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桜の樹の上には?

作者: aaaa

 二時間目が始まるまでの休憩時間、僕は一人で本を読んでいた。友達が多いとは言い難い僕は、文理で分れる授業では話し相手がおらず、先に自分の席に着き一人で読書をする。教科書に載っていた「Kの昇天」が面白かったので、梶井基次郎の短編集を呼んでいた。檸檬を爆発させていたのはこの人だったのかと思いながら読んでいると、急に

 「ねえ、何読んでるの?」

 と声をかけられた。目の前に斎藤由佳が椅子の横向きに座り、背もたれに腕を置いてこちらを見ていた。

日差しと電灯の光で輝く瞳は真っすぐこちらに向けられている。肩に少しかかった髪がさらさらと落ちていく。伸びた睫毛が輝いている。

 藤井由佳は吹奏楽部だったはずだが、陸上部の僕とは何の接点もなく、どうして急に話しかけてきたのか困惑したし緊張した。

 梶井基次郎の短編集と言ってもきっと伝わらないと思ったので、今読んでいる短編のタイトルを言った。

 「桜の樹の下には、ってやつ」

 僕の返事の後、斎藤はすぐに

 「桜の樹の下には何があるの?」

 と、屈託のない顔で聞いて来る。僕はこんなことを言うと変人のように思われてしまうのではないかと躊躇いながら答えた。

 「あー、死体とか?」

 「え、怖いね!それおもしろい?」

 顔全体で驚きを現している斎藤の様子に少し笑みが零れてしまう。

 読み始めたばかりで面白いかどうかも分からなかったが、今のところ、この本は面白いし長い返事をする余裕もなかったので

 「面白いよ」

 と言った。すると斎藤由佳は黙ってしまったので、面白くない会話をしてしまったなと反省する。馴れない人と話す時、いつも最低限の事を答えるのがやっとだ。その人が僕の話を必要としていると思えないので、何も話すことができず黙ってしまう。

しかし相手が会話を楽しめなくなると、そのことだけ、はっきりと感じてしまうのだ。

またやってしまった。後悔と不安で内心がパニックになる。前を向いてくれないかなと願っていたら斎藤由佳が

 「じゃあさ、桜の樹の上にはなにがあるのかな?」

 ときらきらした表情で聞いてくる。

 僕は答えに詰まる。全部は読んでいないけど、この話には桜の樹の上のことなど出てこないと思う。なら全部読んでから返事をするか?いや、全部読んでから返事をするのでは遅すぎる。僕が戸惑っている間にも、斎藤はにこにこしながら答えを待ってくれている。僕は数秒の中で必死に考えて

 「空…とか?」

 と答えた。言葉が口から浮く瞬間から「つまらない答えだな」と思ったが、斎藤は納得してくれたようで

 「あ、それもありだね!」

 と笑ってくれた。その時の斎藤の笑い方はとても気持ちの良いもので、先ほどまで会話で緊張していたことなど忘れさせてくれるようなものだった。

 

 この時はじめて彼女のことを意識した。その後は彼女の、ところを構わず咲くような明るさに気を引かれるようになった。ふと彼女のいる方を向くと笑っていたり、真剣に相槌を打っていたり、怒っていたりと色々な表情をしていたが、その隣にはいつも明るさがあった。

 そんな彼女の姿を見る度、僕はもう一度彼女と話したくなる。桜の樹の上について短く話した時に、彼女に照らされる暖かさを知ってしまったのだ。あの光に照らされたような心地よさを知るべきではなかったとすら思える。それでも彼女の近くを通るたび、また話せないかと期待する。また話すことができれば、あの時よりきっと上手く話せるのにと思ってしまう。

 きっと彼女は桜の樹の上の事など、とっくに忘れているだろうし、僕から話しかければよかっただけだ。でも彼女に声をかけようと決意すると、子供に力一杯抱きしめられたような息苦しさを感じ、耳が急に熱くなり赤くなったのが分るのだ。そうなるたびに僕は、あまりの恥ずかしさから話しかけるのを止める。そうして情けなさと恥ずかしさと、諦め切れない衝動が胸を塞ぎ、僕は考えるのを止め机に突っ伏す。

 そのたびに僕は、彼女のことが好きなんだなと思い知らされる。気づいた時には彼女のことが好きだったのだ。だがそれは恋に落ちるというよりは、波が引いては寄せるようにじわじわと心の中を占めていた。ふとした瞬間に彼女の澄んだ笑顔を見ると、それまでは遠ざけていたのに、好きという気持ちが猛烈に寄せてくるのだ。しかも忘れていた以前より確かになる。

 あの時の会話とも呼べない会話以外に、彼女と話したことはなかった。それなのに、こんなに好きになってしまう自分が恥ずかしくて嘘みたいに思えてくる。

彼女のことを考える時、二回に一回は桜の樹の上にあるものを考える。僕と彼女の唯一の繋がりである会話の答えを考えていると、本当に彼女と会話をしているような感覚になる。妄想の中では僕はいくつも自分の考えを話す。自分の考えを妄想の中で伝える度に、もっとうまく話せればいいのにと悔しみの恥ずかしさが生まれる。それでも僕は桜の樹の上についての会話を繰り返す。



 ふとある時、桜の樹の上には恋が咲いていると思えてきた。最初は何を考えているんだと思っていたが、徐々に信じられるような気がしてきた。僕は登下校の最中、桜の樹を見上げるようになった。五月で青い葉しか生えていないというのに、それでも桜の樹を必死に探して見上げてしまう。そこに上手くできなかった会話の答えがあるような気がして何度も何度も見てしまう。

 桜の樹を探すようになってから、こんな所にもあったのかと驚きながら幾つも桜の樹を見つけた。そしてその度に見上げてしまうのだ、そこには何もないとわかっていながら。

 見上げることに何の意味もないと僕は思っていた。だが、違うのだ。眺める度に、何度も想いを桜の樹の上に置いている。残された想いは雨を浴び日差しに輝き咲いていく。現実の花ならすぐに枯れるが想いは枯れることがない。置いてきた想いは永久に変わることがないのだ。静止した想いの花はいつまでも町中で咲き続ける。

 そこでふと気がつく。何も僕だけの想いが募っているわけではない。誰もが桜を見ながら自らの恋を考えてしまうのではないか。恋の色をした花弁が幾つも散るのを見ているとふと恋について考えてしまうはずだ。それは離れてしまった相手への恋でも、成し遂げられた愛でも、想いは樹の上に残っている。

 考え終わると、そうとしか思えなくなってしまった。どうかしてこのことを彼女に伝えたい。だが、きっと恥ずかしがってうまく話せないのだろう。そしてまた桜の樹の上に恋を咲かせることになるのだろう。


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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公のみずみずしい感性と柔らかい文体が心地よかったです。ありがとうございます。
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