X-1 灼熱宮殿の妖怪共
――過去。御影、黒曜、黄昏世界で漂流開始直後。
太陽を模すために、輝かしい金銀を材料に建てられたその宮殿の名は、灼熱宮殿。
この黄昏世界を統べる尊き方が、唯一下界にて顕現なされる住まいである。
世界は相変わらず異常気象により瀕死状態が続いているものの、妖術や宝貝によって守られる灼熱宮殿はその限りではない。間違いなく、この世で最も贅沢な建築物だろう。
「新参者の兄弟め。また要らぬ事を御母様に吹き込みよって」
灼熱宮殿は妖怪によって管理、維持されている。黄昏世界の最上位種族は妖怪であり、彼等が宮殿を建てたのだから不思議ではない。
宮殿の最上部にありながら最も広大な拝謁の間では、各地を統治する妖怪が列を成す。妖怪ばかりなので徒人の形から外れた者が多いが、意外にも徒人に近い者も多い。
玉座に近い程、位が高い。つまり、最前列にいる背中が丸見えのドレスを着た長身の女や、白い角を生やした大男は最上位という訳だ。
角を持つ大男は、『白の力』牛魔王と称えられる大妖怪だ。世界の気候が狂う以前より生きている古参妖怪でもあるが、未だに妖力は衰えていない。起伏ある太い腕は山を動かすと噂されている。
「兄ジャ。俺達はツイているぜ」
「そうさな、弟よ。運気は常に俺達兄弟に向いている。きっと、今日は面白くなるぞ」
牛魔王ほどではないものの、列の前方では『金の宝』こと金角魔王と『銀の法』こと銀角魔王が不遜な顔付きで並んでいる。金角銀角兄弟は齢五十年と年若い妖怪だ。新参者でありながら御母に取り入って地位を得ている兄弟を、他の妖怪はあまり好いていない。
なお、灼熱宮殿に妖怪共が集まっている理由も兄弟の仕業である。
今回は何を仕出かしたのかを問うべく動く牛魔王であったが……甲高い金属音に阻まれた。
「御母様―御母様―。御顕現―。伏してお出迎えー」
拝謁の間の扉よりも大きなドラがやかましく鳴り響く。
地平線の向こう側に太陽が半身以上沈み込む。反比例的に、赤い御簾で仕切られた向こう側にある玉座が強く輝く。すとん、と何者かが腰かける気配が最後にあった。
すべてが、この黄昏世界において最も尊き方が現れた事を示している。
玉座の間に集まる妖怪共は全員床に手を付いて平伏する。
御母と妖怪共より敬われる存在が、降臨されたのだ。
「――此方は、憂いています。此方は、恐れています」
御簾の向こう側から聞こえてきたのは、御母の酷く悲しげな声だった。
「此方の世界に再び別世界から害虫が現れました」
澄んだ聞き取り易い声だというのに、御母の属性に反して一切の温かさがない。髑髏が喋っている方がまだ親しみを感じられる。
「憎き害虫が現れました。か弱き此方の子供達にまた危害が加えられるのではないかと。それがとても恐ろしくて、恐ろしくて……恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて。恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて――」
御母がヒートアップするのは不味いと考えたのだろう。
最前列で平伏していた牛魔王が危険を顧みず声を挟んだ。
「ごほん、御母様よ。その恐れよう。もしや、再び異世界より救世主職が現れた、と?」
「――白よ、その通りです。金と銀の兄弟が遭遇したのです。兄弟が回収した害虫の物品を此方が検めました。間違いなく、異世界の異物です」
御簾の一部が独りでに巻き上がり、三方のような木製の台が浮遊しながら現れる。
ゆっくりと長い階段を下降し、牛魔王の手前で止まった台の上には、見慣れない薄型の長方形が乗せられていた。
「これは……?」
「すまーとふぉん、と呼称される通信機器です。無駄に妖術に頼らない設計。此方の世界にこのような物はありえない」
すまーとふぉんという名称らしき長方形を、牛魔王は知らない。通信機器と言うが、文字を筆で書き入れるべき領域が小さ過ぎる。
「問題はその核に神格の力を感じる事です。またぞろ、まつろわぬ月が異世界より害虫を呼び寄せたに違いありません」
「月の玉は十二個、救世主職の数も十二。既にすべて使い切っておきながらどのようにして。……いえ、あれだけ惨敗しながら五十年後の今、懲りずに送り込んでくる理由は何でしょう?」
「さあ? どうあれ、既に害虫はこの世界に潜り込んでいます。何としても、排除しなければ。そうでなければ、此方は子供達が心配で怖いのです」
玉座に座る御母は、手に持つ扇を広げたり閉じたりしながら遊んでいる。
「ご安心ください、御母。我等一同が、今回も排除してみせましょう」
「ええ、白。子供達が勇敢であると此方は信じております。それでも、此方は心配なのです」
思考を巡らすための手遊びであったが、ふと、強く閉じられて音を鳴らす。
「――此方は万全を尽くします。そのためにも、毒を以て毒を制しましょう。異世界の害虫は異世界の毒にて排除するとしましょう。異世界救世主召喚……などとは俗な呼び名。世が混じると書いて混世、救世主に対して魔王。此方はこれを、混世魔王招来の儀と名付けましょう」
素晴らしい思い付きだと自画自賛する御母は、多数の妖怪に見られているのを忘れて喜んでいる。牛魔王を代表に数名の妖怪共が「お手を煩わす事はいたしません」「我等にお任せを」と呼び掛けているが、一切、耳に入れていない。
「害虫排除のため、異世界より混世魔王を呼びましょう。これで子供達も安心して遊んでいられる。くふふ、ふふふっ」
さっそく、御母は思い付きを実行に移す。子供のごとき思い付きを実行するだけの力を彼女は有している。
木の台の上にあったすまーとふぉんを触媒として活用し、異世界と連結。異世界から紛れ込んだ人間を排除するべく、同じ異世界において人間を強く恨む者を呼び寄せる。
パーツに分解されていくすまーとふぉんが粒子にまで還元された時だった。
炎が玉座の間の虚空を燃やして、穴が開く。
「憎悪に焦がれた六悪霊に授けし名は、九嬰、窫窳、大風、鑿歯、修蛇、封豨。六の災いを置換し、混世魔王としての器を用意しました。さあ、此方の子供達を守るために憎き害虫を燃やしなさいな」
穴の奥から生きた炎が拝謁の間に零れ落ちた。一呼吸の間に大火となりて、燃え広がる。
それは、甲高い音と共に穴から飛び込んで床に衝突し、穿つ。衝突地点にいた妖怪を十体ほど巻き込んで燃え盛る。
それは、液体のようにドロドロと穴から流れ出る。妖怪の体に付着すると、どうやっても払えない。炎上を開始したなら体が炭になっても払えない。
それは、炎上する植物のようであった。
それは、爆発する車輪のようであった。
それは――。
召喚された六の異世界の異物から、妖怪共は必死に逃げ惑う。
「ええいっ。そいつ等を宮殿の外に出せ! ……い、いや、出すな。このような呪詛の塊を外に出せば被害が分からん。絶対に出すな」
「老害妖怪が巻き込まれて燃えているぜ、兄ジャ。いい気味だ」
「そうさな、弟よ。言った通り、面白くなってきただろう。よし、こいつ等を外に放て。きっともっと面白くなる」
召喚された六つの災いは灼熱宮殿より放たれた。
六つの災いは御母が願った通りに異世界から現れた救世主職へと襲い掛かるだろう。
……ただし、人間を強く憎悪する悪霊を厳選して召喚、受肉させているため、制御が一切なされていない。救世主職以外の人間や少し似ているだけの妖怪にさえも襲い掛かる。
その日、灼熱宮殿に集まっていた妖怪の三割が焼死した。犠牲者の中には州官や王さえ含まれるため、統制は失われ、世は確実に荒れる。
予期せぬ惨劇に御母は――、
「――ふふ、これだけ力を与えているのなら、害虫も簡単に始末してくれる。子供達もきっと安心で怖くない」
――実にうっとりした声を吐いている。本気で子供達の安全が図れたと思っているのだろう。
――同時刻。ウィズ・アニッシュ・ワールド某所。
この世界で初めて救世主職となり、死後は、世界を維持する管理神職を引き受けて異世界の神となった赤毛の神格が、呟く。
「――あー。これは、マズい事態になったね」
遠く離れた世界ではあったが、己の力を宿したスマートフォンを触媒にされたのだ。何が行われたのかを察して冷や汗をかく。
……依り代にしている男が今日も逆さ釣りにされて、煮えたぎったドラム缶へと頭から突っ込まれそうになっているから、かいた汗ではない。
「御影の居場所を探し当てろ。さもなくば……言わなくとも分かるわよね」
「兄さんの通話履歴が突然消えた」
「熱湯だけではもう生ぬるいです。――稲妻、感電、電圧撃」
「ちょっと皆。紙屋先輩が可哀相だから、苦しまずに済むぐらいの熱さとか電圧にしない?」




