怒りに――触れる
「ううう、それよりも、ちょっと寒くなってきたわね」
両手で二の腕を擦って寒いのをアピールする。
「え、ああ、日が暮れたからか」
山の端はもうすっかり黒くなっていた。恵梨香は肩も小刻みに震わせている。
「ひょっとして、頭が痛いのか」
「う―ん。ちょっとだけ」
マジか。霊感でもあるのかよ。それとも、「墓に小便をかけろ」なんてぶっ飛び発言したバチか。たぶんそれだな。
「ねえ、治せる」
「え」
ってえ、頭痛や寒気なんか治せる訳がないだろ。でも、寒いならそーっと肩をさするとか、ギューッと抱きしめると暖かくなるのかもしれないが……。
見つめ合って時間だけが過ぎる。恵梨香の瞳の中に暗く日の落ちた景色が映っている……。そっと恵梨香の肩に手を乗せようとしたとき――、
「――ご先祖がお眠りになる神聖なるお墓で、なにをしておる――!」
「「――!」」
急に大声で怒鳴られ体がビクッと驚いた。恵梨香も俺以上にビクッとなっていた。一斉にカラスが鳴き声を上げて飛び立つ――。
「時と場所を考えろ、アホンダラ! 若いもん同士がイチャイチャしやがって! 暗けりゃどこでもええのか!」
真っ黒の法衣を身に付けた寺の坊主が目を真っ赤にして青筋を立て石段を駆け足で上がってくる。
ガチで怒っている。何も悪いことはしていない筈だが――。
「なんかやばそうだ、逃げよう」
「ええ」
「またんか! ブッ殺すぞ!」
ブッ殺すって、坊さんが言っていい言葉なのか? 暗闇で真っ赤な目だけが光っているように見える。目の錯覚だろうけれど――、
――お化けや霊なんかより、めちゃくちゃ怖いぞ――!
――握っている数珠が凶器に見えるくらい怖いぞ――!
――腕や首が丸太のように太いぞ――!
――肉や魚をタップリ食べている証拠だぞ――!
「プロテインは肉や魚じゃないかもしれないわ!」
「ごめん」
今は突っ込んでいる余裕はないんだ! 走っている時に喋ると舌を噛みそうだ。良質なタンパク質をタップリ摂っているから筋肉隆々だと言いたいのだろうか。走りながらややこしいこと考えられないぞ――!
「待ちやがれ――!」
墓と墓の間を小刻みに逃げるが必死に追い掛けてくる~! カッカッカッと石段を走る下駄の音が……しばらくトラウマになりそうだ。階段も一段飛ばしで下りてくる――!
お墓を下まで走りきると、道に停めていた通学用自転車にまたがり思いっきり立ちこぎをして逃げた。自転車に鍵をかけていたら追いつかれていただろう。
「待て! このクソガキども――!」
まだ走って追い掛けてくるのがホラー映画級に怖い! 立ちこぎで逃げるのに追いつかれそうになる!
「恵梨香、ギヤー上げて立ちこぎしないと追いつかれるぞ!」
「やってるわよ!」
下り坂に差し掛かり間一髪のところで振り切ることができた。
そこからさらに500mくらいは必死に追い掛けて来たが、少しずつ距離が遠のくと、ようやく諦めてゼーゼー息を切らしていた。坊さんがスクーターに乗って追い掛けてきたら……完全にアウトだっただろう。
「二度と来るな! 呪うぞコンニャロ―!」
助かった――。制服のズボンも下に着ているTシャツも汗でベトベトになっているのに気付く。
「言われなくても二度と来るものですか! ナマ・グサ・ボウズ!」
「――!」
お坊さんを挑発しないで――聞こえていたかどうかは分からないが。
やっぱりお墓で肝試しなんてやるもんじゃない~。肝試しはもっと明るい時に安全な場所でやるべきだ――。
罰が当たったとしか思えないぞ。
「はあ、はあ、はあ、なんとか助かったな」
「あー、怖かった。アハハ、殺されるかと思ったわ」
アハハって、よく笑えるよなあ。
「ホントだ。お坊さんに殺されたら、なんかあれだな」
商売繁盛……になるのだろう。
少し走ったところで自転車を停めた。ここから先は恵梨香と違う道を帰る。
「自転車で走ったら喉乾いたね」
「ああ」
でも水筒は既に空っぽになっている。この時期は午前中で空になるから明日から2つ持ってこようと思っていたくらいだ。恵梨香は自分の水筒を鞄から取り出して口を付けて飲む。思わずゴクリと喉が鳴ってしまった。俺の。
「あ、一真も飲む」
「いや、いらない。喉乾いてなんかいない」
それに恵梨香が口を付けた水筒から飲むなんて……できるわけがない。
「嘘おっしゃい」
おっしゃい?
「いいじゃない、誰も見ていないんだから」
そう言って差し出された水筒。
いいのだろうか。誰も見ていないのなら女子にお茶を貰っても……。
そっと口を付け飲もうと傾けたのだが……数滴しか出てこない~!
「もう空っぽじゃん――!」
余計に喉が乾くじゃん――!
「プー、残念でした。あー可笑しい」
可笑しくない! ぜんぜん可笑しくない! むしろ腹立たしい! 空っぽの水筒を何も言わずに返すのだが。
だったら何故、水筒を俺に差し出したんだ。
「間接キッスしちゃったね」
口に出して言わないで、そのキーワード!
「やめてくれよ」
顔が赤くなっても薄暗くてバレないのかもしれないが、そういう発言は謹んでやめてくれ。頭が痛くなりそうだっ!
「じゃあ、また明日ね」
小さく手を振る。
「……。ああ、バイビー」
「バイビーって」
アハハと笑ってそのまま自転車をこいで恵梨香は帰っていった。
上唇に緑茶のほろ苦さが漂っていた。