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07. 聖女様のおしごと

 白い壁に、黄金の細工。窓から差し込む光と柔らかな緑の香りで満たされた部屋は国王の間。ふかふかの赤い絨毯の先の、華美な椅子に腰かけた恰幅のいい初老の男性を見て、美月はごくりと唾を飲んだ。

 人生で初めて着たドレスの、ボリュームのあるスカートの裾を持ち上げて、筋肉を必死に動かし笑顔を作った。

 ……ええと、この後どうするんだったかな。教わった作法は、部屋の扉が開いた瞬間にすべて吹き飛んだ。


「……あいさつを」


 斜め後ろに立つリオルトに小さく耳打ちをされて、美月は慌てて続けた。


「おっ、お初にお目にかかります。ミツキと申します」

「リオルトから聞いているよ。よく来たね」


 まるで久しぶりに会った親戚の子供に話しかけるような穏やかな声だった。


「私はローゼリア王国国王、フォルシア・ガルリオル」


 国王はニッと歯を見せて、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「さあ、チキュウの話を聞かせてくれないか?」



07. 



 背後で重たい音を立てて扉が閉まると、美月はふうと息を吐いた。掌がじっとり汗で濡れている。国王は想像よりもずっとずっと優しくいい人だったが、それでも猛烈に緊張していた。


「上出来でしたよ」


 隣を歩くリオルトが、前を見たまま言った。美月は前髪を直しつつ、「国王様がいい人でしたので」と、小さく返した。口の中がからからに乾いていて、掠れた声が出る。


「今代の国王は、とてもいい方ですからね。本来ならばあなたはすぐに国王様へ謁見しなければならなかったんですが、それも、もう少し生活に慣れてからでいいと遅らせてくださいましたし」

「感謝してます」

「国王様は私たち城に仕える人間たちにも気軽に接してくださりますし、お優しい。国民からの信もとても厚いです」


 国王のことを話すリオルトは、どこか自慢げだった。



 国王はチキュウの話をとても熱心に聞きたがった。彼は特に文化や食について興味があったようで、その話を聞くときは椅子から身を乗り出し、目を子供のように輝かせていた。

 小難しい話ばかりになったらどうしようと、テスト前夜に教科書を読み込むがごとく歴史書を読んで眠れなかった美月には、とてもありがたかった。


「なるほど、どれも旨そうだな。特にクレープとやらがいい。厨房の者たちに作り方を教えてやってくれ。今度の晩餐会で食おうじゃないか。ああ、再来月の祭りで、民たちに振る舞ってもいいな」

「国王、そろそろ……」

「ああ、もうそんな時間か。異世界の話は興味深いものばかリで、時間が足りんな」


 謁見はあっという間に終わり、国王は心底残念そうに項垂れた。側近たちが困ったように笑いながら、「また晩餐会で話せばいいでしょう」と慰める。

 本物の家族のような穏やかな雰囲気で、美月は少しだけ肩の力を抜くことができた。


「そうだな。聖女よ、また晩餐会で話そう」

「え、ええ……ぜひ」


 では、とリオルトが話を終えようとしたとき、国王は手でそれを制した。


「リオルトからきみの事情のことは聞いている。こちらの不手際ですまなかったな。ここでの生活は不便ないよう図ってはいるが、異世界のことは分からん。もし不足があればすぐに伝えてくれ」

「……いえ」

「だが、我々の国には君の力が必要でな」


 国王は背を伸ばし、まっすぐに美月を見た。


「この国のために、よろしく頼むよ」


 重たい一言だった。部屋中の視線が自分に集まったのを感じ、美月は両手を強く握った。


「……がんばります」


 その瞬間、背中に大きなものが乗ったのがよく分かった。部屋にいた誰もが安堵の表情を浮かべた分だけの重さが、そのまま自分の背中に乗った。気を抜いたら足元がふらつきそうなくらい、重い。




「……でも、私は、よく分からなくなりました」

「なにがですか?」


 すれ違った衛兵に小さく挨拶をしてから、美月は続けた。


「あの方はとても立派な王に見えました。そんな方が……私みたいな小娘に“頼む”なんて……」


 正直困惑していた。

 かけられた期待は、自分には不釣り合いなものに感じる。私なんかの力がなくたって、あの人なら国を正しい方向に導いて行ける気がしたのだ。

 リオルトは、美月を一瞥して、小さくため息をついた。


「あなたはすぐに迷子の子供のような顔をしますね」

「迷子の子供って……」


 美月はどんな表情をしていいのか分からず、眉尻を下げた。


「あなたがいないとだめなんですよ、聖女様。言ったでしょう、浄化の魔力はあなたしか持ちえないものだと。そしてその力を分け与えられた聖騎士を置くことで、この国の平穏は代々守られ続けているんです」

「はあ」

「また気の抜けた返事を……いいですか。百五十年ほど前、私たちの国では聖女様が聖騎士を選ぶのに失敗しているんですよ」

「……ん? 失敗? 失敗ってどういうことですか」


 聞いたのは“選ばれた聖騎士に、聖女が力を分け与える”ということだ。“聖女が聖騎士を選ぶ”とは少し話が違う。

 美月の問いに、リオルトは額を抑えた。顔にはやってしまったと書いてある。


「あなたには余計なことだと思って伝えてはいませんでしたが、昔は聖女が聖騎士を選び、その者に力を分け与えていたのです。今は10人の聖騎士候補を戦わせ、そこで勝ち残った一人を聖騎士としてその者にあなたの力を分け与えるようになりました」

「……なんか、今の方がめんどくさい方法なんですね」


 かといって、自分が聖騎士を選ぶ役割なんて、重すぎて耐えられないけれど。

 美月は歩くたびに揺れる水色のレースのスカートを見た。謁見前は緊張のあまりどんなドレスを着たのかまで気が回らなかったが、ずいぶんと手のかかったドレスだ。高そう。


「聖女様が聖騎士を選ぶのに、失敗したことがきっかけで、変わったんですよ」

「失敗って……どんな?」


 美月はスカートに視線を落としたまま尋ねた。


「過去、聖騎士は国中のすべての人間の中から選ばれていました。聖女様がこの人だ、と思った人を聖騎士としていたんです。それでどんな問題が起こるか、分かりますか?」

「ええ?……難しいですよ」


 そう返せば、リオルトは「少しは考えてください」と不機嫌そうに言った後、美月の進路をふさぐように立った。

 ぶつかる寸前で足を止め、顔を上げる。見上げた先のリオルトは随分深刻そうな顔をしていて、不安で肩に力が入る。


「この国で、聖騎士は騎士の中のトップです。地位も、名誉も、金も手に入ります。多くの人間にとって、それは恐ろしく魅力的なものです。……どうしたって、欲しい地位」


 低い声と共に、細い指が、美月の鎖骨の真ん中をぐっと押した。


「誰もが聖女に気に入られようと必死です。次第に金品を貢ぐ者が現れ、見目好い者は愛をささやき、ついには聖女を捕らえ、無理矢理自分を聖騎士に選ぶように脅迫する者まで現れた」


 びくり、と美月の肩が震えた。感情の読めない目で見つめられ、ごくりと息を飲む。


「そしてある時、ついに聖女様は聖騎士を選ぶことができなかった。彼女はこの国の貧しい家に育った娘でした。金品を貢がれ、自分を選べと言われ、脅迫までされて、それでも自分の背中には期待が乗っている。人生で初めての経験だったでしょうね。彼女は結局、聖騎士を選ぶ前に心を壊してしまって、そのまま自ら命を絶ちました」


 胸元からリオルトの指が離れた。触れられていた場所が冷たい。なのに、心臓だけが不穏に鳴る。


「その後の国は荒れました。度重なる天災に病の流行、そこを狙った他国からの侵略行為など。不安定になったこの国を、誰も安定させることができなかったんです。次の聖女が現れるまで、誰一人として」


 美月は背筋が冷えるような思いだった。背中がどんどん重くなっていくような気がする。

 リオルトはそんな美月を見て小さく息を吐いた。


「そんな死にそうな顔をしなくても大丈夫ですよ。その教訓から、現在の選ばれた聖騎士にあなたが力を分け与える形になったんです。あなたの今いる場所の重要さは変わりませんが、昔ほどのプレッシャーはないはずです」

「そう……ですか」


 昔ほどではないにしろ自分の背中乗ったプレッシャーは重すぎる。自分はただの高校生だ。ただの高校3年生の肩に、国の行方なんて乗せられても、どうしろっていうんだろう。

 美月の背中がその重みに耐えられず、丸まりかけたその時だった。


「わっ!」

「わぁ!?」


 勢いよく背中を叩かれて、美月の口から大きな声が出た。目を白黒させながら振り返ったさきにいたのは、口の端を上げたシオンだった。

 大きな箱を抱えたシオンの後ろには、美月の部屋付きのメイドが二人、同じように白い箱をいくつか持って立っている。


「びっくりした……」

「二人ともこの世の終わりみたいな顔してたけど大丈夫?」

「だ、だいじょうぶです」

「そう?」


 シオンにもう一度背中を軽く叩かれ、美月はほっと息をついた。


「それ、なに持ってるんですか?」

「これ? 見てみなよ」


 開けられた箱の中を覗くと、美月の口から「わあ」とうっとりとした声が漏れた。

 中に詰め込まれていたのは、女の子の夢を形にしたような、色とりどりのドレスや装飾品だ。つややかな生地が輝いている。


「どうしたんですか、これ」

「どうしたって……ミツキのだよ」

「へ?」


 何言ってるの、と言わんばかりの表情で、首を傾げられ、美月は素っ頓狂な声を出した。


「これから晩餐会だったり人に会う機会が増えるだろ。リオルト様に頼まれて新しいドレスを用意してきたんだ」

「ひ……ひえぇ……」

「はは。そんなに固くならなくたって」


 軽やかに笑って、シオンはリオルトに箱の中身を見せていた。リオルトは「ええ、充分です。あの店の仕立てはいいですからね」と満足げに頷いて、再び歩き始めた。

 メイド達に「行きましょう」と促され、美月も自室に向かって再び歩き始める。少し前を歩く二人の背を見つめながら、美月は重たくなった足を必死に動かした。


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