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#20 (八)「俺とヤろうぜェッ!」

 



     八




「ふぅんぬあああああッ!」


 三人がグラウンドの手前までたどり着いたとき、勇ましい叫び声とともにシンバルを思い切り打ちつけたような鋭く強烈な炸裂(さくれつ)音が鼓膜を震わせた。


「うわ……まだやり合ってる……」


 鬼人型(オーク)の増援の到来を知り、その迎撃にあたってから三十分ほど――湊輔(そうすけ)の体感的に――経過しているはずだが、依然として大瑚(だいご)、鬼人型のリーダー、悪魔型(バフォメット)の三者による闘争という舞踏が繰り広げられていた。


 三者とも勢いの衰えを見せることなく、迫る、斬る、殴る、突く、蹴る、防ぐ、(かわ)す、退く、()えるを満遍なく披露し合っている。加えて、大瑚も鬼人型のリーダーも上着を脱ぎ捨てて、徹底的に鍛え上げられた、引き締まる上半身の筋肉美をも露わにしている。


「はァーッはっはっは! いいぜェ、まだだ! もォッとだ! 来いよ! 来いよォ!」


 吠える大瑚の声は、叫喚(きょうかん)とも嬌声(きょうせい)とも思えるほどに様々な感情が入り混じっている。


 湊輔にはその姿が、己の(たか)ぶりが抑えられず、他の二者に向けて吐きつけ、押しつけ、なすりつけている、ただただ変質的な性癖を持つ異常者のように見えた。


 言わずもがな、湊輔同様に有紗(ありさ)耀大(ようだい)も、あの輪の中――いや、戦うことに色気づいているようなあの狂人にだけは断じて近づきたくないといった様子で、顔をしかめてグラウンドに巻き起こる旋風を眺めている。


 三人とはまた別で、戦いを見守る観客がいた。


 先ほどの増援の前に戦場に参じて、増えに増えて一一体となったものの、一気に七体も首をはねられたことで四体にまで激減した鬼人型たち。


 リーダー格の一体の雄姿を、残る三体の鬼人型は胸当を拳で打ちつけたり、無骨な剣を掲げたりしながら激励している。


 ふと、有紗が矢を一本、弓につがえて構える。だが、矢の(はず)を握ったまま弦を緩めて両腕を下ろした。


「……(いずみ)さん?」


 湊輔が声をかけると、有紗はため息をついて肩を落とす。


「ダメね。動きが速すぎるわ。射っても当たらないだろうけど、最悪、あの先輩に当てそうで……」


 落胆しながらも、有紗の(りん)とした眼差しは凄まじい速度で移ろう三者の攻防をしかと見据えている。


 弓は下ろしているが、()かけること自体を諦めたわけではない。限られた絶好の機会が訪れることを、耽々(たんたん)と待ち構えている。


「――させないわッ」


 やがてそのときがやってきた。


 有紗は咄嗟に矢をつがえ直し、背筋力を発揮して弦を力強く引き絞る。


 瞬時に狙いを定めては、渾身(こんしん)の一矢を射ち放った。その間、有紗の眼はひと時も標的から()れてはいない。


「「おぉッ!」」


 ほぼ同時、湊輔と耀大が思わず目を見張り、感嘆の声を上げた。


 口先に構えて、胸郭を膨らまし、めいっぱいに息を吸いこんでいるところで、同胞を呼び出す手元の骨の筒が砕け散る。突然の事態に、持ち主は一瞬の硬直を見せた。


「あーッはははははは! どーしたァ? あァ? どーしたんだよォ? ラッパなんか吹いてねェで、俺とヤろうぜェッ! ――なァ!」


 じっくりと舌で()めつけるような(なまめ)かしい声を上げながら、飛びかかりざまに大斧(おおおの)を振り下ろす大瑚の一撃を飛び退いて避ける。


 そして粉々になった角笛の破片と、そのずっと先にある矢が目に入り、なにが起きたのかを察した。


「オノレェ……ニンゲン……」


 矢じりとは真逆の方向に顔を動かして、角笛を砕いた張本人を見定めると、眉を寄せては湧き上がる激憤と怨恨(えんこん)を静かに吐き出した。


 今度は悪魔型の一閃(いっせん)が迫り、咄嗟(とっさ)に膝を折って体を反らせることで直撃を(まぬが)れる。


「グアァガ! ゴォ、ラウア!」


 (なた)が体の真上を通り過ぎるとすぐさま起き上がり、激励を送っている三体の鬼人型に向けて、指示を出すかのように吠えつける。


 リーダー格の意志が伝わったらしく、三体の鬼人型は一斉に駆け出した。もちろん、狙いは湊輔たち三人。剣を掲げ、巨体を揺らしながら急迫する。


「――む、どうやら有紗が角笛を壊したことに怒ったようじゃのぅ」


 耀大は左手を一瞥(いちべつ)した後、大盾を構え、迫る鬼人型たちを迎え撃つために動き出した。


 湊輔も左手に視線を落とす。親指と人差し指、中指の第二関節と第三関節の間に、それぞれ赤色、青色、黄色の細い帯が巻きついている。


 二菜(にな)攻勢(オフェンシブ)守勢(ディフェンシブ)強壮(エンデュランス)を持続させている証だ。顔を上げながら先を行く耀大を追うように駆けだす。


 まもなく耀大と鬼人型たちが衝突するというところで、射線を確保するための位置取りに動いていた有紗が射かける。狙いは向かって後方左側を走る一体。


 腹直筋が浮かぶ腹部の側面に矢が直撃し、鬼人型は駆ける体の勢いを失う。そこへ矢継ぎ早に二本の矢が襲いかかり、右足の太ももとふくらはぎを打ち抜かれたことで、(たま)らず右ひざから崩れ落ちてしまった。


 残る二体が仲間の異変に気づいて一瞬有紗を見やったが、まもなく耀大が大盾を突き出して激突してきた。気が()れたことと、重量感ある耀大の体から放たれた突進が相まって、二体は踏ん張ることができずに体を大きくよろめかす。


 そこで耀大の陰から湊輔が躍り出た。強壮で活性化した瞬発力を発揮し、体勢を崩した一体へと肉薄する。


「らああッ!」


 湊輔が放った一閃が鬼人型の左太ももを深々と(えぐ)る。


 ――まだ行ける、やれ!


 同じ部位に、今度は破突(ペネトレイト)で切っ先を突き刺し、右に左にと動かす抉牙(バイト)で傷口を広げて引き抜く。


 鬼人型が左腕を振り払ってきたが、引き抜いたときの勢いを利用して後退し、直撃を免れる。


「うああッ!」


 湊輔の猛攻はそこで終わらなかった。鬼人型が左腕を振りぬいた途端、一気に踏み込み、肩に担ぐように構えた剣を勢いよく振り下ろす。断甲刃(ブレイクスラッシュ)が隆々とした僧帽筋を捉え、屈強な体を左半身から沈ませた。


「そぉれッ!」


 さらに仲間が襲撃されたことで注意が散漫(さんまん)した先頭の鬼人型。よそ見をしたところに耀大のメイスが顔面めがけて差し迫る。気づいたときには頭蓋(ずがい)が砕けるほどの衝撃を味わっていた。


「おォい、待ちやがれ!」


 大瑚の怒号が上がった途端、湊輔は体を強張らせた。得体の知れない不快感が全身を()う感覚を覚える。視界を動かすと、先ほどまで大瑚と悪魔型と交戦していた鬼人型のリーダーが三人に向かって走り寄っている。その体と敵意が向く先には有紗がいた。


「有紗ッ!」


 湊輔は思わず駆け出し、歯牙を剥き出しに襲いかかる敵の直線状へと躍り出た。


 鬼人型のリーダーは駆ける勢いを落とし、突然進行方向に進入してきた湊輔めがけて得物を()ぎ払う。


「――ぐうぅッ!」


 その一撃を、湊輔は両腕の前腕を交差させて――左腕を前面にして――防いだ。だが、湊輔は金剛躯(アダマント)を持ち得ていない。


 たとえ二菜の守勢で体の防御力・耐久力が高まっているとはいえ、直撃した左腕には激痛が走り、顔をゆがめて苦悶(くもん)の声を漏らす。


「ううぅぅ……あぁ……」


 堪らず剣を手から離し、左の前腕に右手を添えながら背中から倒れ込む。


「ヨワイ……ナラ、マエ、デルナ」


 さらなる追撃をしようとはせず、湊輔に侮蔑(ぶべつ)の言葉を送ると、鬼人型のリーダーは再び有紗を見据え、動き出す。


「させんわぁッ!」


 今度は耀大が大盾を構えて直線状に立ちふさがった。


「ジャマ――ダッ」


 一気に勢いを増して耀大に肉薄すると、渾身の突きを大盾めがけて突き出す。


 それに合わせて、耀大もまた大盾を突き出した。得意技とする反衝(リジェクト)だ。ギィンと金属の衝突音が響く。


「ムゥン!」


 だが、鬼人型のリーダーの体勢は崩れていない。右足を軸に体を左に反転させて、左足による回し蹴りを放つ。


 ただの蹴りとは思えないほどの衝撃が大盾から全身へと伝わるが、耀大は体勢こそ崩すことはなかった。だが、わずかに後ろに押し退けられている。


 さらに鬼人型のリーダーの三段突きが繰り出された。一発一発に重みを宿し、またも大盾を握る耀大の腕から全身へと衝撃という電流がほとばしる。


「有紗ぁ! わしの後ろから外れるなぁ!」


 通常の鬼人型との戦い同様に、射線を確保するために耀大の背後から外れれば、途端に攻撃をやめて有紗に襲いかかるだろう。


 今こうやって完全に耀大の陰にいることで、有紗に迫る危機を先延ばしにできている。


 とはいえ、この状況は言わば嵐にさらされる木々。強風にあおられて、いつ根元から倒れてもおかしくはない。


「むぅ、どうしようも、ない、のぅ!」


 得意とする反衝が通じないどころか、初撃以降鬼人型のリーダーの猛攻は一つの間隙(かんげき)を見せることはない。


 すべての動きが流れるようにつながっており、反撃だけでなく反衝を繰り出す余地すら与えないように、波濤(はとう)のごとく押し寄せる。


 耀大は防御を崩されないように大盾の持ち手を握り締め、支えるだけで精一杯だった。やがて立て続く猛攻によって腕がしびれ、大盾を握る手の力が抜けていく。


「……これは、本当にまずい、のぅ」


 背後を一瞥すると、有紗との距離が狭まっている。いつの間にか、それほど後退させられていたことに気づいた。状況としては背水の陣だが、決死の覚悟を持って攻め立てることができないのでは、まったくそうとも言えない。


「らああッ!」


 一瞬、嵐が止んだ。まるで中心が通りかかったかのように、徐々に強風が過ぎ去っていく余韻(よいん)を感じないほどに、ピタリと鬼人型のリーダーの猛攻が止まった。


 耀大が大盾をずらしてその先を見ると、隆々とした肉体美を見せつける上裸の腰に、湊輔が剣を突き刺していた。


「グゥ……ヨワイ、クルナ、イッタ――ダロッ」


 湊輔の横顔に灰色のたくましい腕による裏拳が(たた)き込まれ、上半身が弾かれた。だが、湊輔は剣を握る手を離すことなく、その場に踏みとどまっている。


「ぬうんッ!」


 注意が逸れた敵めがけて、耀大がメイスを振るう。重撃は顔面を捉え、剥き出した牙を打ち砕く。


「ヌオォ……」


 苦痛に(うな)りながら、鬼人型のリーダーは体を後ろによろめかせる。


 そこで湊輔は剣から手を離し、意識を遠のかせて再び崩れ落ちた。


 風を切る音が何度も立て続くとともに、鈍く短い音もまた立て続く。有紗が距離をとり、何度も矢をつがえては屈強な肉体めがけて射ち放っていた。


 鎧を脱いで上裸になったことが(あだ)となった。胸、腹、肩、上腕と様々な箇所に何本もの矢が突き刺さっている。


 鬼人型のリーダーは矢の勢いに押されたものの、後ろに飛び退いて、よろめく体を支えるように踏ん張る。荒い呼吸を繰り返しながら、耀大と有紗、そして倒れ込んでいる湊輔を見据えて、腰に刺さった剣を引き抜くと前方に投げ捨てた。


 耀大と有紗は、鬼人型のリーダーは(にら)み合い、膠着(こうちゃく)する。やがて、鬼人型が二人を指して沈黙を破った。


「……オマエラ、ヨワイ、ミアヤマ、タ。オマエラ、ツヨイ」


 胴体の前面に刺さる矢を次々と引き抜きながら言葉を紡ぎ、そして左腕で胸元を二、三度叩く。


「ドゥーガ。ナマエ、ドゥーガ。オマエラ、ナマエ、イエ」


 鬼人型のリーダーはドゥーガと名乗った。その姿は、打倒すべき敵、非現実的な存在であるにも関わらず、耀大にも有紗にも誇り高く生きる一種の人間のように見えた。


「わしは耀大、ヨーダイ、じゃ。――後ろにいるのは有紗、アリサ。それとお前さんに剣を突き刺した――そこに横になっとるのが、湊輔、ソースケ、じゃ」


「……ヨーダイ、アリサ、ソースケ。ヨーダイ、アリサ、ソースケ」


 ドゥーガは耀大が呼んだ名前を何度か復唱する。そして、耀大は今なおグラウンドの向こう側で悪魔型と戦う大瑚を指す。


「それと、お前さんがさっき戦っていた、あの斧を持った男。大瑚、ダイゴ、じゃ」


 ドゥーガは耀大が指す方向を一瞥して、また耀大へと顔を向けた。


「……アレ、チガウ、ニンゲン、ジャナイ」


「――ふっ、ははは、はっはっはっはっは! あぁ、ふ、ふは、だ、ダメじゃ、おかしくて、笑いが、ははは、笑いが、止まらんわッ! はははははッ!」


 (あき)れ果てたような、間抜けにも見える真顔でドゥーガが大瑚を人間否定したことに、耀大はメイスを持った手で腹を押さえて、笑い出した。


 後ろに控える有紗も、口を押さえながら(ほころ)びそうになる顔を必死に(こら)え、身を震わせている。


 突然耀大が笑い出したことに、ドゥーガは戸惑いながら呆然(ぼうぜん)とする。


「……ふぅ、こうして(しゃべ)る敵がいることに驚いとるが、それ以上に、敵と向かい合いながら笑うとは思わんかったわい。――さて、ドゥーガ、お前さんはかなり強い。それにどこかユーモアも感じる。少しばかり尊敬もしてしまったわい。じゃが、お前さんを倒さんとわしらの日常が戻らんでの。名残(なごり)惜しいが、決着、つけさせてもらうぞ?」


 耀大が得物を構え、緊張を走らせる。有紗もまた深呼吸をして体を落ち着かせると、矢をつがえてドゥーガに狙いを定めた。


「アァ、ゼンリョク、イク――ゾ!」


 剣を両手に持ち、歯牙を食いしばったドゥーガが先に動き出す。


「おおおおッ!」


 わずかに遅れて、耀大も突進する。互いの距離が詰まり、ドゥーガが横()ぎを放つと、耀大は剣めがけて大盾を突き出して、反衝を狙った。


 甲高い衝撃音が鳴り響き、両者の体が後ろによろめく。


 直後、踏みとどまったドゥーガめがけて有紗の矢が襲いかかる。ドゥーガは剣を払って矢を叩き落した。


 さらに耀大のメイスの一撃が差し迫り、すかさず得物をかざして受け止め、いなす。そこから逆袈裟(さかげさ)を見舞うが、耀大の大盾に阻まれた。そして大盾めがけて飛び蹴りを放つと、反動を利用して飛び退き、距離をとる。


 耀大とドゥーガは(にら)み合う。互いに得物と体勢を構え直し、ジリジリとすり足で少しずつ距離を詰めていく。


「――ふぅんぬああああああああッ!」


 そこへ、凶悪たる横槍が入ってきた。

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