2-5 円満離職
クゥが見詰めている女性は、地方官の館で働く人間の内の一人。クゥと同じように後ろ髪をくるりとギブソンタックにまとめている。
「お母さん、だよね?」
「はい、虎人様は素晴らしい地方官様です」
親子だから必ず似ていないといけない訳ではないが、顔付きはあまり似ていない。目の色も黒だ。ただ、クゥが女性を母と言っているのであれば間違いないのだろう。
ありえない話ではなかった。
クゥは村で一人暮らしをしていたが、昔からずっと一人だったという訳ではあるまい。彼女を生んで育てた親がいるはずである。
つまり……過去にクゥの親は村から出て行った、黄昏世界の言葉で言えば首途されたという事なのだろう。出て行った先はここ、地方官の館だ。
妖怪が人間を喰わないのだから、生きたクゥの親が目の前にいるのは不思議ではない。
「お母さん。私、クゥ。まさか、忘れちゃった?」
「虎人様のお陰で幸せです」
「それは分かったからっ。お母さんでしょ、お母さん!」
生き別れた親子の感動の再会だ。駆け寄ったクゥに体を揺さぶられながら、女性は嬉しそうに微笑んでいる。
そんな涙を必要とする場面にケチを付けるとすれば……母親の顔が蝋人形のような事だ。
確かに微笑んではいるのだ。だが、その顔は虎人を称える顔から一切変化していない。
「お母さん!」
異様な親子再会こそが、真の証拠だった。
妖怪は人間を喰わない。その証拠が非人間的な反応しか示さないとなれば、真の答えは見えている。
「クゥ。この女性の顔は君の母親のものだな」
「そうなのにっ。でも、様子が変で」
「母親の名前を、俺だけに聞こえるように教えてくれ」
困惑気味なクゥの服を引っ張って、無理やり耳元で囁かせる。
聞いたクゥの母親の名前を目前の女性に訊ねながら、俺は『読心魔眼』スキルを発動させる。
「クゥのお母さん。クゥの母親の名前は何と言いますか?」
「虎人様は素晴らしい地方官様です」
『――そこの娘の母親の名前は…………知らない――』
決定的な証拠を得られた。
同時にゾっとした。
この世界の妖怪共は単純な質問であれば偽れる。心を読むスキルだろうと関係なく嘘を付ける。
館にクゥを連れてきて良かった。正直、こんな形で役立って欲しくはなかったが。
「クゥ、危ないから動くな!」
この期に及んで彼等を人間だとは思わない。
人間が操られているだけなどという甘い事実はありえない。
この館には、俺とクゥ以外の人間はいない。
「妖怪様は素晴らしい統治者で、徒人は……ただの食料だッ」
不気味に微笑むクゥの母親の皮が剥がれた。内部容量的にありえない大きさの妖怪が牙を剥く。
大口を開いて噛み付こうとしてきた妖怪。舌と唾を垂らした行儀悪さを指摘するよりも先に、エルフナイフで喉を突く。
「『暗器』解放! クソ、皮だけは本物かよ」
一体倒しただけでは終わらない。
偽る必要がなくなれば、人間に化けていた全員が脱皮して襲い掛かってくる。
「御影君。大丈夫なの?!」
「万単位の怪生物と比べるまでもない!」
数的には九対一と不利なのだが、妖怪共はレベルで見積もれば30程度。化ける能力は高くとも、戦闘能力自体は並である。真正面から堂々と攻撃してくるのであれば、制圧に一分とかからない。
「徒人ごときが、グワッ」
「ひぃぃ、腕が。腕がァ」
「動きが、は、速過ぎる。虎人様、こんなの聞いていなッ、ぐゲァ」
当方の『速』は437。常人の四百倍といかずとも四十倍に近い瞬発力で妖怪の間を駆け巡る。心臓や頸動脈といった急所を守っていない奴から倒れていき、しぶとく立っていた奴も俺の姿を捕捉できないまま背中から心臓を刺されて絶命する。
ナイフの血を払ってから、部屋の奥で座ったままの虎人へと振り向く。
虎人は実にツマラナイといった感じに頬杖をついていた。
「たく、これだから雑鬼共は使えねえ。妖怪なら『擬態(怪)』は初歩の初歩だろうに。味の良かった徒人の皮のコレクションを貸してやったのに、台無しにしやがって」
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“『擬態(怪)』、怪しげなる存在が有するスキル。
他人の油断を誘う怪しげなる擬態スキル。
人間の姿形を真似する程度であれば、どの妖怪にも可能。スキル発動中は『鑑定』や『読心』といったスキルでの看破が難しくなる。
正体を見破る必要があるという点では『正体不明』に類似しており、より高性能と言えなくもない。ただし、擬態中であっても問答無用の力押しには屈してしまうのでほどほどに”
“取得条件。
妖怪として生まれたのならば、必ず所持する”
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ツマラナイと感じるべきなのは俺の方だ。人間を喰っていないと回りくどく偽った癖に簡単にボロを出してくれたものである。
「虎人ッ。人間を食べないはずじゃなかったのか!」
「あァ? その通りだ。俺は、人間は食っていない」
『――徒人は人間ではなく、家畜だからな! がははっ』
『読心魔眼』スキルで読んだ虎人の心の中は、俺を馬鹿にしたかのように笑っていやがった。妖怪は心の中でさえ嘘を付けるという事を証明するように。
「クゥがこの世界の人間だと、本当に気付いていなかったのか?」
「その小娘が何だろうと、どうでもいい話だ。雑鬼共がバレなかったとしても、アイツ等程度で救世主職を討ち取れるかよ。奴等は試金石。お前が本物の救世主職かを確かめるためだけの奴等だ」
堂々としたゲス妖怪め。そんなお前も、お仲間達よりは多少強そうな気配を漂わせているだけの妖怪に過ぎないようだが。レベルは50もあれば十分だろう。
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▼虎人
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“●レベル:45”
“ステータス詳細
●力:50 ●守:36 ●速:35
●魔:41/51
●運:0
●陽:31”
“スキル詳細
●妖怪固有スキル『擬態(怪)』
●妖怪固有スキル『妖術』”
“職業詳細
●妖怪(Dランク)”
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まあ、世の中はレベルやパラメーターがすべてではない。油断せずに虎人も倒してしまうとしよう。
ナイフの先を、トラの喉へと向ける。
「馬鹿め、救世主職。俺はもう、とっくの昔にお前の油断につけ込んでいた。宝貝『傲慢離職、山月の詩』を読ませた時点で俺の勝利確定だ」
エルフナイフの柄を握り締めて踏み込む寸前、虎人は妙な事を言い出した。俺が何を読んだというのだ。
視線で問いかけると、ニヤニヤと笑う虎人は木簡を見せびらかしてくる。
「まだ気付いていないのか。お前が名簿だと思って読んだのは『傲慢離職、山月の詩』だ」
「いや、読めなかったぞ?」
「読めなかったという事は、目を通したという事だ。理解できずとも詩の文字を目撃したのであれば呪いの条件は整う。嘘だと思うのなら、ステータスの職業を確認してみろ」
あまりにも自信を持って促されたので、『個人ステータス表示』スキルを使用してしまう。戦闘中なので片目のみでの表示だ。
網膜に投影される我が職業。複数あり、かつ、無効化されているものもあってややこしいが、有効化されているものは二つだけ。
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▼御影
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“職業詳細
●アサシン(Sランク)
●遭難者(初心者)
●人身御供(初心者)(非表示)
×死霊使い(無効化)
×救世主(Bランク)(離職)”
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……ん、有効化されている職業は二つ? アサシンと遭難者だけ。
あれ、憎き救世主職が離職状態になっているぞ。
「気付いたな。ぐはは、気付いただろう元救世主職。『傲慢離職、山月の詩』は強制離職の呪いだ。大事な救世主職はもう戻って来ない」
離職状態だと。そんな事が可能だと。可能だとして、そこいらの地方官ごときに実行できるというのか。
慌てて追加で確認したのはスキル一覧だ。
背中に冷たい汗をにじませつつ、期待しながら救世主固有スキルの有無を確認する。
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▼御影
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“スキル詳細
●救世主固有スキル『既知スキル習得(A級以下)』
●救世主固有スキル『カウントダウン』
●救世主固有スキル『コントロールZ』
●救世主固有スキル『丈夫な体』”
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クソ、残念ながら救世主固有スキルは失っていない。離職はできても就職中に培ったスキルは失われないというのか。
使い勝手が良いスキルもあるが――『既知スキル習得』は使い勝手が良過ぎて使いこなせず、その割にはラーニングできる、できないの差が感覚的過ぎて微妙という評価――、『カウントダウン』は煩わしい事この上ない。『丈夫な体』も寿命がなくなる部分については後の受難である。
すべて消えてなくなってくれるのであれば歓喜したというのに、酷く残念だ。
「クソ、クソッ」
「妖怪に呪いをかけられるとは、しくじったな、元救世主職。ちなみに、この呪いを解く方法はない。過去の救済地点からやり直す非常手段でもない限りはな」
虎人は人間を喰う悪い妖怪である。クゥの母親もおそらく被害者。決して許されない相手ではあるのだが、どんな相手にも伝えるべき言葉があるだろう。
「虎人……良くやったっ!」
「早く死んで『ZAP』され……はっ?」




