08. 着せ替え人形
「ど……どうでしょう……」
美月は開かれた扉の裏から、ひょっこり顔をのぞかせた。
普段は下ろしたままの髪は丁寧に結い上げられて、品のいいサイズの宝石がちりばめられたバレッタで留められている。日本ではほとんどメイクをしなかった顔は、使用人たちによって丁寧に作りこまれ、頬を染めたローズのチークと長いまつ毛は美月をいかにも大人しそうな美少女へと変えていた。
それを見たリオルトとシオンは一度顔を見合わせ、そしてゆっくりと頷いた。
「悪くないですね」
「いいけど、服は? 顔だけじゃ分からないよ」
「い、いやぁ」
「サイズが合いませんでしたか?」
「いや、そういうわけじゃないですけど」
「じゃあいいじゃん、早く出てきなよミツキ」
いいわけがないじゃないですか。そう、視線に乗せて訴えて見るが、シオンもリオルトも視線の意味には気が付いていないみたいだ。そうですか、そうですよね、超ド級の美形には分からないですよね。
美月は諦め半分のやけくそ気分で飛び出した。
08.
女の子の夢を詰め込んだ宝石箱のような衣装ケースと共に使用人にベッドルームに押し込まれ、あれよあれよという間に着替えさせられた美月は、鏡に映った自分に震えた。
淡いピンクのつややかな生地の足首までのロングドレスに、華奢なハイヒール、値段を聞いたら怖くて付けられなくなってしまいそうな豪華な装飾品たち。平平凡凡の女子高校生には縁遠い品ばかりで、すべてが不釣り合いだった。
そういう洋服を着てどういう姿勢でどういう顔をしていいいのか分からず、美月は結局苦い表情のまま、隣の部屋で待機していたシオンとリオルトの前に立った。
もうどうにでもなれと仁王立ちをしたが、二人の視線が頭の先からつま先まで丁寧に観察していくのが分かると、すぐに背中が丸まった。恥ずかしくて死にそうだった。
「……悪くはない、ですが」
先ほどのメイクの感想よりも、若干歯切れの悪いリオルト声に、美月は「分かってますよ」と心の中で拗ねた。
「ミツキには、もう少しはっきりした色味のドレスの方がいいかもね。青とか、グレーみたいな寒色系のものもあったでしょ」
「そうですね」
シオンの指示で、すぐにメイド達が動き、違うドレスを二人の前に並べる。もはや自分の意志はかけらも反映されないらしい。まあ、聞かれてもわからないけれど。
完全に取り残された美月を尻目に、ドレス選びはどんどん進んでいく。
「こっちの紺色のが一番似合うと思う。ただ腰もとにもう少しポイントがあったほうがいいから、このベージュのサッシュベルトを巻いて、あのブローチで留めたらどうだろう。アクセサリーはこの金のシンプルなもので統一して……」
シオンはパズルでも組むように、てきぱきとコーディネートを作り上げていく。メイド達やリオルトをも「素晴らしいと思います」と頷かせるその様はまるでファッションデザイナーだ。“シオンのファッションチェック”とかあったら、ワイドショーで人気が出そうだな、と頭の隅で想像していると、もう一度メイド達にベッドルームに押し込まれた。
「シオン様って、本当に聖女様のことをよく見てらっしゃるわ」
「そ、そうでしょうか?」
珍しくメイドに話しかけられ、美月は驚き半分で返事を返した。
緩いウェーブのかかった赤髪をまとめた彼女は、美月の足をハイヒールに押し込みながら鼻息荒く言った。
「ええ、だってほら、今度の方がよくお似合いです」
鏡に映った先ほどよりは随分見られる姿に、美月はほっと胸を撫で下ろし、再び二人の前に出た。
「ああ、いいね」
「ええ。こちらの方がいいでしょう。では、こういった色味のものを残し、残りは返却。そしてあと3着ほど用意してもらってください」
「あのう……」
美月はおずおずと手を上げた。
部屋に戻ってから、まるで着せ替え人形のようにされ状況を把握する間もなかった。
「えっと……ドレス、そんなに必要ですか?」
「はぁ?」
リオルトが今更何を、と言わんばかりの声を上げ、美月は肩を跳ねさせた。
「当たり前でしょう。これからどれだけの人と面会の予定があると思っているんですか。両手じゃ収まりませんよ。隣国の人間を招いた夜会だってありますから」
「そんなに……」
「もちろん。みな、あなたに期待しているんですからね」
期待。
その言葉に、美月の背中はまた重くなった。
嫌なことばっかり思い出してしまう。やっとそこから逃げ出したと思ったのに、まどういう因果か、またそんなものを背負わされる羽目になってしまった。
「ミツキ?」
いつの間にか強く握りしめていた手に、そっと誰かの手が重ねられた。気が付くと、覗き込むようにシオンの紫色がこちらを見ている。その瞳に映った自分は、ひどい顔をしていた。
「大丈夫? どうかした?」
「あ……大丈夫……」
「ほんとに?」
まっすぐな目で見つめられて、一瞬返事に困った。長いまつ毛に縁取られた目は、何もかも見透かしてしまいそうだ。必死に作った笑顔の下は、できれば見ないでほしい。
「大丈夫ですよ」
「……あんまりそう見えないけど」
「緊張してしまって。ほら、私、日本では平民?みたいな、普通の人間だったので、こんな服着ちゃうとドキドキしちゃうんですよ」
作った笑顔が引きつっているのは、美月にも分かっていた。それでも、笑顔を作らずにはいられない。笑ってでもいないと、頭がおかしくなりそうだった。
笑っていれば、もうそれ以上誰も踏み込んでこないことを、よく知っている。
「……ふーん」
美月のその読みは当たった。シオンは納得こそしていないようだったが、それ以上は踏み込んでこなかった。ほっと胸を撫で下ろす。
「ところでシオン」
ドレスの指示を出していたリオルトが、思い出したように言った。
「そろそろ聖女様にダンスを教えなければいけません」
「ああ、聖騎士選定の儀の前日の夜会には、ダンスタイムがありましたっけ?」
シオンは少しめんどくさそうだった。いろいろなことを器用にこなせるタイプの彼はダンスも踊れるようだ。すごいな。美形で、副隊長で、魔力の扱いも上手くて、ダンスも踊れる。神様はシオンにいろいろ与えすぎではないのだろうか。
「ええ。不格好でも、踊れるようにならなければ。ねぇ、聖女様?」
「……え、私ですか?」
リオルトはにっこりと頷いた。
「そうですよ。メインはあなたですからね。10人の聖騎士候補達、一人一人とダンスタイムがあります」
逃げたい。
そう心の中だけで思ったつもりだったが、どうやら口からも出ていたようだ。「逃げてはためですよ」とすぐにリオルトに釘を刺される。
「聖騎士選定の儀と、前日の夜会は一大行事ですからね。国の重要な人物だけでなく、隣国からも多くのお客様がお見えです。無様な姿は見せられません」
「……胃が」
きりきりと痛み始めた胃を抑え、美月は近くの椅子に腰かけた。
「本当に……? 私が、大勢の前で……ダンス……?」
虚ろな目で覇気のない言葉を並べる美月に、リオルトは力強く頷いた。
「ええ、ダンスです」
「だ、だんす……」
「ええ、ダンス。ああ、あなたのいた世界にはダンスがないんですね。つまり、公的なパーティーなどで、着飾った男性と女性がペアになり、舞うことで。その起源は」
懇々とダンスの説明を始めたリオルトに、美月は慌てて「ダンスは知ってます」と、言葉を切った。
正式には「ダンス」という言葉は知っている。でも、そういうパーティーのような場で踊るダンスがどんなものかは分からない。でもダンスするくらいなら、まだ頭を使って唸っていた方がましだった。
高校1年生の体育でやった創作ダンスはそれはそれは悲惨な出来だった。運動神経の良さと、リズム感の有無はまったくの別物なのだと痛感した出来事だ。
「……それってやらなければいけませんか」
「はい」
「絶対ですか?」
「絶対です。今代の聖女様が素晴らしい人物であるということを示すためにも、ね?」
素晴らしい笑顔を向けられて、美月は「はは……」と引きつった笑みを返した。
馬鹿馬鹿しい。多くの期待を裏切って逃げ出した人物が、素晴らしい人物なんかであるものか。