10-13 行方不明者
御影が妖怪の都の跡地に戻って来るまで一時間はかかっていた。
動物裁判のスキルにより、州の境まで飛ばされたために時間がかかってしまった訳であるが、そもそも、どうして跡地に戻ろうというのか。既に白骨婦人という敵性は取り除かれており、黒曜の救出にも成功している。
「クゥがいないっ?! 取り残されたとすればマズいぞ。急げ、紅孩児」
「わぁってるって。急かすな!」
いや、パーティーメンバーの一人が行方知れずなのだ。終わった戦場に舞い戻るのも当然か。
実は優太郎も既に帰還しており消えているのだが、御影は野郎の事など心配していない。ただのか弱い村娘の安否だけを心配している。
御影目線ではまだ白骨婦人の退去を知らない。それゆえ、強敵のいる戦場に戻るだけの決意を必要としたはずであるが、御影は即決だ。
いや、危険な場所に戻るため、気絶している黒曜だけは岩場の影へと置いてきたのだが。一人だけ置き去りにすれば妖魔に襲われるリスクも考えられたが、神罰執行に焼かれるリスクを考えれば天秤は置き去りの方がずっと軽い。
「筋斗雲を貸してくれるだけでも良かったんだぞ、紅孩児」
「馬鹿言いやがる。俺を足手まといだと思っているなら、てめぇの股座に付いてるの潰して分からせてやろうか」
「桃源郷があるだろ。クゥのために命を懸けさせる訳にはいかないだろ」
「今更だ。もう俺達は一蓮托生。連れねぇ事言いやがったから、蹴り上げてやる!」
バイクのような運転姿勢のため、必然的に紅孩児は闘牛のように後ろ足で御影を蹴り上げる形となる。無理な姿勢であるというのに、トラック衝突がか弱く思える威力が御影の腰をかすめた。
「本気で蹴りやがったな!?」
「そうだ、俺は本気だ。都まで潰した俺達はもう完全なお尋ね者。それを忘れておいて心配したところで、遅ぇんだよ」
「それは……すまない。俺が悪かった」
「そうだ、御影が悪い。俺を頼れ」
紅孩児の主張の正しさを認めて、御影は深く反省する。
「……謝りついでに。ドレスで四つん這いになっている体制で蹴ってくるのは止めた方がいいぞ。脚線美を見せつけたいなら、ご自由にだが」
「てめぇッ。しっかり見てんじゃねえよッ!!」
紅孩児の運転によりどうにか戻って来たものの……ここであっているだろうか。分からない。
ナビがある訳ではないため感覚に頼るしかないというのに、地域一帯が黒焦げな所為で感覚にも頼れない。
まるで違う惑星に降り立ったみたいだ。黄昏世界の植生は元より壊滅状態であるが、それでも少ないながらに生えている枯れ木一本残っていないとは。
もうすべて終わった後のように危険は感じられない。人の気配も感じられないが。
白骨夫人の気配もない。どこかに移動してしまったのだろうか。
「ここまで燃えちまっていると生存は絶望的――あ、いや。あの徒人ならひょっこり生きているだろうよ」
紅孩児は最悪の事態を口にしながらも、俺の顔を見て言い直した。
気を使われなくても、本音を言えたなら俺もクゥが生存している可能性は低いと考えている。
唯一の希望は仮面の裏側に何も反応がない事だ。時間経過しているから聞こえないだけ、という理屈は分かっているが、あのクゥが一言も恨み言を呟かず去るとは思えない。たった、それだけだ。
筋斗雲より炭化した黒い地表を見渡して捜索しているが、何も発見できない。
それなりに時間をかけている内に、夜が終わり陽が照り始めてしまう。
「忌々しい暑さだ」
首筋を伝うはずだった汗が、茹って落ちていかない。冷却ファン付きの服が欲しいとまでは言わないが、せめて日陰が欲しい。
空を飛ぶ筋斗雲に屋根はないので、影に隠れられるはずもないのだが――、
“――その筋斗雲は娘のものだ。仮面の救世主職――”
――だというのに、空を飛ぶ筋斗雲全体が影に覆われてしまう。望んでおきながら不審に思うのは我儘なのだろうか。
“白骨夫人より詳細は聞いている。お前が仮面の救世主職、名は御影で間違いないな? それはそうと、どうしてお前が娘の筋斗雲に乗っているのだ?”
クゥを探しているので、筋斗雲の上に乗って地表ばかりを見ていた。ワザワザ、眼球を目玉焼きにしてしまう頭上を見ようとは思わない。
が、上方向より誰かに問いかけられていないだろうか。
筋斗雲の雲が盛り上がり、運転しているはずの紅孩児が出てくる。運転中にハンドルから手を離していいのだろうか。免停になるぞ。
「く、クソ親父……」
“コウちゃんっ。どうして、救世主職と一緒にいる?! ま、まさかっ、最近の反抗期はまさかっ。悪い男の影響で”
「少しは落ち着けよ、クソ親父。というか、どうしてこんな場所で、顕現していやがるんだよ」
紅孩児は首が痛くなる角度で上を見上げている。
俺も同じように頭上に目線を向けてみれば……そこにあったのは巨大な動物の顔だ。大き過ぎて推定不能。少なくとも百メートルを余裕で超えてしまっている。
“――よくもッ、愛しい娘を誑かしたなッ!! 異世界の救世主職がァアアッ!!”
顔の特徴は牛に似ている。白い牛だ。ジャージー種ではないな。逆に言うとその程度しか分からない。馬鹿でかい牛が首を伸ばして俺達を見下ろしている状況はさっぱりだ。
何よりも、どうして巨大牛がキレているのか。さっぱり分からない。
いつの間にか、山と見比べるべき巨大な牛の鼻先を筋斗雲は飛んでいた。風景に混ざっている所為で、今まで気付かなかったぜ。




