8-15 太乙真人1
クゥも無事なら大勝利でいいだろう。
本物のナタ太子が相手ではなかったものの、救世主職が正体であったのであればそう難度は変わらない。首が落ち、顔が削げた程度の軽傷で勝てたのなら幸いだ。
「それのどこが軽傷って? 顔、ちょっと斜めになっていて怖い」
「死んでいなければセーフだろ」
「強がりかどうか首を見せて確かめさせて。うわ、傷跡もない。ホント不気……不思議」
年頃の女が、よくも顔に穴のある男の首をベタベタと触れられるものである。俺の方がむしろ恥ずかしい。
首が繋がっているのであれば、顔もきっと繋がるので軽傷のはずだ。悪霊の腕に命じて仮面と顔を探させておくが、今は接着するつもりはない。
なにせ本番は、これからなのだ。
前座に苦戦してしまったが、救世主職を手駒にしたこの街のボス、太乙真人はまだ登場してもいない。
「せっかく生け捕りにできたんだ。太乙真人について教えろ、救世主職のナターシャ」
「言ったはずです。私は鹵獲されていると。侵入者に情報を教える権限はない」
「それでも努力するんだ。俺達はこのまま太乙真人に挑む。情報のありなしで結果が大きく異なる。俺達が勝利すればお前も解放されるのだから、どうにかしろ」
壁に刺して動けないままにしているナターシャには、無理をしてでも教えてもらわなければならない。仮面を外す手の内さえ見せたというのに、太乙真人の方は顔さえまだ分からない。
壁への磔から逃れるべく、ジタバタと一本しかない腕を動かしているナターシャ。自分の意思とは関係なく体は敵対行動を続けている。ロボットらしく首を百八十度回しそうで少し怖い。
唯一、ナターシャ本人が自由にできるのは発声のみ。ただ、その声さえも完全とは言えない。敵に有益な情報を教えようとすると口パクになってしまっている。
「……私を倒したからといっていい気にならない事です。かつての決戦で私は太乙真人相手に八分三十三秒で敗北しましたが、貴方達ではその記録を下回る結果になるでしょう。鹵獲された際に体を半分以上失った状態の私に苦戦した貴方では、せいぜい一分が限界です」
発声に失敗しながらもナターシャはどうにか煽ってきた。言葉通り、俺を下に見ている訳ではない。ナターシャでも十分持たない実力を太乙真人は有していると言っているのだ。
「太乙真人の攻撃手段は?」
「自分で受けて知ればいい。焼けるか溶けるか、凍えるか感電するか、選び放題です」
攻撃は多彩らしい。元仙人らしいので、仙術でも使ってくるのだろうか。
もう少し具体的に聞き出したい。そう望んでいたものの、老人の声が俺を諭してきた。
『――ホッホッホ。知りたければ、そこの人形に聞かずとも親切にのぅ。ほら、このように――』
天を覆うドームの中にある街だというのに、雷鳴が街中を駆け巡る。
青く眩しい電撃が俺の周囲に次々と落下してきたために、足底に痺れを感じた。天然の雷よりもエネルギー量が多く、落下箇所には穴が開いている。電属性と言えば落花生の十八番だが、彼女の五節魔法を超えてはなかろうか。
雷は近くに落下しても命中はしない。あえて俺に当てなかったのは明白だろう。
『――久しぶりに起動させた天絶陣は不調じゃのぅ。五十年前に使った以来であれば仕方あるまいか。うーむ、油を差さねば』
「派手なパフォーマンスだ。お前が太乙真人か?」
『黄昏た世界に仙人も真人もなかろうが、ワシが太乙真人その人よ。歓迎しようぞ、救世主職。よくぞ、寂しい老人のもとへと現れてくれた』
雷鳴がうるさいというのに、枯葉のような老人の声が聞き取れる。
「声だけか。人形任せにしていないで出て来いよ」
『威勢の良い若人は怖いのぅ。足の弱った老人に出向けとは酷い酷い。ワシはほら、ここにいるゆえ、来てくれんかのぅ』
青雷が一気に落ちて道と成す。ドームの街の中にあるドームへと続いており、そこに来いと言っている。
『そこの人形もいじり甲斐はあったが。いやはや、老いてなお品行方正に生きた甲斐があるのぅ。まさか、最後の最後に、真なる人が現れようとは、ワシは、ツイておる』
気色悪く喜ぶ老人の声であったが、次第に聞こえなくなってくれた。雷も同じように止んでいく。
「で、行くの?」
「行くには行くが、素直に行って準備万端の敵と戦いたくはない。ここにいる救世主職みたいに負けるのは嫌だぞ、俺」
「敵対しておいて難ですが、機械の心が傷付くので事実を言わないでもらえないでしょうか」
雷だけでも実力は相当なものだと分かったが、より重要な単語がなかっただろうか。
太乙真人が口走ってくれた天絶陣という単語。雷の正体らしいが、優太郎ファイルに記述があったので、どういったものなのか暗記している。
「天絶陣って、マジか」
太乙真人を含めた数多くの仙人が登場する伝奇、封神演義には、十天君と呼ばれる特殊な結界、陣を用いる集団が登場している。十天君が用いる仙人絶対殺す陣の総称が十絶陣であり、その一つが雷鳴轟く天絶陣だ。
十天君を破った側に属する太乙真人が天絶陣を使うのはおかしい。が、黄昏世界の太乙真人は救世主職を捕獲して使うような奴である。敵の仙人の術や陣を使ってきてもおかしくはない。
そして、天絶陣を使えるという事は、他の九の陣も使えると想定するべきだ。ナターシャのヒントもそれを示している。
属性のまったく異なる十絶陣を一度に使われては、救世主職とて対応できずに敗退してしまっても仕方がない。
「この街自体が陣を構築する魔法陣、迎撃決戦都市って訳か。悪霊のごり押しで倒せればいいが」
自信を持った老人には苦手意識がある。老いたゴブリンとて知略のみで人間を翻弄してみせるものだ。
とりあえずの時間稼ぎと嫌がらせに、悪霊の腕軍団を太乙真人のもとに送り込む。ウーウー唸りながらドームへと出撃する被害者一同。
「あの建物の真上まで如意棒を伸ばしてから、巨大化させてそのまま潰す?」
「クゥの思考も物騒になってきたな」
「誰かのお陰様で。私の『魔』にはまだ余裕があるけど」
「いや、巨大化は一度見せているのに、クゥに何もしてこない。対処方法があるのだろう」
クゥも作戦を考えてくれている。嬉しい限りである。
実は、傍に敵のナターシャがいるので言葉にしていないのだが、作戦は既に考えついている。
そもそもが不思議だったのだ。この街には太乙真人以外の妖怪がいない。他はすべて宝貝人形である。
……では、大量の宝貝人形を動かすエネルギーを、太乙真人はどこから調達しているのか。
巨大な歯車を動かしている火力発電所のような巨大施設。太極図を模された煙突。その内部より立ち昇る黒い炎を、目の無い顔の穴で俺は知覚していた。
「……潰せれば、敵は戦力半減。こちらは戦力増強の一石二鳥になる。誰に行ってもらうか」
太乙真人に呼ばれている俺が向かうのは無理だ。さすがに行動があからさま過ぎる。
だからといって、クゥを単身で向かわせるのは論外。街を稼働させる重要施設ならばセキュリティもしっかりしているはずなので、相応の戦力でなければならない。
「――ふん。仮面を外しての勝利か。そんな体たらくで、将来的に俺とまともに戦えるつもりか?」
まあ、危険地帯へと送り込むならユウタロウしかあるまい。紅孩児もいるが、遠慮しなくて済むのでやっぱりユウタロウだ。
丁度、屋上に上がってきたので、さっそく頼む事にしよう。
「よし。君に決めた、ユウタロウ!」
「お前の言うユウタロウとやらは、雑な命令ですべてを以心伝心する異常者だったのか? そんな男が実在したとすれば、ふんっ、実に憐れだな!」




