10-10 白骨夫人2
背中にナイフを刺された状態ではあるが、黒八卦炉・白骨夫人の発言に痛覚を麻酔される。
ちょっと何を言っているのか分からない。
『そう、ぱぱァのその戸惑う表情が見たかったの! 呪いを解きたくても解けない苦渋の表情。最高の嫌がらせ!』
いや、仮面で隠れていなかったとしても、俺は絶対にそんな顔をしていないと思う。
「め、娶るのが解呪の条件?? 嘘だろ」
『形だけ従うなんてのは無理。奥さんにするのだから、男として欲情してあげないと可哀相じゃない? でも、実の娘をそんな目でみるなんて酷い酷い。けははっ』
勝手に悦に入っているお陰でレーザー攻撃が止まっている。俺がどのように苦悩するのかを見守るつもりのようだ。
黒曜は相変わらず俺に刺したエルフナイフの柄を握ったまま動いていない。本気で敵対されると、下手をすると白骨夫人以上に危険だ。今の内に手を掴んで体を抱き寄せておこう。
『無理をしちゃって。顔を近付けてから、どうするって?』
「……パパ、だめ」
『そうそう駄目よ。娘の淡く隠れた恋心を無視して近親なんて、救世主職を授かった事のある人格者にできるかしら』
抱き寄せた黒曜を更に引っ張り、顔と顔が間近く向き合う。
「黒曜。いいな」
「パパ……でも」
「……あー、すまん。そのパパって呼び方は今は少し」
「でも、パパは、パパだから」
「せめて一等身を呼ぶ感じではなく、配偶者を呼ぶ感じにしてくれないか?」
『唇を近付けて何をするつもり? 形だけ真似ても駄目だって言ったわよね。徒人は血縁同士を避ける本能がある癖に、無理するじゃない』
無理などとは、白骨夫人は分かっていない。
言っておくが、うちの黒曜は美人である。命が惜しいので他者と比較するなどという無礼、無粋な評価は行わない。が、絶対評価でも間違いなく美しいのが黒曜だ。
エルフだからというのは二の次だ。確かに、長い耳も、魔界の瘴気に浸ってなお沁み一つない肌も、どれもこれも間違いなく彼女の美貌を構成する要素である。けれども、俺が一番に推す黒曜のポイントは目である。
紫の瞳は黒曜固有のもの。彼女の人生そのもの。
強い意志を宿しながらも憂いを隠した瞳。
完全性の中に脆弱性を内包する瞳。
近づき難い神秘性を有しながらも愛情と慈悲深さを併せ持つ瞳。
「俺は黒曜を、ずっと好きでした」
俺は紫色から目を離せない。
「パ……ぱぱ、俺も!」
『何言っている!? 黒曜はお前の愛娘だろう!!』
ウィズ・アニッシュ・ワールドに飛ばされたばかりの俺を胡散臭く思いながらも助けてくれた彼女に、どうして愛着を持たずにいられるか。
方法はともかく俺を助けてくれた彼女に、どうして執着を持たずにいられるか。
黒曜が俺を――何故か――父と慕いながらも、一定の距離感を持って接しているため無理に接近しようとはしていなかった。が、こんな絶好の告白の機会をどうして見逃せるだろうか。
「黒曜には、ずっと俺の隣にいて欲しい」
「俺もずっと一緒にいて、欲しい!」
『ぱぱァ! これ以上、女を増やして、元の世界に戻ってから女共に虐殺される覚悟はあるのか!』
「ヒッ! 皐月にアジサイに落花生にラベンダーに桂さんににアイサに、天竜にもしかしてリリームも。お、俺を刺すな。やめろぉッ」
「ぱ……パパ。はぁ……」
いや、だって、大学生男子の前に魔法少女やエルフを差し出しておきながら、手を出してから非難するのは酷い美人局である。
俺の人生にハリウッド映画以上の波乱が多いのだから、し、仕方なくないだろうか。俺に節操がないのではない。人並みでしかない俺の節度を圧倒する運命の出逢いが多かっただけだ。そうだ、運命だ。タタタターン。
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“『一発逆転』、どん底よりの這い上がりを実現するスキル。
極限状態になればなるほど『運』が強化されていく。なお、真に『運』の良い者はそもそも極限状態に陥らない。
スキル所持者がどれだけ正しく危機を認識、予感しているかが鍵でもある”
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“ステータス詳細
●運:130 → 930”
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「おや、最近機能していなかった『一発逆転』が発動したぞ。どういう事だろう」
「仕方がない。地球では俺に任せろ。『暗殺』は得意だ。最悪の場合は俺一人が立っていればいい」
そうだな。明日の刃傷沙汰よりも今日の告白について考えるのが建設的だ。砂の城を建てている気がするが気にしない。
『血迷ったか、ぱぱァッ。自分の娘を欲するなんて!』
「白骨夫人、外聞がすこぶる悪いから一つ言っておくが。俺と黒曜に血縁はないぞ。そもそも、エルフだし、黒曜」
『……は?? 馬鹿を……言うな。体を乗っ取った時に、黒曜はお前を父だと! 家族だとっ!』
「黒曜とは、これからが正式な家族だ。そうだろ、黒曜」
「ぱぱ。俺達はずっと家族だ」
俺と黒曜はゼロ距離となって密着した。
スレンダーな黒曜の身体と俺の身体は癒着したかのように離れなくなる。
同時に、黒曜に掛けられた呪いが解除されていく。黄昏世界で彷徨い、離れ離れとなって以降、失っていた黒曜が、ようやく、俺のもとへと戻って来たのだ。これ以上ない幸せに俺と黒曜は包まれる。ハッピーエンドのエンドロールが始まるなら今が絶好の機会だぞ。
『気持ち悪い。ああ、気持ち悪い、気持ち悪くて仕方がないッ!! ぱぱぁの顔の穴も、もういらないッ!! こんな気持ち悪い世界に、私の愛する姉妹を呼び戻したくなんて、ないッ』
だが、人間の幸せを決して許さない、幸せなど許されないと異議を唱える輩がいる。
白骨夫人と呼ばれるキョンシーは死人らしく生者の幸せを何よりも憎悪する。憎悪は腐った理性を軽く突破して、感情を完全に激発させる。
『徒人ばかりが大団円? 私達姉妹を撃ち殺しておいて報われました? 死ね。死ね死ね死ね。全部死ねッ。子供を殺さなければ延命できない世界なんて、消えてしまえッ。 ――神罰執行“プロミネンス”!!』
業火が噴出した。
黒八卦炉の黒い炎を突き破って、真っ赤な濁流が吹き上げる。ナイアガラの大瀑布の水量を百倍にしたところで全然桁の足りない規模の炎が一気に成層圏まで突き上がる。
弧を描く膨大な熱の塊はまるで東洋竜のようだ。牙も鱗もすべて火炎。生物であるはずがないのに巨大な口を開きつつ、重力に従ってゆっくりと降下を開始した。
降下地点は、もちろん、憎悪の対象たる俺と黒曜だ。
「レーザー攻撃じゃないから、反射できない?! それに見かけ以上に速い。クソ、黒曜ッ」
「ぱぱの手を握らせて。最後まで、ずっと!」
「最後くらい俺を名前で呼んでくれよっ」
超高熱、超エネルギーの濁流に俺達は襲われた。
人類が抗うには規模感が違い過ぎた。天体規模の炎に飲み込まれた後は“ジュー”という蒸発音さえ響かなかったに違いない。
『灰も塵も残しはしない。徒人など絶滅してしまえ!』
『――Squeak.』
けれども“チュー”という鳴き声ならば、響いたかもしれない。
『――『動物裁判』発動。判決は流刑。執行済み』




