9-7 陽中毒者
人間が喰われていくのを黙っていられない。ちょっと人喰い妖怪を『暗殺』してくる、と皆に伝えて出かけようとしたところ……紅孩児に腕を握られて止められた。
「止めるな、紅孩児。騒ぎにはなるだろうが、犯人が俺だと気付かれないように即行で始末してくるから」
「陽中毒者を助けても無駄だ。表情を見てみろ、喰われながら笑っていやがる」
確かに、片腕を喰われていながらその者は、とても嬉しそうに笑っている。喜びのあまり立ったまま失禁している。
その理由は陽中毒者だかららしいが、字面が悪過ぎて嫌な予想しかできそうにない。
「実物を見て都の胸糞悪さが理解できねぇのか? あそこの奴等の顔を見ろ、妖怪も徒人もまともじゃねえんだ」
血が今も動脈から吹いていて命の危険さえあるというのに綺麗な笑顔だ。まったく正気ではない。
麻薬や妖術を使った精神異常が疑われるが、かなりのアッパー系だ。陽というのはドラッグの隠語か。きっと妖怪の妖が由来だろう。
「旦那様ぁ、もう一本。もう一本の腕も食べてぇ」
「一度に全部抜いたら死んじまうから我慢だ。長く味わいたいから『陽』は大事に使えよ」
「楽しみぃ。痛みが強ければ強いほど『陽』の幸福感が強くなるのぅ。自分が死ぬくらいの苦しみは、どれほどの心地なのかしらぁ」
妖怪は自分で腕を食べておきながら、片腕になった人間が死なないように介抱している。まるで、寄り縋っている人間の方が食べられたがっているみたいだ。
紅孩児に腕を引かれながら広場を後にする。
薄情にも俺達は人間を見捨てた。けれども、あそこの人達は誰も気にしないだろう。
手っ取り早く密室を得るために宿を借りる。ぼったくりに近い金を支払ったが、懐を痛めたのは紅孩児なので気にしない。
戦闘があった訳でもないのに疲れた。高いだけあって柔らかい布団を重ねて座布団にして座り込む。
「とりあえず、潜入成功。拠点も確保。順調と言いたいが……この街、どうなっている。陽って何だ?」
「たぶん、『陽』パラメーターの事だと思う」
文句の一つも言いたくなる。妖怪が人間を喰うのは、まあ、いつもの事である。ただし、陽中毒者などというジャンキーまで出迎えてくるのはやるせない。
「『陽』って、そんな不思議パラメーターもあったな」
「というか、『陽』のない御影君が、体を何度も壊されてい正気を保っていられる方が不思議」
「ふん。この世界の人間族は皆、軟弱が過ぎる」
「ア? 何か言った、ユウタロウ君?」
ポイント消費により、精神を正常にするのが『陽』パラメーター。消耗するという点は『魔』に類するものの、使ったポイントは回復しないという差がある。
妖怪に怯えて暮らす黄昏世界の人々が最後に頼る先が、神そのものではなく、神が与えし『陽』なのだ。
「『陽』は御母様の恩恵だから、異世界? から来たっていう御影君が持っていないのは仕方がないけど」
「本当に恩恵って呼べるのか? 効果が強過ぎて、中毒者が出ているのが都だぞ」
「普通に使っている分には危険はないから。ここの住民がおかしいだけだし」
現地民たるクゥは安心安全と謳うが、鵜呑みにできるだろうか。
そもそも、回復しないパラメーターを普通の事態で使うはずがなく、使用する機会は少ないはず。あまり検証されていないのではなかろうか。
「『陽』は確かに使わないで大事にとっておくものね。少なくなると、その少なくなった不安を消すために浪費してしまう、なんて話があるくらい」
妖怪に襲われるような悲惨な状況で精神だけでも守る。どれだけ恐ろしい目に遭っても、必ず心の平穏を取り戻すのだ。
それだけ聞くと副作用のないドラッグみたいだが……例えば、妖怪に命じられるままに親兄弟を殺さなければならなかった人間が平静になる事に、何ら不都合がないはずがないのだ。
自決を意識する絶望を覆い隠すために、自分さえ忘れさせる程に強烈な幸福感を与える。
それが『陽』の危険性。
生きるだけでも辛い、人の生では味わう事のない圧倒的な幸福の味は甘美でもある。また、味わいたいと思い、腕や足を平然と妖怪に差し出して苦痛を得て、『陽』で苦痛と同等かそれ以上の多幸感を味わおうとしてしまう。
「『陽』による心の落差で人格を破壊した徒人を陽中毒者という。妖怪に食べられたいがために徒人はただただ従順になる。そこが都の妖怪に受けて流行っている」
「紅孩児さん。他意はないのでしょうけど、妖怪のアナタが徒人を商品みたいに言わないで」
「事実だから仕方がないだろ、都の徒人は悪い意味で外とは違う。陽中毒者みたいな妖怪に気に入られようとして動く奴等も多いから、徒人ってだけで無条件に信じるなよ」
紅孩児の言い分に、人間たるクゥは不満気に頬を膨らませている。
俺も人間だから不満かというと、そうでもない。人間が人間を疑うのは普通の事だ。黄昏世界の人間がすべて善人という訳でもない。
陽中毒者という徒人の異常性を目撃したばかりなのでクゥは不満であっても、何も言い返さない。
ならば、俺から紅孩児に聞いておこう。
「紅孩児。もう十分、都が異常だと分かった。陽中毒者以外にも都の異常性があるのなら先に教えておいてくれ」
都は多数の妖怪が集まる流行の最先端らしい。在野と違って、人間を狩って喰う以外にも活用法を発明している。
「徒人を調理して喰うだけの店や、生きたまま剥いだ皮を使った衣類は一般的だが」
「……それは一般的か?」
「壁村から集めたばかりの何も知らない徒人を集めて、一人だけ助けると言って殺し合いをさせる遊戯場が流行っているらしいぞ」
デスゲーム司会者気取りか。喰うために人間を殺すというのも納得できないが、ただ嗜虐心を満たすためだけに殺し合いをさせるよりはマシというべきなのだろうか。
「悪趣味全開だな。近づきたくはない」
「残念だが、白骨夫人はそこの常連だ」
黒曜の体を取り戻す方法はまだ思い付いていない。思い付くまでに喰われないように確保するつもりだが、何にしても白骨夫人を探し出す必要がある。
手掛かりはほとんどないので、デスゲーム会場だろうと近づかなければならない。ただし、面の割れている俺、ユウタロウ、クゥには実行できない。客側として潜入できるのは紅孩児だけである。
参加者側としての潜入は、論外だが。
意識して嗅がなくても、勝手に鼻の穴に漂ってくる甘い臭いが部屋に充満している。
無駄に長い煙管を使い、部屋の臭気の元たる紫煙を吐いているのは、長耳の褐色の女。
「――このたびの主催は、『灰と骨』白骨夫人様。今宵も満足度の高い見世物となるのは間違いないでしょう」
大胆に胸元を開いたドレスを着こなしている。気だるげに足を組む姿も実に似合っており、仕草の一つ一つがいちいち蠱惑的である。
室内にいる肥満気味の妖怪共は性欲……ではなく食欲を刺激されて汚らしく涎を垂らしているものの、襲い掛かりはしない。勅令により、魅力的な肉体の所有権は定められている。
「演目は、狼と徒人。白骨夫人様の計らいにより、なんと、特別にも救世主職が参加されるとの事。最後まで生き残る徒人を的中させたお方は、救世主職の小指が贈呈されます」




