12-1 反乱鎮圧
――脳細胞が動き始める。
顔に穴が開いているとはいえ、中途半端に人間である事を維持できている俺の体は人間の基準で動いている。だから、眠りもするし、気絶だってしてしまう。
人間性という名の枷であり煩わしさはあるものの、弱い体は人間として生きるための必需品だ。脆弱やら、気絶するなど情けないやら、そんな文句は言うべきではない。
「徒人一匹にご大層な拘束だ。宝貝で雁字搦めにする必要があるのか」
「救世主職の中でも特殊らしいからな。呪いよりも聖属性の拘束が有効ってんだから」
「だが、妖怪落ちした俺達も近寄れねぇ」
「下手にかかわるなって事だ。明日の聴訟会まで絶対に逃がすなよ」
目ヤニを取ろうとしたのに手を動かせない。
手首を固定されている所為だ。ご丁寧に足首や首元も錠で繋がれているらしい。首ばかり物好きである。立たされた状態で固定されているので、手首が鬱血していそうだ。
気絶している間に繋がれてしまったのだろう。やっぱり、人間の体は弱くて文句を言いたい。
「……起きたようだな」
「紅孩児、だよな? 目隠しされているのか何も見えない」
「お前の顔に目隠しって意味あるんだな」
近くにいるらしい紅孩児が話しかけてくる。とりあえず無事らしいが、俺だけ拘束されているはずもなく、彼女も手錠と足枷で繋がれているという自己申告だ。
「捕まったのか。妖怪共なら、その場で喰うものとばかり思っていた」
「普通はそうなるだろうが、こいつ等はクソ親父の手勢だ。練度も統制も違う。そこいらの在野と一緒にするなよ」
近くの紅孩児以外にも、妖怪兵らしき気配が多数。万全の警備らしい。
武器の没収も当然行われている。自分のステータスも確認できない事から、スキルについても封じられているようだ。クソ、隙がないな。
信じられないが、状況から受け入れるしかない。竜頭魔王は敗北し、俺達は妖怪に捕まった。
「俺達はこれからどうなる?」
「さあな。ろくでもない事になるのは間違いねぇな」
俺よりは拘束の緩い紅孩児が不貞腐れたように仰向けになった音がする。
俺も楽な体勢になりたいのに過剰に拘束されている所為で動けない。
「――妖怪聴訟で御母様より沙汰をいだたく。仮面の救世主職、黄昏世界に混乱を招いたお前の罪に相応しい罰が下されるだろう」
足音を響かせながら現れた大柄な気配が、いきなり偉そうな事を言い放つ。オーケストラのトランペットとユーフォニアムを音だけで識別できるように、目で見なくても分かる声の主の筋肉感だ。
ユウタロウを思い出すが……いや、ちょっとアイツの事まで思い出したくない。自分の今後だけでも事案としては重いのだ。勝手に家出した豚野郎の事なんて後回しでいい。
「お前を含めた救世主職は常に余計な事しか仕出かさない。名ばかりの世界の敵だ」
「この聞き覚えのある男の声、牛魔王だろ。それにしては気配が随分と小さい」
「顕現した我が本性を目撃しながら生きていられた救世主職はお前くらいなものだが、ふん、ただ『運』が良かっただけに過ぎん」
妖怪職の『擬態(怪)』で人間に化けてスマートになっているらしい。
「魔王が世界がどうのと、そっちこそ名ばかりだ。改名しろよ」
「憎むべき救世主に対する魔王だ。主と王。これ程に適切な名はない」
ご大層な事であるが、黄昏世界の妖怪共の救世主職嫌いにはいい加減うんざりだ。数千年前の赤の他人の失態を世界違いの俺にぶつけるのは普通に筋違いであり、八つ当たりが過ぎる。
血管を浮きだたせたような音が牛魔王から響くが、口調自体はまだ落ち着いている。
「無関係でいたいのなら、赤の他世界に不法侵入しなければよかっただけだ」
「迷い込んでしまっただけだぞ」
「知らん。故意でなかろうと、そうでなかろうと。お前が黄昏世界を混乱させた結果、大きな被害が生じた。罪を償ってもらう」
言われっぱなしで頭にくる。
これまでの旅で見た黄昏世界の各地の状況は、ただただ悲惨だ。妖怪は人間を税として徴収して喰っており、ここをディストピアと言わず何という。ヒャッハーな世界に倣って俺も各地の州官をヒャッハーしたとはいえ、治安はむしろ向上したのではなかろうか。
とはいえ、竜頭魔王についてだけは言い訳できない。
竜頭魔王を呼び出す瞬間だけは、こんな世界、滅びても仕方がない、と思ってしまった。その所為で牛魔王に反論できない。奥歯を噛み締めて黙り込む。
「ケッ、こんな世界、混乱したところで対して変わらねぇよ」
「紅!」
俺の代わりに反論してくれたのは、口を挟んできた紅孩児である。
「クソ親父。てめぇが必死に維持している世界に対して、忖度のない感想を言ってやる。クソだ、クソ。妖怪共が勝って気ままに生きて悪徳を積み上げる、暑苦しい、胸糞悪い、ただただ不毛な世界だ。誰もありがたがっちゃいねぇんだよ」
「……それが、反抗の理由か?」
「妖怪が勝手をして何がわりぃんだよ。俺を、妖怪に落としやがったクソ親父に勝手して、何がわりぃ? アァ?」
捕まっている側の紅孩児の凄みに対して、屈強なはずの牛魔王が小さくなった気がした。目視できないので勘違いかもしれない。
「…………紅、まだお前は、あの徒人の事を。だが……お前の浅慮が、より大勢を殺すのだ。どうして、それが分からぬ」
牛魔王は背を向けた。
紅孩児から離れていく。
「――反逆者、紅。お前の沙汰も明日に下されるが……反逆者共の集まりは明日を待たずして滅びる。既に、お前が隠れ家として使っている宝貝『桃源郷』の位置は特定された。今頃は、禁軍を率いた金角銀角の兄弟が成敗を終わらせている頃合いだ」
「ッ!! 待てよ。クソ親父ッ?!」
「紅。お前の失態だ。お前の行動で、不用意に大勢が死んだだけだ。せめて反省せよ。親として言える事はそこまでだ」
甘い匂いが充満する安息地。
モモの芳醇な香りに、ドロっとした血の香りが加わって、食欲を促進するとてもとても素晴らしい箱庭。
桃源郷の各所では、外部より侵入してきた妖怪兵によるパーティーが開かれていた。
「いいもん喰ってる徒人は肉質がいいなぁ」
「ぎゃぁ、助けて助けて、焼ける焼けるッ」
「おーい、こっちにも隠れていたぞ。一緒に喰おうぜ」
「お母さんー、お母さーん!!」
燃やされた家屋の中では、ジューっと焼かれている畜産動物がいる。生きたまま燃やされる死に際に絶望した顔で焦げていくが、そんな動物達はまだ幸せな方である。
「生意気に歯向かってきやがって。コイツ」
「許して。お願い、許してください。アァ喰べないで。あはは」
「すぐに殺すなよ。新鮮さが失われるだろ」
自衛のために戦った動物が眼球のない目で泣いているが、妖怪兵は誰も聞き入れてはくれないだろう。
悲惨な様子である。食用動物の癖に妖怪に歯向かったのであれば仕方がない。
なお、自衛部隊には妖怪も参加していたが……食用ではないため雑に殺されて野ざらしだ。
「美味いのか、ソイツ?」
「うーん、徒人に欲情して婚姻までした変態女なら珍味だと思ったんだが、ぺっ。普通の味だ」
一部の妖怪は面白がられた後に殺されていたが。
桃源郷の幹部格であった白娘子なる女妖怪ももう死んでいる。どういう死に方だったかは、彼女の死後硬直した悔しげな顔を見れば一目瞭然だ。妖怪は徒人を食用としか見なさないが、同じ妖怪に対しては食用以外の使い方も行う。
「お前達、おおお、お前達ッ!!」
「ちぃ、そこそこ強いのもいるな。銀角様を呼べ」
まだ抵抗を続けているのは、太乙真人戦でも陽動部隊として活躍した長人族の文化だけだ。
装備を整えた禁軍所属の妖怪兵を捻り潰し、足で踏みつけて潰し、そこそこの侵入者を屠っている。
活躍は素晴らしかったが――、
「兄ジャのような宝はなくとも、この俺には術がある。――神仏の住処、尊き住処、下敷きとなりて支えるは尊き所業、意義ある所業、潰れてしまったならば徳が足りん足りん。妖術“招来須弥山”急急如律令」
――桃源郷の空をガラスのごとく突き破って落下してきた巨大な山に潰されては、お終いである。
虫のように反射のみで山の下からはみ出る腕を動かして、己の血を泳ぐ文化だったもの。
禁軍を率いる銀角は虫を避けるように血を避けつつ、兵士共に指示している。
「楽しむ前に戦利品の確保をしっかりとな。一人も逃さないのは当然として、牛魔王の宝貝を兄ジャに献上するから念入りに探索だ」




