08.一難去って、
「―――クラウン嬢は寮母からの依頼で張っていた結界に異常を感じ、現場へ駆けつけた。その際に教員たちへ事前の通達も行い、駆けつけた後に証拠となりうる魔力の残滓を保護。襲撃者が潜んでいることに気が付き、捕縛した。…間違いないか?」
「はい、殿下。間違いございません。」
数日ぶりに訪れた生徒会長室。エリスは前回と同じソファーに腰を下ろしていた。ステファンは執務机からエリスに事実確認を行い、キールとイルシュナーもそれぞれソファーに腰かけている。カルロスだけはステファンの脇で、影に雁字搦めにされながらも藻掻く三人を転がしていた。いつの間にかエリスの術にカルロスが術を上掛けしており、かなり複雑に影が絡み合っている。
エリスの証言をまとめて簡素に復唱したステファンに、エリスはしっかりと頷く。その瞬間に転がる影のうち一体が反論するかのように大きく身をよじったが、カルロスに圧を掛けられたために動きを止めた。
「些か捕縛する魔術が攻撃的となったこと、反省しております。ただ犯人と思しき者を逃すことも許されない、と思い…。」
仮に刺されるとすればこの点か、とエリスが先に反省の意を示せば、ステファンによってそれは一蹴された。
「貴殿を何かしらの難癖をつけ咎める気は毛頭ない。咄嗟に身を守る必要があったともなれば、正当防衛の範疇だ。イルシュナー殿はどう思う。」
「同意見ですね。むしろあの程度攻撃力のある術で正解です。三対一、それも相手は男性でクラウンさんはか弱き女性。どのように穿った見方をしたとしても、クラウンさんの非は認められないでしょう。」
「スタインシュイン殿。」
「イルシュナーに同意します。…ボクから言わせれば、あの場にいたのがエリス嬢以外の女子学生だった場合、無傷でいられなかったのでは?」
「同感だな。クラウン嬢がむしろサミュエル達を捕縛してくれて助かった。罪の上塗りは免れたのだからな。」
むしろエリスの行動は被害を最小限にとどめのだとステファンが太鼓判を押す。そこまでしてからステファンはおもむろに天井を仰いだ。
「憲兵を此処へ。それから王城へこの報告書を頼む。」
瞬間、とぷり、と薄灰色の靄のような魔力がステファンの脇に天井から落ちてくる。その靄にステファンはエリスに確認しつつ作成した急ぎの報告書を手渡した。靄は渡された報告書を内側に取り込むと、瞬きの間に姿を消した。
「残りは王城で取り調べか?」
「ああ、そうなる。伯爵家の嫡男の倫理観までもが問われる事態だ。学園の権限の範疇をも超えているし妥当だろう。」
「まあ、そうなるか。」
どうやら事前にある程度ステファンは王城、ひいては王に根回しを済ませていたらしい。恐らく先ほどの靄は、王族直下の影と呼ばれる部隊の者だろう。手伝ってくれと言われた割にはさして仕事のなかったエリスは、先刻サーブされたばかりの紅茶を一口飲みほっと息を吐き出した。
襲撃者である三人の関係は、エリスの読み通りだった。サミュエル・ダレル、ダレル伯爵家の長男であり次期当主と、その側近二人。ステファンとはクラスが同じで、最低限の面識はあったらしい。
「クラウン嬢には迷惑を掛けた。貴殿の働きには助かった。」
「殿下からねぎらっていただけるほどの働きはしておりません。ただわたくしは、務めを果たしたまでです。」
「そうか。だが、礼を言う。」
「…光栄です。」
どこからともなく現れた憲兵は、ステファンの作成した報告書の中身をある程度把握していたらしい。あっという間にサミュエル・ダレル一行を連行し、去り際にエリスに敬礼までして見せた。
三人が消え、静かになった室内で、エリスは一人居心地悪く居住まいを正した。エリスからすれば当たり前のことをやったまでで、それに対して王族から笑顔で礼を言われるようなことではないと考えていたためだ。だがエリスの居心地を悪くする原因であるステファンは、何が楽しいのか、これまでになくにこやかだ。
「…ああ、そうだ。」
どうしたものか、と若干胃を痛めながら紅茶を飲む以外の逃げ道がなかったエリスに、カルロスがそういえば、と声を上げる。
「エリス嬢、よくわからんが俺はステファン殿下の学友となったらしい。」
「…はい?」
唐突な、しかも突拍子もないカルロスの言葉にエリスは思わず目を丸くする。あまりの脈絡のなさに、思わず胃痛も忘れた。
「…カルロスくん、補足していいかい?殿下も。」
「もちろんだ、スタインシュイン殿。ああ、先ほどはイルシュナー殿もそうだが、目上のお二人に敬称もつけず失礼した。」
「いえ、あの場でしたから。」
カルロスは言葉足らずで仕方ない、とキールがこめかみに手を当てつつ、そっと申し出る。これまたにこやかなステファンに話の腰を折られ、キールは苦笑を浮かべていた。おそらく先ほど、とはサミュエル達を捉えた時だろう。王族としての威を示すための、ステファンなりのパフォーマンスだったらしい。
「殿下の先ほどの話の続きになるけれど、殿下はボクらに協力を要請されたんだ。その流れで、カルロスくんと殿下は一応友人に落ち着いたんだよ。」
「…キール先生、もう少しかみ砕いていただけますか?」
頭痛が痛い。言葉としては間違っているのだが、その間違いさえも含めてその言葉がぴたりと当てはまるといった面持ちで、エリスはキールの説明に待ったをかけた。理解力の範疇を超えている。
改めて話を聞いたところ。ステファンは各派閥───といって差し支えない面々それぞれと交流を持つことを決めたらしい。そのきっかけは、エリスの王家への忠誠以外打算のない覚悟を目の当たりにしたため。エリスのこともステファンはそれまで、クラウン子爵家の混魔であり、淑女と言うより王家の臣下として振る舞う娘、程度の認識しかなかったらしい。エリスからすればその認識で合っているのだが、上っ面だけではなく臣下としての忠誠をしっかり持った娘である、とステファンは面と向かって初めて知ったのだそうだ。そしてその時にようやく、腹を割って話すことでしか得られないモノ、が平等さよりも得がたいものであると至ったらしい。
きっかけがエリスであり、また騒動が起きるとすればその渦の目になるであろう存在も、渦中に飛び込むとステファンに宣言したエリス。となればエリスの周りからまずは交流するのが手っ取り早い、と、ひとまずキール、カルロスに声をかけたそうだ。カルロスに関しては一応は現時点、第二王子の側近候補となっているためステファンに対しては学友で収まったらしい。ちなみにカルロスが第二王子の側近に未だ収まっていないのは彼が『攻略対象』たる所以である。ステファンはちなみに攻略対象ではない。
「…買いかぶりすぎです、殿下。」
「そんなことはない。クラウン嬢、貴殿は自分の価値を知るべきだ。」
「わたくしの価値…ですか?」
初めてこの部屋で対峙した時とセリフをエリスが呟けば、ステファンは力強くそれを否定した。前回のステファンは困ったように言葉を飲み込んでいたが、しっかりと正面からエリスと目を合わせる。
「陛下が何故、貴殿を買っているか私には分からなかった。だが今回思い知った。『臣下として』、当たり前のように皆使う言葉だが、それを体現できる者は一握りだ。貴殿はそれを当たり前にやってのける。」
王家への忠誠を誓っていようと、それを無意識下でも貫き通せる者は少ない。ましてやエリスはただの貴族令嬢だ。騎士ではない。自分の持てる力も縁も全て使って、最良の結果を得ようと淡々と任をこなすのも、役職に就いた者ならいざ知らず、エリスはそうではない。ある側面から見れば当たり前だが、本来であればイレギュラー。それを両立させているのが、エリスなのだとステファンは説いた。
「とはいえ、クラウン嬢は何か意図して臣下としてあろうとしているわけではないということも分かっている。刷り込みか、無意識だろう。だからこそ得難い存在なのだ、貴殿は。」
「なるほど…?」
今一つ納得も理解もできないが、頷く以外の道を断たれてしまった。疑問符を飛ばしたままエリスは納得の意を示す。
「恐らく、カルロスもクラウン嬢もゆくゆくは私よりクリストフと関わることが多いだろう。だがそれまでの間は、私の学友でも在ってもらえれば嬉しい。」
「光栄でございます、殿下。」
王族の友となってくれと言われて、間違っても断る者はいない。エリスは精一杯の笑顔で礼をした。
サミュエル達の一件でもしかすれば王城で状況報告を求められる可能性があること、学園内ではこれから見かけたら気軽に話しかけてほしいこと、それらを言い含められ、エリスはようやくステファンの元から解放された。カルロスとキールと共に会長室を後にする。イルシュナーはまだ何事か、ステファンと用があるとのことで残った。
「…今日は疲れただろう。大丈夫かい?エリス嬢。」
「キール先生、これが大丈夫に見えますか?」
「うーん、見えないね。ごめんごめん。」
さすがに戦闘もどきの直後だからと、寮まで送るというキールの申し出を今回ばかりはエリスも断らなかった。ただ同行したがったカルロスだけは、これ以上遅くなれば寮の門限に差し障るため会長室前で別れた。ゆっくりとした歩調で二人は寮までの道を進む。
「…さすがに今回は疲れました。情報量が多くて。」
「そう、だね。確かにそうだ。」
サミュエル達の暴走───というか魔力持ちによる聖女絡みの問題に関しては、これで一旦落ち着くだろうというのがエリスとキール共通の認識だ。一度問題を起きてなお続けて問題を起こすような魔力持ちは、その瞬間にステファンに見限られること必至だ。おそらくステファンも、追随するトラブルを避けるために、問題を学内で留めず王城も巻き込んだのだろうと推測できる。
問題自体はエリス達の想定内だ。想定外は全て、ステファン絡み。致し方ないとはいえ今後、多少目立つのは避けて通れなさそうだと、エリスは深く溜め息を吐いた。
「エリス嬢、」
「何でしょうか。」
女子寮まであとわずか。不意に足を止めたキールにつられて、エリスも足を止める。隣を歩いていたため、表情は一切確認していなかった。ようやく目線をやれば、キールは眉を下げてひどく情けない顔をしていた。迷子のようだ、とエリスは咄嗟に思った。
「君に、怪我がなくて良かった…。」
すぐ傍にあったエリスの手をつかんで、キールはぽつりと言葉を吐き出した。きゅ、と力を込められた手のひらに、エリスはようやく自分がひどく心配をかけていたことに気が付いた。
「大丈夫ですよ、自分の力量はある程度わきまえているつもりです。何なら魔力枯渇にもなっていません。だからキール先生が心配されることは、」
「わかってる。」
努めて明るい声で不安をぬぐえるようにと、饒舌に語り始めたエリスの言葉をキールの鋭い声が止める。きょとん、と目を瞠るエリスに、キールはエリスの手をつかんでいるのとは逆の手で、ぐしゃりと自身の前髪を乱した。
「…わかってるんだ。サミュエル・ダレル達程度に君が損なわれるわけがないって、わかってる。君は強いし、賢い。きっとボクらの到着がもっと遅くても、君ならうまくあの場を切り抜けられただろうって。でも、」
ままならない胸のうちを一気に吐き出すキールは、珍しく感情を抑えきれていないらしい。ゆらり、ゆらりとキールの内側で感情につられて魔力が波打っているのが、手をつかまれている分エリスにはダイレクトに伝わってきた。乱した髪は、自分自身への苛立ちからだろう。
どうやら、思っていた以上に自分は心配をかけていたらしい。小さく苦笑をこぼして、エリスは自由な方の手で、自分の手をつかむキールの手を包んだ。ぴくり、と肩を揺らしたキールは、怒涛のように吐き出していた言葉ごと停止する。
「キール先生、ありがとうございます。」
「…え?」
「心配してくださって、ありがとうございます。…思っていた以上に、わたくしはお二人に甘えていたようですね。」
「…エリス嬢は、もっと周りに甘えていいんだよ。ボクなんかは頼りないだろうけど。」
「頼りないなんて。…わたくしがあの場で、彼らと対峙して堂々としていられたのは、先生やカルロス様がすぐ駆け付けてくださると信じていたからです。」
「エリス嬢…。」
乱れたままのキールの髪を、背伸びをしてエリスは軽く梳いてやる。細い指先が触れる瞬間、キールは懐いた猫のようにゆるく目を細めた。
「…ここまで送っていただければ大丈夫です。キール先生、また明日。」
「あ、うん。…また、明日。」
つかまれたままだった手を優しくほどく。女子寮への渡り廊下の手前でくるりと振り返れば、見送るためか別れた位置で立ったままのキールと目が合った。一つ笑みをこぼして、軽く手を振る。それに安堵したのか、キールはようやく和らいだ表情に変わった。手を上げてエリスに応えると、キールもまた教員寮の方向に足を向ける。それを逆に見送ってから、エリスもまた、女子寮への道を急いだ。
女子寮の一室、人影が二人のやり取りを見ていたのには、ついぞ気づかぬまま。