9-18 狼と徒人 五日目夜
死にたくない。
せっかくここまで生き残ったのに、死にたくない。
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“ステータス詳細
●陽:3 → 2”
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毎日眠るために浪費した所為で『陽』が足りない。もう尽きる。尽きるよりも先に死にたくなんてない。
もう夜だ。いわくありげな仮面と村娘には殺されない術がある。俺にはそんなものはない。だから今夜殺される。死にたくない。
「死にたくない。妖怪に殺されるなんてまっぴらだ。どうしたら殺されずに済む。死にたくないッ」
頭皮を掻きむしりながら、部屋の奥でガタガタと震える以外にできる解決策があれば教えてくれ。それが明日に命を差し出さなければならない取引であったとしても、今夜を生き延びられるのなら選ばせてくれ。
『――Squeak.Squeak.』
血走った赤い眼のネズミが、窓の縁から俺を眺めている。小動物ごときが俺をどう同情するって言うのだ。
『――Squeak.仮初の延命を望む愚かな人類よ。今日を生き延びるためだけに明日死にたいというのであれば望みを叶えよう。『破門判決』執行』
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“『破門判決』、敵対認定、異端者の烙印を押すスキル。
ステータスを改訂し、敵対する者に相応しい職を与える”
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「ついに見つけたぜ」
数日を費やし、宿屋へと通じる進入路を特定した紅孩児の顔には笑みが浮かぶ。近辺の井戸を潜って探し続けて苦労した分、口角の高い笑みだ。
狼と徒人は密室ゲームであるが、完全に外界から隔絶されている訳ではない。ゲームの性質上、日数がかかるため、換気用の穴は必ず用意されている。他にも妖怪も使用する水は通しておく必要がある。今回、紅孩児が発見した進入路は水の通り道のため浸水していたが、大人一人がギリギリ通行可能な大きさがあった。
「結局、隣の敷地の井戸かよ」
紅孩児が井戸と呼んでいる縦穴は、どちらかと言えば水路と呼ばれるべきだろう。
妖怪の都は巨大妖魔、渾沌の上に築かれた都市である。穴を掘って水が出てくるものではない。浄水場と呼ぶべき施設にある宝貝で大量に水を生み出し、地下を通じて各所に渡しているのだ。
「待っていやがれ、御影にクゥ。今からそっちに行って助け出してやるからな」
指をボキボキ鳴らし、ドレスの裾を引きずって井戸へと近づいていく。
そんな紅孩児の足元に……炎が走る。
「――止まれ。それ以上、進むな」
その巨漢でどうやって隠れていたのか。炎の発生源よりブタ面の大男が独特形状の槍を担いで現れる。
ユウタロウである。彼は紅孩児の進路を阻む位置で立ち止まった。
「てめぇ、協力しない。邪魔もしやがる。どういうつもりだ?」
「止まれと言っている」
「聞かねえよ。あからさまに裏切りやがって。御影の仲間だからって容赦しねえからな」
「闘牛女が。妖怪ごときに使われていると分からんか。そもそも、俺はアイツの仲間になったつもりはないと常々、言っている」
紅孩児が握り拳を作りながら、道を遮るユウタロウへと接近していく。
鼻息を漏らしたユウタロウは、槍を構えて戦闘態勢となった。
「ふんっ、答えを得られんままだというのに、この辺りが潮時か。俺以外にも既に何体か動き始めている。もう余裕はない」
「ぐちぐち独り言喋ってんじゃねぇ!」
先に紅孩児の拳が振られた。
防御に動いたユウタロウの槍と衝突して、まるで鉄筋同士が激突したかのような音が生じる。三十センチ程、後退させられながらも踏ん張り、鋼鉄のごとき拳を跳ねのけた。
「止めやがったな、クソ野郎」
「ボロボロの闘牛女を置き土産にしておけば、アイツも少しは本気で殺し合いに応じるだろうよ」
炎を背中から噴出させて加速度を得たユウタロウは、勢いすべてを乗せたフルスイングを紅孩児の体にぶつける。
耐えようとした紅孩児であったが……失敗した。単純にパラメーター負けしている。大妖怪の直系、実娘たる紅孩児を、ユウタロウは凌駕していた。
「牛を相手に大人気ないがな……『八斎戒』宣言。以後の人生、俺は盗みを禁じる。この禁戒をもって、俺はより高次の存在へと至らん」
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▼豚面の混世魔王 偽名、封豨。または、ユウタロウ(?)
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“ステータス詳細
●力:528(2^四戒) → 1056(2^五戒)
●守:336(2^四戒) → 672(2^五戒)
●速:304(2^四戒) → 608(2^五戒)
●魔:323/324(2^四戒) → 647/648(2^五戒)
●運:0”
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“『八斎戒』、俗世の身を律して神格へと至らしめるスキル。
八斎戒のいずれかを永続的に守ると宣言するたび、全パラメーターに対し、2の宣言数の乗の補正を行う。
八斎戒すべてを宣言した場合には神格へとクラスチェンジする”
”《追記》
現在の宣言数は五戒。不得坐高広大床戒、不飲酒戒、不得過日中食戒、不得歌舞作楽塗身香油戒、不偸盗戒”
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夜が到来して、薄暗いロビーに火が灯る。
従業員兼妖怪濃厚のテリャが仕事をしてくれたお陰で明るいが、こいつ、いつまで従業員の仕事を続けるつもりだ。
「長年、都で徒人が生き残るコツは、地味な仕事を誠実にこなして妖怪の皆様に重宝される事です。流行に左右される美人は飽きられると共に命を終えてしまいますが、凡庸な仕事を続ける凡人は必需品として生かされる事が多い。前世でもこの見た目まで生きた私が言うのですから、間違いない」
「今は狼と徒人の真っ最中なんだが」
「白骨夫人様には勝てと命じられておりませんので。時間稼ぎのみを命じられておりました」
もう深夜と言える時間帯だというのに一向に動かないテリャ。どうして俺の方がソワソワしないといけないのか分からない。
「ねぇ、御影君。眠いんだけど」
「昨日、爆睡していた癖に。ゆっくり安眠していいぞ」
「絶対に寝るな、ね。テリャさん、お茶」
異様な状況にすっかり慣れてしまったクゥは、毒殺を気にせずテリャの淹れたお茶を美味い美味い言いながら飲んでしまっている。
「律儀に私が徒人を襲うのを待つ必要はないのではないですか? 徒人が妖怪を襲う事については制限がありませんよ」
頼んでいないのに、俺にもお茶を出しながらテリャが提案してくる。
「黒に近いダークグレーでも、まだ妖怪と確定していない」
「では手足を縛り拘束するのはいかがでしょう。完璧を目指すのであれば、私とオンロの二人を捕えてしまえば良いのです。外道な手段であっても、安全を思えば採用に足ると思われますが」
考えなかった訳ではない。ゲーム性を完全に無視してしまえば、容疑者全員を拘束してしまう荒業こそが最良だ。吹雪に閉じ込められた館で殺人事件が起きたのであれば、謎の殺人鬼を探すよりも先に、全員を縛って部屋に閉じ込めてしまえば良いのである。
「あまりに妖怪陣営の手段を潰し過ぎると、次の行動の予想が難しくなる。外でリアリティショーを鑑賞している妖怪共が手出ししてこないとも限らない」
敵の逃げ道は完全に塞ぐべきではない。自暴自棄の無敵の人ほどに怖いものはないからである。
「ご心配されずとも、白骨夫人様が鑑賞したまま干渉してこないはずはありません。私に対しての指示は五日目しかありませんよ」
「それ、俺に言っていいのか?」
「秘密にしろとは命じられておりません」
ただ、俺の行動が半端になってしまっている最大の理由は、テリャの言動が徒人寄りで踏ん切りがつかない所為だろう。人間が妖怪の体で蘇ったという告白を信じたくなってしまう。
いや、どんなに真実味があろうと信じてはいけないのが妖怪なのだが。
俺が黙り込み、テリャからの会話も止まり、静まるロビー。
変化に乏しい時間が過ぎていき、クゥが舟をこぎ始めた頃になって……廊下から足音が近づく。
俺とクゥ、テリャはロビーにいたので、自ずと足音の正体はオンロとなる。多少警戒しながらも注意はあくまでテリャに向けたままにする。
「オンロ。仕事をする気があれば、厨房の清掃を――」
テリャは同僚に話かけるような自然な応対をしていた。でありながら、途中で言葉を止めてしまった理由は、オンロの顔にある。
なにせオンロは、人間の顔を捨て去っていたのだ。ヤギとしか思えない草食動物の長顔。側面にある目の瞳孔は四角く、黒かった。
「お、俺は、俺俺俺俺俺は、生き生生生ききききき、ケケケッケケケケケケ!!」
手刀を構えたオンロは跳躍した。
クゥは俺が守っているので問題ない。
だが、テリャは誰に守られる事なくオンロに襲われる。腹に突き刺さった手刀は、体を貫通して背中から生え出る。
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▼オンロ
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“職業詳細
●妖怪(初心者) New
●魔王(初心者) New
×商人(離職)”
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