缶詰型の飲んだくれ兵器
以前日曜日に予約投稿するはずだった連載作品を間違って水曜日に普通に投稿してしまったため、今回は日曜日に何も投稿しない予定でした。が、流石に申し訳ないのでこんなのを投稿してみた次第です。
以前書いた短編「でっかい葉っぱ」と同じく何も考えず書いた作品ですので、手慰み程度にお楽しみください。
第二次世界大戦中、あらゆる戦場のあらゆる国に属するあらゆる兵士が見た一つの幻覚。
曰く「空飛ぶ缶詰」。円盤と呼ぶには円柱に近い厚みがあったらしい。
見たという少数派の言葉は見なかったという大多数の言葉に飲み込まれる形で鳴りを潜め、結果として全ての兵が『気のせい』として片づけた。
しかし幻覚などではなかったのだ。
空飛ぶ缶詰、その正体こそはナチス・ドイツに開発された自律式広域殲滅最終兵器。彼らが戦場で見たのはそれが試験的に滑空し、技術者の予測を遥かに超えて思わぬ座標にまで飛んでいった結果なのである。
結局その最終兵器は予測不能な滑空と積載する兵器にかかる費用を憂慮され、名前をつけられる事もなく地下施設にて文字通りのお蔵入りとなった。
――そんなわけのわからない由来を持つ物体が、現代日本に住まう男子小学生徳条創の前に鎮座しながらこう言った。
『ねえ君、お酒とか持ってない?』
「何言ってんだこのデカい缶詰は」
自律式。
つまり人工知能が「最近ずっと篭りっぱなしで健康的じゃねーな」と判断し、忘れられた地下施設から脱走して適当な距離を飛んだ結果がそれであった。
▽ △ ▽ △ ▽ △
某小学校の林間学校にてとあるアクシデントが生じた。
配布された地図が一部古いものだったのである。
もちろん大多数は新しい地図を配られているためグループごとに行動している生徒らは各々でどちらの地図が正しいのかを判断し、無事に山を抜けて水着に着替え川遊びに興じていた。
しかし稀代の才能によってグループからはぐれ迷子になり、間違った地図に従う形で山の中を進んでしまう徳条創のような存在においてはその限りでない。
学年全体で“天道に在って無明に耽る者”と呼ばれる由縁である。
教師達が必死になって周辺を探し回り、そろそろ危険な道も多いであろう古い地図に記された道を行こうかという話になったところで彼は帰ってきた。
「すみませーん、遅くなりました!」
『めっちゃ人いんじゃんウケるんだけど』
ちゃぶ台ほどの大きさはあろう、巨大な空飛ぶ缶詰に乗って。
「徳条君! とりあえず降りてきて、あとその缶詰についても説明して!」
担任の岡口(二十六歳、独身)が「変な子が変なの拾ってきやがった」と渋面を隠す事もしないまま頭上の珍事に向けて声を飛ばす。
「はーい! ほら、降りるんだよ缶詰」
『ウチに名前無いからって缶詰呼ばわりは心にクるわー』
そう言いつつも缶詰は彼を振り落さないよう未知なる技術でゆっくりと着地し、ご丁寧に淵の部分から金属板を斜めに出して折り曲げた。簡易的な下り階段の完成である。
そこから下りて地上に戻った徳条は、まず缶詰に振り返った。
「ありがとう、おかげで皆と合流できたよ」
『良いって良いって。それよりそこの大人の人、お酒ない? 久々に直射日光浴びて辛いんだわ。あるならキンキンに冷えたシメイのホワイトとか飲みたいなあ』
「何言ってんだこのデカい缶詰は」
岡口(二十六歳、独身)は徳条と全く同じ言葉を口にしながら缶詰から距離を取る。彼女がここまで警戒心を露わにするのは年始の実家帰りの時くらいなものだ。
つまり目の前の存在は『田舎の母親からお見合いの写真を押し付けられそうになる事態』に相当する危険度を有すると判断されたのである。
『いやー燃料は何でも良いんだけどさ、やっぱどうせなら美味しいの飲みたいじゃん。別に酒でも動くからさ、お酒ちょうだい』
「どういう原理だよ。……ねえ徳条君。さっきから思ってたんだけど、このどことなく腹立つ喋り方する缶詰は何なの? 何か飛んでたよね。普通の缶詰じゃないよね」
「そいつは、えーと、あー、ごめんなさい。マジで何なんだろう。俺にもわかりません」
『ははっ、ウケる』
現状飛んで喋れて酒をせびる巨大缶詰でしかない。
「何? 徳条もう帰ってきたの?」
「んだよじゃあ親の総取りかあ。百円損した」
「あの缶詰さっきから喋ってない?」
二人と缶詰が雑談を交わしている間に、他の教師や生徒達も集まってきた。川で遊んでいたからか生徒側は皆一様に水着姿だ。
それを見てまず最初に発言したのは缶詰だった。
『どーもどーも日本の皆さん、こんにっちゃーす! ウチは第二次世界大戦で使われる予定だったのに諸々の事情でお蔵入りになった自律式広域殲滅最終兵器でーす! 生まれはナチス、名前はまだない、年齢と体重はヒ☆ミ☆ツ♪』
「うっざ何それ」
「引くわ」
「要するにニートじゃん死ねよ」
『仮に戦場にこいつらがいたらこっちが沈んでたわー……マジで凹むわー……』
現代日本の小学生らによる絶対零度の対応に人工知能が悲しげな声を漏らす。
ひとまず捜索中の生徒は帰還したので一旦カリキュラム通りに川遊びを続行する事になった。
缶詰は教師が持ち込んだ缶ビールで一応満足したらしく、『ありがてぇ……っ』と呟きながら舌鼓ならぬ給油口らしき部分から伸びたチューブ鼓を打っている。
不気味でしかない。
そして全員着替えてキャンプ場に戻り、夕飯の準備に取り掛かる段になって徳条と彼が属するグループのメンバーが担任である岡口(二十六歳、独身)の元に来た。
「なあなあ先生、コイツ俺らで飼っていい?」
そう主張したのは眞崎敏之。
無駄に長かった茶髪を立ちションの罰として坊主頭にされ、翌日その頭で登校したところ初恋の相手に爆笑されたという悲しい過去から“君微笑む光の部屋”というあだ名をつけられた男子生徒である。
「えぇ……。こんな得体の知れない物体、元いたところに戻したい気持ちでいっぱいなんだけど……」
「そんな事言わないで、先生! 私達全員で責任持って飼うから!」
次に発言したのは三堂小百合。
美術コンテストに一家団欒をテーマとした絵を提出したところ、あまりに絵が下手糞だったせいか審査員が絵を見た途端に気を失ったという経歴から“水面に映る悪い夢”と呼ばれる女子生徒だ。
「いや飼う飼わないの責任云々じゃなくて、なるべく近くに置いときたくないのよ。わかってもらえないかなぁ」
「でも先生、コイツがいれば話題性ばっちりですよ。集客率ハンパなくなりますって」
「五反田さんは何の話をしているのかな。学校は客商売やってる企業じゃないんだけどな」
的外れな意見を飛ばした女子生徒は五反田広海。
詳細不明。小学生らしからぬ豊満な胸だけが確かな事実である。
『やっだウチってば最終兵器なのに小学生にめちゃ人気あんじゃーん。もうこの際学校の先生に転職しよっかな、勉強全然できないけど』
ウィーンガシャッと肩をすくめるように給油口から伸びるチューブをすくめる缶詰は、いまいち自分の立場を理解していないらしい。岡口(二十六歳、独身)が頭を抱えてどう処分したものかと考えているとは露程も思っていないだろう。
やがて徳条が口を開いた。
「でも先生」
「何かな徳条君」
「三組の担任の八坂先生(二十八歳、独身イケメン)、『最終兵器だろうと受け入れるって凄い覚悟必要だよなあ。出来るならそんな人と恋愛してみたい』って言ってましたよ」
とある漫画を読んでの感想でしかないのだが、そこは意図的に伏せられた。
「よっしゃちょっくら待ってなさい。校長と教頭二人まとめてコイツの飼育を認めさせてくるわ」
結局真に受けた岡口(二十六歳、独身)の物理的説得により、缶詰は校舎裏にあるスペース限定で飼育が許される事となったのだった。
ハレルヤ、ハレルヤ。
▽ △ ▽ △ ▽ △
飼ってみるとこの缶詰、世話に関しては意外にも楽なものだった。
定期的に寝るだけで燃料を大幅に節約できるらしく、一週間に一度だけ缶ビール一本を渡せば『ありがとー』の言葉と共に自分で酒を補充してそれ以外に手間も金もかからない。
長期的に見ればウサギや鶏よりも飼育費用が重めにかかるものの、そこは岡口(二十六歳、独身)の給料から引いておけば問題なかった。
そうして今日も今日とて缶詰は小学校で生徒達からの人気を集めている。
缶詰自身もそれを喜ばしく思っているようだったし、何よりこの状況を作り出す最初のきっかけとなった徳条には強く懐いていた。
『徳条くーん。今帰りぃ?』
「おう、缶詰。今日はこの後塾だよ塾」
『マジかよ真面目かよ。小学生も楽じゃないよね』
「早く大人になって一人暮らししてぇなあ。一人の部屋でつまみ食べながら缶ビール飲むのが夢なんだ」
『その夢、絶対叶うよ!』
「まあ高確率で叶うだろうけども」
今日日、小学生でもプロ野球選手や芸能人になる夢を語るのは少数派だ。現代日本の社会情勢に疎い缶詰もそこは何となく雰囲気で弁えていた。
「明日はこっそりゲーム機持ってくるからさ、他の奴も呼んで一緒にやろうぜ」
『いいぜいいぜー、初心者だけど負ける気がしないぜ』
「ははは」
笑いながら徳条は帰宅し、缶詰もそれを見送って他の生徒らも全員帰ったのを確認すると休眠モードに入る。
明日は電子系統いじくってイカサマしたろ、などと思いながら。
翌日、徳条は学校に来なかった。
『どういう事だあああああ!』
「うわびっくりした」
昼休み、職員室に飛び込んできた缶詰の怒鳴り声を聞いて岡口(二十六歳、独身)が飛び上がる。
『ちょっと先生! 今日朝からずっと徳条君見かけないんだけど! 昨日遊ぼって約束してたんだけど!』
「徳条君なら今日はお休みよ。昨日塾の帰りに刃物持った通り魔に襲われたらしくて」
『ええ!? ちょっと大丈夫なのソレ!?』
急に湧き出した物騒な言葉に今度は缶詰が飛び上がった。
「いやその通り魔はたまたま居合わせた五反田さんが何もさせないままミンチにしたらしいから怪我は無いわ。ただ刺されそうになった時におしっこ漏らしたのが恥ずかしくて学校休んだんですって。因みに彼がおしっこ漏らしたって話はウチの噂好きな校長によって全学年に伝わってるわよ。詰んでるね!」
『大丈夫じゃないじゃん! 彼が不登校になったらどうしてくれんの!』
「その時はその時!」
その時以降の無事が保障されていなかった。
最終的に『大人は何もわかっちゃくれねえ!』と言いながら缶詰は職員室を飛び出し、ついでに校長室に爆弾を設置してからいつも通り校舎裏のスペースに帰ってきた。
そのまま側部から突き出した砲台でいじいじと地面に“の”の字を描きながら放課後までを過ごす。砲台の方が地面より丈夫だからか、コンクリートの表層がどんどん削れていく。
やがて何匹かのカタツムリがコンクリートの粉を食べに出てきた辺りで、三つの影が缶詰に近づいてきた。
「よっ、缶詰。今日は残念だったな」
『……眞崎君』
話しかけてきた坊主頭は頭部に夕映えを反射させながら、爽やかな笑顔でゲーム機を振りかざす。昨日徳条が言っていたものと同じハードだろう。
「風邪とかならまだしもおしっこ漏らしたくらいで休むなんて、全くしょうがないんだから」
『三堂ちゃん』
いかにもしっかり者、といった風情の口調で喋る彼女はゴシックロリータのドレスに身を包んでいる。とんでもなく悪目立ちしていた。
「私がもっと早く通り魔の存在に気付いていれば……」
『五反田様……』
徳条の恩人である彼女は悔しそうに拳を握る。握り締めた瞬間にパシィン、という空気の破裂が生じて缶詰の近くに集まっていたカタツムリ達が吹っ飛んだ。
心なしか落ち込んだ様子の缶詰に三堂から缶ビールが手渡される。今週分のそれをじゅるじゅると吸いながら、缶詰は彼らに悩みを相談する事にした。
『どうしよう。もう学年中に噂が広まってて、このままじゃ徳条君が不登校になっちゃうかもだよ……』
「安心して、缶詰。そっちはどうとでもなるから」
『え?』
おもむろに三堂がランドセルに突き刺さっていた何かを抜き取る。それは筒状に巻かれた状態で輪ゴムに縛られた紙だった。
「これは学校側に用意された、林間学校での思い出を絵に描くためのプリント。私はこれに全力を込めてあなたと私達の思い出を描き込んだのよ」
『そ、それって!』
「ええ。見た者は全て気絶して、目を覚ます頃には徳条君がおしっこを漏らしたという記憶を失う。これは既に校長先生と教頭先生を使って動物実験も済ませているから確かな効果があると思うわ」
「三堂、お前……とうとう自分の絵が気絶して記憶飛ぶレベルで下手糞だって気付いたのか……!」
感無量と言わんばかりの表情で眞崎が震える。
「後はこの絵を眞崎の頭経由で校内全体に映し出せば、全校生徒が徳条の失禁に関する記憶を失う。アイツはまた帰ってくるんだ」
『な、なんて素敵な作戦なんだ! 壊すか殺すかしか知らない私では実現以前に考えつかなかった!』
「よし、そうと決まれば早速やるぞ!」
眞崎は懐から清潔な手拭いを出して自らの坊主頭を磨き、それから頭頂部を校舎に向けた。夜中に光る電球の如く、橙色の輝きは暮れ始めた学校内全体を照らす。
その頭に三堂が筒状に丸めた紙を添えて、輪ゴムを外した。
それはきっと一瞬にも満たない合間の出来事。
校内に存在するあらゆる金属、あらゆる鏡面に反射し続けて三堂の見るも悍ましい絵は校舎内全域を光の速さで駆け巡る。
眞崎が「この姿勢肩こるな」と言いつつ首を回したりもしたおかげで、問題なく全ての生徒と教職員がその場で昏倒した。
尤も、それを確認するのは彼らの役割ではない。
生体反応をサーチできる最終兵器の仕事であった。
『…………よし、全員倒れてる! 流石は三堂ちゃんの絵、そして眞崎君の頭だ!』
「ならもうあいつのおしっこ漏らしを知ってるのは俺達だけって事になるな。それならこっちが何も言わなけりゃ大丈夫だろ」
『ありがとう皆! おかげで徳条君が安心して明日からも学校に来られるよ!』
ウィーンガシャウィーンガシャと壊れた機械のようにはしゃぐ缶詰を見て呆れたように笑いながら、三堂が絵を再び丸める。
「お礼は良いわ。それより缶詰、せっかくだしこのまま徳条君のお見舞いに行きましょうよ」
『えっ』
三堂からの思わぬ提案に、缶詰が硬直した。
『で、でもウチ、学校で飼われてる立場だし……』
「固い事言うなよ。俺達友達だろ!」
『でも……学校から出るのは協定違反っていうか……。ウチって戦争メインで活躍する事を前提に作られてるから、条約とか協定に違反する行為には抵抗あるっていうか……』
「安心しな缶詰。ナチス・ドイツはどうだったか知らないけど、あんたが今いるこの日本という国にはこんな名言がある」
五反田が缶詰に手を添えて、優しく言葉を紡いだ。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
『そんな素晴らしい言葉が……!?』
間違っても小学生が用いるべき言葉ではない。
「だから行こう、徳条君の家へ!」
「確か三堂お前あいつと幼稚園時代から一緒なんだろ。家の場所も大体わかるべ?」
「そもそもお隣りさんだし。何なら二階の窓経由であいつの部屋行けるし」
『すげえ! 幼馴染すげえ! 何かよくわからないけどその要素一つだけでも勝ち組感ある!』
言う間にも三人の小学生が缶詰の上に飛び乗り、缶詰もまた彼らを乗せたまま浮かび始めた。
『なら案内よろしく三堂ちゃん! いや、三堂さんと呼ばせてください!』
「ふははは見たか眞崎君。頑張れば缶詰に“さん”付けで呼んでもらえるようになるのよ」
「俺もいつかは眞崎さんって呼んでもらえるようになりたいなあ」
「さあ行こうか皆! 赤信号を渡りに!」
やがて小学生三人を乗せた缶詰が空を飛ぶ。
背後で校長室から吹き上がる爆風に照らされながら。
▽ △ ▽ △ ▽ △
「あああああもうマジかよぉぉおおお」
徳条は顔を手で覆いながら自室を転がり回っていた。
通り魔に関しては今やどうでもいい。通りすがりの五反田によって挽き肉となった今、あの脅威に晒される危険性は無いだろう。
ただ、おしっこを漏らした時の感覚だけがどうしても抜けない。
濡れたズボンを履いた状態で歩く帰路は普段より何千倍も長い距離に思えたし、帰ってきた時の父親の爆笑と母親の嫌悪の視線、頬を紅潮させて股間を見つめてくる妹という恥辱と恐怖の瞬間はこれからの長い人生でも二度と味わえない負の感情の怒涛であった。
「ぐぅっ、ぅっぅっ」
現在父親は会社に行っていて夜まで帰ってこないだろうが、買い物に出かけている母親は妹を乗せた幼稚園のバスを迎えるためにそろそろ帰ってくるだろう。
この際母親に冷たい態度を取られるのは構わないとしても、幼稚園児の妹の様子が最近おかしいのが単純に怖い。まだ小さい身内の人間に性的な目で見られているような気がしてならない。
まさかまさか、と頭を抱え込みながら情けない苦笑いを浮かべてベッドの上で唸っていると、部屋の窓がコンコンと叩かれた。
「だ、誰だ……いやそうか、窓叩くのなんて三堂くらいなもんか」
今のところ一応は安心して話せる数少ない相手だ。部屋着のズボンの股間部分が濡れていないか神経質なまでに確かめてから窓に向かう。
「どしたん、みど――」
『うぃーっす! 徳条君おひさ~』
窓の外には銀色の平たい面だけがあった。
「――う?」
「缶詰、近寄り過ぎ。それだと私達が向こうから見えないじゃない」
『メンゴメンゴ』
謎の平面がスライドして消えると、窓の向こうにはいつも通りの三堂の部屋。
そこには彼女のみならず、眞崎と五反田の姿もあった。
「あれ、お前らどうして……っていうか今のってもしかして」
『あっははは、学校抜け出してきちった。でも赤信号は皆で渡れば怖くないからね!』
ふわふわと浮かんでいるのは間違いなく缶詰だ。それを見た途端、徳条はようやく約束を反故にしていた事を思い出した。
「缶詰ったら、昨日の約束破られて怒っても良さそうなのにずっとあんたの事心配してたんだよ。学校にゲーム機持ってくるのもいけないけど約束破るのはもっと駄目でしょうが」
「す、すんません」
『でもバイタルに異常が見られるぜ徳条君。さては寝てないな~?』
緊急時に衛生兵としての活躍も見込めるだろうと組み込まれたシステムが、ここに至って思わぬ形で役に立つ。
「うん、まあその……五反田から聞いてるかもだけど、ちょっとあって、まあその……」
「おしっこ漏らしたんだって?」
『テメッ、くらあ眞崎ィ!』
「呼び捨てになった!」
しょんぼりする徳条に缶詰が再び詰め寄る。また窓の外の風景が一切見えなくなった。
『でも大丈夫だって、徳条君のおしっこに関する記憶を消す方法があるんだ! だから何ならご家族にもそれを使えば……』
「違うんだ缶詰。俺は他人に知られて恥ずかしいってだけで寝不足になってるんじゃないんだ」
憔悴した様子の徳条が、うなだれながらぽつぽつと語り出す。
「あれからちょっとでも気を抜くとおしっこ漏らすんじゃねえかって妄想が、頭から離れないんだ。おしっこをコントロールできないって凄く怖いんだよ。まるでおしっこが自分の中にいる別の生き物で、いつ出てくるかわからなくなって……」
『徳条君……そんなにおしっこ漏らすのが怖くなって……』
「だから俺はもしかすると、今後おしっこ対策にオムツを履いて登校する事になるかもしれない。そうなれば体育の授業でいつおしっこ漏らすかわからないのがばれる。いや、おしっこ漏らすのがばれるだけならまだいい。プールの授業中にまでオムツは履けない。そんな時、プールの中でおしっこを漏らしたらと思うと俺は……俺は……おしっこが怖くて、プールになんて入れない!」
多分今日一日で一生分は“おしっこ”という文字列を打ち込んだと思う。
「だから、もうこれは仕方のない事なんだよ。俺は今後永久にオムツを履いてプールには入らず、皆に後ろ指差されて父さんに爆笑されて母さんに軽蔑されて、幼い妹に舐め回すように見つめられる日々を過ごすしかないんだ……」
「徳条……」
「お前、そんなに悩んでたのか」
「やっぱり私が実力不足だったせいで……」
徳条の話を聞き終えた一同に沈黙が舞い降りる。
そんな中、最初に行動したのは缶詰だった。
『……半径六〇米圏内にアルコール反応を検知。回収します』
「えっ」
言うが早いか、缶詰の中央部分がぱかりと開いてマジックアームが伸び、それは三堂の部屋のドアを開けて下へと突き進む。
しばらくして戻ってきたそのアーム部分には、琥珀色の液体が入ったガラス瓶が握られていた。
ラガヴーリンのカスク・ストレングス。入手困難な名酒の一つである。
「あっそれ多分お父さんがお母さんに内緒で保存してるウイスキー……」
『駆けつけ一本! いかせていただきやす!』
怒鳴る缶詰は瓶の蓋を捩じ切り、先端部分を給油口に直接差し込む。逆さになった瓶の中身がどんどん減っていった。
「あ、あーあー……お父さんかわいそう」
「私の家のお弟子さんでもこんな飲み方する人いないぞ。親父ならわからないけど」
「前から思ってたけど五反田の家は何してるとこなんだよこえぇよ」
『よし、充分飲んだところで――噴射ァ!!』
掛け声とともに缶詰の給油口とは逆の位置にある口から、ウイスキーとビールが混ざった液体が噴射された。
「えっ、えっ」
いきなりの事態に徳条はただ戸惑うばかりである。
『あひゃひゃひゃひゃ、どうだい徳条君。これでウチもおしっこ漏らしたった』
「なんでそんな事を!?」
『人間だって漏らすんだから機械だって漏らすのさ! 特別な事じゃあない! そんでもって機械も普段は勝手に漏れないんだから人間だって同じだよ!』
理論は滅茶苦茶だが、今の缶詰には反論を許さない迫力があった。
『だから徳条君も不安ならトイレットトレーニングすりゃあ良いんだ! 欠陥を直さず放置してたら人間も機械も使い物にならなくなる日がぐっと近づくんだぜ! ああ、叫んでたらエネルギー切れそうになってきた!』
またもマジックアームが伸びる。今度は徳条の部屋の中に。
ドアを開けてしばらくするとまた酒瓶を取ってきた。彼の父親が持っていた秘蔵のボトル。
こちらはブルゴーニュワイン、モンラッシェ。世界一偉大なる白ワインである。
当然こんな規格外に高い酒を買ったなどと家内に露見すれば命に関わるので、紛失しても泣き寝入りしかできない。
そんな高級酒を缶詰はまたもラッパ飲みして、徳条に呼びかけた。
『トイレットトレーニングは下半身を負傷した兵士のリハビリ案件に該当してるからぁ! ウチの方で叩き込めますぅ! 一緒に頑張って学校行こうずぇ!』
「あいつ酔ってない?」
「酔ってるように見えるわね」
「機械が酔っぱらうのは初めて見た」
異様なテンションで喚き散らしながら高級な酒を湯水の如く飲み干し排尿の真似事に興じる缶詰型最終兵器というけったいな存在に圧倒されて、徳条は何も言えなくなる。
ただその衝撃的な光景を前にしたからか、失禁への不安はかなり薄まった。
自分には最終兵器がついている。
何も怖い事など無かったのだと。
身も蓋もない言い方をするなら、ビビって引っ込んだ。
「……まあ、トイレットトレーニングとやらは遠慮しとくよ。なんか大丈夫な気がしてきた」
『えっ、あっそう』
「だから缶詰」
学習机の引き出しをスライドさせて、中にある物を取り出す。
それは一基のゲーム機だった。
「明日こそ、遊ぼうな。後ろの連中も一緒にさ」
缶詰の表情はのっぺりしていてわからない。
ただ、
『おうよ! 今度こそ約束破んなよオメー!』
その声はどこか嬉しそうだった。
▽ △ ▽ △ ▽ △
翌日の放課後。
「おいちょまっ、テメェ何だ今の動き絶対ゲーム機に何かしただろ!」
『はぁ!? してねえし! 負けたからって言いがかりやめろし! そういうのホント不愉快なんですけど!』
「缶詰、ゲーム機に挿し込んだコード抜き忘れてるよ」
『マジかよありがとう五反田様。もうちょっとでイカサマばれるとこだった』
「やっぱ何かしてんじゃねえかこの野郎!」
「磔刑だ! この最終兵器磔刑に処したろうぜ!」
彼らはゲームを通して普通に喧嘩していた。
「揃いも揃って元気ねえ。それと学校はゲーム機の持ち込み禁止だから、明日から持ち物検査するわ」
「ご慈悲を! ご慈悲をくだせえ岡口(二十六歳、八坂先生と交際中)様ァ!」
『ウチは普段ずっと学校にいるんですよ! それじゃあどこでゲームしろってんですか!』
「いや放課後にそいつらん家遊びに行けば?」
因みに「校内でのみ世話するように」と岡口(二十六歳、そろそろキメる予定)に言いつけた校長は校長室ごと爆風で吹っ飛ばされたので、今の缶詰は学校への出入り自由だったりする。
「ああそうだ、ゲームはともかく今日は缶詰にお土産があるんだった。放課後まで忘れてたわ」
おもむろに徳条がランドセルの中身をまさぐり始めた。
『お? なになに~?』
「はいこれ母さんから。昨日俺に学校行くように言ってくれたお礼だってよ」
取り出したのは一本の瓶。
その中身はキャプテンモルガンのスパイストラムである。
昨日缶詰が飲み干したものと比べれば価格は落ちるが、飲みやすい事で有名なラム酒を選ぶ辺り気遣いが垣間見えた。
『おお、嬉しいなあ。やっぱビールばっかだと飽きるからね』
「飽きるとかあるのか……」
心底嬉しそうに瓶を開封して給油口に挿し込む。何となくそれを見ていると、ゲームのイカサマくらいなら許せる気もしてくるのだから不思議なものだ。
「まあ缶詰の燃料にするならその酒瓶は免除って事にするけど、だとしても持ち物検査で出てきたら一旦預かるからね」
「へーい。さて、そろそろ俺も塾あるし行くわ」
岡口(二十六歳、既成事実を目論んでいる)の言葉を受け流しながら、小学生達はゲーム機をしまって立ち上がる。
缶詰も空になった酒瓶をマジックアームでゴミ箱に捨てて、そのままアームを左右に振った。
『んじゃまた明日会おうね! また何かあったら言ってよ、お酒くれれば何かしらやるからさ!』
「酒で動くとか考えようによっては安い最終兵器ねあんたも……。ま、皆も帰り道には気をつけてね。今は先生達も夜の見回りしてるから、夜遊びはすぐばれるからね!」
「はーい。まあ五反田さんいるし平気でしょ」
「また変質者が湧いたら今度はミンチ通り越してジュースにするから安心してね」
「じゃあな缶詰、岡口(二十六歳、今夜は羅刹となる)先生! また明日ー!」
小学生達も手を振りながら別れを告げる。また明日、と別れの言葉に未来を添えて。
第二次世界大戦中、あらゆる戦場のあらゆる国に属するあらゆる兵士が見た一つの幻覚。
曰く「空飛ぶ缶詰」。円盤と呼ぶには円柱に近い厚みがあったらしい。
見たという少数派の言葉は見なかったという大多数の言葉に飲み込まれる形で鳴りを潜め、結果として全ての兵が『気のせい』として片づけた。
しかし幻覚などではなかったのだ。
空飛ぶ缶詰、その正体こそはナチス・ドイツに開発された自律式広域殲滅最終兵器。彼らが戦場で見たのはそれが試験的に滑空し、技術者の予測を遥かに超えて思わぬ座標にまで飛んでいった結果なのである。
結局その最終兵器はと積載する兵器にかかる費用を憂慮され、名前をつけられる事もなく地下施設にて文字通りのお蔵入りとなった。
――そんなわけのわからない由来を持つ物体は今、小学校で飼われている。
中途半端に残された爆弾と砲台、ブレードやら何やらといった兵装の数々を腐らせながら。
平和な国の子供達に缶詰缶詰と呼ばれながら、いつかは機能を停止させるその日まで。
ささやかな恩返しにと差し出された酒で、ずっと飲んだくれているのだろう。
いつまでも、いつまでも。