9-16 狼と徒人 五日目朝
妖怪の襲撃は一度しかなく、五日目の朝を迎える。
太陽が昭和時代のこたつのように赤く世界を照らし始めた頃に、能天気な女、クゥがようやく起床する。固まった背筋を伸ばして、喉奥まで見えそうな欠伸と共におはよう、とか言っている。
「襲撃があるから寝るなって言っていただろうに」
「だから、寝ていたんじゃない」
よく分からない切り返し方だ。クゥはまだ寝ぼけているのかもしれない。
犬に噛まれる苦労をした人間としては、十分な睡眠により若返った頬をつねってやりたくなってしまう。起き抜けにそんな悪事、大事な旅の仲間にできるはずがない。
「のーばーすーなーっ」
「保湿液もない黄昏世界でどうやってこのモチっと肌を維持している。正直に言えっ」
「誰が乾燥肌だ! やーめーてーっ」
ブラックジャックばりの直診でクゥの無事を確かめ終えてから、朝の日課でロビーに出向く。
「なんか、変な妖魔の死体が部屋の前に転がっているけど?」
「ここの宿舎、猛犬注意のマークなんてなかったのにな」
「どこにそんな印あったっけ??」
妖魔の死体を気にするよりも、今朝の犠牲者が気になるところだ。人数が減れば自然と妖怪が焙り出されていく。
まあ、毎朝のように誰かが死ぬ異常事態に慣らされたようで苦虫を奥歯で噛んだ顔付きになってしまうが。殺人事件のヒントを得るために次の殺人を待つ探偵や刑事のようで嫌な気分だ。
遠くはないので簡単に一階のロビーへと到着する。俺達が一番手だったので、他の生存者の到着をしばらく待つ。
「おはようございます。お二人共、ご無事で何よりです」
従業員のテリャが現れる。白髪がある初老の男は、狼と徒人の開催中とは思えない落ち着いた挨拶を丁寧にこなす。
「あ、朝が。俺は生き残れた、のか??」
もう一方の従業員、オンロも現れた。ビクビクしているものの、きちんと生きている。
ロビーに集まる合計四人の生き残り。
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●五日目、朝。狼と徒人、参加者一覧
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・御影:生存 … 人間
・クゥ:生存 … 人間
・オンロ(従業員):生存 … ?
・テリャ(従業員):生存 … ?
×名前不明(行商):死亡(一日目夜) … 人間
×マード(行商):死亡(二日目昼) … 妖怪
×シュンシュ:死亡(二日目夜) … 人間
×リント:死亡(三日目昼) … 妖怪
×食用の男:死亡(三日目夜) … 人間
×ファンファ:死亡(四日目昼) … 妖怪
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四日目の生存者と同数の四人である。
誰も死んでいない。死人が出ないのは喜ばしい事だが不穏である。夜に誰か一名犠牲者が現れるはずの狼と徒人においては、異常事態だ。
「妖怪が誰も殺さなかった、のか??」
「いえ、それはありませんな。狼と徒人のおいて演者の行動は自由ですが、規定には従わされるのです。そういう儀式です」
『一、妖怪に徒人は喰われるべし。ただし、妖怪が徒人を喰う数は夜に一人のみとする』
テリャが言い切る。血文字の規定にはかなりの拘束力があるのだろう。ルール破りを避けておいたのは正解だったと言える。
だからこそ、誰も死んでいない今朝の異常性が際立つ。
妖怪に人間を襲うつもりがなかったとは思えない。昨夜、猟犬を仕向けてきたくらいには積極的だった。つまり、誰も死んでいない今朝は妖怪にとっても予想外の状況なのだろう。
「不測の事態でも続くのか、狼と徒人」
「扉は開かれておりません」
つまり、続くのだろう。
五日目に四人残る状況は俺にとっても予想外である。三人であれば俺とクゥ以外の奴が妖怪確定となり、多数決勝利となっていた。
偶数の四人だと勝利確実とは言えない。半数は俺達なので敗北はないが、夜のターンまでゲームは続く。追い込まれた妖怪が何を仕出かすのか分からないので、昼間の内に勝負を決めたい。
「で、どっちが妖怪だ?」
俺とクゥを除くと従業員しか残らなかった最低な宿舎の従業員に尋問する。
「俺は違うッ。俺は、徒人だ!」
「そうなるとテリャが妖怪になる。同じ従業員なら何か証拠を持っていないか?」
「ここで働き始めたのはつい最近で、何も知らない。だが信じてくれ。俺が徒人なんだ!」
オンロが必死に潔白を主張する半面、テリャは実に淡々としている。ロビーに現れた時からそうだが落ち着き過ぎている。年を重ねた結果の精神成熟、あるいは、単純に感情をあまり出さない性格というだけかもしれない。
あるいは、狩る側たる妖怪だからか。
「テリャ。主張しないのか?」
「敢えて申し上げるならば、そこのオンロは妖怪ではございません」
「それは自分が妖怪だと言っているのと同じだぞ」
「狼と徒人は妖怪の皆様が熱中する興行にございます。自ら妖怪である事を明かし、外でこの遊戯をご覧になられている皆様の顰蹙を買うつもりはありませんな」
明言を避けているが、テリャの発言は自分が妖怪だと言っているのも同然だ。
意図が分からない。オンロが妖怪でありテリャは言わされているだけ、と言う作戦か。あまりにもチープ過ぎて、そう思わせておいてやっぱりテリャが妖怪という可能性の方が高い気がする。
「クゥ。オンロとテリャ、どっちが妖怪だと思う? 女のカンで当ててくれないか」
「誰が男よ! ……どっちが徒人か分からないけど、テリャさんが妖怪だった方が狡猾で大変そう」
「なるほど」
クゥの洞察力は鋭い。他に確定情報がないのであれば、採用に足るだろう。
「よし、テリャに投票するぞ」
もう四人だ。ワザワザ昼まで時間をかける必要はない。手間をかけて箱を用意して紙で投票する事さえない。この場で一斉に指を差して妖怪を指名する。反対意見はないため、四人で向き合う。
疑われているはずのテリャはこの段階でも抵抗しない。不気味でしかなかった。
俺の掛け声で全員が指を差す。
「いっせーのでっ、投票!」
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●五日目、昼。投票結果
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・御影 → テリャ
・クゥ → オンロ
・オンロ → テリャ
・テリャ → オンロ
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“同数投票により指名なし”
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興行も五日目となり、いよいよ大詰めだ。遊戯場には多数の妖怪客が集まって見学している。
同数投票となり五日目昼で終わらなかった途端、空中に券が舞い上がった。
「おいッ。しっかりしろよッ、救世主職」
「馬鹿だな、救世主職なんて大穴に賭けるから大損するんだ。白骨夫人主催で妖怪が負けた試しはないだろ」
「頼む、五日目夜で終わってくれ! 有り金すべて賭けてんだ!!」
盛り上がりを見せる店内の最奥にて、女帝のごとき優雅さで椅子に腰掛けているのは白骨夫人。彼女は床に投影される仮面の男の頭をうっとり眺めるのに忙しそうだ。
「ぱぱァはさすが。妖怪ごときの罠を見抜いて、五日もゲームを続けてくれるなんて。店が盛り上がって仕方がない。すべて私の期待した通り!」
狼と徒人は白骨夫人の思い描いた通りに進行中だ。
少々の想定外、四日目夜に妖怪が徒人を殺さなかったトラブルはあったものの、ゲームそのものに影響はなく安心だ。追放された癖に勝手に動き、なおかつ、村娘一人殺せず撤退した――映像が何故か途切れたため、詳細不明――妖怪が勝手に死んでいた。ルール違反に対する罰則機能の動作が確認できた事の方が重要だろう。
白骨夫人は狼と徒人で御影を討つつもりだ。頭に理解の及ばない特異点が開いている男と直接対決するつもりは一切ない。肉弾戦など趣味ではない。罠に放り込み、自滅を待つ。妖怪らしい知能労働のみで終わらせる。
宿舎のリアルタイム映像の多くは建物内部の映像だが、一部は外も映している。
井戸付近の投影映像には、五日かけてどうにか脱出路への侵入口を発見したらしき女妖怪、紅孩児の姿がばっちり映っている。
「彼女も素直で可愛いわね。私は特に何も言っていないのに、私は『斉東野語』さえ使っていないのに、ああして動いてくれちゃって。けはっ」
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“『斉東野語』、信用などあるはずもない怪しげなる存在のスキル。
本スキル所持者の言葉を確実に信じさせない事が可能。
同じ対象に対しては、二度と本スキルを使用できなくなるため、使いどころが大切である”
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「相手を騙す程度、スキルなんて高尚なもの必要ないのよね。けははっ」
白骨夫人は改めて自らが定めた狼と徒人のルールに目を通す。
『一、妖怪に徒人は喰われるべし。ただし、妖怪が徒人を喰う数は夜に一人のみとする。
二、徒人は徒人に擬態する妖怪を発見するべし。昼に一人を指名し、妖怪を発見せよ。見事、妖怪を的中できれば助命を認める。
三、妖怪を発見できず妖怪の数が徒人と同数以上になった時点で、妖怪の勝利とする。妖怪が勝利した場合、生き残った徒人はすべて処刑される』
……いや、違う。
表示されているルールは正しくない。誰も表示されているルールが正しいなどとは言っていない。紅孩児は誤解してしまったかもしれないが、別に白骨夫人の所為ではないだろう。
『三、すべての妖怪を発見できるまで外部への脱出、外部よりの救援を認めない。不正発覚次第、即時、全員を処罰する』
もちろん、御影達参加者には正しいルールを示していたが。白骨夫人もそこまで不義理ではない。




