02. どっきり大失敗
石造りの薄暗い階段を上ると、白い壁の廊下に出た。洋風の建物だ。世界中の建物を見ることができるテーマパークで見た、ヨーロッパのお城の中に似ている気がした。
02.
部屋に案内され、美月はぎょっと目を剥いた。
どこかの高級老舗ホテルのスイートルームのような部屋の中では7人のメイド服を着た女性達が、「お待ちしておりました」と、列を作り頭を下げている。彼女たちの圧に押されるように後退すると、その背中を押しとどめるように背中に手が置かれる。
「どうされました」
それはこっちのセリフである。
美月は背後の人物を見上げ、心の中で悪態をついた。
見上げた先にいた男は、リオルト・ギルバートと名乗った。この国の、魔導士長で、聖女の世話役だと言う。当然のようにその名前を口にしたが、“まどうしちょう”が何か分からずに、3回も聞き返してしまった。聞き返すたびに、その整いすぎた美しい表情が曇っていくのはつらいものがあったが、分からないものは分からないのだから仕方がない。
リオルトもまた、銀の長髪に銀の瞳という、日本人どころか地球離れをした容姿をしていた。白に金の刺繍が入ったローブが様になってしまうくらいには美形だ。
「……いえ」
「大丈夫です。お話は、身支度を整えられた後で。濡れたままではお体に障ります。ではあなた達、よろしくお願いしますね」
リオルトはメイド達にそう告げて、部屋の扉を閉めた。
美月はいたって平凡な女子高校生だ。父はサラリーマン、母はフルタイムのパート。中学生の弟が一人。貧しくはないが、裕福でもない。美月も週に2回はコーヒーチェーン店でアルバイトをして、自分のお小遣いを稼いでいる。
そんな美月にとって、そこからの流れはまさに想像を絶していた。
「服くらい自分で脱げますから!」
叫ぶように言っても、メイド達の手は止まらない。びしょびしょの制服と下着をあっという間に脱がされ、花びらが浮かぶ湯舟に導かれ、体を洗われる。浴室には終始美月の絶叫が響いていたが、それを気に留める者は誰もいなかった。
浴室から出た時には、すでに口から魂が抜けかかっていた。着せられたバスローブは柔軟剤のCMに出て来るもののようにふわふわだ。美月にとっては人生初のバスローブだ。下半身が心もとない。
恥ずかしがる間もなく天蓋付きのベッドの前に立たされると、そこにはファンタジーの世界から取り出したようなドレスを並べられていた。「いかがなさいますか」と聞かれても分からない。仕方なく「適当なので」と言うと、一番シンプルな淡い水色のドレスを着せられる。息つく間もなくメイクと髪型を決められて、甘ったるい香りの香水をかけられる。
隣の部屋の窓際のテーブルセットの席に座らせられた時には、美月はすっかりぐったりしていた。
「ああ、いいですね。らしくなりました」
「……どうも」
満足げなリオルトに、椅子に座ったままじっとりとした視線を投げると、彼は薄く笑った。
「では、何からお話しましょうかね」
リオルトは美月の前の席に腰かけた。細かな彫刻に縁取られたテーブルに、上品な皿とカップのフルーツと紅茶が並べられる。
全ての用意を終えたメイド達を下がらせ、リオルトはふうと息を吐いた。そして優雅な所作で紅茶を飲むと、カップを持ったまま、まるで観察でもするかのように頭から足先まで美月を見る。
「……ここはどこですか」
なかなか話を始めようとしないリオルトに、美月は少しいら立ったような声を出した。
「そんなに慌てなくとも、時間はいくらでもありますよ」
「……いいから、答えてください」
「せっかちな聖女様ですね。分かりました。お答えします。ここは、ローゼリア王国王都の王城の中です」
「ロ……ロ―ゼリア? し、城?」
美月は、その聞き慣れない地名をそのままリオルトに返した。
「ええ、ローゼリア王国。ヴィント王国の東です」
ろーぜりあ、ローゼリア、ローゼリア?
美月は混乱の中、半分しか機能していないような頭を必死に回転させて、その地名を探した。残念ながら勉強はほとんどしてこなかったので、そんな名前の国はどこにも収納されていない。名前の響きから適当にあたりをつけて、少し申し訳なさそうに聞いた。
「……すみません、それってつまりヨーロッパってことですか?」
「……ヨーロッパ?」
今度はリオルトが首を傾げた。しばらくその視線は宙を迷い、「ああ」と思い出したように声を上げた。
「チキュウの地名ですね」
「そう、です、けど」
「そうですね……ここはチキュウではありませんから、ローゼリア王国はヨーロッパではない、としか言えませんね」
美月の目に、リオルトの穏やかな笑みが映る。その男から発せられた言葉を理解するスピードで、美月の目が見開かれた。
「……は?」
「ここはチキュウではありませんよ」
美月はしばらく固まったあと、絞り出すように「……どういう意味ですか」と言った。
「どういうもこういうも、言葉のままです。ここはチキュウではない、別の世界です」
「別の、世界?」
「あなたはローゼリア王国の聖女として、神と、我々魔導士達によって導かれたのです」
――どっきり?
しばらくリオルトの顔を見たまま固まった美月が、ファンタジーな設定から導き出した答えは一つだった。どっきり。そうだ、そうに違いない、そうでなければ説明がつかない。
美月は周囲を見渡して、どこかに隠されているであろうカメラを探した。
最近日本では、この手のどっきり番組が流行っている。素人の視聴者をどっきりに巻き込んで、不思議な出来事が起こったとき、それを信じるか信じないか検証する番組だ。まさか自分が、とも思うが、いたずら好きの友人達が勝手に応募したとなれば話は分かる。
「……ここがローゼリア王国、というのは分かりました」
これがどっきりだと思うと美月は急に冷静になれた。もう少しこの美しい人間が語る、ファンタジーな設定を聞くのも悪くないと思えるくらいには。
少し冷めた紅茶に口を付けて、美月はリオルトの言葉の先を待った。
リオルトは突然冷静さを取り戻した美月が腑に落ちない様子だったが、「呑み込みが早いのは助かります」と話を続けた。
「聖女であるあなたには、聖騎士に選ばれたものに“祝福”を送っていただかなければなりません」
「……その、さっきから気になっていたんですけど、聖女ってなんですか?」
「……あなたには、本当に聖女の記憶がないんですね」
リオルトはわずかに目を見開いた。そして小さくため息をつくと、はらりと落ちた長い髪を耳に掛ける。
「この国には代々、聖女と呼ばれる乙女がいます。彼女達は唯一無二のに“浄化の魔力”を持っています。聖女に祝福を受けた聖騎士は、その美しい魔力を使うことを許され、その力に生涯守られ続けるのです」
「はぁ……」
魔力。またも登場したファンタジーワードに、美月は気の抜けた返事を返すことしかできない。
「来月、聖騎士を選ぶ儀式が行われます。その勝者にあなたは自らの魔力を与える。それが祝福を送るということです。それでこの国は、その聖騎士と聖女が生きている間は安定するんですよ。分かりましたか」
分かるわけがない。美月は頭を抱えた。
このどっきりを考えたやつに文句を言いたい。もう少し、現実感がないと、さすがに引っかかれない。ファンタジーすぎる。テレビのスタッフやどっきりに応募した友人たちのことも考えて、引っかかったふりをしようと思っていたが、これ以上は正直しんどい。
美月はそろりと手を上げた。
「ごめんなさい。もう限界です」
「……なにがですか」
「どっきりですよね、これ。カメラどこですか?」
「どっきり? カメラ? あなたは何を言っているんですか?」
リオルトは苦々しげに呟いた。
「ああ、まったくめんどくさい。あの男が途中で邪魔をしなければ、もっとまともに連れてくることができたのに……」
「なんですか?」
「いえ、こちらの話ですよ」
どうやら彼はまだ演技を続けているようだが、もう美月の心は冷めきってしまった。これ以上、このどっきりに付き合う気はない。こういう場合、部屋の外にはスタッフが待機しているはずだ。
美月は席を立ち、扉に向かって歩き始めた。
「どこに行くんですか」
「もう演技はいいですよ。スタッフさんいますか? もう気が付きました。どっきりですよね、これ」
「待ちなさい」
「待ちませんよ。スタッフさーん」
大声で呼んでも誰も出てこない。不審に思いながらも、部屋の中を扉に向かって真っ直ぐ進む。ふかふかした絨毯の床が気持ち悪い。こんなふうに、この部屋に来たのでなければ、もう少し楽しめただろうに。
後ろでリオルトさんが、「いいかげんにしてください、怒りますよ」と叫んでいるが、いいかげんにしてほしいのはこっちだ。
誰でもいいから、早く、どっきりでしたって、言って。
早く「ひっかかった」って笑って。お願いだから。
沸き上がる不安を必死に押し込めて、祈るような気持ちで扉に触れようとした、その時だった。
目の前の扉が、一瞬で凍り付いたのは。
「……待ちなさい、と言ったでしょう」
何が起こったのか理解できず固まる後ろから、冷え切った声が聞こえた。ぱきぱき、ぱきぱき、氷が割れる音が徐々に近づく。昔、登校中に道路に貼った薄い氷を割って遊んだときの音とよく似ている。けれどあの時のようなわくわくする気持ちはない。
足元から這い上がる恐怖が、呼吸を乱す。
「なにを勘違いしているかは分かりませんが、すべて現実です」
すぐそこで聞こえた声に、美月ははじかれたように振り返った。そこにいたリオルトの目に温度はない。自然と後ずさる足を見て、リオルトは嗜虐的な笑みを口元に浮かべた。
「それ以上はいけませんよ、聖女様」
リオルトの指先が指揮者のように宙を滑った直後、美月の足は何かに掴まれたように動かなくなった。
「ヒッ」
視線を落とした美月の口から引きつった悲鳴が漏れた。自分の膝から下が氷漬けになっている。
見たことのない光景に、脳は完全にキャパオーバーだ。視界がぐらぐらと揺れ、呼吸が乱れる。頭の中ではガンガンと警告音が鳴っている。
「大人しくしてください」
氷のように冷え切った手に、両手を掴まれたところで、美月の視界は真っ暗になった。