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10.物語の齟齬

過去話、後編です。

 キールとエリスの親交は、エリスの一つの興味本位から始まった。

 ライルに頼み込み、キールを巻き込み、王城の必要な文献に片っ端から読み込む。エリスとしては当初の目的であった文献は一通り目を通せた上、調べたかったことは調べつくせた。その内容に関しても、強力すぎる協力者を得たために、しっかりとした研究がなされると決まった。城へ向かう用事も理由もなくなったことになる。つまりは、ライルが自分の不在時を託したキールとの縁も、その時点で途絶えるだろうとエリスは考えていた。

 だがその予想は、思ってもみない方向から覆された。

「やあ、エリス嬢。今日から二年間、ボクが魔力コントロールの実技担当の家庭教師だ。」

「え…?」

 アンカースにエリスの調査内容を託してからひと月後のこと。珍しく日中、セリウスが家にいた。とはいえ、あと数刻もしたら王城へ向かうのだろう。書斎で忙しなく領地に関する書類を処理する父を横目に、エリスは家庭教師から出された課題に使用する資料を、父の本棚から選んでは抜き取っていた。エリスもエリスで珍しく、今日は家庭教師が休みを取っている。

 父の邪魔をすることなく資料を集め終わったエリスは、そのまま静かに書斎を退出した。ちなみにこの間、セリウスは一切エリスに気づくことはなかった。どうにも自分はもぶきゃららしく影が薄いようだとエリスは幼心に嘆息して、書斎のある一階から、二階の自室へと戻った。

「───お嬢様。」

「…はい、何でしょう?」

 父の元から拝借した資料を使えば、休みの分と出されていた課題はすぐに終わった。元より、学園入学前に済ませておくべき範囲の学習は、既に終わっている。今回出された課題も、資料を確認する必要のある応用編、ではあったものの、エリスからすれば学んだ範囲の復習でしかなかったためあっという間だった。

 課題を済ませ、さて読書でもするか、とエリスが立ち上がった瞬間、控えめなノックが響く。

「お客様がいらしておいでです。旦那様から、お嬢様をお連れするようにと。」

「お客様…?わかりました、パベリー、髪だけ梳いてください。お待たせもできないけれど、さすがにこのままでは失礼ですし…。」

「かしこまりました。」

 セリウスが自分を引き合わせようとする客人とはいったい何者だろう。エリスは一瞬考えを巡らせたが、すぐにやめた。何故ならばセリウスの交友関係はおろか、人となりですらエリスは知っているとは言い難いと思っている。余計な気を回すよりも、今はすぐに応じる必要があると判断した。

 すぐに応じる必要があるとはいえ、客人がいるのであれば最低限の身なりというものがある。服は、急いで出迎えに走ったと言えば、最低限のライン。ただし髪は、課題をこなすのに邪魔で、適当にまとめてしまっていた。さすがにこれはみっともないと、パベリーに髪だけ整えてもらう。香油を染み込ませた櫛で梳けば、柔らかいエリスの髪は、結い跡も残さず元通りだ。

 パベリーに案内されるまま、エリスは大慌てでセリウスの元に向かった。行き先が庭の方だと気づき、エリスはわずかに胸をなでおろす。庭であれば、滅多なことでは母ローリヤは同席しまい。

「お待たせいたしました、お父さま。」

 庭園の一角に設けられた東屋。セリウスともう一人、線の細い人影が見える。エリスはそっと二人に近づくと、静かに頭を下げた。

「ああ、エリス。急にすまないね。」

「やあ、エリス嬢。」

「え、キールさま?」

 朗らかに笑うセリウスと共に談笑していたのは、先日世話になったばかりのキールその人だった。思わず礼を取るのも忘れたエリスは、きょとんとした表情を浮かべる。

「急だけれど、エリス嬢。今日から二年間、ボクが魔力コントロールの実技担当の家庭教師だ。」

「え…?どういう、ことでしょう?」

 そうして先のキールの発言だ。落とされた爆弾ともいえるキールの発言に、エリスは表情を作るのも忘れて問いかける。オロオロとした雰囲気のエリスの表情に、キールは小さく笑う。およそ年齢にそぐわない落ち着きを見せていたエリスの、年相応な態度に安心したのかもしれなかった。

「キール殿が是非にと名乗り出てくださったのだよ。エリスの魔力なら、今のうちから実技を学んだほうが良いだろうと。私もそれには賛成だ。」

「ですが、キールさまはお忙しいのでは?」

「実はここだけの話、今度学園に勤めることが決まったんだ。その準備期間として、エリス嬢にはボクの生徒の一人目になってほしいんだよ。」

 キールが学園に勤める、となればすなわち王立学園の教師になるということだ。これは逃れられるはずがない、とエリスは即座に理解して、キールに頭を下げることにした。

「光栄です、キールさま。よろしくお願いします。」

「うん、よろしくね。エリス嬢。」

 にっこりと微笑んだキールは、掛けていた椅子からわざわざ立ち上がり、エリスの手を取った。セリウスに見せつけるように握手を交わし、そのままエリスを自分たちが掛けているテーブルへエスコートする。

「急にキール殿が何を言い出すかと思えば、顔見知りだったとは。」

「先日王城で偶然。エリス嬢はとても優秀ですね。」

 穏やかな談笑に、特に自分から口をはさむこともなくニコニコと微笑み同席しながら、エリスは脳内でひたすらストーリーを思い浮かべていた。というのも、エリスはこの時点で既に、前世の記憶を凡そ把握していた。つまりは酷似したゲームのことも概要を思い出している。

 攻略対象の一人、カルロスとは物心ついたころに引き合わされた。ボーデン伯とセリウスが親友と謳ってはばからない人物であるため、すぐに交流が始まったために、エリスがカルロスが攻略対象だと思いだした時には、既に二人の間に友情が生まれていた。

 目立つことを好まないエリスとしては、数年後に起こるであろう聖女絡みのあれやこれやの渦中となるだろう攻略対象とは、本来距離を置いておきたい。ただカルロスは致し方ない。それ以外はもうお断りだ。キールが攻略対象ではなかったかを、必死に思い起こす。

「エリス嬢は普段、何か独学でもしている?」

「魔力を体の中で回すのはやっています。うまく回っているかわかりませんが…。」

「良い心がけだし、自主トレーニングとしては最高だ。さすがエリス嬢だね。」

「いえ…ありがとうございます。」

 表面上はにこやかに。振られた会話にはそつがなく回答しながら、記憶をひっくり返す。第二王子、第一王子の側近の騎士、カルロス、最高学年の学年次席。キールはどれにも当てはまらない。確か謎めいた保健医が、中盤のキーパーソンとして登場したが、その見目はとてもキールに似ていた気がする。ただ、とりあえず攻略対象ではないのは確かだ。その確証を得て、ようやくエリスはしっかりと微笑んでつかの間の談笑を楽しむことができた。

「ではキール殿。エリスをよろしく頼む。」

「お任せください。」

「行ってらっしゃいませ、お父さま。」

 しばらくして、セリウスは仕事のため城へと出発した。残されたキールとエリスは、相も変わらず庭園の東屋で対峙する。

「さて、エリス嬢。実際に魔力を行使したことは?」

「ない…と思います。意識しないで、ということは、何度か。」

「それは人魚の血族だからそうだろうね。人魚族は歌声に魔力を込める分、他の混魔よりも無意識下でも魔力を扱えてしまうんだ。」

「なるほど…。」

 とりあえず実践的に学ぶより先に、とエリスの現状を知ろうと幾つか質問を投げかける。時折、知識面に関しての質問を潜ませたのだが、エリスは難なくそれに答えるため、既に家庭教師のレベルが合っていないことにキールは気づいた。内心で、セリウスへもっとレベルの高い者を呼ぶよう進言することを決意する。

「実際に魔力を使用するのは明日からにしよう。エリス嬢、今日の予定は?急に呼んでしまっただろう?」

「課題はもう終わっていますので…特に予定は。」

「なら、このまま少し話をしようか。」

「はい、ぜひ。」

 そのまま二人は、日が陰るまで話し込んだ。話し込んだといっても、明日から何を実際に行うのかなど、キールからのざっくばらんなプラン共有だ。エリスの魔力量を確認し、それからどのように魔術を扱うのが向いているのか、色々試しながら確認していく。確認の手段はこう行う、など。エリスが試してみたいものも随時取り入れるとキールは確約した。

「…ああ、暗くなってきてしまったね。」

「そうですね、長いお時間、すみません。」

「エリス嬢が謝ることはないよ。ボクが話し込んでしまったからね。風が冷たくなってきた、エリス嬢は中へ。ボクはここでお暇しよう。」

「では、お見送りします。」

「ここで大丈夫。エリス嬢、また明日ね。」

「はい、キールさま。」

 ここで大丈夫、と言いながら、キールは手元で透き通った鉱石でできた鍵を揺らす。それを見たエリスは、見送りをと歩き出そうとしたのをやめ、その場で礼を取った。伏せた視界の先、しゃらり、光があふれて、キールの姿が掻き消える。

「…今のは、」

「城への転移キーですね。陛下からキールさまはお仕事を任されているとおっしゃっていましたし。」

 カルロスでもなしに、何が起きたのか。パベリーが小さく漏らした疑問符にエリスは答える。一応要職の一つに就くセリウスですら持てない魔道具、それが転移キーだ。王族の魔力を結晶化したものを核として、鉱石に埋め込み鍵の見た目に整える。王城へ急ぎはせ参じる必要のある者にしか与えられないという、希少すぎる品だ。

「…学園の、先生ですか。」

 吸血鬼の血を引く混魔の一族である公爵家の、先祖返り。学園に勤めるというのは、陛下たっての命令だろうと想像に難くない。どうやらかなり大物とのパイプを掴んでしまったらしい、とエリスは内心で頭を抱えた。

「…部屋へ戻ります。」

「はい、お嬢様。」

 考えていても仕方がない、とエリスは部屋へ戻る。その日の夕食は、無理を言って自室へ運んでもらった。ローリヤと食卓を囲むこと自体は問題ないのだが、自分が思考の海におぼれている状況で、ローリヤの機嫌を損ねないよう立ち回る自信がエリスにはなかった。

 翌日朝、キールから手紙が届いた。しばらくの間、家庭教師は来ないこと。エリスが魔力の扱いに慣れるまでは、午後毎日キールが指導すること。ある程度問題なくなれば、隔日での指導になること。家庭教師がこない間は、一日一冊以上、好きな本を読むこと。要約するとこれらの内容が書かれていた。

「…パベリー、キールさまは今日から?」

「はい、そのように伺っております。」

「そう。…今日は少し動きやすい恰好の方がいいかしら…。」

 悩んだ結果、ごくごくシンプルな、けれど可愛らしいドレスワンピースを選んで身に着けると、エリスは昼食までの間、読書にいそしむことにした。結局昨日読めなかった本が、エリスの机に積みあがっている。エリスのお気に入りは、特に古代魔術に関するものだ。魔力持ちの人々が、現在の形態だった魔術を使うまでに、どのような変遷を辿ったのか。情人から見れば単なる歴史書だが、異なる価値観も内包するエリスからすれば、壮大なファンタジーに感じられたのだった。

「こんにちは、エリス嬢。」

「キールさま、今日からよろしくお願いします。」

「うん、こちらこそよろしく頼むよ。」

 エリスがちょうど昼食を食べ終わったころ、まるで見計らったようなタイミングでキールが屋敷を訪れた。魔力を実際に扱うなら広い場所の方が都合が良いと、玄関先で迎えたキールをそのまま庭園へ通す。本来は客間で一杯ふるまうのが礼儀なのだろうが、キール自身から、堅苦しくしないでほしいと懇願されたための略式だ。

「今日はもう読書はしたのかな?」

「はい。古代魔術に関する本を。」

「…古代魔術、か。あれ、読んでいて眠くならないかい?」

「まさか。おもしろいですよ。」

「…うーん、あれが面白い、か…。」

 エリスの好む本は、どうやらキールからしても首をかしげるものだったらしい。ライルだけでなくキールにも同じ反応をされ、エリスは今後誰かと当たり障りのない会話をする際には、古代魔術に関しする話題は避けようと決意する。

「とりあえず今日は、エリス嬢の魔力量を測って、簡単な魔術を使ってみよう。」

「はい。」

「じゃあこれに手を乗せて。そう。手のひらから魔力を流し込むイメージをしてほしい。」

「はい…?」

「なんとなくで大丈夫。エリス嬢なりのイメージでいいんだ。」

「…わかり、ました。」

 キールの手のひらほどの大きさで、複雑なカットの入った鉱石。光が反射して良く見えないが、中央に赤い魔石が嵌っているのが見えるそれを、キールはそっと東屋のテーブルに置いた。子供の手が触れても、二倍はあるそれの真ん中に、エリスは手のひらを押し付ける。血液が体をめぐるようなイメージで魔力を手のひらに込めると、魔石に触れている部分から熱を感じる。恐らくこれであっているらしい、と石に重みを加えるイメージで、じわり、と手のひらの魔力を魔石に流し込んだ。

「…すごいな。」

 魔力を意識して動かすのはエリス自身初めてのことだった。だからこそ、少しばかり集中しすぎていたらしい。キールにぽん、と肩を叩かれ、エリスはそっと魔石から手を離した。エリスが魔力を込めたばかりの魔石を、キールはしげしげと眺める。

「エリス嬢、君はライルくんよりも魔力量が多いみたいだ。」

「え。」

「コントロールも無意識とはいえ出来ているようだし…うーんこれはコツさえ掴めばボクはお役御免かもしれないな。」

 はは、と小さく苦笑いを浮かべて、キールは後頭部を軽く掻いた。魔石の内部ではぐるぐると魔力が渦巻いている。成人の混魔相当の魔力量。実際問題、エリスが込めた魔力は六歳児のものと考えれば規格外だった。魔力は年齢を重ねるごと、コントロールを重ねるごとに体内に保有する量を増やしていくことができる。勿論増やせる魔力量も才能や体質次第という点はあるため無尽蔵ではない。だが今の年齢でここまでの魔力を、しかも暴発もさせずに保有しているのは規格外だった。

「…ボクも子供のころ、エリス嬢くらいの魔力量だったけれど…ボクはすぐに魔力を暴発させてたんだ。でも君はそうじゃないだろう?」

「はい…えっと、キールさま、暴発ってどんなことが起こるのでしょう?」

「ボクの場合は、自分を中心に魔力の渦を生み出してしまってたね。それで周りの魔力を吸い上げてしまうんだ。コントロールできないと人を殺しかねない…そう思って、死に物狂いで訓練したよ。」

 幼少期を語るキールの目線は、ひどくぼんやりとしていた。後悔がにじむわけではない。ただ、懐かしんでいるのとも違う。どことなくガラス玉のような目をするキールに、エリスは胸のうちがざわめいた。

「…キールさま。」

「…ん?ああ、すまない。少しぼーっとしてしまったよ。」

「いえ。あの…わたくしも、いつ魔力を暴発させるかわかりません。教えてください。」

「…うん。」

 両手を膝の上できつく握りしめるエリスに、キールはまだ少しぼんやりした様子のまま笑って頷いた。幼少期に何かしらの傷を負ったに違いないキールを、どうにかしてその傷から救い上げねばならないと、エリスの本能が叫んだ。

「よし、じゃあ、まずは魔力コントロールからやっていこうか。」

「はい。」

 気を取り直して、とキールは軽く音を立てて両手を合わせた。それから一か月後、エリスの魔力コントロールは大人顔負けの精度になり、同年代の中でも有数の魔力量を誇ることが判明するのだが、エリスの身を案じるキールによってそれらの情報は外部へは秘匿された。エリス自身も、吹聴するメリットデメリットで、無駄なやっかみを生む、というデメリットを注視してキールに従った。

 この時点で、エリスが前世の記憶で自覚した『もぶきゃら』から逸脱していたことに、エリス自身気づいてはいなかった。

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