10-1 俺は人間族を喰っている
ユウタロウの拳は、どう考えても受け止められる重量や破壊力ではない。建築物の破壊に用いる鉄球と同じ物としてカテゴライズされるべきである。
速度もある程度乗っているようだが、目で追えている。紅孩児を背負ったままでも避けられる。
「御影君っ、お助けぇっー」
ええぃ、硬直しているクゥの首根っこも掴んで横っ飛びだ。
直後を通り抜けていった巨大な拳と前腕。その先の地面にクレーターが生じるのはもちろん、押し出された大気が爆風となって被害範囲を拡大する。俺達も隣の家の芝生まで飛ばされた。
破壊鉄球の親戚だろうという考えは合っていた。狼と徒人の会場であった宿舎は一階部分が倒壊し、崩れ落ちてきた二階が雪崩れ込んでいる。後は火事がすべてを炭にして、そこで何が行われていたなんて分からなくなってしまうのだろう。
「顔を擦り剥いた。許さない。アイツ、ぶっ潰す」
「おい、ユウタロウ! 今すぐに謝らないと如意棒女をけしかけるぞ」
『未だにお遊び気分とは、お前の危機察知能力は相当狂っているな。そこの女共が足枷になっているならば、先に始末してやろうか?』
「女の手も握った事もない奴が物騒な事を言うなよ。……握った事ないよな?」
宿舎を粉砕した拳を地面から引き抜いた黒い巨オークが、振り向く。
『――馬鹿が。人間族の女など、両手で数えきれない程に殺している。殺してから、全身余す事なく喰ってやった』
巨大な顔でユウタロウは口角を上げていた。まるで、喰った時の味でも思い出しているように、喉を鳴らしている。
『整った顔をこん棒で潰してやった。小癪に動く心臓を槍で一突きにしてやった。喰うのにいちいち臓物から糞を絞ってやるのが大変だったな』
「悪趣味な嘘はよせ、ユウタロウ」
『お前ならば見て分かるはずだ。どうだ? 俺は……俺が殺した人間族に祟られているはずだろう』
ユウタロウは大嘘つきだ。
ユウタロウの足元、影の中で、現世にどうにか出現しようと蠢く女の腕など見えていない。一人や二人などではない、十人でもまだまだ少ない犠牲者達の腕が殺人者に伸ばされているなどそんなはずは、ないのだ。
『巨大化』しているユウタロウの頭の位置は高い。だから、俺は地面から目を離す。
ユウタロウと目を合わせている限り、俺の『正体不明(?)』は無効化されて不都合な真実は見えなくなるのだから。
『その反応。祟られていたのだろう? やはり、そうだろう。オークの戦士が人間族に恨まれるのは当然だ!』
「もう、言うなッ。お前はユウタロウなんだ」
『俺はユウタロウなどではない。俺が誰なのか、早く思い出せ』
「お前は親友だ。それで良いだろ!」
『いいや、駄目だ。現実を直視する時が来たぞ』
足を振り上げて脅迫してくるユウタロウ。創意工夫なく、俺達を地べたの虫のように踏み潰すつもりだ。
「ユウタロウ。アンタは、やっぱり人喰い妖怪で間違いなかった。妖怪は悪であり私の仇! 如意棒を巨大化させるから、いいよね!?」
「やめてくれ、クゥ。待ってくれよ、クゥ」
「駄目。これまでも妖怪を始末してきたじゃない!」
クゥの主張は正しい。凶悪な人でなし妖怪に与えてやる慈悲はない。
それでも、ユウタロウについては、戸惑ってしまって当然ではないか。
クゥとユウタロウの板挟みになりながら、足に踏み潰されようとしている俺。もう猶予時間はなく、俺と一緒に潰されようとしているクゥの行動を止める訳にもいかず、それでも動けない俺は実に、中途半端だった。
如意棒を上方に構えるクゥ。
意に介さず足を落としてくるユウタロウ。
『――なんじ、罪あり』
そして、瀬戸際の瞬間に割り込まれる断罪の言葉。
『判決、足切断刑』
『この声は、同類の。近くに潜んでいたのかッ』
何者かの言葉と共に軸足に裂傷が走り、ユウタロウがバランスを崩す。俺達を踏むはずだった方の足は軌道を外れて、遠くに向かう。
異変が起きているのに正体が分からない。
炎に飲み込まれつつある宿舎の瓦礫の合間を動く小動物の気配はあるが、その程度が異変の正体とは思えない。ただ、宿舎に住み着いていたネズミ達が火事を逃れようとしているだけではなかろうか。
『俺の邪魔をするな!』
『人類を裁く権利は我等にもあり。お前だけの権利ではない』
『割り込んできておいて、何をいけしゃあしゃあと』
ユウタロウは目標を俺から小動物へと変えた。地面表層を削ぎ取るように拳を振るって多数を一網打尽にする。
『我等は束縛されず。自然摂理こそが唯一の法なれば』
いや、一帯を跡形もなく粉砕しても小さな隙間は多い。庭の各所よりネズミが顔を出しており全滅していない。
それどころか……数が増え続けている。宿舎以外の方向からも集まり、見渡す限りの壁上、屋根上に黒いシルエットが立ち並ぶ。
ただの小動物などというのは愚かな勘違いだった。これだけ密度が高まれば嫌でも分かる。人類を滅ぼさんという復讐心の群体に、俺達は包囲されているのだ。
「人類復讐者職! ネズミ一匹一匹が、混世魔王だというのかッ」
『判決、流刑』
前触れのない突風がユウタロウの巨体を浮かした。瞬間最大風速が馬鹿げていたのか、家屋にぶつかりながらも止まらず遠くまで飛ばされていく。そのまま、街の外れにある崖から落ちてしまいそうな勢いだ。
「ユウタロウ!」
「戦いたくない相手を、追いかけるな! それよりも、早く俺に回復薬を。完全に囲まれたぞ」
紅孩児の言う通りだ。ユウタロウがいなくなっても、ネズミの大群は包囲を続けている。本命は俺達という事で間違いない。
『Squeak.Squeak.』
『さあ、傲慢なる人類に断罪を』
『我等の屈辱を知るがいい』
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▼蝟集の混世魔王 偽名、窫窳
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“●レベル:???”
“ステータス詳細
●力:1~10 守:1~5 速:1~20
●魔:1~5/1~5
●運:0”
●人類復讐者固有スキル『人類萎縮権』
●人類復讐者固有スキル『人類断罪権』
●人類復讐者固有スキル『人類平伏権』
●人類復讐者固有スキル『人類搾取権』
●人類復讐者固有スキル『人類報復権』
●実績達成スキル『正体不明』(混世魔王オーバーコート中)
●実績達成スキル『??裁?』
●実績達成スキル『破門判決』”
“職業詳細
●人類復讐者(Aランク)”
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得体の知れない『正体不明』のネズミだ。
群体タイプのモンスターの代表例には怨嗟魔王がいる。個体の強さではなく集団としての強さで圧倒してくる敵は、俺が苦手とするジャンルだ。
「混世魔王を討伐したければ、まずは『正体不明』を突破する必要があるが」
「ネズミの大群に恨まれる心当たりが御影君にはあるの?」
「マウス実験の恨みとか?」
「地球って場所。貴重な食料で実験とか野蛮!」
マウス実験ではハツカネズミが使われる。が、周囲の群体の過半数はドブネズミに類するので違う気がする。
となると、害獣として散々チーズトラップや粘着シートで葬ってきた恨みが最有力になるが……ネズミ共の『正体不明』は一切晴れる様子がないな。
ネズミの包囲網が狭くなっていく。ナイフで牽制していても効果が見込めない。このままでは噛みつかれる。
『平伏せよ、人類』
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“『人類平伏権』、復讐するべき人類に形だけの謝罪を強制するスキル。
視界内にいる人の類に平伏を強いる事ができる。一度平伏させた相手に対しては一時間のインターバルが必要となる”
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先制されてしまった。
地面に額をつけて無防備になった俺達三人に向かって、一斉にネズミが跳び掛かる。
「おらッ、筋斗雲。きやがれッ」
動けない俺達のもとへと急行する雲の宝貝。紅孩児が呼び寄せた雲が俺達を包み込み、ネズミの乗船を阻む。三人全員の収納を終えると垂直離陸を果たした。
「助かった、紅孩児」
「助かったのか分からないぜ。街の様子が全体的におかしい」
神妙な顔付きで紅孩児は、妖怪の都を俯瞰できる高度まで筋斗雲を上昇させていく。
雲から顔を出して下界を覗き込んで観察すれば、各所で火の手が上がり始めているのが分かるだろう。ネズミの混世魔王の総数は、少なくとも都全体を襲撃できるくらいには潤沢らしかった。
「ちぃッ。上から何か来やがる。揺れるぜ!!」
“――GAFFFFFFFFFFFFFF!!”
「ッ?! 吸気音のような鳴き声。おい、まさか!」
大気の向こう側より炎の軌跡が落ちてきたために、筋斗雲は回避行動を取った。
追尾性能は低いのか、加速した筋斗雲を追えずに炎はそのまま下の街へと落下。妖怪の住居区画へと着弾して炎の波を広げていく。炎の中心で出来上がったクレーターでは、着弾後も炎を噴出する四足獣が叫んでいた。
「二体目の……混世魔王」
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▼四足獣の混世魔王 偽名、大風
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以前に追い払った四足獣の混世魔王で間違いない。最近、遭遇していなかったものの、上下にヒットアンドアウェイを行う難敵だったので記憶は確かだ。
「複数魔王の同時襲撃。魔王連合を思い出させるから止めてくれよ」
「……あの、御影君」
「クゥ……どうして地平線を指差しながら、嫌なモノを発見した感じの顔をしている?」
「いや、その通りなのだけど」
妖怪の都は巨大妖魔の背に築かれており、毎時数十キロを移動している。
巨大妖魔の頭が見えないので進行方向は分からないが、クゥが指差した方向は巨大妖魔から遥か遠くだ。視力の良いクゥでなければ確認できない遠くに……遠くだというのに形の分かるサイズの円柱が回っていた。
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▼車輪の混世魔王 偽名、修蛇
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