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#44 (五)「いい加減、終いだ」

 



     五




雅久(がく)ッ!」


 白騎士の大剣の一撃を受けた雅久は、凄烈な衝撃音を上げると同時に、ハエを(たた)くがごとく呆気(あっけ)なく吹き飛ばされた。


 大盾とともに体育館の壁にぶつかり、力なく倒れ伏す。


「くそッ!」


 湊輔(そうすけ)が剣を構え、白騎士めがけて踏み出した矢先、より素早い動きで泰樹(たいき)が追い越した。


 白騎士に斬りかかり、敵の大剣に受け止められ、膠着(こうちゃく)状態となる。


遠山(とおやま)ァッ! 我妻(あがつま)を連れてここを出ろォッ!」


 怒号にも思える雄叫びが体育館中にこだまする。


「でも、そしたら先輩が……」


 狼狽(うろた)える湊輔に、殺意に満ちた鋭い視線が襲いかかる。


「早くしろォッ! てめぇじゃ勝てねえんだよ!」


「くぅッ……」


 遠巻きに足手まといと言われた気がして、湊輔の胸中は悔しさで満たされた。


 泰樹に言われた通り、壁際に横になっている雅久へと駆け寄る。


「雅久、雅久!」


 名前を呼んでも、ほんのわずかな動きさえ見せない。


 ――う、(うそ)、だろ?


 湊輔の脳裏に、ある一文字が浮かんだ。残酷で、冷淡で、剣呑(けんのん)なその一文字。


「お、おい……雅久? なぁ、答えろよ。動けよ……なぁ、おい……」


 背後で、鋭い金属質な音が上がる。


 泰樹と白騎士の膠着状態は、お互いを押し合う形で解かれた。


「いつまでそこにいやがる! 盾は後でもいい! とっとと我妻を廊下に連れ出せ!」


「で、でも……雅久、なにも……」


「んなこた分かってんだよッ! 強く打って気ぃ失ってるだけだ! とっとと――くそッ」


 白騎士の上段斬りが降りかかり、泰樹は咄嗟(とっさ)霞脚(ヘイズステップ)で左斜め前に躱す。神速の踏み込みの最中(さなか)、刺々しい刃を(ひらめ)かせた。


「おぉ! お見事ぉ! さっすがタイキくんだね! ヴェルモス相手に霞躱撃(ヘイズレイド)を打ち込めるなんて!」


 キャットウォークで観戦している少年が、朗々とした声を上げながら拍手をした。


 白騎士は踏み込んだ右足を引き、叩きつけた大剣を引くようにして、泰樹めがけて振り払う。


 泰樹は反射的に神速の踏み込みを発揮して、前方へと移動すると太刀筋から外れた。


「ちッ、くそ(かて)ぇ……」


 先ほどの霞躱撃の一撃は、確かに白騎士の右わき腹を捉えていた。だが、胴当を切り裂くどころか、かすり傷一つ見当たらない。


 泰樹と白騎士の闘いを横目に、湊輔は大盾をどけ、雅久の体を引きずりながら体育館から廊下へと出る。壁際に寝かせると、再び体育館に入って大盾を持ってきた。


「嘘だろ……雅久、お前が一発で吹っ飛ばされるなんて……」


 いや、湊輔としては雅久が吹き飛ばされたこと以上に気にかかっていることがあった。


 泰樹は気絶しているだけだと言っていた。だが、人が気を失う光景を見たことがない湊輔としては、その言葉を信じていいのか分からない。


 体育館の中からは、甲冑(かっちゅう)の各部がこすれて鳴る音や、剣と剣が打ち合わさる音、泰樹の()え声が聞こえてくる。


 ――俺、このままここにいて、いいのか?


 ――戦エヨ。柴山(しばやま)先輩ニ甘エンナヨ。


 ――でも怖いんだよ。あの柴山先輩でも、苦戦してんじゃん。


 ――戦エヨ。イツマデ周リニ甘エテンダヨ。


 ――俺なんかが行ったって、先輩の邪魔にしかならないだろ? さっきだって、言われてただろ?


 ――イイノカ? コノママダト、ミンナ、■ヌゾ。


 ――ダメだ、そんなの。そんなの、ダメに決まってるだろ……?


 ――ナラ戦エヨ。オ前ニハ、アレガアルダロ? 有紗(ありさ)モ言ッテタジャネェカ。『あなたは死ぬことはない』ッテ。使エヨ。ココデ使ワナカッタラ、イツ使ウンダヨ? オ前、無敵ナンダゼ? アレガアリャ、柴山泰樹ナンテ余裕デ超エラレルダロウヨ? アンナデカイ剣振リ回シテルダケノデカブツ、余裕過ギンダロ? ナァ?


「……俺は、死ナナイ」


 ――ソウダ、死ナナイ。ダカラ、戦エ。戦エ。戦エ。戦エ。戦エ。


「戦え……■セ」


 体育館の二者による闘いは、少しずつ白騎士の勢いが増していた。


 白騎士は単調な横薙(よこな)ぎの斬撃を、何度も何度も繰り返している。泰樹が霞脚で距離を取れば、その分大きく踏み込みながら、執拗(しつよう)に大剣を薙ぎ払っていく。


「アハハッ! 烈風斬《ハリケーン》は早めに止めておくべきだったね、タイキくん! ここまで速くなったら、もうヴェルモスはそれを止めないよ!」


 体育館中に響き渡る踏み込みの音とともに、大剣の風切り音が泰樹の眼前をかすめる。


「ちぃッ!」


 段々と霞脚で(かわ)す間隔よりも、烈風斬が迫る間隔が短くなっているのを、泰樹は薄々感じていた。これでは、いつ大剣の一撃をくらってもおかしくはない。


 そのときが、ついにやってきた。


 いや、霞脚が遅れたのではない。足をつっかえて泰樹の体がバランスを崩したのだ。


 迫りくる巨大な殺意に目を見開いた瞬間、突然別方向から押し退けられた。


 それとともに、白騎士の体が頭から反り返り、後ろへよろめく。勢いに乗っていた大剣に体を引っ張られ、ついには転倒した。


「遠山……お()ぇ……」


 泰樹と白騎士との間に、湊輔の姿があった。


 あの巨大な刃が泰樹に迫る、ほんのわずかな瞬間。白騎士の懐に潜り込んでは破突(ペネトレイト)を撃ち込んだのだ。


 白騎士は転倒した際に体を転がし、その勢いを利用して立ち上がり、構える。


「……あれ、ボク今、一瞬なにが起きたのか、分かんなかったよ。ううん、これホントに」


 悠々と、そしてじっくりと戦況を眺めていた少年にも、この一瞬の出来事を理解するには至らなかった。


 白騎士は湊輔めがけて大剣を横薙ぎにする。間合いは完全に詰まっている。今から後退しても、絶対に間に合わない。


 巨大な刃を振り払った。だが、手応えがない。その代わり、左後ろに異常なほどの殺意を感じた。


 途端に(よろい)を打ちつける衝撃が伝わってくる。背後から加わった圧力で前に押される体。(たま)らず右足を踏み出して踏みとどまった。


 もう一撃が来る。加えて、前方からも一撃。そう直感した白騎士は、その場で体を固め、前後から襲いかかった攻撃を耐え(しの)いだ。


「遠山……お前ぇ、いつの間に……」


 泰樹は白騎士の背後に、獰猛(どうもう)な気を放つ、虚ろな瞳の湊輔を見た。そして、かすかに聞こえてきた(ささや)きに、我が耳を疑う。


「……戦え……■セ……戦え……■セ……」


 大剣を横に構えて押し出してきた白騎士から離れた泰樹は、改めて向こうにいる湊輔を見据える。


「あいつ……正気じゃねぇな。阿久津(あくつ)と似たような……戦技(スキル)か? 素質《アビリティ》か? どちらにせよ、ヤベェぞ、あのままは……」


 ただ無心のままに敵に襲いかかる姿は、まるで《死神の美結(みゆ)》のごとく。


 だが、それとは明らかに違う。美結はただ暴れ回っているわけではない。もっとも狩りやすい対象を優先に狙い、もっとも被弾の確率が低い方法を選び、手早く倒せる手段で決着させる。


 対して湊輔は、自分から敵の間合いに入っているようなものだ。


「――自分から? わざと? ……まさかな」


 湊輔と二度目に共闘したときのことが、泰樹の記憶の底から浮かび上がった。そう、人狼型《ワーウルフ》との戦い。


 あの瞬間、泰樹は確信していた。


【湊輔が■ぬことを】


 あのメンバーの中で、一番未熟だったのが湊輔だ。


 あのメンバーの中で、一番死ぬ確率が高かったのが湊輔だ。


 なぜあのとき、一年のメンバーが三人もいたのか。


 なぜあのとき、人狼型相手に戦技を持ち合わせていないメンバーが二人もいたのか。


 白騎士がひたすら湊輔を攻めたてるも、対する湊輔も負けじと応戦しているところで、泰樹は構えたまま棒立ちした。


 そして、上から階下の戦況を見ては面白がっている少年を、呆然(ぼうぜん)とした表情のままに見やった。


 絞り出すような、(とげ)のある低いハスキー声が少年を呼びつける。


「おい、クソガキ……」


「んー、なぁーにぃー?」


「てめぇ、遠山の、なにを知ってる?」


「んー、なぁーにぃー? 聞ーこーえーなーいー」


「てめぇ、知ってんじゃねぇのか?」


「えー、なーんだーってー?」


「遠山が、どうやったって死なねぇってことをだよッ!」


 泰樹が凄みを込めたあらん限りの力で叫ぶと、少年は真顔で泰樹を見下ろし、そして微笑んだ。


 その微笑はあまりにも黒く、下賎(げせん)で、あらゆるものを見下しているような、気色の悪いものだ。


「死逃視眼《デッドサイト》」


「……なに?」


「死逃視眼。それがソースケくんの静的戦技(パッシブスキル)。近い未来、敵の攻撃で絶命の危機に(ひん)することが確定すると発動するの。自分の死と、それを回避する術を見せてくれるんだよ。そして、あわよくば自分に絶命をもたらす敵を、一撃で殺し返す光景まで見せてくれる。基本的には死を回避して攻撃する、っていう光景を見たら、その通りに動くね。今いるみんなの中で、これを持ってるのはソースケくんだけ。それにしても、今はやたら使っちゃってるね、死逃視眼。死なないのはいいけど、なーんか憑依《デスエンチャント》みたくなってるの、なんでだろ?」


 少年の説明は、まるでそれをあやふやにしたいかのように口早だったが、泰樹は湊輔の静的戦技についての理解ができた。


 そのとき、鈍い音が上がっては、直後硬い衝突音が鳴った。


 思わず泰樹が視線を泳がせると、湊輔が壁際でうずくまっている。


「ヴェルモスー、ボクが言ってから気づくとか、遅すぎー」


 つまり、大剣の白騎士はずっと湊輔を殺す気で得物を振り回していた。だが、少年の話を聞いて察したのだろう。


 湊輔を殺しにかかっても意味がないと。


「てゆーかさぁ、今回の目的、なんだったっけー? ボクが狙ってるのは、ソースケくんじゃなかったよねー?」


 白騎士は少年に向きながら(うなず)くと、泰樹に体を向け、大剣を構える。


「……ちッ、やっぱりクソガキだったんじゃねぇか」


 泰樹は深く息を吸いこみ、長く息を吐き出した。肺の中身をすべて出し切るように。そして、再び吸い込む。


「おい、デケェの。それとクソガキ。いい加減、(しま)いだ」


 泰樹は、自身の中で燃え盛っていた炎が、いつの間にか消えているように感じた。


 あれだけ激しくのたうち回っていた臓腑(ぞうふ)が、いつの間にか静まっているように感じた。


 あの白騎士と打ち合っていた間、暗雲がかかっていた視界が開けているように感じた。


 泰樹の身体も精神も、いつの間にかクリアになっている。


 自分の意識よりもずっと早く、身体が動き出していた。


 視界の中で徐々に大きくなる白騎士。


 泰樹の動きに合わせて大剣を振りかざす姿。


 気づいたときには、白騎士は泰樹の間合いに、泰樹は白騎士の間合いに詰め寄っていた。




 まるで深淵(しんえん)に沈んでいるかのように、意識は真っ黒く塗りつぶされている。


 ――なにしてんだ? なにしてたっけ?


 長い長い睡眠状態からの覚醒。


 体の節々が痛み、硬くなっているような感覚。


 ――痛い、なんか痛い。背中も、腕も、足も、頭も首も痛い。


 体の前面に冷たい感触が貼りついている。


 ()がそうと思って体をよじり、手を()わせるが、なにもつかめない。


 そもそも、身体が動いていないことに、寸刻してから気づいた。


 ――あぁ、もう、なんだってんだ。分からない、なんにも分からない。


 いつまでこの漆黒の闇に捕われ続けるのかと毒づこうとした矢先、光明が差した。


 途端に、身体のあらゆる部位が動かせる感覚がした。


 ずっと、目蓋を閉じていたことにも気づいた。


 眼を開くと、冷たい灰色の床が真っ先に映る。


 右の(ほお)に冷たく貼りついていたのは、その床だ。


 ――しまった、寝過ぎた!


 依然として全身の鈍い痛みは続いている。だが、そんなことはお構いなしに、湊輔は飛び起きた。


 視界いっぱいに広がる、白黒に染まった体育館。


 すでに見慣れた日常。しかしここは異空間と化した日常。


 その中心に(たたず)む二つの人影と、そのすぐ足元に仰向けに横たわる一人の人影を見て、湊輔は愕然(がくぜん)とする。


「タイキくん、お疲れ様。なにか言い残すことはある?」


 無邪気な笑顔を見せる少年が、足元に大の字で寝転がる泰樹に、立ったまま覗き込むようにして尋ねた。


「……なんも……ねぇよ……クソ、ガキ」


「ホント? いいの? まぁ、ちゃんと猶予の時間はあるから、その間に向こうで済ますこと済ましてね。さ、ヴェルモス」


 少年が上目遣いで視線を向けると、白騎士は大剣を両手で高々を持ち上げた。


 ――待て、待てよ! やめろ、やめろ……


 湊輔の全身に、今回異空間に来てから続いていた巨大な不快感が、体の外へ出ようと再び(うごめ)きだした。


「やめろォッ!」


 叫んだ途端、少年は笑顔のままに湊輔へと顔を向ける。そして、手を振った。


「やぁ、ソースケくん、起きちゃった? ごめんね、これから嫌な光景見せることになるけど、見たくなかったら目、背けてね」


 湊輔は駆け出そうとしたが、足がうまく動かず、その場に倒れ込んだ。


「やめろッ! やめろよォッ! やめてくれェッ! 先輩! 柴山先輩! 泰樹さん! 嫌だ! 嫌だ嫌だ! やめてくれえェッ! うわあああああああああああああああああ!」


 湊輔の懇願虚しく、無慈悲な断頭台は、刃を()っていた(ひも)を手放され、勢いよく頭と胴を斬り分けた。


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