18.あの子が欲しい
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口約束程度ではあるものの、婚約についてお互いにほぼ同意した後。キールの言葉に頷いてから、エリスはそのままキールの腕の中で意識を失った。急いで元の病室へ運び医師に診せる。意識はないものの、最初運び込まれた際よりはかなり回復しているとのことだった。
キールが胸を撫で下ろしている間に、いつから来ていたのか、回復しているのならとライルが帰宅の準備を進めていた。すぐに学園に戻す気はないものの、王城の医務室に寝かせ続けるわけにもいかない。
「…ライルくん、頼みがあるんだ。」
「…なんでしょう?」
「明日、伺ってもいいかい?君に大切な話があってね。…君と、エリス嬢に。」
にこり、と微笑むキールに、ライルは胡乱げな眼差しを送る。そも、ライルはエリスがこうして倒れている原因がキールにあると知っている。とはいえ、キールの生死に関わる事態であったことも承知しているために、キールにどのような感情を向ければよいか判別がつきかねていたのだ。勿論、エリスより先に意識の回復したキールから、既に謝罪は受けている。だがそれとこれは別だった。キールのせいで倒れたエリスが、再び無理を通したことでまたも意識を手放している。だというのに、謝罪というわけでもなさそうなキールの態度を訝しむのは当然だった。
「エリスの意識が戻っていたら、知らせます。」
「ありがとう。…それから、」
「まだ何か?」
「…エリス嬢の意識がせっかく戻ったのに、ボクのために彼女には無理をさせてしまった。申し訳ない。」
「……細かい事情は、また明日聞きますわ。では。」
眉を下げるキールに毒気を抜かれ、ライルはため息を吐いた。そのまま、キールに視線をやることなく、エリスを抱き上げて足早に病室を後にする。ライルとてキールの話に、なんとなくの予測はついているのだ。馬車へ運ぶために抱き上げたエリスの体内に巡る、エリス以外の魔力。それが何を意味するのか、わからないライルではない。
「…恋をしろ、とは言ったけれど…やっぱりエリスも人魚の血族だったわね。」
王城から貸し出された馬車に乗り込み、ライルはエリスを自身の膝に寝かせた。幼い頃はこうして、エリスが昼寝をしたこともあったと懐かしみつつ、エリスの柔らかい紅茶色の髪を指先で梳く。聞こえていないとわかっているエリスに、肩をすくめつつ軽口を叩くライルは、仄かに笑んでいた。
妹には、自分を含めた他の家族が持っている激情とも言えるような、熱量のある感情はないのではないかと、ライルは考えたこともある。気づいた時には手遅れなほどに、あまりにも子供らしからぬ子供だった。淡々と過ごすエリスに、この子の感情は冷え切ってしまっているのではと、心配もしていた。それがどうだ、エリスは自分自身の意志で、ただ一人を助けた。命を危険に晒したのだけは頂けないが、自分の愛しい女性がキールの立ち位置であったのなら、自分も同じ行動をしただろう。凡その事情説明を受けたライルはエリスの行動に、そうなるだろうな、と納得してしまったのだ。相手がキールだというのだけは、意外───いや、案外それも納得できるが。
屋敷に着くと、ローリヤだけは近付けるなと使用人達に厳命してエリスを部屋に運ぶ。なるべく常についていてやってほしい、とパベリーに頼み、ライルは執務室へ足を向けた。明日、予想通りであれば必要になる書類を準備するために。
翌日は、爽やかな快晴だった。エリスと違い、未だ王城の医務室で療養をと医師に言われていたキールだったが、アンカースを呼び出し、魔力の状態を診てもらう。
「ふむ、これなら出かけても問題はないだろう。」
「よかった、ありがとうアンカース卿。」
「いや。…ただ魔力は安定しているとはいえ、全快ではない。外出許可は出してやるが、戻ったらまた休め。少なくともあと三日は療養が必要だ。」
「長いなあ。…うん、わかった、わかったよ。」
アンカースの『外出許可を取り消してやってもいい』と言わんばかりの冷めた視線に、慌ててキールは首を縦に振る。キールからすれば、既に全快に近い。もう王城に寝泊まりせずとも良いだろうという自己判断だが、アンカースには素気無く却下された。
早朝、ライルからエリスが目を覚ましたという連絡があった。来訪も問題ない旨と、時間の指定が書かれていた。昼時を過ぎた、けれどお茶の時間より少し早い頃。ティータイムを是非との誘いに、キールは喜んでと返信を出した。通常の手紙などであれば時間がかかるが、王城関係者の連絡用の伝達係を通じてやり取りしていること、更にはクラウンの屋敷と王城の距離が近いために即時にその約束は成された。
夜会に出るよりは簡素だが、普段着よりは畏まった服。普段はしないリボンタイを指先で弄りつつ、キールはアンカースが手配してくれた馬車に乗り、クラウンの屋敷へ向かう。向かう理由は一つ、キールとエリスの婚約の申込みだ。昨日エリスとライルが帰った後、慌ててアンカースを呼び、準備を手伝ってもらい、諸々を大慌てで揃えたのだ。公爵位を継いだ兄をも病室に呼び、一晩かかって出来うる限りの足場を固めた。尤も、キールの兄はキールが婚約者を自ら見つけてきたことに大泣きしていたが、それはキールと同席したアンカースしか知らない。
急ぐ理由はただ一つ。時間がないからだ。魔力が今は安定しているが、次にいつ発作が起きるか分からない。なるべく早くにエリスと正式に婚約し、エリスと魔力を繋ぎ込まなければ、エリスまで発作の苦しみを味わうこととなる。キール自身は慣れているが、他者の魔力暴走の影響を受けるなど、常人では耐えられない苦痛だ。エリス自身の同意は得られている以上、急いだ方がお互いのためだ。幸いアンカースはキールの体質も、今回の顛末も最初から最後まで知っている。頼ればすぐに必要な書類を片手に、キールの病室へ飛んできた。
「それにしても意外だった。」
「ん?」
「お前は、エリス嬢を最後まで巻き込まないんじゃないかと思っていた。」
クラウンの屋敷までは、アンカースも同乗していた。アンカースは来訪こそしないものの、クラウン家には人魚がいる。場合によってはローリヤが魔力を持ってキールを排する可能性もあると考え、万が一にも他家に被害が及ばぬよう屋敷の外側から簡易な結界をかけに向かうのだ。たかが婚約、されど婚約。とはいえ国中探してもここまでスリリングな婚約はなかなかないだろうとアンカースは遠い目をした。
「初めて彼女を担ぎ込んできた時も、エリス嬢を何者からも守ろうとしていた。それは年長者として当然のことだが…あれからしばらくして会った時、驚いたぞ。こんなにも過保護だったかと。」
「過保護…かな。」
「だと思うが。」
「うーん…そうかな。」
小首を傾げて悩むそぶりを見せたキールは、不意に、ああと声を上げた。
「エリス嬢は、ボクに似ていたから。似ていたから…多分、彼女を守ることで、過去の自分を救いたかったんだと思うよ。」
キールもエリスと同じ、幼い子供のままでいられなかった。生まれた時から、キールは生き長らえるか死のリミットを待って生きるかを選ばざるを得なかった。とはいえ、長い人生に縛り付けたいと、縛り付けても良いと想い合える伴侶を得るのは難しい。実質、死のリミットを提示されて生きるのが、最初から決まっているようなものだった。
周りの大人達に言われるより早くそれを理解したキールは、それから限りのある人生を如何に生きるかを考えた。歳の離れた兄は、誰がどう見ても跡取りに相応しい。才覚は勿論、先祖返りという厄介な生まれの弟を心から愛し、その先の人生を誰よりも案じてくれる人格者。兄をいかにして支え生きるか、キールの人生の指針は比較的すんなりと定まった。
魔力コントロールを文字通り血反吐を吐きながら身につけ、魔力量とコントロール力で、力の求められる国防に関する依頼を多く個人で請け負う。兄が爵位を継ぐのとほぼ同時、スタインシュイン家の地位をより盤石なものとするためにキールは奔走した。やがて第二王子も同じく先祖返りだと判明すると、王子が学園に通うタイミングに合わせ、今度は学園に赴任することを命じられ。その直後に、エリスと出会った。
「ようやく自分の命の活かし方を覚えて、それなりに楽しく生きられるようになった時だったんだ。彼女に初めて会ったのは。」
「…数年前の自分を見るようだった、か?」
「そう。その通り。だからね、ボクは…ボクと違って命のリミットを考えなくていい彼女が、ボクの分まで笑ってくれる未来を夢見たんだよ。その一助になれたら。そうしたら、ボクの人生も報われるって。」
結局、ボクの人生に巻き込んでしまったけれど。そういって自嘲の笑みを浮かべるキールを、アンカースは胡乱げな目で見遣った。
「だがもう、巻き込んだ後だ。後悔なんてしないだろう?」
「後悔なんて。…ボクはむしろ、自分の愚かさに呆れているだけだよ。」
「愚かさ?」
「そう。…彼女をね、ボクはいつからか生きる理由にしているところがあった。だから、エリスがボクを受け入れてくれた以上───もう、離してあげられないんだ。」
欲深くなったよね、と乾いた笑いを零すキールを、アンカースは笑えなかった。自分の人生を諦め切ったキールの内面を、アンカースはよく知っている。だからこそ、キールが唯一過保護に接するエリスもまた、自分だけを蔑ろにするようなキールを気に掛けてきた。二人ともよく似ていて、けれど根本の部分が決定的に違う。二人とも欲がないところが似ていた。似過ぎていた。その二人が、それぞれを求めて、初めて欲深くなれるのならば───それは何ものからも守られるべき欲だと思った。
うまい返しが思いつかず黙り込むアンカースだったが、馬車がゆっくりと減速するのに気づき顔を上げる。キールだけ屋敷の前で降ろし、アンカースはそのまま馬車で、屋敷の裏側に回ることになっていた。
「ライルから断られんようにな。あいつも過保護だ。」
「そうだね、ライルくんに断られたら元も子もない。…誠心誠意、っていうのかな。頑張ってみるよ。ありがとう、アンカース卿。」
一人馬車を降りるキールを、クラウン家の使用人達が迎える。去っていく馬車を横目に、キールはジャケットの襟を軽く正して、エリスの幼少期何度も訪れたクラウンの屋敷へ足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ、キール先輩。」
「待たせしてしまったみたいだね、すまない。」
「いえ、時間ぴったりです。…エリスを交える前に話をと。」
「…勿論。」
通された応接間には、既にライルがいた。ある意味予想通り。探るような目で見つめてくるライルの視線を当然のものだと、キールはいっそ胸を張って見つめ返した。