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#11 (五)「おかえり」

 



     五




 当時は今住んでるとこより離れたとこのマンションに、俺と理桜(りお)とお袋の三人住んでてな。親父は外資系企業で働いてて、海外暮らしだからこっちには年に数回しか帰って来ねぇ。


 ある日、俺はかなりむしゃくしゃしててな。そうだな、確か、その日学校で同じクラスのやつ、三人くらいに馬鹿にされた。一言、二言くらいなら、さほど気にしちゃいなかった。けど、俺のそういうところが気に食わなかったんだろうな。そいつらは俺を(あお)りに煽った。しつこく、くどくどと、鬱陶しいくらいに。


 その日の授業が終わると掃除の時間があるんだけどよ、俺はその日の当番だった。


 担任は掃除の時間が終わるころに見に来るから、俺は他の三人と掃除をしてたんだが、そこでも例のやつらがちょっかいをかけて来やがった。


 一人がチョークの粉がついたままの黒板消しで、俺の頭を(たた)いたんだ。さすがにこれには頭に来てな、そいつに殴りかかった。殴ったらそいつ、すっ転びやがったよ。


 それを見た残りの二人が俺を押さえにかかってきたが、それを払いのけて、一人ずつ叩きのめした。別に自慢じゃねぇ。むしろ自慢になんかならねぇよ。


 当番の誰かが呼んだんだろうな。担任が教室に入ってくるなり、暴れる俺を三人から引き()がして、どっかの使ってない部屋に連れ込んだ。


 担任に「なにがあった?」って聞かれたから、掃除の時間のことだけじゃなく、その日あったことを全部話した。そしたら、「そうか、分かった。じゃあここで少し待ってろ」って言って、担任は出ていった。


 それからしばらく待っていたら、担任と、学年主任と、例の三人が来た。


 たぶん俺のところに来る前に、担任は三人となにか話したんだろうな。入ってくるなり、担任は三人に言ったんだ。「さぁ、泰樹に謝ろう」って。


 そいつらは素直に謝った。「ごめんなさい」って。それでも、俺の怒りは収まらなかった。


 次に担任は、俺にも謝れと言った。殴ったことを、叩きのめしたことを謝れって。


 俺はまたブチ切れた。気に食わなかった、納得できなかったんだろうな。一日――いや半日ほどか? 散々俺を馬鹿にして、挙句に俺の頭をチョークの粉まみれにして(はずかし)めたこいつらに、なんで俺が謝らないといけないのかってな。


 俺は怒鳴った。「ふざけんな!」ってな。三人と、二人の教師に向かって。それでその部屋を飛び出した。


 教室に戻ってランドセルをとって、そのまま昇降口に向かって、学校を出た。


 俺のお袋は元々体が弱くてな。当時は今より弱ってて、よく病院に通ってた。


 その日お袋は病院に行く日で、帰りは俺と理桜より遅くなるって言ってな。


 玄関のドアの鍵をしないままにするわけにもいかねぇし、ポストに入れとくわけにもいかなかったから、俺に鍵を預けて、理桜は俺と一緒に帰ることになってた。


 イライラしながら昇降口に行くと理桜が待ってた。理桜に声をかけられたが、俺は素っ気なく返事をして先を歩いた。


 いつもは理桜と並ぶように歩いてたが、その日はそうはしなかった。とにかくむしゃくしゃしてた。小五の俺と小一の理桜とじゃ歩幅が違う。いつもより早足で歩く俺を、理桜は必死についてきた。


 家に着いて中に入ってリビングに行くと、お袋が用意したクッキーが置かれてた。


 お袋は昔からクッキーを焼くのが好きで、動けるときはよくクッキーを焼いて、学校から帰ってきた俺らに食わせてくれた。


 形が色々あってな、毎回理桜と俺に「どれがいい?」って聞いて、欲しいのを選ぶと取り分けてくれてた。


 理桜もそれを真似したんだろうな。「お兄ちゃん、どれがいい?」って聞いてきたんだ。


 けど、俺はどれがいいかなんて、そのときは答えなかった。頭ん中がそれどころじゃなかった。


「うるせぇ、勝手に取ればいいだろ!」って、俺は理桜に怒鳴った。学校で例の三人と二人の教師に向かって怒鳴ったのと、同じように、だ。


 普段理桜は人に怒鳴られることなんて滅多に、いや、まったくなくてな。俺に怒鳴られたことに驚いて、怖がって、怒ったんだろうな。


「なんで理桜に怒るの!」って叫んで、泣きじゃくりながら家から飛び出したんだ。


 俺は理桜を追いかけもしないで、舌打ちして、部屋に入って、ベッドに横になってそのまま寝ちまった。


 そのうち、お袋の声で起こされた。それで、聞かれたんだ。「理桜はどうしたの?」って。


 俺は寝る前のことを思い出して、またイライラし出して、「知らねぇよ」って答えて、お袋に背を向けて、また横になったんだ。


 そっぽを向いた俺に、お袋が言ったんだ。「お願い、理桜を探してきて。泰樹、お兄ちゃんなんだから、お願い」って。


 そしたら不思議とイライラが収まった。俺と理桜はよくマンションの近くの公園で遊ぶことがあってな。たぶんそこだろうって思って、向かったんだ。


 いざ着いてみると、理桜の姿はねぇ。公園の中をどんだけ探しても、その近くを探し回っても、理桜はいなかった。


 小一の理桜がそんな遠くまでは行くわけねぇだろって考えて、俺は少し範囲を広げて歩き回った。でも、理桜は見つからなかった。


 そのうち日が暮れてきて、俺はいったんマンションに戻って、お袋に言ったんだ。いつも遊んでいる近所の公園に行ったこと、そこじゃ見つからなかったから、その近くを歩き回ったこと。それだけ探しても、理桜は見つからなかったことをな。


 そしたらお袋は、学校や理桜の友達の家に手当たり次第に電話をかけたんだ。一度家に帰ってきたけど、一人で外に出て、まだ帰ってきてないこと。誰か見てないかって。もし見かけたら、連絡くださいって。それから、親父にも連絡をした。


 俺はもう一度理桜を探してくるって言うと、お袋も一緒に行くことになった。俺とお袋は近所中を探して歩き回った。俺が探した範囲よりも、もっとずっと広い範囲をな。


 お袋は身体が弱いなりにも家で引きこもってるわけじゃなくてな。割と近所付き合いがよくて、知り合いが多かった。


 日が沈んで辺りが暗くなって、それでも俺たちは理桜を探して歩いた。そしたら家を出る前に電話した理桜の友達の親御さんと会って、色々話した。


 その人もお袋のことはよく知ってたし、お袋の結構疲れたような感じが見てとれたんだろうな。家に戻って警察に連絡したほうがいいって言われた。


 お袋はそう言われて(うなず)いて、しゃがんで俺と目線を合わせて「ごめんね。お母さん、だいぶ疲れちゃったから、一回家に帰ろっか」って言ったんだ。俺は渋々頷いた。


 家に戻るとお袋はさっそく電話で警察に連絡した。名前に歳、見た目、着ていた服、いなくなった時間、その他色々伝えてた。


 それが終わったら、夕飯を作りにかかった。どう見てもよろよろ、ふらふらしてたのに、結構無理してた。


 俺は、ただただリビングのソファで座っていることしかできなかった。座って、色々なことを考えた。


 あんだけ探して、これだけ時間が経ったのに、理桜は帰ってこない。もしかしたら、誘拐されたんじゃないかとか、事件に巻き込まれたとか、事故に遭ったとか、最悪なことばかり想像した。


 それから俺は後悔した。イライラしてたからって、なんも関係ない理桜に当たり散らしたことに。


 理桜が帰って来ないのは、いや、理桜が帰って来なかったら、それは全部俺のせいだって思った。そしたら、泣きたくなった。


 お袋は俺の後ろで夕飯を作ってるから、泣きそうな俺のことなんて見えてない。だから、泣くまいと(こら)えた。でも、堪えられなかった。


 目から涙がこぼれてくるし、鼻水も止まらない。音を出さないように鼻水をすすって、どうにか誤魔化そうとしたが、無理だった。


 俺はソファから離れて、自分の部屋に行った。電気なんか点けずに、お袋に聞こえないようにってベッドに突っ伏して、我慢していたものを一気に吐き出すように、泣き叫んだ。


 少ししたら、抱き起こされて、抱きしめられた。頭を()でられた。耳元で「大丈夫、大丈夫」って優しい声がした。


 もちろん、お袋さ。俺が泣くのを堪えてたことも、部屋で泣いてることも、分かってたんだろうよ。


 理桜が帰ってこないことの罪悪感とか責任感とか、お袋の優しさとか、色々相まって、もう泣くしかなかった。俺はただひたすら泣き叫んだ。


 いつの間にか、俺は眠ってた。目が覚めたら、朝になってた。


 学校は休みじゃなかったが、お袋が学校に連絡して、俺を休ませた。


 目を覚まして部屋を出てきた俺に、お袋はいつも通りご飯をつくってくれた。つっても、前日の夜に俺が食いそびれたもんだけどな。「今日は学校行かなくていいよ。理桜が無事に帰ってくるのを、お母さんと一緒に待ってよっか」って言った。


 俺はまた罪悪感に駆られた。普段通りに振る舞うお袋を見て、すごく申し訳なくなった。それから俺は思い出した。前の日に学校で暴れたことを。


 けど、お袋はそれについてなにも言わなかった。俺は担任からまだなにも聞いてないんだろうなって思った。


 実際は、お袋はもう知ってたんだ。


 担任は俺が学校を出た後、お袋のケータイに電話したらしいんだが、あいにくお袋は病院の中で、電源を切っていた。


 お袋が病院を出た後、電源を入れ直したら学校から着信があったことに気づいて、かけ直して事情を知った。


 そして家に帰ってみれば理桜がいない。ランドセルがあるのに、家の中にいない。でも、俺がいる。俺のことよりも理桜のことが気にかかったお袋は、俺が学校で暴れたことを聞くよりも、理桜を探してくることを優先したんだ。


 俺が朝飯食って、少し経ったころ、電話が鳴ったからお袋が出た。電話の相手と少し話したら、「理桜、見つかったって! 無事だって!」って俺に言った。それからまた電話の相手と話しながらメモを書いて、電話を切った。メモは理桜がいる場所のことだったんだろうよ。「一緒に理桜を迎えに行こう」って言ったんだ。


 俺は黙って頷いて、黙ってお袋と一緒に理桜を迎えに行った。


 理桜が見つかったのは少し離れたところの町で、交番で保護されてた。だから俺とお袋は車で向かった。


 向かった先の交番で理桜を引き取ったが、俺は理桜に声をかけるどころか目も合わせられなかった。なんて言えば、なんて声をかければいいか、理桜を見た途端頭が真っ白になって分からなくなった。


 帰りの車の中では、理桜が隣に座ってたが、やっぱり一言も言葉が出てこなかった。ただ黙ったまま、窓の外を向いて家に着くのを待った。


 家に着いたら、俺は逃げるように真っ先に自分の部屋に入って、ドアにもたれかかって座り込んだ。


 昼過ぎに、親父が帰って来た。玄関先でお袋と親父が話してるのが聞こえたんだ。


 それから親父が俺の部屋のドアをノックしてきたから、俺は立ち上がってドアを開けた。


 親父は俺と目が合うなり、俺を殴り飛ばした。平手で引っぱたいたんじゃねぇ、握り拳で、本気で、俺の横っ面を殴ったんだ。


 もちろん俺はすっ転んだ。前の日に、俺を黒板消しで叩いたやつみたく、俺はすっ転んだ。


 それから親父は俺の胸倉をつかんで、俺の頭に頭突きをするくらいの勢いで――いや、頭突きをしたんだ。頭突きして、俺の顔に親父が顔を近づけて、怒鳴った。「お前、兄貴のくせに、妹を危険に(さら)すような真似、してんじゃ――ねぇッ!」って、また頭突きを食らわした。


 俺の目つき、きついだろ? これ、親父譲りでよ。


 あの時の親父の怒った顔は今でも忘れねぇ。マジでビビった。理桜に対する罪悪感も相まって、また身体が震えた。震え上がった。また泣いた。また、泣き叫んだ。


 お袋が親父をなだめたから、俺はそれ以上痛い思いをすることはなかった。


 しかもな、しかもだ。理桜も一緒になって親父をなだめたんだ。「お父さん、お兄ちゃんは悪くないよ。悪いの、理桜だよ。だから叩かないで」って、親父にすがりついてた。


 さすがに理桜にそんなこと言われるとは思ってもみなかったんだろうな。親父は黙った。


 それから理桜が俺に近寄ってきて、言ったんだ。「ごめんね。理桜のせいで、ごめんね」って。


 なにもかも、俺が悪いのにな。その『ごめん』は、俺が真っ先に言う言葉だ。もちろん、理桜と再会した時点で、真っ先に言うべき言葉だったんだ。


 それなのに、先に理桜に言われちまった。理桜に言わせちまった。俺はまた、どう言葉をかければいいか、分からなくなって、理桜から目を逸らした。


 そしたら、親父が理桜と並ぶように、俺の前にしゃがんで、「泰樹、お前、理桜に『おかえり』って言ったか?」って、聞いてきた。


 俺はなぜだかハッとして、親父の顔を見た。


 親父は続けた。


「いいんだよ、『おかえり』で。理桜が無事に帰って来たんだ。どこも怪我もしてねぇだろ? だったら、『おかえり』って言えば、それでいいんだ」


 親父の言葉に、俺はまた泣きそうになった。けどよ、泣いてる場合じゃねぇ。俺は泣きたくなるのを必死に堪えて、言った。


「……おかえり」ってよ。


 でも、どうしてもそれだけで終わらせたくなかったから、続けた。


「ごめんな。イライラして、理桜にぶつけて、ごめんな」


 そしたら理桜は首を横に振ったんだ。それから、意外なことを言い出した。


「理桜、知ってたよ。お兄ちゃん、怒ってるの。……えっと、た、ただいまッ」


 知ってたんだ。小一のくせに、俺より四つも下のくせに、それでも、知ってたんだ。学校で俺になにかあったことを。


 それで、分かってて聞いたんだろうな。お袋が置いたクッキーのどれがいいか。


 いつも、お袋は理桜を優先してたんだ。欲しいクッキーを、先に理桜に選ばせてたんだ。


 あの日、理桜は俺の様子を見て、なにか察して、いつもは自分が先にクッキーを選んでるのを、先に俺の分を選ばせたんだ。


 俺は堪え切れなくなって、また泣いた。泣き叫んだ。


 理桜もつられたのか、同じように泣き出した。


 泣き続ける俺と理桜を、親父は黙って抱き寄せた。


 泣き止んで落ち着いた後、俺は一つ決心した。口には出さねぇで、誓った。


 自分がどんな状態にあっても、どんなにイライラしてても、どんなにつらくても、理桜にとって良い兄貴としていようってな。親父が言ってたように、妹を――理桜を、危険な目に、つらい目に、悲しい目に合わせない兄貴でいようって、い続けようってな。

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