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16.貴方に捧げる怒り

 目が覚めたエリスの視界に広がったのは、シミひとつない白い天井だった。ぐらぐらと視界が回っていて、後頭部の辺りが重く痛む。意識を取り戻すと共に存在を主張し始めた頭痛に、微かな吐き気を覚えながら、ゆっくりと視線だけで自分の状況を確認する。

 白いカーテンのたなびく、白一色の部屋はどうやら医療施設―――ではないもののそれに準ずる空間らしい。状況的に王城の医務室だろうかと当たりをつけて、エリスは再度目を閉じ深く息を吐いた。

 じくじくと痛む首筋が、キールに血を吸わせたのが夢ではなかったと告げている。更にいえば魔力も枯渇しているらしい。いつもならば片手間でも作り出すことのできたアメジストの蝶を作り出して状況を確認したいものの、練れるだけの魔力が体内に残っていなかった。指先ひとつ動かすのが億劫で、意識して深く息をすれば若干だが頭痛が和らぐ気がした。

 少し離れたところで、重たい扉の開閉音が聞こえる。ぐらぐらと揺れる視界が不快で閉じていた目を開けると、ちょうどベッドを覗き込んだ瞳と目が合った。

「起きたか。」

「…アンカースさま、っ、お久しぶりです。」

「久しぶりだな、エリス嬢。水は飲めるか?」

「はい。」

 出しにくい声に、喉がカラカラに乾いていた事に気がついたエリスがおずおずと頷くと、アンカースは心得たとばかりにエリスの体を水を誤嚥しない程度に起こす。ベッド脇に備え付けられた水差しの水を魔力で冷やし与えられたエリスは、想像以上に体が水分を欲していたことに気づいた。するすると水を飲み、ほう、と息を吐く。そんなエリスの姿を見遣ってから、アンカースは慎重にエリスの体をベッドに再度横たえた。

「あ、」

「無理に起き上がらなくていい。体はまだ辛いだろう?」

「…はい。」

 話をするのなら横になったままでは忍びない。慌てて体を起こそうと身動ぎするものの、アンカースに先手を打たれ止められる。アンカースの言う通りであったため、エリスは素直に頷いた。申し訳なさそうに眉を下げたまま、横たえた体から少し力を抜く。その隙にカーテンと窓を開け放ったアンカースは、ベッドサイドの椅子に腰を下ろした。

「…事情聴取、でしょうか?」

「相変わらず話が早いな、エリス嬢。体調が悪いところ申し訳ないが、状況把握をしたい。宮廷魔術師団としての正式な依頼だ。」

「構いません。起きた時点で、ここが王城だろうと気づいておりましたので。」

「…まあ、エリス嬢ならそうだろうな。」

 学園で倒れたはずが、恐らく王城の医務室に寝かされている。城で保護、もしくは隔離が必要だと判断されたの二択だろうと、貧血で回らない頭ながらエリスは冷静に判断していた。その通り、と頬を掻きつつ、アンカースはスッと目線を鋭くした。

「エリス嬢は何が起こったか、把握しているか?」

「いいえ、全く。…わたくしの分かる範疇で、ご説明させて頂いても?

「頼む。」

「はい。…学園で何かトラブルが起きていると分かった後、イルシュナー教授の指示で医務室へ向かいました。キール先生が魔力暴走を起こされているのは、階段から降りる最中に気づきました。キール先生は医務室に籠城されていましたが、イルシュナー教授のご指示もあったので扉の鍵を破壊し、医務室へ。キール先生のご様子からこれ以上魔力を放出するのは命の危険があると判断し…無理矢理、わたくしの血を飲んでいただきました。」

 淡々と時系列で述べるエリスに、アンカースは眉間に皺を寄せ考えこむ。一気に話しすぎたエリスがけほりと咳き込むと、再度水を与えてからまた考えこむ。どれほど時間が経ったか───アンカースは考えがまとまったのか、ふむ、と顎先に手をやった。

「イルシュナーからの指示はどういったものだった?」

「医務室へ行けと。イルシュナー教授の独断だとも念話で仰っていました。」

「…そうか。キールはかなり強固な守りの魔術を使っていたはずだ。どうやって扉を開けた?」

「…力技、ですね。」

「力技?」

「開けるように全力で声に魔力を乗せてぶつけました。」

「あー…なるほどそれは力技だ。」

 それからアンカースはいくつか質問を繰り返した。室内に入った時のキールの様子。恐らくエリスを近づけまいとしたキールにどのように近付いたか。血を飲ませるまでのキールの抵抗、飲んだ後のキールの様子の変化、エリスがどこまで意識があったか───。

「意識が落ちる直前、キール先生がわたくしを呼んでいらっしゃったのはぼんやり聞こえていて。…勝手なことをしたと、差し出がましいことをしたと、謝らなくては。」

 キールはエリスの血を拒んだ。思い返せばあの時、キールは一貫してエリスを拒んでいた。あの時はキールをそのままにしてはおけないと、半ば使命感じみた思いで突き進んだが、拒絶を思い出せば鳩尾のあたりが冷えたように痛む。自嘲するエリスに、アンカースはその必要はないと首を振った。

「後でエリス嬢が落ち着いたら、キールに会ってやってくれ。本来はあいつが来るべきだが…如何せん、来られる状態でなくてな。」

「っ、まさかまだ体調が…!」

 苦笑うアンカースに思わずエリスが体を起こせば、途端に酷い眩暈がエリスを襲った。だがそんなものは関係ないと言わんばり、起き上がったエリスをベッドへ押し戻そうとするアンカースの服の袖口を必死の形相で掴む。エリスがどの程度眠っていたか、エリスは知らない。アンカースに聞き忘れてしまっている。だからこそ、まだキールの体調が悪いというのならば、それは悠長にしている場合ではない筈だった。焦るエリスに、アンカースは苦笑いの表情のまま、落ち着くように促す。

「体調はもう問題ない。ただ…、」

「ただ?」

「エリス嬢の血を吸ったこと、エリス嬢にそれを選択させてしまったことの罪悪感で死にそうになっているだけだ。」

 心情的な比喩だが。アンカースの言葉に、エリスはほっとすればいいのかどうすればよいのか、一瞬悩んだ。体調面はおそらくキールは無事らしい。だが心情的にはそうはいかないという。血を吸わせたのは、エリスの身勝手だ。エリスがただ、キールを救いたかっただけ。それは自己満足に近い衝動だったとエリスは自覚しているし、それの何等かの責任をキールが負う必要性はないと考えている。ということは、現状でキールが何か悩んでいるのは、エリスのせいということになる。

「…似ているな。」

「え?」

「いや、何でもない。そんなに気になるのなら、今から行くか?」

「…よろしいのですか?」

「ああ、帰りはキールに送ってもらえばいいだろうしな。」

 もどかしそうな様子のエリスを見かねてか、アンカースは城仕えの侍女に頼んで車椅子を手配した。背もたれがあれば、上体を起こしていても多少は楽になるらしい。移動前に鉄剤を飲まされ、アンカース自ら治癒魔法―――苦手だということで多少の体調の軽減程度しかできないらしいが―――をかけてもらい、エリスはアンカースに車椅子を押され、キールのもとへと向かった。

 エリスが寝かされていたのは、予想通り王城の医務室だった。キールも同じ棟の別室で療養中とのことだった。暴走していた魔力自体は落ち着いているが、体内の損傷が激しかったらしい。それも吸血によってある程度自己修復されていたらしいが、しばらく安静が必要だという。キール自身はアンカース曰く『罪悪感で死にかけ』ており、何もしなくとも安静にしている状況が続いているらしかった。

「この部屋だ。立ち合いはいるか?」

「…いえ。アンカース様、ありがとうございます。帰りはキール様に送っていただくことにします。」

 にっこりとほほ笑んで、エリスは今の体調でできる目いっぱいにアンカースにお辞儀をした。暗に二人きりにしてくれ、と言うエリスに予想通りだとアンカースはシニカルに笑う。また事情聴取などを頼むかもしれないからよろしく頼む、それだけエリスに伝えて、アンカースは宮廷魔術師の証であるマントを翻して颯爽と去っていった。その背中が小さくなるのを見送ってから、エリスは一つ、深く深呼吸をした。

 エリスの寝かされていた部屋もそうだったが、扉には内外の魔力を断絶する仕掛けがなされているらしかった。混魔や先祖返りは気配よりも相手の魔力を感知するため、そうした仕掛けがなければ気が散って療養どころではなくなるのだろう。それに仕掛けがなければ、おそらく室内のキールはとうに扉を開けてエリスを迎え入れるか、部屋から逃げ出すか…何等かのアクションを起こすはずだ。ところが室内からは寝返りなのか衣擦れの音がする程度で、大きな動きは感じられない。

 アンカースの治癒魔法で多少楽だとはいえ、まだ力の入らない腕をゆっくりと持ち上げて扉をノックする。室内の気配が反応するように動いたが、近づいてくる様子はない。エリスは車いすから腕を伸ばして、扉を押し開け入室した。

「キール様、お加減はいかがですか?」

「…エリス、嬢…?」

「はい。…すみません、キール様。これ以上車いすを動かせなくて…室内へ入れてくださいませんか?」

「えっ、ああ、うん!」

 ベッドの中、来訪者を拒むように毛布に包まっていたキールだったが、エリスの声に驚いた様子だった。それはそうだろう。治癒魔法の補助がなければ動けないほどの状態の人間が、わざわざ見舞いに来るなど普通に考えれば想像がつかない。まさか、と呟くキールに、あくまでもいつも通りの声音でエリスが入室の手助けを頼めば、キールはそれに思わずと言った様子で頷き、エリスを室内に通した。

 室内にエリスを通したキールは、見舞客用のティーテーブル脇に車椅子を停めた後、あからさまにやってしまったと言いたげな表情を浮かべた。アンカースからは、キールは罪悪感で心情的に死にかけていると聞いていたエリスからすれば、想定内である。手助けをせず拒めば、エリスはこの病室に入ることは叶わなかった。

 キールは基本的に、エリスを拒んだことがない。理由は知らないが、エリスにとってそれは最早前提認識であり、だからこそキールの元へ押しかけるに至った。エリスがいつも通りの態度で会いに来れば、気まずく感じようとも、キールはエリスの来訪を拒まない。エリスの思惑通りの状況に、思わず口元だけで笑った。

「ありがとうございます、キール様。…車椅子、初めて乗りましたが動かすのが難しいものなのですね。」

「…エリス嬢、あの、」

「キール様、体調は?」

「えっ、ああ…うん、僕は、もう…。」

「よかった、安心しました。」

 何を、どう話したらいいのか。キールの戸惑いを感じながらも、エリスは車椅子に座っていること以外はいつも通り、と言わんばかりの表情でキールとの会話を進めてしまう。オロオロとするキールを尻目に、ニコニコと笑顔を貼り付けて笑った。

「っエリス嬢!」

「はい。」

「その…あの、君の体調は…?ずっと意識が戻らなかったと…!」

「…先ほど起きました。体調は、…貧血と魔力枯渇ですね。休めば治ります。」

 ぐ、と爪が食い込むほどに手を握り締めてエリスに問いかけるキールは、泣きそうな顔をしていた。とはいえ壮年と呼ぶべき年齢であるキールだ。実際に泣くことはないだろう。潤んだ瞳で睨みつけるように、縋るように強い視線を寄越すキールに、エリスは嘆息して淡々と答える。

「どうして、君は、」

「血を飲ませたか?ですか?」

「そうだ、あんな危険まで犯して!僕が魔力暴走を起こしていると分かって来たんだろう!?どうして君は、」

「───言ったじゃないですか。」

 余裕なく言葉を並べ立てるキールに対し、エリスは冷めきった声で淡々と返す。ふわり、微笑んだ表情は、キールの流れ続ける非難の言葉を押しとどめた声音とあまりにも温度が異なった。違和感しかない表情と声音に、キールはハッとしたように口をつぐんだ。そんなキールに、エリスはさらに笑みを深める。

「頼まれたって貴方を一人にしない。わたくし、お伝えしたでしょう?」

 常より低い声。それに相反するように深まる笑み。自身を顧みず、エリスにとっての危険であった魔力暴走を起こした自分をどうして捨ておかなかったとでも言わんばかりのキールに、エリスは沸々と腹の中、怒りが渦巻くのを感じていた。

 今世、エリスは並大抵のことでは怒りの感情を覚えなかった。須く諦めの中で生きていたエリスに、諦め以外の感情を与えた男が、自分を諦めろと言う。それにエリスは無性に腹を立てていた。

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