22. 「会いたい」
「彼氏が欲しいーっ!」
学校帰りにいつものメンバーで寄ったのはいつものカラオケボックス。そこに響いた魂の叫びは、ハウリングを起こし、耳が痛くなるような高音の後、カラオケボックスの中に笑いをもたらした。「英恵、うるさい!」「気合入りすぎてコワいよ!」
そんな友人たちの声に「いいの、私の本音だから!」とマイクを持った少女、英恵は悪戯っぽいウインクを返した。そして、ふと、端の席に腰かけたままの友人、美月を見る。
テーブルの上に並んだスナック菓子、積まれたフリードリンクのグラス、大好きな音楽。好きなものを詰め込んだこの部屋で、彼女だけが所在なさげだ。まるで、机の端にぽつんと置かれた不思議な色のドリンクみたいだ。採点が最下位だった人に飲ませようといろいろなものを混ぜたが、あまりに悲惨な出来だったので、結局誰も飲んでいないそれ。
放置されたグラスには水滴が浮き、テーブルに小さな水たまりを作っていた。美月は、ぼんやりとそれを見ている。
22.
「美月ぃー!」
「わっ!」
横から思い切り抱きつかれ、美月は声を上げた。見れば、不満そうに頬を膨らませた友人の英恵が、マイクをこちらに向けている。
「歌わないの?」
「あ、うん。ごめん。まだ、曲探してて」
「割り勘なんだから、歌って食べないと損だよ!」
「うん。そうだね」
「……大丈夫? なんか最近ぼーっとしてるよね。ほら、1週間くらい前からさ」
そうかな? と笑ってはみたが、英恵の顔が曇った。きっと上手く笑えていないんだろう。美月はごまかすように曲を入れ、マイクを受け取り立ち上がった。大声を出すと、腹の中に溜まっていたものが出たような気もする。
こちらに戻ってから一週間。美月はすっかりただの女子高校だった。
マナを感じられるのではと意識を集中しても、雑音のようなものに遮られているような感覚がして、何も感じられない。当然、魔力を感じる人間もいない。自分を聖女と呼ぶ人間もいない。だから、なにもできない。
普通の高校生として決まった時間に学校に行って、授業を受けて、友人と話すだけだ。残されたネックレスだけを拠り所にして、ふとした瞬間にそれを握っては、あれが夢の中の出来事ではなかったことに少しだけ安心する。
けれど、同時に怖くなる。
自分はいつまで、ローゼリア王国でのことを覚えていられているのだろうか。いつまで、みんなの、シオンの声を覚えていられているのだろうか。みんなはいつまで私を覚えていてくれるのだろうか。今、ローゼリア王国はどうなっているのだろうか。シオンは、どうしているのか。
「……美月?」
結局、流行りの歌は慰めにはならない。
美月は声を詰まらせた。涙が堰を切ったように溢れて、止まらない。抑えた口元から嗚咽が漏れた。マイクを机に置いて、体を丸めた。
「美月、だ、大丈夫?」
「わっ! ど、どうした美月」
慌てて近くへやってきた友人たちに背中を擦られ、美月は震える声を出した。
「……会いたい」
「え?」
「……好きな人に、会いたい」
誰かかが、曲を止めた。曲がフェードアウトしきった頃、ようやく一人が「え?」と声を出す。
「え? 好きな人? え?」
「ま、待った、美月。なに、急に好きな人の話?」
「これって興奮していい所? それともあんたを慰め続けるべきところなの? よくわかんないだけど!?」
興奮が抑えきれない。けれど泣いている美月も心配。喜ばしいことと悲しいことが、突然同時にやってきて美月の友人たちは混乱していた。互いに顔を見合わせて、言葉はなくとも通じ合う。『とりあえず、順を追って聞こうじゃないか』と。代表として英恵が咳払いを一つ。
「えー、美月さん」
「……なんで敬語」
「あ、うん。美月。で、美月、好きな人がいるの?」
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、美月は小さく頷いた。
「えっと、それはつまり片思いってことかな?」
美月は差し出されたハンカチで目元を擦りながら、「違う」と小さく言った。話を見守っていたうちの一人から、即座に「まじで!?」と興奮を抑えきれない声が上がったが、すぐに気を取り直す。
「えーっと、つまり恋人だ」
「多分」
まじで!? 言えよ! いつからだよ! ていうか、相手誰?! と、心の中の自分が騒ぎ立てたが、「多分」と言った瞬間、再び美月の目から大粒の涙がぼろぼろと溢れたので、風船のように膨らんだ気持ちは萎んだ。
英恵は、美月の頭を抱えるようにして自分に抱き寄せた。
「どうしたの、美月。そんな嬉しいことがあったのに、なんで泣いてるのよ」
「……もう、会えないから」
「もう会えないって?」
「すごく遠いところに行っちゃった」
美月はそう言うと、体を起こした。涙をもう一度乱暴に擦り取ると、「ハンカチ洗って返す」と言って自分の制服のポケットに押し込む。それからため息交じりに「ごめん」と言った。
「変な感じにしちゃったね」
「いや……いいよ。っていうか、つまりそれって彼が引っ越したってこと?」
「うん。まあ、そんなとこ」
「会えないって、外国とか?」
「うん……すごく遠い国で」
美月はテーブル置いてあった、氷が溶けて薄まったジュースを飲んだ。困ったように笑って、もう一度「ごめん」と言った。
曲の入っていないモニターからは、若手女性アイドルグループのインタビュー動画が流れてくる。テーマは握手会について。会いに来てくれるのが一番うれしい、とグループのリーダーは笑っていた。
「……そうだよ」
英恵は最後の1本だったフライドポテトをひょいと食べて言った。
「会いたいなら、会いに行くしかなくない?」
「……それは」
「泣くほど会いたいんでしょ」
「……会いたい」
「じゃあ、会いに行きなよ。外国でもなんでも、今はだいたいどこだって繋がってるんだし、とこだって行けるんだしさ。バイトだってなんだってして……」
「でも……」
美月は視線を逸らした。
「それは、なんていうか、無理だと思う」
「なんで? 住所とか分かんないの」
「分かんない」
「うーん。そっかぁ」
英恵は唸りながら、天を仰いだ。まるで自分のことのよう悩んでくれている姿を見て、美月はほんの少しだけ気持ちが軽くなった。
「じゃあ、なんかないの彼からもらったものない? 彼の場所が分かるようなさ―」
「それも――」
ない、と言いかけて美月は気が付いた。
――私がシオンからもらったものは、本当にこのネックレスだけだっただろうか。
頭の中を、猛スピードで記憶が戻っていく。そして、見つけた。
美月は、服の上からネックレスを握りしめた。突然、真っ暗だった世界に光が差したようだった。
「違う!」
美月は勢いよく立ち上がった。机に足が当たって、皿やグラスが音を立てる。
「え!?」
「あ、ごめん。分かんないけど、なんか、その……いけるかも!」
「お、おお? どうした急に」
「思い出したの。あるかも! 手がかり、あるかもしれなくて」
美月は鞄からとりあえず5千円札を取り出して、机に置いた。「多すぎるよ」という声も、今日は無視。おつりを受け取る時間さえ、今はもどかしい。
「帰る!」
「えっ?」
「ご、ごめん。今度話すから!」
挨拶もそこそこに、スニーカーを履きなおして、コートも着ずにカラオケボックスを飛び出した。
今にも雪が降ってきそうな冬の街を、全速力で駆け抜ける。鼓動が早くなる。
「た、ただいま!」
自宅へと戻った美月は、靴を乱暴に脱ぎ、そのままリビングに飛び込んだ。台所で夕食の用意をしていた母親が、まん丸な目で息を切らした娘を迎える。
「お、おかえりなさい」
「お母さん!」
返事もせずに、美月は大股で台所に入った。その目は興奮しを隠し切れずらんらんと輝いている。
娘のこんな顔を見たのはずいぶん久しぶりだと思いながら、母親はぜいぜいと肩で息をする娘に、麦茶を渡した。それを一気に飲み干すと、ぶはーっ、とビールを飲みほした父親のような声を出す。
「ねえ、美月」
「うん?」
「……走ってきた、の?」
「そう、走ってきた」
どこか照れたように言って、美月は母親に向き直った。
母親は驚いた。陸上を辞めてから、彼女は走ることどころかその言葉を口にするのさえ嫌そうだったから。だから、娘のどこかすがすがしい言葉に驚いて、そして少しだけ泣きそうになった。
「あのさあ母さん、これから、友達の家に泊まりに行ってくる」
「友達?」
「英恵とか、クラスの友達の家に」
「どうして?」
「……明日テストがあって、それがヤバい」
「そうなの」
「だから、わたし、ちょっと明日の帰り遅くなるかも」
「いいけど……相手のお家にはご迷惑じゃないの?」
「多分、大丈夫。きっと、待ってると思う」
多分、きっと。待っててくれる。会いたいと思っていてくれる。そんな確信が、美月にはあった。
「そうなの?」
「うん。行ってもいい?」
「いいけど……」
まだ答えを渋る母親の手を握り、美月は強く言った。
「心配しないで。ちゃんと帰ってくるから」
絶対、多分、きっと、帰ってこれる。シオンもいるし、リオルトさんもいる。大丈夫なはず。実際に1回帰れたんだから、またこっちにも戻ってこられる。
だから、大丈夫。私は、大丈夫。
美月のまっすぐな目を見て、母親はようやく「いいわよ」と呆れたように言った。
「ちゃんと勉強しなさいよ」
「うん、ありがとうお母さん!」
「大声で騒いだりして迷惑かけないのよ」
「はぁい!」
返事をするやいなや、美月は自分の部屋に駆け上がった。
走ってきたのとは違う意味で心臓がばくばくと音を立てている。神経が高ぶっているのが自分でもよく分かった。けれどこのままではいけない。自分はローゼリア王国で聖女として半人前だった。それなりになってきたとはいえ、まだかなり集中しなければいけない。ここは、あの世界ではないのだから。
部屋の扉を閉めて、緊張を鎮めるように息を吐いた。そして、部屋の電気を付けないまま、ベッドに腰を下ろす。開いたカーテンから、月明りが部屋に差していた。
目を閉じて、深呼吸を一つ。意識を自分の深い場所に持っていく。やっぱり雑音のようなものに邪魔されてなにも感じない。けど、まだ。もっと深く。一番深くまで。自分の魂に問いかける。
私には、きっとそれが残っている。
『言語を理解させるというのは、自分の言語に関する知識を魔力と周囲のマナと共に相手に押し込むことで成り立ちます』
あの日、言葉を理解するために彼が使った禁術の残りが。
「……あった」
見つけたのは小さな小さな光。
あるはずだと思っていた。だって私はまだ、記憶の中の彼らの言葉を理解できている。つまりそれは、まだシオンの魔力やあの時押し込んだマナが自分の中に残っているということだから。
つんと鼻の奥が痛くなった。よかった。あの日々は夢でも妄想でもなくて、真実。もらったネックレスは過去の思い出なんかではなくて、まだちゃんと繋がっている。
美月は祈るように石を両手で硬く握り、自分の中に感じる小さな魔力とマナに問いかける。
「……あなたたちを、正しい場所に戻したい。連れて行ってくれる?」
誰かが、耳元で笑った気がした。




