12.恋の報せと不穏
気づいたら一年も放置…一年…???となっております…
またゆるゆる更新しますのでよしなに…。
グローリアとクリストフが初対面を果たしてから、二ヶ月。
グローリアとクリストフが想い合っているらしい。そんな噂が立つのに時間は掛からなかった。グローリアはステファンの婚約者候補に名前を連ねていたが、そっと取り消された。グローリアが二人の王子に呼び出された五日後のことである。ジェーンの名前こそ残っているが、グローリアがクリストフと無事結ばれるのであればジェーンがステファンの婚約者となることは無い。グローリアとクリストフが上手くいかなかった場合、先んじてグローリアの候補を取り消しているため、ジェーンを候補に残すことで聖女を輩出した家と縁続きになるための保険をかけているのだとは誰の目にも明らかだった。
一方のジェーンにも気付けば想う相手ができたらしく、このひと月ほど時折一人で図書館に入り浸っている。元々エリスは姉妹の『案内役』であるため、学園に慣れた二人に四六時中ついてまわる必要は無い。とはいえ、王家が目をかけているとあからさまに示しても、あわよくばを狙う者はいる。そうした者への対策も兼ねて、エリスはカルロスに協力を仰ぎながら、グローリアはクリストフの元へ、ジェーンは図書館へと放課後送り届ける日々を送っていた。
「クラウン子爵令嬢、この後のご予定は?」
「…マダム・クレイ、キール先生御二方からのご依頼がありまして。急いでおりますので失礼いたします。」
「では明日のランチは?」
「……ボーデン令息との先約がございます。では。」
クリストフの側近候補であるカルロスは基本的に放課後はクリストフと共に過ごしている。その為グローリアがクリストフに呼ばれれば行き先は同じ。エリスも彼にグローリアを預け、エリス自身はジェーンを送るだけだ。今日も今日とてジェーンを図書館へ送り届け、医務室へと足を向けた瞬間だった。
「連れないな。だがそれが貴女の魅力なのだろう。」
「……何を仰っているかわたくしには分かりかねます。」
グローリアに続きジェーンにも想い人ができたらしい、と知れ渡った直後、聖女姉妹を取り込みたいらしい魔力持ちが一斉に興味の矛先を向けたのはエリスだった。元より夜会から目を引いてしまっていた。エリスに最初に粉をかけようとしたサミュエルは既に退学扱いになっている。それが聖女姉妹を取り込もうとした末の暴挙だと知る者は多いが、エリスが一枚かんでいたことを知る者は少ない。ステファンはじめ王家の迅速な対応によるもの、として認知されている。もしエリスが捕縛の先陣を切ったと知られれば、今エリスと近付こうとしている魔力持ちは一斉にエリスから手を引くだろう。ただ実際は、魔力持ち達はエリスの動きを知らず、また当事者であるサミュエルも学園に居ない。エリスに視線が集まるのは当然の流れだった。
「お話は以上でしょうか。医務室に呼ばれておりますので、わたくしは失礼致します。」
「ならせめて医務室へエスコートさせてくれないか。そのくらいは許されるだろう?」
「お気遣い頂きありがとうございます。ですが不要です。……キール先生の威圧を好んで受けたいと仰るなら話は別ですが。」
「っ…そう、か。君がそこまで言うなら遠慮しよう。」
先祖返りの発する魔力による威圧は、混魔でも肝を冷やす。魔力量が豊富であれば耐えられるが、そもそも混魔よりも生まれつきの魔力量の少ない魔力持ちでは身動きひとつ取れなくなる。言外に脅すエリスの言葉に、威圧なぞ受けた瞬間崩れ落ちるであろう男は、足音も荒く立ち去った。相手から見えぬ位置で名前も知らぬ男の魔力を微量採取したエリスは、急いで医務室へと向かった。
「キール先生、この魔力の持ち主の名前は何ですか?」
「えっ急に何!?」
医務室の扉を開け、挨拶もそこそこにエリスは採取した魔力をキールへと投げ渡した。魔力を持つ生き物の体からは、どれだけ押さえつけても常に微弱に魔力が漏れだしている。男から漏れ出している魔力を糸のように己の手元に手繰り寄せ、エリス自身の魔力と紡いで、短いリボン状に仕立てたそれは、キールがエリスへと教えた魔術によるものだった。尤も、術式も何もない、術者の感覚だけで作られるそれは口頭継承しかされておらず、魔術と呼んでいい代物かは不明だ。
「あー…これはケルビン伯爵家の次男じゃないかな?確か長男が亡くなられた前妻の子で先祖返り、次男は後妻の子で魔力持ちのはずだ。」
「ケルビン伯爵家…確かここ十五年ほどで中央を去られていますよね。」
リボンを光に透かし検分したキールは、ああ、と声を上げた。言われるまま、エリスも暗記している貴族年表に載る情報を漁る。ふむ、と顎に指先を添え考えるエリスに、キールは手元の資料を寄越した。
「ケルビン伯爵家は、後妻の実家絡みで揉めたんだよ。元々は魔力持ち、混魔どちらにも中立の立場を保っていた家だけど…。」
「魔力持ち側に一気に入れ込まれたのですか?」
「というよりも、後妻とその実家が乗っ取った、が正しいかな。」
「なるほど、混魔は排除すべき、という派閥に取り込まれたと。」
「その通り。十五年かけて徹底的にあの家は混魔との関わりを絶ってきた。それがここ数ヶ月、急に混魔に接触してきててね。恐らくは聖女絡みだろうけど…。」
「先祖返りの王族と懇意の聖女…取り入るならば混魔から、と?」
なるほど、とエリスは思う。前世の記憶、聖女の恋で国が揺れたのは、ゲーム内で描かれなかった諸々の派閥争いやら政治的色味が強かったのだろう。それはさておき、ケルビン伯爵家は随分と雑な動き方をする。混魔との関わりを絶とうとする家々は大体が、混魔を汚らわしいと批判する。曰く野蛮なモノとの混ざり物の血だと。そんな扱いをしておいて、取り入ろうとするなど馬鹿馬鹿しい。慌てて家の方針を変えるくらいなら、そもそも中立を保っていればよかった。
「ご長男は先祖返りとのことでしたが…。」
「後妻を迎えて二年後、乗馬の練習中に転落死しているね。」
「……それって、」
「十中八九、後妻とその実家に殺されたんだ。ただ証拠不十分でね、誰の罪も問えなかった。伯爵は自分のせい…つまりは後妻たちが混魔の根絶に動いていることを知らなかったがために、長男を死なせてしまったと…中央で仕事をするだけの気力も保てず、領地に帰ったんだ。」
血なまぐさいにもほどがあるお家事情だった。エリスは眉間に拳を当て、重いため息を吐いた。
「伯爵はその後は?後悔されたのなら、過激派の魔力持ちを抑えようと動いてもいいものでしょうが…。」
「エリス嬢の言うとおり。最初は後妻の実家から、どうにか動こうとされていたみたいだ。けれど最初だけ。それ以降は一切、伯爵の話は入ってこない。」
「…社交界にも?」
「そう、社交界にも。異常だろう?」
もしかすれば。もしかすれば既に伯爵の自由意志は奪われているのではないか。ひやりとした予感に、エリスは血の気がひくのを感じた。
もしも、混魔と魔力持ちの争いに、本格的に巻き込まれたらどうしよう。エリスはこの時初めて不安と恐怖を覚えた。これまでにも恐怖や不安を感じたことはある。それでもその感情はいつも、どこかぼんやりとしていた。恐らくは、『知識』を持っているが故の余裕や、今世以外を知っているからこその惰性があったのかもしれない。自主的にトラブルの渦中に飛び込んだのは、実を言えば聖女姉妹の一件が初めてだった。自主的に飛び込んだ事態だからこそ、そこには己の行動に対する責任も生じる。一気に思考が巡り、嫌な汗が背中を伝った。
「エリス嬢、ゆっくり息をしなさい。」
「…っあ、」
いつの間にか早く、浅くなった呼吸を、キールに諌められる。ゆるく抱きしめるような体勢で、そっと背中を叩き、耳元でゆっくりと話しかける。強張っていたエリスの体からじわりと力が抜けるのと合わせて、徐々に呼吸が整っていった。
「すみ、ません…。」
「良いんだよ。大丈夫かい?ごめんよ、エリス嬢に聞かせるべき話ではなかった。」
「いえ、教えてくださってありがとうございます。」
しっかりしているとはいえ、相手は自分より一回りほど年下の少女。常に達観した態度で物事を捌いてみせるエリスに甘えてしまったとキールは眉を下げた。だがエリスは苦笑を浮かべつつも、しっかりと首を振る。
「今週末、父に呼ばれているんです。恐らくは…婚約絡みで。」
「え…?」
寝耳に水。そう言わんばかりのキールに、今度こそエリスは苦笑して、部屋の主であるはずのキールを押し退け、紅茶を淹れ始めた。
「聞ていただけますか?キール先生。」
「勿論。…聞かせてほしい。」
時折キールの元にはセンシティブな相談を持ちかけにくる生徒が一定数いる。そんな時には、扉に相談中の札をかけ、鍵も施錠してしまうのだが、キールは迷わずそれをした。その隙にエリスは紅茶の準備を終え、ソファーに二人向かい合って座った。
「…わたくしに婚約者がいないことはキール先生もご存知かと思いますが…、」
クラウン家は爵位こそ低いものの、歴史の長い家。その家の出来の良い娘といえば、エリスは比較的、同じ家格の娘たちに比べ、引く手数多と言っても過言ではなかった。ただし、問題がいくつかあった。一つは混魔だとしても高すぎる魔力。その魔力に耐えられる相手であることが必要で、そうすると相手が絞られる。
さらにそこにきて、兄であるライルが次期宰相と呼ばれるまでになった。ライルにはまだ婚約者がいない。というのも、想い人である令嬢が隣国に交換留学に出ており、彼女が戻ってくるのを待って婚約予定だからだ。兄よりも先に妹が婚約するのは、些か体面が悪い。また、宰相となった時、ライルの助けになる相手であれば尚のこと良い───。
そうして選んでいく間に候補が絞られたのだが、今度はエリスの母であるローリヤが候補であった令息全員が気に食わないと喚いた。人魚の一族の中でも特に高貴な血を引く娘が、人魚に劣る魔族の血を引く男の元に嫁ぐなど許せない。そう言って、暴れたのだ。暴れたローリヤをエリスは直接見てはいない。だが、作り話ではないだろうなとすんなり信じられた。そして思った。ローリヤにとって、エリスは恐らく、アクセサリーの一種なのだと。だからエリスの幸せではなく、人魚の一族の族長の娘であった自分の体面を気にしたのだろう、と。
「…それが、わたくしが八歳の時です。わたくしが人魚の血を引く者らしく、真に愛する人を見つけられたのならば。その時はきっと、家族皆歓迎してくれるのだと思います。そしてそれを願って、父はわたくしの婚約を先延ばししました。」
「ライルくんの意中のご令嬢は僕も知っているよ。ただ…戻ってくるのは来年ではなかったかな?」
「その通りです。そこまで婚約も何も、話は出ないはずでした。」
ここ数ヶ月、クラウン家にはエリス宛に釣書が山となって届いているらしい。それも、『魔力持ち』の令息ばかりの。つまりは。
「恐らく聖女を取り込みたい魔力持ちは、社交界全体で動き出したと言えるのではないでしょうか。」
「…待って、エリス嬢は…その釣書が本当に、混魔を廃絶したい魔力持ちによるものだったとして…エリス嬢は、どうするつもりだい?」
「…わたくしは、」
顔色を悪くしたのは、今度はキールの方だった。エリスの家庭事情は大体を聞いてはいるものの、細かいエピソードまで掘り下げて聞くことはほとんどない。見慣れたはずの、諦めたようなエリスの微笑みに、言いようのない嫌な予感がキールの肝を冷やした。思わず向かい合っていたソファーから立ち上がり、エリスの足元にしゃがみ込んで、彼女の両手を掴む。
「エリス嬢は、それで良いのかい?有象無象の、エリス嬢を利用しようとする意思に乗ってしまって、良いと思える?」
「…目的が別にあっても、わたくしを求めてくれているのには、変わりありませんから。」
「どういうことだい…?」
「幼い頃の釣書は、人魚の娘だから欲しい、という大人の打算でした。もしわたくしに姉妹がいれば、そちらに話が回っただろうと想像に難くない。…今回も確かに、わたくし自身が求められているわけではない、駒として欲されている。わかっています、でも。目をつけられたのは…わたくしが積み上げた、わたくしの実績です。」
諦めたような、半分泣きそうなエリスの表情に、キールは今度こそ二の句が告げなかった。
自分を見てほしい。肩書きや、枠にはまった何かではなく、エリスという一人の少女を見て欲しい。エリスの声なき渇望を、キールは知ってしまった。否、知っていたつもりだった。知っていたつもりは、つもりでしかなく。エリスのその欲求は、心の奥底に冷たく根を張っていたことに、そこまで根深かったことに気づかなかったという事実に、かけるべき言葉を見失ってしまったのだった。
「まあ、兄の妨げにならないお相手となれば、ある程度絞られますし、そこまで酷いお相手になることはないでしょう。だから、良いのです。家の決定に、わたくしは従うつもりです。」
「───そう、」
その後、エリスとキールはしばらく他愛もない話をして、いつもより少し早く、エリスは寮に戻っていった。寮母に外泊届を出さなければならないと、申請だけが面倒だと、いつも通りの様子だった。
一人になったキールは、相談中の札をそのままに思考に沈んでいた。エリスが外泊届を面倒だという理由を、キールは正しく知っていた。長期休暇以外で、エリスが家に帰るのは今回が初めてだ。実際、週末の帰宅に伴う外泊届は非常に簡単な手続きで、エリスがその申請を知らないその理由に思い当たってしまった。
家に、帰りたくなかったのだと。「わたくしを見てほしい」とエリスは願っていた。少なくとも学園内で、エリスの立ち位置は唯一無二とも言える。だが家に帰れば、どうだ。家に帰れば最後、エリスは母に求められる振る舞いに徹せざるを得ない。カルロスからも、そう聞いている。直近の長期休暇の際には、母の機嫌を損ねてしまったと、ひどく落ち込んでいたことも、悩んでいたことも知っている。
「…僕が、吸血鬼でなければ。」
あるいは、先祖返りではなく、ただの混魔だったならば。家格的にも上位、次男だが余らせている爵位を名乗ることはできる。吸血鬼は、人魚よりも高位の魔族で、ローリヤの癇癪を退けることも容易い。何より、キールはエリスが幼い頃から、エリスを、後輩の妹ではなく、エリスという一個人として、見ている。
「───なんて、とんだ夢物語だ。」
キールは紛れもなく吸血鬼の先祖返りで、その身は人間とは一線を画す。とはいえ母体が人間であるためか、先祖返りは混魔よりも魔族に近しいくせに、実際には魔族とも異なる存在である。魔族によっては先祖返りを同胞として受け入れるが、場合によっては混ざり物と拒絶する。吸血鬼は、後者だ。
「…タイムリミットがある僕が、手をとっていい子じゃないだろう。」
ギリ、ときつく握られた掌から、一筋、血が垂れた。ぽたり、床を汚したそれは、人のものよりも暗い色をしていた。