スローライフを選んだ俺に訪れた奇跡の一日
東京の外資系証券会社に務めていた俺が、高額年収と彼女に別れを告げて、この町へ来たのは、都会のスピードに疲れたからだった…
この町に流れ着いて一週間。稼いで貯めた金で暫くは何をする訳でもない日々を送るつもりだ…
今日も[喫茶 ダンジョン]で、誰に見せる訳でもない小説の構想を練る事にした。。。
♪カランコロン
「いらっしゃい!どうぞ、お好きな席に」
外が見える席に座ってスマホを開いた。
♪カランコロン
暫くすると、男性が入ってきた。
「ミッちゃん、由香ちゃん。聞いてよ〜」
「どうしたの?」
「娘のラジオ番組が今月で終了だって〜」
「えー!それじゃ、娘さんの声聞けなくなるの?」
「そうなんだけど…ただ、東京で新しい番組は決まったみたいで…でも、ここじゃ聞けねぇし…」
長いこと沈黙が続き、俺は黙っていられず…
「『radiko』ダウンロードすれば聴けますよ…」
「えっ?」
全員が同時に俺を見て固まっていた。
俺は、男性客のスマホにアプリをダウンロードしてあげた。
♪カランコロン
次に年の離れたカップルが入って来た。
カップルは、店の奥に腰掛けた。
暫く会話を続けていたが、男性が急に立ち上がり…
「佳奈。年の離れた俺だけど、結婚してくれ!」
突然プロポーズをした。
彼女は驚き、照れ臭そうに店内を見回して、小さな声で…
「はい。」と、彼が差し出した指輪を受け取った。
店内から拍手が起こって、二人は照れ笑いを浮かべていた。
♪カランコロン
「いらっ…おっ!久しぶり!」
「ご無沙汰です。」
「あれ?今日は3人?」
「ハハッ、今日は3人で!」
男性3人は、テーブルに座った。
「舞子の結婚の件なんだけどさ…」
「えーーーっ!」
水を届けに来ていたマスターが、突然驚きの声をあげた。
「何?舞子ちゃん、結婚するの?」
「そうなんですよマスター。それもアメリカ人と…」
「ホント?俺は、3人の誰かと結婚するのか思ってた!」
3人は苦笑いした。
「それで今日は、結婚パーティーの計画を…」
「そんじゃ、ココでやってよ!料理も提供するから!」
「マジ?」
「当たり前だよ!4人が学生の頃、その席で勉強会してたのが懐かしいなぁ〜」
♪カランコロン
不意に扉が開き…別れたはずの彼女が入って来た。
「やっと見つけた!」
「恵?なんで?」
「『都会での生活が嫌になって…』とか、勝手に別れのLINE送って来てさ!はぁ?私も嫌だったのよ!」
「えっ?」
「自分だけスローライフなんてズルい!」
「だって、アパレルの…」
「もういいの!それより、お腹の子と3人で…」
「えーーーっ!?」
俺は頭が真っ白になった…
「小説でも何でも書いて、印税で私にもスローライフさせてよね!」
恵は、冗談ぽく笑ってみせた。
恵とお腹の子を抱きしめた俺を、祝福の拍手が包み込んでいた。
…だから『なろうラジオ大賞』に投稿してみた。
俺を乗せたタクシーが駅前で止まった。
「はい。じゃあ、気をつけて!」
「ありがとうございました。いくらですか?」
「今日はいいよ。どうせ駅まで戻ってくる所だったから。それに、radikoのお陰で娘のラジオが聴けて、こっちこそ礼が言いたいくらいだから!」
「すみません。それじゃお言葉に甘えて…」
「それより、こんな小さな町から直木賞作家が出るなんてなぁ〜!頑張れよ先生!(笑)」
「ハハッ…ありがとうございます。」
この町に移り住み2年。
東京に全てを捨て、何も持たず降り立った駅に、俺は再び戻って来た。
今度は、夢を叶えた一冊の『小説』を手にして…