次世代の太陽を育む乳母だったと聞いている。管理神としての役割があって忙しい御母様に代わり、姉妹の実質的な母親役をしていた」
「母親役、か」
姉妹とはこれ以上ない程に深く近い立ち位置だったのか。自分の産んだ娘でなくとも、ある日、大事な娘を全員殺されたとすれば恨みの深さもひとしおだろう。同じ職業の赤の他人だろうと無関係に拷問したくもなるというものだ。はた迷惑な。
「なおの事、日が落ちただけで攻撃を止めた理由が気になる」
「夜が理由とは限らない。扶桑の外で何かあったのかもしれねぇ」
「その可能性も高いな。それも含めて調べよう」
調べる方法は徒歩での周辺探索しかないものの、どうせ安心して眠れる場所ではないのだ。休まず夜に歩き回る方がまだ気が紛れる。
「最後に、この忌々しい鎖を壊す方法を探し出すぞ。この鎖さえなければ仮面を外せる」
人間である事を強制する鎖形状の宝貝。これさえなければ事態は大きく進展しそうだ。
「御影の仮面。よく分からねぇが、またあの巨大な化物でも呼び出すのか?」
「竜頭魔王は制御の問題と御母様を呼んでしまうデメリットがあるから駄目だろうが、扶桑樹相手なら別の候補がいる」
「別の候補がいるって、どれだけヤベぇんだよ。お前の顔の穴」
ただし、鎖は紅の馬鹿力でも引き千切れなかったくらいに頑丈だ。正確には、引き千切ろうとしても鎖自体も自己修復するため無理だった。鎖の回復能力を無効化する手段を探す必要がある。
「朝日が昇る前には一度、ここで合流する。今日のところはそれで」
探索について、紅と一緒に行動するかどうかは多少議論があったが、結局、二手に別れての行動となった。単独行動のリスクよりも、紅が恨まれている俺と行動する方が危険が大きいという判断である。敵地で二人同時に行動不能になる事態は避けたい。
時計はなくとも、太陽や月の位置で大雑把に時間は推測できる。明るすぎる太陽の所為で、太陽と月以外の天体が見えず、他に手段がないとも言うが。
「……おい、月がっ」
見上げていた月は丁度、満月。
地球よりも反射する光量が多く、より黄金色な黄昏世界の月が……端から黒く染まっていく。喰われていくかのごとく丸く欠けていく。
「月蝕か? 珍しい」
「違う! 黄昏世界で月蝕は起こらねぇ。起こるとすれば――」
黒く喰われていく部分はあっという間に広がって、月の姿を完全に見失った。
科学技術全盛より前の時代、月蝕や日蝕といった天体現象はよくない事の前触れとして恐れられていたと聞く。スマートフォンでIT化されている人類の俺が今更、迷信を信じたりはしないが……月は天竺と関係している。
なにか、よくない出来事が起きたのではないか。そうとしか思えなかった。
「――月の女神、嫦娥様が崩御なされた時だけのはずだ」
期待していなかった通り、たった一晩で特に成果は上がらない。期待していなかったという面では期待していた通りなのだろうか。ちょっとよく分からなくなってきた。きっと、今後の展開を考えたくないから思考力を下げている所為である。
周辺探索により僅かに判明した事実は、付近一帯を大きく扶桑の根が囲んでいる事くらいだった。放置されているが、いちおう、逃走は阻止されているらしい。小さな地方都市ならば十分に囲める巨大範囲に俺達は捕らわれていると分かった。
その他に情報はなし。
続きは今晩だ。
「出てきやがれ、このクソ雑草女ッ! 生意気なタンポポの根みたいに引っこ抜いてやらぁ!」
いや、まぁ。今晩まで俺の精神が死ななければであるが。
朝日が昇ると共に、扶桑樹の本体と思しき巨大樹に向けて啖呵を切った俺。
活動の再開を知らせるように動き始めた根をかいくぐり突撃を仕掛けたが、百メートルも進めず地下から出現した根に太腿を串刺しにされてしまった。
「ぐがぁッ」
「救世主職は簡単に挫けてくれないのが唯一の良いところね。こうして、今日もたっぷりといたぶれるから!!」
狭いプランターで育てられた観葉植物よろしく、一帯の地下はすべて扶桑樹の根で埋まっているのだろう。飛行手段のない俺には場所が悪過ぎる。
また、手数の面でも扶桑樹が圧倒的に上だ。一本目の根を避けている間に百本の根を地上に伸ばしてくるのだから避けようがない。
その後は昨日とほぼ同じ展開が続く。焼き回しのごとき一方的な暴行を受けて、ただただいたぶられる。
扶桑樹の奴、少しは飽きればいいものを、まったくそのような様子を見せない。
「救世主職の所為でッ、救世主職がッ、救世主職がいなければッ」
その日も日が落ちると共に扶桑樹の攻撃が急に止まった。
やはり夜が関係しているのか……ガク。
――進展なく三日目。
「今日こそは殴ってやるからな。大人しくしてい……ゲぼぉ」
「あーら、威勢のいい事。潰せば喚く玩具みたい」
――勇猛果敢な七日目。
「ゴボウの親戚がいつまでも人類に勝っていられると……アああァッ」
「すごい。まだ強がり言えるのね。偉いわ、ご褒美に苦しめてあげる」
――善戦の十日目。
「殺す。殺してや……ぎひぃッ」
「馬鹿を言うなッ。お前を惨たらしく殺してやりたいのは、この私だ!」
――よく分からなくなった二十日目、お勤め後。
「おい、御影。大丈夫か。おいっ! 俺だ、紅孩児だ。俺の事は分かるよなっ?!」
大丈夫。ダイジョウブ。体はすっかり元通りデス。心は月三百時間労働で摩耗したサラリーマン程に死んではいません。今日も定時上がりでしたニョ。
「駄目だ。息しかしてねぇッ。おい、精神的に死ぬな。戻ってこい!」
「ひぃぃ。ゴボウが、喉に、喉にッ」
「暴れるなって。クソ! 喉の頸動脈を切ろうとするな。正気に戻れ!」
紅が自傷行為を始める俺を必死に止めてくれていたお陰か、すっかり元気を取り戻したニョ。いやあ、意外と柔らかな心地で役得役得。
「アバババ、アババババ」
「そんな調子で今夜も探索するつもりなのか。少しは休めよ」
いや、休んでいても明日にはまた同じ事の繰り返しだ。拷問で本当に俺の心が壊れてしまう前に何かしらの突破口を見つける必要がある。休んでなどいられない。
「全然、分からねぇ。人の言葉を忘れてしまっているぜ」
アババババババ。
「失敬。地文と台詞が入れ替わっていたようだ。そう、俺は紅へと謝罪を口にする」
「ヤベえ。今日中に何か見つけてねぇと本当にヤベぇ」




