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#25 (四)「あたしがちゃんと聞いてやっから、言ってみ?」

 



     四




 全体が黒いローブに包まれ、頭部全体を頭巾で覆っている五体の浮遊体。その得体の知れない様相に、四人は思わず息を()んだ。


 五体のそれは地面すれすれのところで降下をやめるや否や、散開しながら緩慢とも敏速ともいえない速度で四人に向けて差し迫る。


「来るぞッ! 気をつけ――」


 剣佑(けんすけ)が言い切るより早く、またも美結(みゆ)が真っ先に動いた。腰に差した二本の幅の広い、湾曲した刀身を持つ剣を両方引き抜き、向かって真ん中から迫る浮遊体へと急迫する。


 目と鼻の先まで詰め寄ると、飛びかかりざまに一閃(いっせん)を見舞った。浮遊体のローブが胴体の真ん中から上下に分断される。


「やった! ……あれ?」


 美結が斬り裂いた黒いローブを見て、悠奈(ゆうな)は違和感を覚えて目を細めた。布の断面は、例えばハサミで裁断したようなそれではなく、煙やドライアイスを払ったように、黒い(もや)が漂っている。


「悠奈ちゃん! 来るよ!」


 靄と化した布の断面が凝縮し、元の状態に戻った様子に呆気(あっけ)をとられていたが、陽向の声で我に返る。接近してくる別の黒いローブに、すかさず体を向けて構える。


 悠奈に近づく浮遊体はローブの両の袖を横に持ち上げて構えると、中から黒ずんだ枯れ木のような手を()き出し、つかみかかろうと肉薄する。


 わずかに迫りくる速度が上がっていたものの、悠奈は横に避け、すれ違いざまにローブの胴体めがけてアッパーカットを(たた)き込む。


 ――ッ! 手応えが、ない……


 手甲をはめた右手の拳打は確かに体を捉えていた。だが、先ほど美結が襲いかかった浮遊体と同じように、ローブが一瞬靄と化して元に戻った。一気に血の気が引いていく。


「くそッ、なんなんだよこいつら……」


 陽向(ひなた)もまた、襲いかかってくる浮遊体めがけてバスタードソードを振るうが、同じように直撃させるも手応えはなく、脇を抜かれていく。


「悠奈! 陽向! いったん退()け!」


 襲いくる浮遊体をいなしながら、剣佑が二人に向かって叫ぶ。


「でも!」


「いいッ、退け! 非常階段から校舎に入って、それから落ち合おう!」


「……すみません! 陽向くん、先に行って! 早く!」


「え、ちょッ……あぁ、もう、分かったよ!」


 悠奈は再び突進してくる浮遊体を(かわ)すと、陽向が相手取っている敵めがけて駆け出した。グラウンドから離脱する陽向の背後に立ちふさがり、牽制(けんせい)する。


「悠奈ちゃん!」


 肩越しに陽向を一瞥(いちべつ)すると、B棟校舎の非常階段付近に辿(たど)り着いていた。速くも遅くもない勢いで近づいてくる浮遊体に背を向けると、全力疾走でそこを目指す。


 やがて悠奈が非常階段に着くと、陽向がそこに設けられている扉のノブを回す。扉が開き、陽向と悠奈は飛び込むように中に入り、扉を閉めて鍵をかけた。


 悠奈は先ほどの交戦から、浮遊体の挙動を酷く気にしたが、扉を通り抜けてくるようなことはなかった。安堵(あんど)の息を吐きながら、扉に背中を預けてズルズルとへたり込んだ。


 先に入った陽向はすでに床に膝と手をついて、肩で息をしている。


「はぁー……ラッキーだったね。まさか非常階段の扉が開いてるとは思わなかったよ……」


 非常階段の各階には、校舎に出入りできる扉が設けられている。普段は内側から施錠されており、外側から入れなくなっているが、不思議なことに今回、あるいはこの異空間では解錠されているようだった。


「日下さん……大丈夫かな」


 悠奈はグラウンドに面した窓ガラスに四つん()いで近づくと、膝立ちをして、縁から(のぞ)き込むように外の様子を(うかが)う。


 それに倣うように、陽向も体を起こして窓際に近づいた。


 窓ガラスの向こうでは、三体の浮遊体を相手に狂い踊る美結がいた。剣佑の姿を探すが、どこにも見当たらない。


「いないねー。美結さん残してどっか行っちゃったみたいだねー」


「そう、だね……」


 あらかたグラウンドに視線を泳がせて、悠奈は窓から頭を出さないように姿勢を低くしながら歩き出す。


「悠奈ちゃん? どこ行くんだい?」


「日下さんが校舎の中で落ち合おうって言ってたから、探しに行こうかなって」


「そ、そっか」


 床に投げ出していた両手剣を持ち上げた陽向は、先を行く悠奈に倣って身を屈めながら歩き出した。


 B棟校舎の北側から入った二人は、南端にある体育館につながる連絡通路付近に辿り着く。


 やがてA棟校舎との連絡通路に続く廊下に視線を移すと、向こうから弓と矢筒を手に持ち、口笛を吹きながら悠然と歩いてくる颯希(さつき)と目が合った。


「お? 悠奈! それと陽向じゃねぇか! なにしてんだお前ぇら?」


 颯希の屈託のない笑顔を見て、悠奈はまた(ほお)をほんのりと赤らめる。やがて合流すると、颯希がグラウンドを後にしてからの展開を一通り説明した。


「なるほどなー、ローブを着た変なヤツ、か……。どれどれ……」


 もちろん、美結が一人でグラウンドの浮遊体を相手取っていることも伝えている。


 それを聞いた颯希は窓際に近づくと、その向こうで繰り広げられている戦闘の様子を窺った。


「あの、颯希さん……美結さんを一人にしちゃってるんですけど、大丈夫なんですか?」


「あぁ、あたしがグラウンドを離れてすぐだろ? アイツらが来たの。だいたい一〇分くらいだとして……まぁ、もう少しは持つだろ」


「そう、ですか……」


 颯希の、もう少し、という曖昧な表現に、悠奈は一抹の不安と、剣佑の指示に従ったにしても、美結を一人取り残してきたことに少なからず申し訳なさを感じていた。


 悠奈の胸中を見透かしたように、颯希が悠奈の頭に手を置くと、妹をあやす姉のように、柔らかな笑みを浮かべて優しく()でる。


「心配すんな。美結のことはよーく知ってる。そんなあたしが言ってんだ、間違いねぇよ。――さて、まずは剣佑のやつを見つけようぜ」


 不安など微塵(みじん)も感じさせない、自信に満ち(あふ)れた様子で、颯希は来た道を戻り始めた。


 三人が剣佑を見つけて合流するのに、そう時間はかからなかった。


「よぉ、だいぶお疲れじゃねぇか」


 A棟校舎の南端、食堂の出入口付近に剣佑が座り込んでいた。


「あぁ、颯希さん――と、悠奈に陽向。良かった、二人とも無事だったんだな……」


「大丈夫ですかッ? すごい消耗してるように見えるんですけど……」


「なに、慣れない相手にはしゃいでしまっただけだ……心配ない」


「剣佑、お前、よく分かんねぇ相手に乱舞でもしたのか? 疲れようがすげぇぞ」


「あはは……竜巻舞ダンスオブデストラクションは使っていませんよ。使ったとしたら第一波のときですが……。悠奈と陽向が退いたあと、ついさっきまで、追いかけっこをしていた、だけですから――それより、対策を考えないと。美結さんもそろそろでしょうし」


「……だな。にしても、それなりに長くやってる自覚はあるけどよ、今まであんなん見たことねぇや。んーま、最近マンネリだったからいいかもしんねぇけど」


「冗談はさておきにして、こちらの攻撃が通じないとなると、手の打ちようが……」


「悠奈に話聞いて、グラウンドで美結が戦ってるの見たけどよ、確かにありゃ変だな。ローブすら実体じゃねぇんじゃねぇの?」


 剣佑は(うな)りながら顔を上げて天井を仰ぐ。少し間が空いて、陽向が切り出した。


「でも、実体がなかったら、なんで俺らを襲ってくるんです? それに、攻撃してくるときにガリガリの手が袖から出てるし、そのときだけ実体になる、とか?」


 陽向の話に、すかさず剣佑が顔を向け、颯希が片眉を上げるとパチンと指を鳴らした。


「それだッ! 実体になる瞬間があるなら、そこを叩きゃいいんだよ!」


「ですが、攻撃のときだけ実体化しているとして、そこを狙うのは難儀かと……」


 自信満々に(ひら)いた案に水を差された颯希は、剣佑の頭をグーで軽く殴った。


「だったらどーしろってんだよぉ? やる前から諦めてたら、なんもできねぇだろーが?」


「あの……」


 難色を示しあう二人の間に、悠奈のか細い声が割って入った。颯希と剣佑はほぼ同時に悠奈を見る。


「もしかしたら、なんですけど……」


 しかし、途端に自信を失ったように、悠奈は言い(よど)んで(うつむ)いた。そこへ、またも颯希が温かみのある笑顔を浮かべて歩み寄り、頭を撫でながら顔を覗き込む。


「どうした? なんか、気づいたんだろ? あたしがちゃんと聞いてやっから、言ってみ?」


 颯希の後押しを受けて、悠奈は顔を上げる。幼顔の瞳には、意を決したような力強い炎が宿っていた。


「日下さんや颯希さん、美結さんは、今回の戦いがいつもと違う、異例だと言っていました。私も、あくまで前回だけの経験則ですけど、なかなか終わらないなって思ってました。それに、今回出てきた敵は三種類です。骨人型(スケルトン)屍人型(アンデッド)、そして、最後に出てきたアレ。アレがいったいなんなのかは分かりませんが、実体がなくて、浮かんでて、攻撃すると、こう……」


「煙とか、靄みたいになる、ってことだよね?」


 悠奈がどう言い表せばいいか分からなくなって詰まったとき、陽向が助け舟を出した。


「そう、煙や靄みたいになるんです。だからあたしはアレを、幽霊型《ゴースト》って仮定します。だとすると、その……あたし、ゲームとかアニメが好きで、ファンタジーものも好きなんですけど、アンデッドやスケルトン、ゴーストみたいな、不死とか死霊のモンスターが次々と出てくるとき、それを呼び出している黒幕がいたりするんですよ。ネクロマンサーっていうんですけど、もしかしたら今回の本当の敵は、その屍霊術型《ネクロマンサー》なんじゃないかな……って、思いました」


 悠奈が話し終え、わずかに流れた沈黙の中で、剣佑が勢いよく立ち上がり、颯希は獰猛(どうもう)な眼光を(きら)めかせ、口元に不敵な笑みを浮かべて八重歯を剥く。


「決まり、だな」


「えぇ、確証はないにしても、十分納得できます。――悠奈、見事な推理だ」


「え、でも、あくまで仮説、みたいな話、ですよ?」


「いいんだよ、それで。可能性がないわけじゃねぇんだから」


「それで、どうするんです? 姿を見せない敵を見つけるために、学校中をしらみつぶしに探して回るんですか?」


「あ? んな必要ねぇよ。ちょっと待ってな」


 陽向の問いに答えた颯希は、目を閉じては見開き、頭を四方八方に向けて動かし始めた。


「颯希さんは鷹眼《スナイプ》という動的戦技を持っていてな、遠くにいる敵も、隠れている敵も見つけ出すことができる」


 やがて、鷹眼を終えたらしく、颯希は三人に向き直る。


「ははッ、ダメだ、てんで見つからねぇや」


「じゃあ、やっぱり違ったんですね……」


 あれだけ力説したものの、その存在が見つからなかったことに悠奈は肩を落とす。


「いや、あくまであたしの鷹眼でも見つからなかったってだけだ。そもそも、もしそいつがいるなら、あたしより先にお前ぇらと一緒にいた美結が気づくしな」


「確かに。美結さんの順風耳なら、立ったままでも敵の足音が聞き取れるほどですから」


「だとしたら、美結みたいな素質《アビリティ》があるか、それに近い戦技を持ってるか、だな」


「素質? なんです、それ? 戦技となにか違うんです?」


「素質というのは、いわばここに招かれた時点で最初から持っている、人それぞれに与えられた性格みたいなものだ。動的戦技みたいに習得できるものでもなければ、静的戦技みたく戦っているうちに身につくものでもない。例えば、一人で戦うと普段通りの実力を出せないが、仲間が集まれば普段通りどころか、普段以上の力が出せたり、どんな状況でも落ち着いて、常に普段通りのパフォーマンスが発揮できたり、それはもう様々だ」


「それじゃー、さっき言ってた、美結さんみたいな素質、っていうのは?」


「美結さんの素質は影迹無端《ナイトラバーズ》。敵に見つからない以上、さっき颯希さんが使った鷹眼や、美結さんの順風耳で捉えられることはない」


「てことは、結局学校中探し回るってことですか……」


 陽向は落胆を露わにして、肩を落とすどころかしゃがみ込んだ。


「つっても、美結のことがあるからな。全員で探すのは無理だ。――剣佑、陽向を連れてグラウンドに行け。そろそろ美結がヤベぇ時間だ」


「え、美結さん、結構危ないんですか……?」


「ん? いや、ヤベぇっていうのは、美結のパフォーマンスが落ち始めるんだよ。あの戦闘モードは敵がいなくなるまで続くんだけどよ、二〇分くらいを過ぎるとどんどん弱くなっちまう。あの幽霊型相手じゃ、さすがの《死神の美結》でも敵わねぇ」


「「死神ッ?」」


 美結の名前につけられた冠詞に、悠奈と陽向が驚きの反応を見せた。


「あぁ、美結さんのあだ名だ。とはいえ、当人は知らないがな。見ての通り、美結さんは敵を認識すると戦闘モードに入って、敵がいなくなるまで続ける。小型と中型の敵なら、ほぼ一撃で仕留めていく様から《死神》なんて呼ばれてる」


「ま、あくまで一部のやつらに、だぞ?」


「なんか、めっちゃイカしてるんですけど……。もしかして、先輩方にも二つ名みたいなあだ名があるんです?」


「俺にはないが、あだ名がつけられているのは三年の先輩方だけだ。《英雄のシバ》、《覇者の大瑚(だいご)》」


「へぇー、英雄とか覇者とかヤバかっこいいですね。てか、なんで英雄に覇者なんです?」


「二人の戦い方が正反対だからだ。シバさん――柴山(しばやま)泰樹(たいき)さんは、相当な戦闘能力を持つだけでなく、味方を引っ張って戦うリーダー。一方大瑚さん――広瀬(ひろせ)大瑚さんは、己の力だけで小型に中型、果ては大型まで倒しきる圧倒的で純粋な強者だ」


「じゃ、じゃあ、颯希さんは?」


 弁舌を振るう剣佑に、悠奈が好奇に目を輝かせて尋ねる。


「|《アマゾネス颯希》――いだッ」


 すかさず颯希が剣佑の頭を容赦なくグーで殴った。先ほど悠奈に向けた笑顔や、不敵な笑みとはかけ離れた、狂瀾怒濤(きょうらんどとう)といった様子を見せている。


「うっせぇ! 誰だ、アマゾネスとか言った奴! マジでしばくぞ! ――ったく、いつまで時間かけてんだよ、お前ぇらはとっととグラウンドに行きやがれ!」


 颯希は蹴りつけるような素振りで、剣佑と陽向に向かってけしかける。そして怒りに顔をひきつらせたまま、無理矢理に笑顔を繕って悠奈に向くと、なるべく優しい力加減で肩に手を置いた。


「よし、あたしらは屍霊術型を探すぞ。……それと、悠奈、さっき聞いたことは忘れろ、いいな?」


 颯希の二つ名を聞いた時点でポカーンと固まった悠奈だったが、颯希に肩を叩かれて我に返ると、こう答えた。


「え、あ、はい! 頑張ります!」

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