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04. 魔力はどこだ


 小鳥のさえずりが聞こえ始めた頃、部屋の扉が無遠慮に開かれた。昨日のメイド達を付き従え部屋に入ってきたのはリオルトだ。その姿に美月の口から「ぎゃ!」と可愛げのない悲鳴が漏れる。

半分眠った頭のまま、メイドたちにベッドから引きずり出され、またも身支度を整えられる。もう抵抗する気力もない。まな板の上の鯉ってこういうことなんだろうな、はは。と頭の中の自分が乾いた声で笑った。

 あっという間に身支度を済まされて、美月は部屋を出た。アイボリーの品のいいワンピースを着せられて、リオルトと二人で向かったのは城の地下だ。「どこに行くんですか」と聞く間もなかった。


 石造りの階段を奥深くまで降り、その最深部にある重厚な部屋の扉を開く。

そこは、美月がこの国に来て、初めて見た空間だった。



04. 



「なにか覚えていますか?」


 リオルトの問いかけに、美月は視線を漂わせたままゆるゆると首を振った。


 再び訪れたあの白い部屋を見ても、「不思議な部屋だな」と思う以上の感想は思い浮かばない。あの日と変わらず、遠近感が狂うような高い天井の部屋の奥には滝があり、そこから流れ出た水が水路を流れて部屋の中央に円を描いている。

 あの日、あの中にいた。


「とくに何も思い出せません……あ、でも」

「なにか?」

「私ここに来た時びっしょり濡れていたんですけど、それはあの奥の滝から出てきたってことでしょうか?」


 話しながら、そういえば青っぽい世界を見たような記憶が、おぼろげながら浮かんでくる。その前の記憶を引っ張り出そうとしばらく唸ってはみたが、それ以上のことはやっぱり思い出さなかった。


「近いですね。いいですか、この部屋は聖女様が聖騎士に魔力を渡す儀式の際に使用する神聖な部屋です。祝福の間とも呼ばれています」


 そう言えば、最初のときにヴィッツという男性がそんなようなことを言っていた。


「ですが、この部屋にはもう一つ重要な役目があります。聖女様が異世界に生まれた場合、この部屋に召喚するのです」

「召喚……」


 再び飛び出したファンタジーワードに、美月はこめかみ当たりを抑えながら聞いた。


「疑問なんですが、どうしてこの国の聖女が他の世界に生まれるんですか? それに気軽に召喚って言ってますけど、私のように魔力とかそういうファンタジーなものが存在しない所からやってきた人は混乱しますよね。パニックになったり、逃げだしたらどうするんですか」


 私のように。という言葉を付け加えて、美月はリオルトを見上げた。

 目が合うと、「いい質問ですね」と先生のようなことを言う。


「一つ目の質問の答えは、私たちにも分かりません。ですが過去、あなたのように異世界からやってきた聖女は少ないですが、います」


 リオルトは自らの胸に手を当てて言った。


「あなたの中には聖女の魂があります」

「聖女の魂?」

「そうです。聖女の魂は受け継がれるんですよ。先代の聖女が亡くなって、その魂はたまたま異世界のあなたに受け継がれた。つまり、あなたの魂はこちらに強い縁があるんです」

「はあ……そういうものなんでしょうか」


 魂の縁と言われても、よく分からない。「この世のすべてのものには縁がありますからね。すべては、あるべき場所に戻るようになっているんですよ」と続けたリオルトの言葉もだ。

 その話でいくと、ローゼリア王国が自分の魂のある場所ということになってしまうけれど、今のところそんな気配はない。家が恋しいだけだ。

 美月は自分の心臓の上に手を乗せ、首を傾げた。


「二つ目の質問の答えは、召喚された聖女はパニックにも、逃げ出そうとも思わない、です」


 リオルトは言い切った。

 いま、自分がこんなにもパニックになっているのに、なぜだろうか。


「どうしてですか?」

「異世界から聖女が召喚されるとき、そこに水球が現れます。異世界から来た聖女はその中で自らの役割を思い出すのです。再びこの地で生まれるように、その中で時間をかけてゆっくりと、魂に刻まれた魔力の使い方や、この国の歴史、言語など、すべてをです……通常は」

「……通常は?」

「聖女の召喚の儀式の間は、この部屋に誰も入ることができません。が、七光りの馬鹿……いえ、ある愚か者が終了前に立ち入ったんですよ。そのせいで、あなたは聖女としての記憶が一切ないまま、この世界に来てしまったというわけです」


 リオルトは苦々し気に呟いた。重たいため息を一つ着いてから、「すみません」と前髪をかき上げる。


「いえ……」


 気にしないでください、とは言えないが、話を聞いているとリオルトのせいと言うわけではなさそうだ。それを責めることはできない。

 ただ、腹は立っている。その愚か者のせいで、こんな思いをしているわけだから。その気持ちをどこにぶつけていいのか、どう消化するべきなのかは、まだ分からない。


「思い出す方法はないんですか?」

「それが分かれば苦労しません。なにせローゼリア王国始まって以来、初の出来事ですから。皆目見当もつかず……」

「そうですか……」


 美月はもう一度部屋の中を見渡した。

 もし、自分の中にあるという聖女の記憶を思い出したらどうなるんだろう。今までの自分の記憶はなくなってしまうんだろうか。

 そう思うと恐ろしい。けれど、すこしだけそうなってもいいかな、と思う自分もいて少し笑えた。


「すべてこちらのせいで、あなたには大変な苦労をかけることになってしまっています。大変申し訳ありません。ですが、記憶がなくとも、自らの魔力の使い方が分からなくとも、1か月後の聖騎士選定の儀が終わった後、あなたは聖騎士に魔力を与える儀式を行っていただかなければいけません。つまり、」

「つまり?」

「私たちには時間がないのです」



 部屋に戻ると、窓際のテーブルの上には紅茶と焼き菓子が並べられていた。

 いい香りのする菓子に誘われて、立ったままでは行儀が悪いと思いつつも自然と指が伸びる。一口サイズのパウンドケーキのようなものを選んで口に運ぶと、しっとりと甘い。朝一番からフル稼働して疲れた頭に染みる。

 ローゼリア王国の食べ物が口に合って本当によかったと思う。異世界というくらいだから、よく分からない食べ物が出てきたらどうしようと少しドキドキしていたが、今のところそんなことはない。少し不思議な味がするものもあるが、基本的には日本で食べていた洋食の味だ。


「いいですか」


 ほっこりしていると、突然、目の前に辞書のように分厚い本がどざどさ置かれる。


「今日からあなたにしていただくことは大きく分けて3つです。この国の歴史や常識を学ぶこと、聖女様にふさわしい立ち居振る舞いを身に着けること、そして一番重要なのは魔力を正しく使えるようになることです」

「は、はあ……」


 圧に押され、気の抜けた返事を返した美月に、リオルトの目がギラリと光った。


「安心してください、聖女様。あなたが儀式までに聖女らしくなれるように、私がつきっきりでお教えいたしますから」


 そんな凶暴な笑みを浮かべて言われても、全然安心できないです。美月はぶるぶると震えながら心の中で言い返した。

 地獄の家庭教師リオルト爆誕の瞬間だった。右手に持った細い指示棒が、恐ろしい凶器に感じる。


「ではまず座学からです。午前中は暗記をするのにいいんですよ。さあ、座ってください」


 丁寧な口調だったが、それは命令だった。指示棒で示された席に恐る恐る腰かけ、開かれた本に視線を落とす。そこに辞書の文字のように細かな字が書かれているのを見て、美月は絶望した。


「いいですか、まず。話は1500年前に遡ります」


 せんごひゃくねんまえ!

 その言葉だけで、美月の微かにあったやる気は粉々に打ち砕かれた。もうそこからは地獄だった。早口でこの国の歴史を紡いでいくリオルトの口元をぼんやり見ながら、右から左へ音が流れていく。時折「ぼーっとしないでください」と本を指示棒で叩かれ、意識を引き戻すも、やっぱり何を言っているのかは分からなかった。


「ちゃんと聞いてますか?」

「聞いてはいます」

「聞くだけではだめですよ。覚えてください。聖女様には教養も必要なのです」


 本当に教養なんて必要なのだろうか。美月は眉間に深い皺を寄せたリオルトを見ながらぼんやりと思った。だって、その儀式が終わったら日本に帰るのに、わざわざこんなこと必死になって覚えたって意味がない。

 生徒のことを考えない一方通行気味な授業に少し疲弊していた美月は、ついぽろりとこぼしてしまった。


「私には必要ないと思いますけど」

「……なんですか?」


 恐ろしく冷たい目に睨まれて、美月はすぐに自分の発言を後悔した。きれいな人間の怒り顔の迫力は半端ない。

 けれど、言ってしまったものはもう消えない。美月は少し戸惑いながらも、その先を続けた。


「だって、私……儀式が終わったら帰るって聞いてます……」

「……誰に聞いたんです?」

「……シ、シオン、さんに」


 そう伝えれば、リオルトの眉間の皺はより深くなる。シオンの名前を出したのは失敗だっただろうか。自分のせいで彼が怒られてしまうのは申し訳ない。

 リオルトは深いため息と共に前髪を掻き上げると、「まあ、間違いではありませんが」と前置きをしたうえで


「ですがあなたは、これから最低でも1ヶ月間、聖女として様々な位の高い方達に会ったり、式典に出る必要があります。そんな人が、何も分からないのでは困るでしょう?」


 と、正論を述べた。美月はぐうの音も出ない。はい、その通りです。と、言いたいところだが、そもそも自分の意志で来たわけではないのに、そんな正論を言われても納得しきれない。


「それは……そうですが……」


 美月は俯いて、下唇を噛んだ。


「……分かりました。あなたはとにかくこういう暗記のようなものは苦手なのですね」


 美月の様子を見ていたリオルトは、わざとらしい大きなため息をついて、本を閉じた。


「苦手です」

「あなたは何が得意なんですか。チキュウで、なにか習い事とかをしていませんでしたか?」

「得意なこと……」


 脳裏によみがえった風を切る音。心臓の音と呼吸の音だけの世界で、一番前を走る快感。

 でも、それはもう全部、捨てたのだ。


 美月はへらりと気の抜けるような笑みを浮かべて「ないです」と言った。

 リオルトの眉間に皺が寄ったのは見ないことにする。いいんだ。失望されるのにだって、もう慣れた。リオルトは何か言いたげだったが、結局何かを言うことはなかった。諦めたように机の上の本を片付け、机の上に銀のトレーを置く。


「なんですか、これ?」

「これからは魔力の使い方の練習をしましょう。教養に関しては、最悪私が側にいれば助けることができますが、魔力の使い方だけはどうしようもありません。これだけは1か月後までには必ず使いこなせるようになってもらわなければ」

「はあ」

「気の抜けた返事はやめてください」


 ぎろりと睨まれて、美月は肩を跳ねさせた。先ほどまでの座学とは迫力が違う。魔力を使いこなすことができるというのは、きっとそれほどまでに必要なことなんだろうと嫌でも思い知らされた。

 美月は姿勢を正し、銀のトレーを覗き込んだ。


「あなたの魔力は浄化」


 そう呟いて、リオルトはトレーの上に手をかざした。一拍置いて、そこにこぶし大の氷の塊が生まれる。


「私たちはマナの力を借りることしかできませんが、あなたはそれらと対話することができます。さあ、いまこの氷を構成するマナと対話し、この氷を消してください」


 何言ってるんですか? と言わなかっただけ大人だと思ってほしい。もし昨日シオンから魔力について簡単な説明を受けていなかったら、なんのことかさっぱり分からなかっただろう。そんな料理のレシピを読み上げるみたいに言われたってやろうと思ってできることではない。

 美月はしばらく固まったのち、ゆっくりとリオルトを見た。


「えっと……ど、どうやって……」

「対話するのです」

「対話」

「ええ、対話」


 なるほど、わからん。

 けれどそんなこと言える雰囲気ではない。美月はひとしきり考え込んで、そっと自分の掌を氷の上にかざした。その一挙手一動を、リオルトに観察されながら美月は必死に思い出していた。

 友達に借りて読んだマンガ、最近見たドラマ、ハリウッドの映画、すごい力を持った人が何かを消したりするときはどうしていただろう。多分、こうやって手をかざし、なんか言うんだ。ええと……


「き、消えろ?」


 戸惑いがちに言ったその言葉は誰に拾われることもなく消え、氷は消えなかった。


「き、消えません、でしたね……へへ」


 いったい何をしているんだろうとバカバカしくなって、表情が不自然に崩れる。けれど恐る恐る見たリオルトの目は真剣そのものだ。「もう一度」という真面目な声に促され、美月はもう一度、先ほどよりも少しだけ自信を持って、「消えろ」と言った。けれど氷は消えない。

 そりゃそうだ。


「いいですか、意識を集中しなさい」

「は、はい」

「その氷の中のマナが、そして私の魔力がどんなものか、しっかり感じるんですよ」


 掌の位置を変えたり、声の大きさを変えたり、美月は変化を付けながら何度も氷に「消えろ」と話しかけた。だが何度やっても変化はない。長時間のその行為に、意識がぼんやりし始めた頃、リオルトがようやく「もうやめましょう」と言った。

 難しい表情で頭を抱えるリオルトを見ると、どうしようもなく情けない気持ちになった。それをごまかすように、美月は笑顔を作り、明るい声を出す。


「やっぱり、人違いじゃないんでしょうか?」

「いいえ。あなたは間違いなく聖女様ですよ。召喚の儀で、ちゃんとこの国にやってきたじゃないですか」

「でも、その、私ぜんぜん魔力なさそうなんですけど……」


 リオルトはそう言った美月を一瞥して、もう一度ため息をついた。


「……いいえ。あなたにはちゃんと魔力がありますよ。自分で自分の中にある魔力を感じませんか?」

「……ま、魔力ですか」


 そんな現実感のない言葉を言われたって、そんなファンタジーなものについて考えたこともない。体のどこにあるのかも分からない魔力とやらを探して、お腹のあたりに手を当てて考えてはみるものの、そんなものは感じない。


「感じません」

「もっと集中して」

「うーん……やっぱりないですよ。私、聖女なんかじゃありません。きっと違う人間を間違って呼んだんですよ。そうに違いないです!」

「……は?」


 地獄の底から沸き上がったような不機嫌さ丸出しの声に咎められ、美月は背を逸らした。咄嗟に「ご、ごめんなさい」と謝ると、疲れ切ったリオルトは「いえ……」と気まずそうに視線をそらした。


「すみません。取り乱しました……ですが、間違いはありません。私をはじめとした優秀な魔導士たちによって執り行われた召喚の儀に問題はありましたが、間違いはありませんでした」

「そう……ですか」


 気まずい空気が漂う。

 美月は手元に視線を落としながら、儀式を邪魔したという愚か者を心底恨んだ。


「あなたが、今代の聖女様です」

「あまり、実感がないですけど……それこそ、シオンさんが助けてくれなかったら言葉も分からなかったわけですし……」

「そうですね、シオンが……ん? シオン?」


 リオルトは目を見開くと、勢いよく立ち上がった。口元を抑え「でも……いや、試す価値はあるか……」とぶつぶつなにかを呟いている。その鬼気迫る様子に美月は少し引いた。


「……今日はこれで終わりにしましょう」

「え? あ、はい」

「私はすることができました。失礼します」


 リオルトは口元を抑え、考えこんだ姿勢のまま乱暴に本をまとめると、足早に部屋を出て行った。

 突然のことにぽかんとしていると、もう一度扉が開いてリオルトが顔だけを覗かせる。


「その氷を消す練習はしておいてくださいね」


 と言い残して、扉が再び閉められた。返事をする間もない。慌ただしい人だ。

 美月はゆっくりと視線を氷に落とした。氷は持つと冷たい。ただの、普通の氷だ。この氷に話しかけろと言われても、なんのことだかさっぱりだ。そして対話というからには、この氷もまた、私に話しかけることができるのだろう。


「……きみは私と話ができるの?」

 

 窓から差し込む光にそれをかざすと、キラキラと輝いた。きれいだ。けれどなにも伝わってはこない。


「なーんにも、分からないなぁ」


 リオルトに聞かれたらぶっ飛ばされそうだが、素直な気持ちだ。これが現実だと理解しつつも、急に扉が開いて「どっきり大成功!」と誰かが笑ってくれないだろうかと思う自分もいる。


「……早く帰りたいな」


 ぽつりとつぶやいた言葉は、どこからかやってきた弱い風に乗って溶けるように消えた。



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