9-4 動く妖怪の都
謎だった天竺は月の神性、嫦娥を筆頭とした月勢力と、異世界から召喚した救世主職を主戦力とした反乱軍。
五十年前の戦いは神性同士の内乱だった。
月ほどにメジャーで巨大な存在となれば神性の中でも上位に食い込むと思われる。が、相手が太陽神となれば流石に分が悪かったのか。地球上から見上げた姿が同じくらいでも、実物の大きさが桁違いである。
「元々、勝算があって反乱した訳ではなかったのか」
「一般兵だけでも戦力比は一対十。並の魔王を凌駕する大妖怪も多数。劣勢を覆す事なく本拠地の月さえ失い、我々は敗北した」
黄昏世界の空に月は存在しない。
巨大な太陽に空を占有される異世界だ。衛星がないくらいの差、気に留めていなかったが、つい五十年前までは複数衛星を有する世界だったらしい。
「救世主職は強制的に召喚されたのか?」
「任意だ。嫦娥様の子、神性の遺骸を触媒に召喚は実施された。お前も黒八卦炉の宝玉を用いて限定的な召喚を行っていただろ」
「勝算もないのに、よく召喚に応じたものだ」
「お前は救える世界しか救わないのか? 救世主職は相手を選べない」
ナターシャの言う事は最もだ。世界を滅ぼす敵とは戦うしかない。負けても逃げても世界が壊されてしまうので勝算など二の次である。
任意召喚ならば断わればいいだけ、と他人は言うだろうが。病的な程に世界救済のために働く者を救世主職というのだ。いや、辞められて本当に良かった。
それにしても、これで天竺がまったく参考にならないと分かってしまった。
絶賛、御母様と不愉快な妖怪達と敵対している俺達を助ける有益な情報はない。
「そう言うな。御母様は戦って勝てる相手ではないが、寿命は近い。我々も取り巻きの大妖怪の排除を主目的にしていた」
「その主目的の達成にも失敗したのでは?」
「……決戦以前に、嫦娥様は最終手段を用意していたようだ。可能な限りを助けるために、多数の人間を保護していた」
熱病に犯された世界が燃え出すまでに辿り着いたならば、世界を抜け出せる。
そういった謳い文句だったか。僅かながらに各地の壁村に噂として残っているので、救助していたのは真実だろう。ただ、ナターシャも最終手段の具体的な内容を知らされていない。つまり、何の当てにもできない。
「まあ、当てにできなくても協力できそうな数少ない勢力には違いない。天竺には一度、寄らせてもらいたいな」
「私も生存を知らせねば。体の修理と平行し、通信を試みておこう」
束の間の平穏を過ごす事、一週間。
戦いの傷が癒え、そのまま鈍り始める前に、妖怪の都に乗り込む日がやってきた。
「太乙真人の街の時とは違って、妖怪の街は隠密作戦で行く」
潜入工作ミッションである。
鹵獲した宝貝人形を使い、太乙真人の使いを装う。そして、荷物の中に潜んだ俺達を都に運び込ませて、潜入する。
街に潜入後は、黒曜の体を奪った大妖怪、白骨夫人を探し出して撃退するのが第一目標だ。
第一目標を達成するのに非常に役立つので、第二目標として都にある黒八卦炉の宝玉の強奪も実施する。
「都は行った事がある。俺が案内してやるさ」
「桃源郷のリーダーなのにすまないな」
「あの腐った都をぶっ潰せるなら、やりがいがある」
都は動く? らしいので作戦が失敗してもリトライは難しい。失敗するつもりはないものの、背後に川があるつもりで挑む。
潜入メンバーは、俺、クゥ、ユウタロウと、オブザーバーとして紅孩児も来てくれる。
「なあ、紅孩児。純粋人間パーティーの俺達が妖怪の都に潜入できるだろうか。そこだけが心配だ」
「……村娘以外はどこからどうみても妖怪のお前達なら心配いらねぇ。それに、徒人を連れて歩く分には問題ない所だ。摘み食いされないように注意は必要になるが」
これまで見てきた妖怪の街は、食料な人間が出歩けるような場所ではない。ただ、都では妖怪が人間を連れていても怪しまれないとの事。都の場合は状況が異なるようだ。
「そういうのが流行っていやがるのさ。太乙真人の時とは別方向に胸糞悪くなるから、覚悟しておけよ」
「あの人間加工工場レベルか」
「救えねえんだよ、都って場所は」
人間がペットのようにリードで繋がれて歩かされているのだろうか。紅孩児が都を語る際にはいつも気分悪そうな顔をする。
箱の中に隠れながら、妖怪の都が現れるのを待つ。
黄昏世界に多い枯れた平原のど真ん中で待っており、見晴らしはいい。地平線まで見えているが、今のところ何も近づいては来ない。
「静かにしていろ。もうすぐ現れる」
宝貝人形の一体は偽装したナターシャだ。
本人は救世主職の矜持で潜入を望んでいたものの、体の修理がまったく進んでいなかった。そのため、居残り予定だったがせめて見送りくらいは、と駄々をこねてここにいる。
「霧だ。定刻通りに現れる」
ふと、振動が箱の底から伝わってくる。
一度目は遠かったが、二度目は少し近くなった。
箱の隙間から外の様子を確認すると……外界はいつの間にか霧に沈んでいた。幻影系の魔法と酷似している。
霧の発生源は、振動の発生源で間違いないだろう。
蒸気のごとく吹かれる霧の合間に、不気味な肉塊が窺えた。一瞬、ゾウの足と誤認しかけたものの、縮尺がおかしいし、ゾウにしては体が脂肪で弛み過ぎてボヨボヨだ。
そもそも、ゾウには翼などついていない。
そもそも、ゾウには顔がある。
「妖魔の中でも特別な四凶、その一角たる渾沌。その太りに太った体の上に妖怪の都を乗せていやがるんだ」
見えている範囲の多くは山のごとき肉の塊だ。動くための足もあるが、不規則に並んでいて総本数は不明。鳥の翼も不器用に生えているものの役立っているようには見えない。
体の上部分は霧が濃くて観測できそうになかった。都の様子は分からない。
ただ、妖魔の側面部分にはミニチュアサイズで瓦や壁といった建物が積層されている。あれが都の一部なのだろうか。
「おいおい、怪獣かよ。顔がないのにどうやって動いているんだ??」
まるで不審物を見るかのように、隣のクゥが俺の顔をじぃーっと見詰めてくる。何だよ、照れるぞ。
「肥満過ぎて下っ腹を擦って歩いている」
「黒八卦炉で無理やり体を巨大化させているらしいからな。都を大きくするたび、肥満が進んでいるんだとよ」
「おい、静かにしろと言っただろ。気付かれるぞ」
ナターシャから注意されてしまったので黙る。
ゆっくりとした動きに見えても、実際の速度はかなり速い。渾沌の大きさに騙されているだけだ。
全貌を見せないまま、妖怪の都は、ズシり、ズシりと近寄ってくる。




