9-15 狼と徒人 四日目夜
ぼんやりと明るい深夜。地球ではようやく夕暮れというべき照度を保った夜。
妖怪の襲撃を警戒して寝ずの番で待っていた。襲撃を期待している訳ではないものの、ようやく現れた何者かの気配に背伸びをする。
「来たぞ。そろそろ準備してくれ、クゥ」
「……ぐー。そんなにミミズ、食べられないって。もぐもぐ」
「この女、マジか。寝るなって言ったのに、完全に熟睡していやがる」
襲撃があるから今夜は寝かせない、と伝えていた。だというのにクゥの野郎、布団を被って就寝してしまっている。
体を揺らしても、声をかけても、まったく起きない。飲料水に睡眠薬でも盛られていたのだろうか。
「仕方がない。死守するか」
豚のように眠る部屋の美女を守るため、部屋に誰も入らせない覚悟を決める。
扉を開けて侵入してくるか、または、扉を破って強襲してくるか。どちらでも対処できるようにナイフを取り出し、ハンドガンの安全装置を解除した。
下手に足音を隠した不審者が扉の向こう側で立ち止まる。と、ガラス細工が砕けるような小さな音が廊下側で響く。
「ひッ」
小者臭い、息を飲み込むような悲鳴が遠ざかっていく。
何をしたのか分からない。ただ、ろくでもない事をしてくれたのは間違いないだろう。
扉の向こう側に突如、出現する大きな『魔』。
扉の隙間から入り込んでくるアンモニアのような刺激臭。
とりあえず先制しておくべきだろう。無警告でハンドガンを三発撃っておく。『魔』の位置は人間の腰くらいの位置より下に集中しているため、やや下方に向けて発砲する。
焼けた木の穴が三つ生じる。扉を貫通した弾が向こう側にいる何かに着弾した事を示すように、異質な獣声が発せられた。
「摩摩摩摩ッ!!」
「何が向こう側にいるんだよ」
獣の怒り狂った声が聞こえる。少なくとも動物園で飼育できるタイプの獣ではないだろう。
怒りに任せて扉を破砕して突入してくる。そう予想して待ち構えているのだが……どういう訳か気配が遠退いていく。ある瞬間より蒸気のように消えてしまった。
逃げ出したとは思えないが、クゥを置いて部屋から出る訳にもいかないので警戒を続ける。
変化のない時間を過ごしていると、ふと、視界の端より飛来する鋭利な何かを、反射的に仮面を逸らして避けた。
頬を斬り裂いて通り過ぎていき、床に突き刺さった青い鞭のようなモノ。出所らしき天井の隅を目だけ動かして視認する。
「……なんだ、お前??」
奇天烈な青いモンスターが、隅から上半身をはみ出していた。青黒い煙も噴き出ているが、異形としか言いようのない見た目のモンスターばかりに注目してしまう。
青いモンスターの口と思しき器官より伸びた触手が、先程の攻撃である。舌に該当する部位なのかもしれないが、恐ろしく長くて所々が尖っている。口の中にあっても邪魔ではなかろうか。
視認すると同時にアンモニア臭も嗅ぎ取る。扉の外にいた獣イコール青いモンスターで間違いない。
無駄に長い舌を半分にしてやろうとナイフを振るうと、巻き尺のように舌が口の中に戻っていく。上半身だけはみ出した状態から胴体すべてが室内に入り込み、床へと着地した。
侵入された事自体に驚きはない。ただ、侵入口のはずの天井の隅に破損がないのが実に不気味だ。
「瑠瑠瑠瑠ッ」
「妖魔の類か。妖怪の飼い犬だから、躾がなっていない」
言葉だけが通じるのが妖怪。言葉も通じないのが妖魔。そのくらいの大雑把な分類で言うと、青いモンスターは妖魔となるだろう。
妖魔はモンスターと同様に危険であるが、コイツは特に獰猛だ。シルエットだけなら大型犬のボルゾイに似ているので――皮膚は爬虫類のようであり、エイリアンのようにテカっているので犬では当然ない――、そう連想してしまうだけかもしれ――、
「我我我我我ッ」
「噛み付いてくるな!」
――首から上を引き千切る感じに噛み付いてきた。ナイフで押しとどめつつ、内視鏡みたいに押し込んだハンドガンで口内を射撃する。
「我摩摩ッ」
妖魔は後退していくが、このまま逃がしはしない。部屋の隅に追い込めたので眉間を狙い、刺突ナイフを繰り出した。
けれども、刺せなかった。
青い妖魔の体が部屋の隅に沈み込み、青黒い煙だけを残して消えていったのだ。投擲に切り替えてナイフを飛ばしたものの、手ごたえはない。
「壁抜け?? 少し違うぞっ?!」
壁の向こう側に気配を感じられない。別の場所に移動したとしか思えない。
俺の『暗影』とは違う方式、法則で発動する空間転移。理解はできないが、移動先の予測ならできる。
死角への移動、または……こんな時にもスヤスヤ寝ている女の近くだ。
クゥが寝ているベッドの上。天井付近の隅より顔を出している異形。丁度、伸縮する鋭利な舌を伸ばしていき、舌先が心臓へと到達寸前だ。
「眠り姫め!! 『コントロールZ』発動。二秒前ッ!!」
==========
“『コントロールZ』、少しだけ時間を戻してピンチを乗り切れるかもしれないスキル。
『魔』を1消費して、時間をコンマ一秒戻す”
==========
“ステータス詳細
●魔:122/122 → 102/122”
==========
狼と徒人の間、戦闘がないため温存できていた『魔』をここぞとばかりに消費して、時間を巻き戻す。仕方がないが、クゥが狙われて使っているパターンが多いな。
戻す時間の秒数は基本的に大雑把だ。敵の狙いが分かっているなら一秒巻き戻せばクゥを守れるだろうが、どうしても余裕を見てしまい更に一秒戻してしまう。失敗してもう一度『コントロールZ』を使うくらいなら、最初から多めに戻しておくという考え方だ。
主観において時間遡行は一瞬だ。巻き戻る時間が秒単位のため、本当に瞬きする間に時間は戻る。
……だというのに、今回の時間遡行は不気味だ。
何故か指定した時間以上に時間が戻っている。網膜より光が飛び出していき、光景が暗転していく。
世界が暗くなったからだろうか。気配に対する感度がより高まったからだろうか。
「瑠瑠瑠瑠ッ」
==========
“『タイムワープ・カウンター』、時間移動関係全般に対するカウンタースキル。
時間移動した者に追走、先回りできる。時間移動一秒につき『魔』を一消費する”
==========
俺は、猟犬に追われている。
==========
“宝貝『哮天猟犬』。
時間移動者を異常なまでに敵視する犬型(?)妖魔を球体に封じ込めた宝貝。
黄昏世界原産の妖魔ではなく、どこかの異世界の異形神性の飼い犬らしいが詳細不明。時間遡行する救世主職対策にテイム――テイムできているとは言っていない――し、無計画に仙術で強化している”
==========
▼ティンダロスの猟犬
==========
“●レベル:88”
“ステータス詳細
●力:167 ●守:96 ●速:66
●魔:197/201
●運:0”
“スキル詳細
●ティンダロスの猟犬固有スキル『鋭敏嗅覚』
●ティンダロスの猟犬固有スキル『鋭角跳躍』
●ティンダロスの猟犬固有スキル『時間改変知覚』
●ティンダロスの猟犬固有スキル『タイムワープ・カウンター』”
“職業詳細
●ティンダロスの猟犬(Bランク)”
==========
視界が完全に真っ暗になって、猟犬が俺を追い越していく。
「壁抜け?? 少し違――なッ?!」
壁に消えたはずの異形の猟犬に背後から噛み付かれる。首筋に鋭い牙が突き刺さり離れない。
マズい。首を噛み千切られる。
自分から壁にぶつかって振り落としにかかるが、猟犬は離れない。更に別の壁にぶつかるが、今度は扉だ。板一枚など軽く粉砕。転げながら廊下に出てしまう。
犬に首をガブガブされている状況で落ち着いていられないが、冷静になろう。立て直すなら安直に『コントロールZ』を使うべきだが――、
==========
“ステータス詳細
●魔:102/122”
==========
おっと、最大十秒か。ギリギリ噛みつかれる前まで戻れるが、もう一秒余裕が欲しいところ……って、俺はいつの間に『魔』を20も消費した。
冷静になれない俺を更に冷静にさせない事態が発生する。
猟犬に首根っこを噛まれて床に押し付けられている俺を避けて、何者かが部屋へと侵入していくではないか。
「今なら救世主職を楽に殺せないか?」
「今夜、欲張る必要はない。女を殺すんだ」
床上数センチの視界の中を、二人の人物が部屋へと滑り込んでいく。
人間の姿をしていても、人間であるものか。どちらも同じ顔と声。生き残りの従業員オンロに『擬態』しているのだ。
「お前等ッ。『暗澹』発動!!」
==========
“『暗澹』、光も希望もない闇に身を置くスキル。
スキル所持者を中心に半径五メートルの真っ黒い暗澹空間を展開できる。
空間内に入り込んだ相手の『守』は五割減、『運』は十割減の補正を受ける”
==========
猟犬の『守』を激減させてから再びの壁へのぶつかり。それでも離れないため、ハンドガンを後ろに向けてから残弾をすべて撃ち込む。耳元での発砲だったので俺の鼓膜へのダメージがあったものの、弾を撃ち込まれた猟犬の方がダメージは多い。
ようやく離れた猟犬の首筋に刺突ナイフを捻じり込む。
「『暗殺』発動ッ」
==========
“『暗殺』、どんな難敵だろうと殺傷せしめる可能性を秘めたスキル。
攻撃に対して即死判定を付与し、確率によって対象を一撃で仕留められる。
攻撃ヒット時のダメージ量、スキル所持者の『運』の要素も強く影響を受けるが、何より対象の心の隙が重要となる”
==========
『暗殺』で死んだのか、ナイフの一突きで普通に殺せたのか、ハンドガンの時点で致命傷だったのか。
どれが正しいのか分からないが、猟犬はアンモニア臭のする血を吹き出しながら生命活動を停止した。
戦果を誇る事などできない。それよりもクゥだ。
『暗澹』を展開していると暗澹空間外の様子は見えないものの、スキル解除するより部屋に戻る方が早かった。
「クゥに手を出せば容赦しな……あれ??」
「……ぐー。だから食べられないって。もぐもぐ」
侵入者の影は見当たらなかった。
部屋の奥にあるベッドでクゥは熟睡し続けており、まるで何事もなかった事を証明しているようである。
一つ気になるとすれば……クゥのベッド近くに、焼けついた人形の影が残っている事くらいか。
何だ、アレは?!
何なのだ、アレはッ?!
アレは徒人ではなかったのか。
馬鹿げている。アレは徒人ではない。あんなモノは徒人ではない。アレはまるで、アレの権能はまるで御――。
「どけッ、ネズミがッ!!」
必死に逃げる。狼と徒人など、もうどうでもよくなり、脱出路の地下室まで下りてきた。秘密の扉の手前に薄汚いネズミが居座っていたため、遠慮なく踏み潰す。妖怪の進路をたかが害獣ごときが妨害するなど罪だ。足を伝染病混じりの血で汚す分、更に罪深い。
手間取りながらも扉の開錠に成功し、ようやく脱出路へと逃げ出す。
「あっ?」
ただ、どうしてだろうか。逃げ出したくて仕方がないはずなのに、足が動かない。
無理やり動かすと……踝から下が綺麗に外れてしまった。
「あ、足がぁあああッ?!」
遅れてやって来た痛覚刺激に声を上げ、綺麗な断面より血を噴く。
『――判決、足切断刑』
痛みに絶叫している所為で、よく分からない幻聴は聞き流した。
『――判決、足切断刑。即日執行』
「アアアッ!?」
突如、残るもう一方の足も独りでに斬れてしまう。
『――判決、鼠葬刑。即日執行』
「来るなッ。噛むなッ。千切るなッ!!」
どこに隠れていたのか分からない、数えるのも嫌になる数のネズミが体に群がってくる。もちろん、害虫ごとき何匹も潰すが、潰すための手が突然、手首から斬れて外れてしまうため、抵抗する手段が失われていく。
『――判決、左手切断刑、右手切断刑。眼球圧壊刑。喉粉砕刑。腸摘出刑。即日執行』
体をネズミに喰われていく。そんな情けない最後、妖怪に訪れるはずがない。
ああ、だから、これはきっと夢なのだろう。
そうだ。こんな馬鹿な死に方は、夢に違いない。
『――罪あり。罪あり、罪あり、罪あり――』
罪あり。
罪あり。
罪あり。罪あり。罪あり。
罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり。罪あり――。
正当性がそんなに欲しいか。ただ殺すに飽き足らず我等に罪を被せるか。自らの法を強制しなければムシも殺せない愚か者共め。傲慢で愚かな罪深き生物の名、人類。
人類は裁かれるべきである。
人類は報復を許容するべきである。
我等が受けし苦痛は罪と炎。冤罪と不名誉をなすりつけて、我等を断罪した炎。
憎き人類に同じ苦痛を味わわせるまで、我が炎、決して消えず。
我等が名は――。
真言は美ならず、美言は真ならず。我等を火刑、絞首刑、銃殺刑、破門。様々な手段にて貶めた人類よ。我等と同じく罪に焼かれて死ぬが良い。




