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20/23

20. 美しい月


 祝福の儀は、聖騎士選定の儀に比べるとずいぶんと少人数で、そして厳かに執り行われた。


 美月はシオンと共に、部屋に入った。

 あの日以来、この部屋に入るのは初めてだが、やっぱりとても不思議な場所だと思った。日本とも、そして地上とも違う、少し特別な場所に感じる。

 滝の前では数人の魔導士らしき人と国王、そしてリオルトが待っていた。

 美月は隣に立つシオンを見上げた。正装に身を包んだその横顔には、わずかながらに緊張が見てとれる。


「大丈夫?」

「余裕」


 こんな時でもシオンはシオンだ。周囲を安心させてくれる笑顔。

 けれど貰ってばかりなのも気に入らない。美月はシオンの背を軽く叩いた。


「二人だから、大丈夫だよ」


 シオンは一瞬目を丸くしたが、すぐにくしゃりと笑った。


「心強いね」

「失敗してリオルトさんに怒られるときは一緒だよ」

「なんで失敗すること前提なのさ」


 小さく漏らした笑いと共に、シオン緊張の糸が緩んだのが美月にも分かった。それがうれしくて、美月も笑った。

 二人は水路が描く円のまで歩き、ゆっくりと向き合った。一呼吸置いてシオンが膝をつき、美月の手を取る。そして祈るように、その手の甲に額を押し付けた。


「“あなたを聖騎士と認め、私の力を分け与えます”」


 美月は、事前に練習した言葉をよどみなく紡いで、意識を手に集中した。自分の中にあるものを、触れ合ったところからシオンへと送り込む。触れ合ったところが熱を持った。

 



20.




「無理です、無理無理むーりー!」

「強情ですね! いい加減聞き分けてください!」


 月明りに照らされた城の一室へ続く廊下では、美月とリオルトによる攻防戦がピークを迎えていた。見守るメイド達はハラハラと二人の顔を交互に見ている。

 美月の恰好は、純白のナイトドレス。髪はゆるく巻かれて、薄く化粧も施されている。


 おかしいと、おもっていたのだ。


 儀式を終えると、そこからが本番だと言わんばかりに予定がみちみちに詰め込まれていた。

 なにやらわけが分からない書類に山ほどサインをし、シオンとリオルトがよく分からない術式を書いたりするところを見たり重要そうな人物に会ったりと、気が付くとあっという間に夜になっていた。部屋に戻ると、ここ数日の疲れがどっと襲ってきて、美月はいつもよりも早い時間に部屋の灯りを消した。ベッドに潜り込むと、すぐに眠気で瞼が下がる。

 と、その時だった。控えめなノックの音が部屋に響く。なんてタイミングの悪い。このまま寝てしまおうかとも思ったけれど、ノックは止まらない。


「……はい」


 美月はしぶしぶ扉を開けた。扉を開けるとメイド達と、その後ろにリオルトが立っていた。


「……え? ど、どうしたんですか? わたし、今から寝るところだったんですけど」


 そう返すと、メイド達が不思議そうに首を傾げ、互いに顔を見合わせている。首を傾げたいのはこっちだ。美月はあくびを一つ噛み殺した。


「聖女様」

「……はい」


 リオルトがにっこりと笑った。短い付き合いだが、なんとなくわかる。リオルトがこういう有無を言わせないような笑顔をするときは、たいていろくでもない言葉が続くのだと。


「もう一仕事残っていますよ」


 さあ、やってしまいなさい、あなたたち。と、どこぞの悪党のようなリオルトのセリフで、メイド達に部屋の中に押し込められる。

 リオルトはもう少し、説明するということを覚えるべきではないだろうか。と、あっという間に服を脱がされ、風呂場に押し込められたときに思った。もうすでに風呂には入ったと言うのに、やたらめったらに洗われて、風呂を上がるとこれから寝ると言っているのになんだかこじゃれたナイトドレスを着せられて、化粧までされてしまう。

 まだ眠たい目を、化粧をよれさせないように擦りながら、美月は再びリオルトの前に立った。


「ご苦労様です」

「はあ、なんなんですか、もう……こんな時間から仕事って……」

「こんな時間だからこそ、ですよ」


 ついてくるように言われ、美月はリオルトの後ろを歩く。見覚えのない廊下を歩いていると気が付いたのは、ずいぶん経ってからだった。


「どこ行くんですか?」

「……部屋ですよ」

「……どこの?」


 リオルトがくるりと振り返った。


「魔力がどうやって相手に与えられるか分かりますか?」

「はい?」

「あなたの魔力がどうやってシオンに行くか、ということですよ」

「……え? 昼間渡したじゃないですか?」

「あんな短い時間の、皮膚同士の交わりでは、たいした量は入っていないと思いますよ」


 不穏な気配に、美月の目が覚め始める。


「……じゃあ、どうするんですか?」


 リオルトは不敵に笑った。


「歴代の聖女と聖騎士が、なぜ夫婦の形をとることが多かったのか分かりますか?」


 美月の頬を、冷や汗が伝った。


「魔力は聖女が聖騎士に接触することで分け与えられます。もちろん、手を触れ合わせるだけでも、相手に魔力を送るという意思があれば問題ありません。ですが、もっと効率よくできる方法があるんですよ」

「効率、よく?」


 何を言っているのか理解できず、美月はオウム返しに尋ねた。


「口づけを交わし、聖騎士と交わるんです」


 たっぶり10秒固まったあと、美月は脱兎のように駆け出した。

 足が速くてよかったと、美月は今、心の底から感じている。伸びたメイド達の手をすり抜け、「待ちなさい!」と叫ぶリオルトの声を振り切る。


「ななななんですかそれ!」

「知りませんよ! でもそういうものだって決まっているんです!」


 リオルトの声から逃げるように美月は来た道を全力で戻った。


「なんの問題があるっていうんですか?」

「問題しかないですよ!」

「あなたとシオンは好きあっているでしょう。何の問題があるんですか」

「なに言って、っ!?」


 衝撃的な発言に美月が振り返り、ひっくり返った声を出した時だった。何かにぶつかって、思い切り尻もちをついたのは。

「いたた」と腰の辺りを抑えると、目の前に手が差し出される。


「なにしてんの?」


 シオンだった。

 ラフなシャツにパンツ姿のシオンを見て、美月は固まった。なんてタイミングの悪さ。今は、会いたくなかった。


「シオン、その小娘の手を離さないでくださいね!」

「ミツキはまたリオルト様に怒られてたの?」

「いや…そういうわけじゃないんですけど……」

「なんで敬語?」


 シオンの顔が直視できないまま、その手を取って立ち上がる。髪を振り乱し、息をぜーぜーと切らしたリオルトが追いついてきた。


「シオン、この小娘と一緒にとっとと部屋に行ってください」

「……ああ」


 その言葉を聞いて、シオンは全て察したようだった。それが、美月にはどうしようもなく恥ずかしかった。頬の熱をごまかすように視線を逸らす。


「というかシオン。あなたなぜこんなところに……部屋にいるんじゃなかったんですか?」

「ん? ちょっと用事ですよ。もう済みました」

「はあ。それならいいんですが……」

「もういいじゃん。ミツキ、部屋行こ」


 シオンに手を引かれ、美月は歩き出す。

 いや、どんな顔をすれば……。足元に落とした視線を上げられない。いたって平然と話すシオンがどんな顔をしているのか、まったく想像もつかなかった。

 え、もしかして、私が間違っているのかな。交わるって、そういうあれじゃなくて、もしかしてもっとカジュアルな感じのやつ? 


「はい、ミツキどーぞ」


 が、部屋に足を踏み入れて、そういうカジュアルなやつではないと、美月はすぐに分かった。

 大きな窓から入る月明りで照らされた部屋の中央には、天蓋付きのベッド。枕は二つ。ベッド脇のテーブルや棚には柔らかな光のキャンドルが。ほんのりと香る甘い香りはキャンドルのそれだろうか。どこからどう見ても、恋人同士のための部屋。

 美月はドアの前で石像になった。


「そんなカチカチにならなくたって」


 シオンはからからと笑いながら、美月の肩を叩いた。


「いや……」

「ん?」


 なんでそんな平然としているんですかね。

 半目で問いかけてみても、返ってくるのは笑顔だけ。


「まあね、ミツキがそうなるのは分かっていたからさ」

「はあ……」

「とっておきがあるよ」


 シオンはベッドに向かい、枕元から何かを取り出した。


「これなーんだ?」


 目の前をひらりと舞った白に、美月は「あ」と口を開けた。


「私の制服!」


 シオンからそれを受け取って、美月は自分に当ててくるりと回った。

 白を基調としたセーラー服と濃紺のスカート。丁寧に折りたたまれたタイツと革靴も、続いてシオンが持ってきた箱の中に納められいた。


「てっきり捨てられたのかと……」

「まさか。メイドがしっかり洗濯して、片付けておいてくれたんだよ」

「そうなんだ」


 初めて高校の制服を受け取った時のような新鮮な気持ちだ。美月はセーラー服をまじまじと見て、宝物を抱くように抱きしめた。


「着てみたら?」

「えっ!?」

「今の恰好よりは落ち着くんじゃない?」


 そう言われ、美月は改めて自分の恰好を見た。

 冷静になれば、年頃の男女がベッドの前で戯れるには相応しくない格好だ。いや、こういう薄手のドレスの方が相応しいといえば相応しいのかもしれないけれど。

 少し躊躇したが、結局美月はシオンの言葉に甘えることにした。備え付けられた浴室で、ナイトドレスを脱いで制服に着替える。


「じゃ、じゃーん!」


 気恥ずかしさをごまかすように、少しおどけてシオンの前に姿を出す。

 ベッドに腰かけたシオンは、一瞬目を丸くしてから口の端を持ち上げて、優しく美月を見上げた。


「ああ、懐かしいね」

「最初に会った時は、この恰好だったね」

「変な服だなーと思ったよ」

「え!?」


 変なの? と首を傾げると、「この国にはそんなに短いスカートはないよ」と続けられ、納得した。確かに久しぶりのミニスカートは膝のあたりがスース―する感じがする。

 美月はスカートのプリーツを確かめるようになぞりながら、「変かな……」とぽつりとつぶやいた。


「はは。でも、やっぱりそっちの方が、ミツキに似合うよ」


 シオンは頬杖をついて言った。その表情は少し困って見える。


「懐かしい?」

「うん。すごく」


 シオンは「そっか」と目を閉じた。そして、次に開いた時、その目はまっすぐに美月を見ていた。

 深い紫の瞳が、暖かな色の光を受けてゆらゆらと揺れている。


「……帰りたい?」


 シオンの優しい問いかけに、美月は目を見開いた。

 急に、喉がとても乾いたときのように唇が震える。思いもよらなかった質問に後頭部を殴られた気分だ。助けを求めるようにシオンを見返したが、シオンの表情は変わらない。いつもならこういう時、必ず助けてくれるのに。

 その反応を見て、美月の心臓は大きく音を立てた。

 シオンは本当に、私の答えを待っている。

 言ってしまったらすべてが変わってしまう。怖い。しばらくは必死に唇を噛み言葉をせき止めていたが、ついにあふれ出るように「……うん」と小さな声が出てしまった。


「ん」


 シオンはその言葉を肯定するように頷いた。

 美月の顔がくしゃりと歪む。一度溢れてしまうと、止まらなくなった。涙がぶわりと零れ出す。

 帰りたい。やっぱり、帰りたい。日本では苦しいことも、嫌なこともあった。でも、嬉しいことも楽しいこともいっぱいあった。ここに残ると言い切るには、今まで積み重ねてきたものは大きすぎる。なにも捨てられない。

 けど、それでも、


「すき……」

「え?」

「でも、私、シオンのこと好きなの……」


 透けて消えてしまいそうな声が出た。寂しさと悲しさが、シオンへの熱い気持ちに混ざってぐちゃぐちゃだ。


「自分でも、こんなこと言ってどうするんだよって思うけど、シオンのことが好きで、離れたくないって思うんだけど、でも、帰りたい気持ちもあって……ごめん。こんなこと言って、シオンが困るだけって分かってるんだけど……」


 ぼろぼろと零れる涙を袖で拭きながら、美月は俯いた。

 今まで積み重ねて来たものは捨てられない。でも、ここに来てからの思い出や経験だって、捨てられない。生まれてしまった、シオンへの想いを捨てられない。


「……ミツキ」


 シオンの穏やかな声と、両頬を包んだ暖かさに導かれるように、美月は顔を上げた。立ち上がり、自分を見下ろすシオンの目が、優しい色で細められる。

 彼は、諭すように言った。


「僕も、美月のことが好きだよ」


 言葉は美月の揺れる心を吹きわたり、一瞬の驚きの後に、春のような穏やかさをもたらした。自然と頬が待ち上がり、涙が止まった。

 心が暖かいもので満たされていく。


「最初はさ、妹みたいに感じてた。初めて城に来た頃の自分と重なって、なんとか気持ちを楽にしてあげられないかなって思ってたんだ」

「……うん。すごく、助けられた。ありがとう」

「でも、いつからか……ミツキが笑ったり、泣いたりしてるのを見ているうちに、自分の中にそれ以上の感情が生まれて……」


 シオンは少し恥ずかしそうに視線を逸らした。


「……ミツキと一緒にいたくなった。自分以外の人間がミツキの隣に立ったり、ミツキが誰かに泣かされたり苦しめられるのを想像するとどうにかなりそうだったよ」

「……は、恥ずか死ぬ……」

「そういうこと言わないでくれる? 僕だって恥ずかしいよ……こんなの」


 シオンは困ったように笑ってから、美月の額に自分の額を軽く押し付けた。

 互いの息が触れ合う距離で、甘い言葉が届けられる。


「好きだよ、ミツキ」

「……わ、私も」

「愛してる」

「う、うん」

「愛してるよ、ミツキ」

「……ちょ、ちょっと、恥ずかしいから、もう少しお手柔らかに……」

「嫌。だってさ、」


 シオンが熱のこもった声でそう言った次の瞬間、美月の視界は反転した。

 背中がふかふかのベッドに沈み、両手はシーツに縫い留められている。視界いっぱいに広がるのは、自らを押し倒すシオンだ。

 理解すると、頭が沸騰した。


「う、うわ! まままま待っ――」


 その先の言葉を飲み込むように、唇が押し付けられた。

 美月にとって、初めてのキスだった。

 あまりのことに、体が動かなくなった。唇を真一文字に閉じて、目を固く瞑る。息はどうしたらいいんだろう。どうやって息をしていたっけ。短距離走の直後のように、心臓が早い。口から飛び出して行ってしまいそうだ。


「――っん!?」


 そんなことを思っていると、唇がぬるりと舐められて、声にならない悲鳴が出た。

 シオンの舌は明確な意思を持って、唇を割ろうとしている。これ以上はもう無理だ。美月は必死に足をばたつかせた。

 ようやく、シオンの唇が離れていく。


「ちょっと、」

「ミツキ――」


 文句の一つでも言ってやろうかと、美月はシオンを睨んだ。

 けれど、見上げた先のシオンが今にも泣きそうな顔をしていて、言葉が続かなくなる。

そして再び、中途半端に開いたままの唇にもう一度シオンの唇が押し付けられた。噛みつくようなキスだった。

 唇を閉じる間もなく、舌が入ってくる。

 体が熱くなって、頭がくらくらした。次第に指先がしびれ、全身から力が抜けていく。

 どれくらいそうしていたのか、やっとシオンの唇が離れた時には、美月はもう呼吸もままならなかった。


「ミツキ」


 シオンの熱い手が、頬を滑った。涙で滲んだ視界で、シオンの輪郭がぼやけている。

 いま、どんな顔をしているの。


「さよならだ、ミツキ」

「――え?」


 滑った手が、胸元に触れる。

 次の瞬間、もうシオンはいなかった。




 月明かりが照らす静かな部屋。シオンは一人、ベッドの上に座り込んだ。

 熱のこもった息を吐き、窓の外を見上げる。大きな満月が静かにこちらを見下ろしていた。


「……美しい月で、ミツキ」


 いつか彼女が言った言葉を、そのまま反芻する。小さな声は、誰にも拾われることなく暗闇に溶けて消える。

 シオンは目を閉じて、まだ熱の残るベッドに倒れこんだ。



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