8-17 太乙真人3
送り込んだ悪霊の全滅は感覚的に分かっていた。
黄昏世界で遭遇した奴等はほぼ使い切ってしまったものの、ウィズ・アニッシュ・ワールドの悪霊在庫はまだまだいる。追加発注は可能である。とはいえ、有象無象を送り込んでも結果は変わらないだろう。これ以上の威力偵察は不要だ。
嫌に静まった黒い球状建物が目の前に聳えている。まるで霊廟のようだというのに、悪霊がすべて祓われてしまっているのでむしろ霊的要素はゼロに等しい。
開かれた観音扉の先で太乙真人が俺を待っているのが分かる。きっと手招きされている。初対面だというのに、何をそんなに期待しているのやら。
「そろそろ、行こう。いきなり即死攻撃してくるかもしれないから、注意深くな」
ドームの中へと俺、クゥ、紅孩児の三人で侵入した。
内部は『暗視』を使っても妙に暗く、その割には奥だけか明るい。ライブ会場というには闇の中で動いて見える旗のようなものが不気味だろう。奥の明かりの中で浮かんでいる球体と、その内部に収まっている頭の長い老人の展示が意味不明である。
指一本動かす事さえ億劫そうな老人が、俺の顔の穴を見た途端に全身を震わせて笑い出す。一頻り笑って咳き込んだ後、口を開いたように見えた。
「よう来た。よう来たのぅ、真なる人よ」
遠い所にいるはずの老人の声が鮮明に聞こえてきた。太乙真人の肉声……かは分からないが、奴の声で間違いない。外で聞いた擦れた声そのままだ。
だが、言葉の内容が分からず隣同士で顔を見合う。誰に挨拶をしているんだ、この老人。
「後ろを振り向いてどうした、真なる人。ほら、発現させし権能のすべてをワシに披露してくれんかのぅ。はよう、はよう」
「もしかして、俺に言っているのか?」
「謙遜もそこまでされると嫌味よのぅ。太乙真人を差し置いて真なる人となりし者がそのようでは、全仙人が殺戒に目覚めるだけでは終わらんではないか。ささ、その顔の穴の全貌をワシに見せい」
出し物を期待するように太乙真人が俺に先手を譲っている。
妖怪らしい言葉による疑心暗鬼の植え付けだろうか。先に攻撃した者を呪うトラップでも仕掛けているのかもしれないが、そう思わせて攻撃を留まらせる時間稼ぎかもしれない。
「太乙真人。『擬態(怪)』を使用しているな、と訊かれたら、はい、と答えるか?」
「なんじゃ? 嘘を警戒しておるのか。使っておらんから、はよう、はようのぅ」
紅孩児直伝の『擬態(怪)』の使用判別法では未使用らしい。が、スキルを使っていないだけかもしれないので安心はできない。
先手を打つべきかで悩む。そんな俺の肩をタップしたのは、紅孩児である。
俺に任せな、と言う感じにウィンクして前に一歩出て行く。頼れる背中だなぁ。
「不老のはずの仙人がまた老い耄れたな、太乙真人。世界の安定に努めるべき仙人職が、どこまで落ちぶれれば気が済む?」
「んー、誰かと思えば平天大聖の倅か。威勢の良い若人は好ましいものじゃが、今はそこに真なる人がおるゆえ、後にしてくれんかのぅ」
「個人の欲求優先か。それがかつての大仙人の言う事か!」
「うるさいのぅ。良いではないか。世界は黄昏て、創造神も見放しておるではないか。世界の安定など最早、無意味よ」
「黙れよ、太乙真人。老人の諦観を俺達に押し付けるなッ」
紅孩児の髪の毛が逆立っていく。茹っているのかというくらいに髪が動いている。
いや、確かに熱気を感じた。溶鉱炉の蓋が開かれたかのような熱が紅孩児より発せられているのだ。
「お前のように墜ちた神性を罰するのが三昧真火だ。そのために学んだ原初の炎だ。とくと味わえよ。――神罰執行“スピキュール”!!」
ちゃちな嘘や罠ならば丸ごと燃やし尽くす。
どれだけの熱量を孕んでいるのか判別できない。摂氏で表せば千度では足りない、万度でも単位がかなり不足する。
そんな熱線が、啖呵を言い終わると共に紅孩児の目から放たれた。一筋の赤いレーザーが太乙真人の広い額を貫いていく。
防御などできるはずがない。人間の反応速度での対応も不可能だ。
太乙真人の頭に穴が開く。紅孩児の視線が斜めに動いたため、穴も斜めに広がっていった。
「どうだ、腐れ仙人!」
片目を瞑りながらガッズポーズっぽい仕草を決める紅孩児。格上相手だろうと問答無用で一撃必殺とは恐れ入る。
ヘッドショットされたのであれば仙人だろうと即死しただろう。頭の形は残っていても、中の脳みそが蒸発したのは間違いな――、
「――黄昏以降の世代の、神職ならぬ妖怪職ごときが三昧真火を習得するとは余程の才能と努力を必要としたのであろうのぅ。頑張ったのぅ」
――レーザーに額を貫通された太乙真人が喋った。
「不死身かよ?!」
「何を驚く、真なる人よ。ソナタも顔に穴があろうに」
「そういう問題かっ」
「そういう問題よのぅ。真人を名乗る者ならば真なる人に少しでも近づかねば」
太乙真人にダメージは一切感じられない。レーザーなど受けていなかったかのように自然である。外見的には額の中心から左にかけて黒く焼け焦げた線が走っているというのに、そんな事実など無視している。
「平天大聖の倅ははねっ返りという噂であったのぅ。とはいえ、親に反発するのは悪い事ではなかろうて。その一念で『三昧真火習得』を果たしたとなれば誉めねばなるまい。あの霊山のごとき父に灸を据えたかったのであろう。分かるのぅ」
「どうなっていやがる、太乙真人ッ!」
困惑をそのまま声量にして紅孩児が太乙真人に問いかけた。
「ただのぅ、そうなると解せんのじゃ。……どうして灸ごとき術で、太乙真人を倒せると思うたのか、不思議じゃのぅ?」
太乙真人は困惑に対して困惑で応じてきた。
同時に、太乙真人が乗る球体の一部がスライドして銃口が開く。そこから放たれた赤い光線は、先ほど紅孩児の目より発射されたレーザーとまったくの同種だ。
レーザー光が紅孩児の足を貫通していく。膨大な熱量の照射を受けた腿が許容できず、根本より吹き飛ぶ。
「ン、な、ばッ、ぎゃァッ?!」
「灸ごとき、宝貝『火尖槍』でも再現できておろう」
片足が破裂した紅孩児が叫びながら倒れていくが、太乙真人はそんな彼女の様子を気にしていない。それどころか、多数開かれた全銃口を光らせて追い撃ちを行おうとしている。
激痛に苦しむ紅孩児はどうにかできる状態にない。
代わりに『暗影』で跳び出た俺がレーザー掃射を体で受ける。
「クソ。反射してくれよ、『レーザー・リフレクター』ッ」
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“『レーザー・リフレクター』、熱や光を反射するスキル。
熱や光を百パーセントの効率で反射可能”
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入射角と反射角を完全に一致させて反射させてやった。すべての銃口へと光線が戻っていくと、爆発炎上。使用不能に追い込めたと思いたい。
「ほらのぅ、真なる人も当然のように効かぬであろうに」
「紅孩児を治療しろッ、クゥ!!」
指示した通りにクゥが紅孩児を治療してくれる事を期待しながら、振り返る事なく太乙真人へと向かって走り出した。
俺の行動に呼応したのか、太乙真人の周囲を回転していた旗がぼんやりと発光を開始する。十本の長い旗が別の色合いで光っている。
“――天絶陣始動……紅砂陣始動……寒氷陣始動……金光陣始動……烈焔陣始動――”
「さあ、来るがよい、真なる人。ソナタであれば、十絶陣すべての属性にも耐えてしまうかもしれんのぅ」
“――風吼陣始動……化血陣始動……地烈陣始動……紅水陣始動……落魂陣始動。十絶陣完全始動状態、全力迎撃実行開始”
「創造神の世界設定を超越せし、真なる人ならば当然よのぅ。真なる人は創造神の悲願、つまりは……創造神へと至る可能性だからのぅ。この程度は試練にもなるまいて」




