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#33 (二)「いい加減憶えろよ……」

 



     一




 (せみ)喧騒(けんそう)が世間一帯を賑わす季節。湊輔(そうすけ)が通う高校は一ヶ月近い休業日を迎えた。


 部活に夏合宿、夏祭り、花火大会、海開き、旅行、盆の帰省。全身を()で上げるような熱気に連日(さら)されながらも、若人たちは各々、夏の青春に勤しんでいる。


 湊輔はどの部活動にも所属してはおらず、かといって夏季休業中に行われる特別講義にも参加することはなかった。


 次に訪れる登校日まで学校に足を運ばない代わりに、週五日、登校時に乗り込む駅近辺にある運送会社で、普段より増量した荷物の数々を相手に奮闘していた。


 その傍ら、いくつかの授業科目から出された課題や、全学年共通のそれをこなし、始業式直前日の真夜中まで机に向き合うことはなかった。


 そこそこの睡眠時間を確保したことで、休み明けの朝は睡魔に(ささや)かれることなく電車に乗ることができた。


 教室に入って机に着くや否や、雅久(がく)が満面の笑みを浮かべては背後から肩に腕を回してくる。


「よぉ、湊輔、おひさー」


「あぁ、久しぶり」


「お前、宿題全部終わらしてきた?」


「うん。……まさか?」


 すると雅久は机の前に回り込んではしゃがみながらもたれると、組んだ両腕の上にあごを乗せて、上目遣いで湊輔を見る。


「そう、そのまさか! 悪ぃんだけど、数学のやつ、見せてくれよ?」


「相ッ変わらずだな……」


 湊輔が怪訝(けげん)な表情を見せると、雅久は絶えず見せる笑みの前に両手を合掌させた。


「頼む、マジで! なんか(おご)るから! なッ?」


 湊輔はねだる雅久から視線を外し、頬杖(ほおづえ)をついてそっぽを向きながら、束の間の沈黙の後に開口した。


「じゃあ、特製クリームメロンパン。来月中に最低三つは納めてもらおうかな?」


 一日三〇食限定で、昼休み開始三分で完売するという学食の超人気メニュー。


 その人気の高さ故、昼休みに入るなり教室を飛び出して食堂に疾走する猛者は数多く、加えて食堂の外にて小競り合いが起こるほどに、それの購入のために連日生徒同士の死闘が繰り広げられている。


 つまり、湊輔は数学の課題を見せる代わりに、次の月の内、最低一〇日に一度は刹那の熾烈(しれつ)極まる戦いに、その身を投じることを交換条件として雅久に突きつけたのだ。


 それがいかに残酷で冷徹なものであるか、雅久はよく理解している。愕然(がくぜん)と顔をひきつらせはしたが、右の口角を()り上げて、三度頭を縦に振った。


「……いいぜ、やってやろうじゃねぇか」


「うん。じゃあ、交渉成り――」


 湊輔が数学の課題をバッグから引き抜き、雅久に手渡そうと差し出したところで、途端にそれを引っ込めた。


「あぁ、そうだ。まぁ、雅久ならこなしてくれると信じてるけど……もし、来月特製クリームメロンパンを最低三つ納められなかったら……」


 ふと言葉を切った湊輔を見ながら、雅久は固唾を()んでから尋ねる。


「納められなかった、ら……?」


「その次の月に、同じ条件をこなしてもらおう、かな」


「つまり、月に最低三つ買うまで続けるってこと、かよ?」


 湊輔は無表情で、淡々とした雰囲気を醸しながらゆっくりと(うなず)き、課題を差し出す。


 ――まぁ、そこまでするつもりはないんだけどな。


 すると雅久は迷いなくそれを受け取り、爽やかな笑顔を湊輔に向けた。


「おう、乗った! じゃ、この恩は特製クリームメロンパン三つで返させてもらうぜ!」


 雅久は意気揚々に湊輔の机から離れると、自分の席について、さっそく未完の課題を広げてシャーペンを走らせる。


 やがて朝のホームルームの時間になり、担任の宍戸(ししど)陽奈(ひな)が教室前方側の扉を開けて入ってきた。


 濃紺のパンツスーツを着こなし、アッシュベージュの長髪を後ろで一本に束ねている。伸びた背筋から整った姿勢を見せる体と比べると、シンプルなナチュラルメイクを施した、半眼にも見える垂れた目元からは脱力的な印象を受ける。


「はーい、みんなおはよー。席に着いてくださーい」


 その容貌に似つかわしい声が、教室中の隅から隅まで拡散する。


 囁き声の音量をそのまま増幅させた、聞けば力が抜けるような声は、就く職業を間違えていると、生徒間で吹聴されるほどに特徴的だ。


 三〇人近い生徒がいる空間に、陽奈の声は確かに届いた。だが、依然として立ち上がっている生徒はおろか、自分の席に着きながらも隣接する友人とお(しゃべ)りの華を咲かせている生徒もおり、ホームルームに移ろうとする兆しはまるで見えてこない。


 教壇に立つ陽奈が、すかさず背を向けて、チョークを取り上げてはカツカツ音を鳴らしながら黒板に文字を連ねていく。


 ――うわー……。


 陽奈の動向を見守っていた湊輔は、黒板に書かれた文章を見て、口に出さずに嘆息を吐いた。


 やがて陽奈はチョークを置くと、再び体を反転させ、黒板の空いたスペースに平手を(たた)きつけた。


【とっとと座れや このブタ共】


 突如として教室中にこだました轟音(ごうおん)に、一同が陽奈と、その背に浮かぶ殴り書きで描かれた白い文字を見ては静寂を築いた。やがてそれぞれが粛々と自身の席に着く。


 それを見届けた陽奈は、ゆっくりと静かに体を反転させ、黒塗りの長方形の三分の二を占める悪罵の声を消していく。再び生徒たちに向き直ると、しれっとホームルームを開始させた。


「それじゃー、今日はこれから始業式だからー、みんな体育館に行きましょー」


 ちなみに、この光景はこれが初めてではない。湊輔が入学してから、すでに何度か見せられている。一年B組の一部の生徒は、その見た目と奇抜な行動のギャップを面白がり、あえてこれを狙っている節もあった。


 それから、湊輔にとってはとても退屈で、永遠とも思えるような始業式の時間を耐え抜く。その後、学力テストの前半戦をくぐり抜け、昼休みを迎えた。


 湊輔は雅久とともに、弁当が入ったポーチを片手に教室を出ると、連絡通路を渡ってB棟校舎に移り、校舎南側の階段から一階まで下りる。


 そのまま武道館へと続く連絡通路に向かい、そこから外に出ると、すぐ目の前にある食堂へと歩みを進めた。


 もしも四限目終了直後にA校舎から食堂に行こうとすれば、某人気メニューに飢えた亡者どもの濁流に呑み込まれてしまう可能性が九割九分あるため、こうして迂回(うかい)する経路を辿(たど)ったのだ。


 食堂の西側にはテラスがあり、長い連休に入る以前から昼休みに入るたび、ほぼ毎日のようにそこへと足を運んでいる。弁当持参の生徒は基本的に教室で食べることが多いが、わざわざ食堂に行くのには理由があった。


 それは、異空間で出会った生徒たちと遭うことがあるからだ。食堂は学校の半数以上の生徒が利用している。二人はそこから、普段関わることがない、異空間での仲間たちと接触することができないかと目論んだ。


 その狙いは的を射ており、行動開始初日から成果があった。その日出会ったのは二年A組の福岡(ふくおか)耀大(ようだい)深井(ふかい)二菜(にな)、二年C組の荒井(あらい)巧聖(こうせい)


 三人が一緒にテーブルを囲んで、それぞれ購入したメニューを頬張っては談笑しており、湊輔と雅久はその輪に飛び込んだ。


 話題は学業や部活、私生活や趣味などではなく、最初から異空間についての情報交換が始まった。


 武器や戦技、素質、敵の種類、異空間での戦いは毎日のように起こっていることなど、誰かが話題を提示しては報告し合うように議論を深めていた。


 それが学校生活の様々な要素よりも、高校生らしい青春の色恋沙汰よりも、湊輔にとってはとても興味深く、意義を強く感じるもので、以来こうして昼休みのたびに食堂で誰かを探して回っている。


「あー、雅久に湊輔じゃーん!」


 テラスの空いている席に腰を落ち着けたところで、食堂の中から伝わってくる蝉噪(せんそう)が耳の中から()き消えるほどの、よく通る甲高い声が二人の間を抜けていった。


 それが放たれた方向に顔を向けると、有象無象の中に咲く一輪の花のごとく、桜色の長い髪を両側の側頭部から伸ばした女子生徒が歩み寄ってきていた。


 加えて、その斜め後ろには、前を歩くその人と同じくらいの背丈で、無造作な前髪の下に据わった糸目が特徴的な男子生徒もいる。


丸山(まるやま)先輩に寺沢(てらさわ)先輩! うッス!」


「お疲れ様です」


「よぉ。ここ、座っていいか?」


 明咲(めいさ)海都(かいと)は両手で持っているトレーを、湊輔と雅久がいるテーブルへと置いては、空いている椅子を引いて腰を下ろす。明咲の「いただきまーす!」の声とともに、それぞれの食事を頬張り始めた。


「なぁ、湊輔。お前、霞脚《ヘイズステップ》が使えるようになりたいって言ってたけどよ、あれからどうだ? 戦技(スキル)の本は見つかったか?」


 湊輔と海都が互いに面識を持ったのは、ドゥーガ率いる鬼人型の集団との戦闘があった翌月の初旬。


 湊輔がいつものように図書館の本を足元に撒き散らしているところで、入ってきた海都にその惨状を見られては、「お前、どこぞの山賊か……?」と言われたのがきっかけだ。


 湊輔がほぼ毎日昼休みは食堂に入り浸っていることを伝えると、海都に明咲を紹介してもらい、(つな)がりを持つことができた。


「いえ、あれから夏休み直前まで探してはいたんですけど、さっぱり……」


 海都と何度か共闘しては話すうちに湊輔は、同じ片手剣を扱う仲間の誰もが、ごく短い距離を体が(かす)んで見えるほどの速さで移動する霞脚を使えていることに羨望の気持ちを抱いた。


 そのことを一学期の終業式を迎える数日前の戦いの際、湊輔は海都に話しており、海都としても気にしてはいたようだ。


「そうか……まぁ、気長に探すしかねぇな。俺だって、使えるようになったのは今年に入ってから、だしよ」


「そいえばさー、前に大瑚(だいご)さんが相手した……えーと、アレ、なんだっけ……馬だか山羊だかよく分かんないヤツ」


「――悪魔型(バフォメット)、な。いい加減憶えろよ……」


「そうそう! それ、悪魔型!」


「あー、湊輔が前に話してたヤツか。だいぶ前に聞いたきりだし、あれからどーなったんだ?」


 三人の視線が一斉に湊輔に浴びせられた。明咲と雅久は内なる好奇心が湧き立っているように、眼光が眩く(きら)めいている。


「えーっと――俺も分かりません、正直言って。雅久なら分かってると思うけど――今まで、誰からも悪魔型の話は上がらなかったんですよ。いや、上がらないというか、その話題が出ることもあったんですけど、変わった情報は入ってこない、と言いますか……」


 湊輔が言い(よど)んだところで、明咲と雅久が、ほんの少し前傾させていた体を戻し、背板にもたれかかる。


「ま、実際に戦ったあの人に聞くのが一番なんだろうけどよ……さすがにそんな気にはならねぇしな」


 大斧(おおおの)を駆使して、悪魔型の左の腕と翼を断ち切った広瀬(ひろせ)大瑚のことだ。《覇者》のあだ名は伊達(だて)ではなく、その粗暴さ故に海都も明咲も敬遠していた。


 それから話はそれぞれの夏休み中の活動や、今日の始業式の長ったらしい校長先生の挨拶への文句、学力テストの塩梅など、日常的で雑多なものとなった。


 日常の狭間で異空間に招かれ、図書館で戦技について本を漁っては、異形の敵を相手に仲間たちと力を合わせて戦い、勝利する。学校生活の昼休みに食堂に行っては情報交換をし合う。


 そんな青春の時は流れゆき、季節が紅葉の()ゆる世界へと歩み出したころ、湊輔の高校では来たる学校祭に向けての準備が進められていた。


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