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19. それぞれの戦い

「たーすーけーてー!」


 何度目かの絶叫が、部屋にむなしく響いた。当然のごとく返事はない。

 美月は盛大に咳き込んで、ぜえぜえと息を整えた。口の中に鉄っぽい味が広がる。喉が切れたらしい。


「くそ、なにが聖女様だよ」


 結局、眠らずに朝を迎えた美月は、疲れていた。疲れすぎて、少しおかしなテンションになってしまっている。普段なら言わないような悪態が、当たり前のように口から落ちる。

 うっすらと隈のある目を血走らせながら、手の拘束を解こうとかろうじて動く上半身を、再び必死に動かした。


「くそ。覚えてろよ。ぼっこぼこにしてやるからな……」


 なんて小物感あふれるセリフだろう。とてもまともな神経の時にはとても言えない。実際にヴィッツ達に向かって行ったら返り討ちになることも分かっている。それでも言わないと気持ちが収まらない。

 が、どれだけ口を動かしても、腕のロープはびくともしない。


「あー! もう!」


 髪をかき乱したい気分だが、そうすることもできない。苛立ちと焦りをたっぷり含んだ息を吐きだして、美月はなんとか冷静さを取り戻そうとする。


「……もう、始まってるよね……」


 聖騎士選定の儀は朝から始まると聞いている。

 太陽の位置は高い。


「どうしたら……」


 美月は疲労でぼんやりし始めた頭を必死に動かした。助けは来ない。立ち上がることだってできない。腕も自由にはならない。見える範囲にロープが切れそうなものなんてどこにも……。

 心が絶望に染まりそうになる。美月はぎゅっと目を閉じて、必死に自分の心を奮い立たせた。


 ――シオン。


 今どんな気持ちでいるのだろうか。どういう顔で、戦っているんだろうか。想像すると、胸が痛んだ。いつだって自分を助けてくれた人に、自分は何もしてあげることができない。聖女様だと祭り上げられたって、結局ただの人間だ。とてつもない無力感。自分一人では何もできない。


『まぁ、お守りだよ』


 ふと、美月は首元で揺れるその存在を思い出した。


『いつだって味方がいるんだって、思い出してよ』


 あの時の熱を、まだ思い出せる。首筋に一瞬かかった息も、美しく輝いた金色の髪も、柔らかな髪も、はにかんだような笑顔も、掠れたような声も、全部覚えている。


『――困った時には、それを使いな』


 美月はゆっくりと目を開けた。


『その石には僕の魔力が入ってる。困った時には、それを使いな』


 シオンからもらった、ペンダント。


 ――もしかしたら。


 美月は一度息を吐いてから、もう一度目を閉じた。

 ざわつく心を落ち着かせ、石に意識を集中する。わずかだが、ちゃんとシオンの魔力を感じる。春の陽だまりのように暖かで、心地のいい魔力だ。

 鼻の奥がつんとした。魔力はその人間を表わすと教えてもらった。シオンは優しい。


 会いに行かなければいけない。

 いま、自分にできることはそれだけだから。


「……力を貸して」


 出来るかどうかは分からない。自分がリオルトから教わったのは、浄化の力。魔力と混ざり合って異常状態になったマナを元に戻す力。そして、偶発的に使えるようになった増強の力。「マナをより集め、マナの形をより魔力と融合しやすい形に変化させ、その力を増強させることができる力」

 美月はリオルトから教わったことをそのまま口にした。学校の授業で勉強したことはなかなか思い出せないのに、驚くほど滑らかに口から出て、自分でも少し驚く。


 目を閉じると、世界は心臓の音と、呼吸の音だけ。まるで、スタートラインに立った時のようだ。

 

 美月は思い描く。強い風の音を。


 風は、自由だ。時に人の心を吹きすさび、立ち上がる心を委縮させるけれど、その背中を押すのも、風だ。私は、風が大好きだった。

 だからもう一度、立ち止まったスタートラインから走り出す。前に進む時だ。道を切り開く風の音が聞こえる。


 瞬間、美月の腕と足元を勢いよく風が抜けた。

はらはらと足元に細切れになったロープが落ち、腕と足が開放される。


「き、切れた!」


 自由になった両手足を見て、美月は興奮を隠せなかった。

 美月は自分の周囲のマナに働きかけ、形を変えた。シオンの魔力と混ざり合い、強い風を生むように。自らを縛るものを切るほどの風を。


「やってみれば、できるもんだなぁ……すごい」


 けれど、驚きの後にやってきた喜びは一瞬で消えた。そうだ、喜んでいる場合ではない。美月はすぐに立ち上がると、扉に一直線に走った。が、直前で踏みとどまる。部屋には鍵がかかっているはずだし、扉の外には見張りだっているだろう。扉を破ったって、すぐに捕まってしまうはずだ。それでは意味がない。

 美月は咄嗟に窓へ向かった。窓から見える範囲には人気はなさそうだ。人の多い城の中を抜けていくよりも、隠れる場所も多い外を抜けていく方がよっぽど可能性が高いだろう。

 が、問題はどうやって降りるかだ。当然だがさっき手足を縛っていたロープは使えない。物音を立てないように部屋の中を見て回ったが、他のロープは見当たらなかった。が、代わりになりそうなものはあった。

 美月は自分が転がされていた古いベッドを横目で見た。


「……映画で見たことあるなぁ」


 ベッドのシーツを伝って、降りるやつ。


 埃っぽい、使いこまれたシーツ。繋いだらなんとかなるかもしれない。

ものすごく、不安だけど。

 けれど悩んでいる時間はもうない。美月はできるだけ音を立てないように、けれど素早くシーツを縛ってつなぎ合わせた。部屋の扉がいつ開くか気が気ではない。見つかった時点でアウトだ。焦りが手元を狂わせて、何度も手が滑り単純な作業にも時間がかかる。

 こんなことをしている間に、シオンが負けてしまったらと思うと、涙が出そうだった。


「私が、泣くな……」


 泣いている暇なんてない。

 出来上がった急ごしらえのロープをベッドの足に括り付けて、窓の下に垂らす。少し長さが足りないような気もするが、もうそんなことを言っている暇はない。

 美月は窓の縁に足を乗せた。

 落ちたら無事では済まなそうな高さだ。足がぶるぶると震えてしまう。


 それでも行かなければいけない。行きたい。

 私はあなたの味方でありたい。



19.



 無事、足が地面につくと、一気に汗が噴き出した。大した運動をしていないのに、気を抜くとこのまま倒れてしまいそうなくらい疲れている。けれどここが踏ん張り時。美月は自分の頬を力いっぱい叩いて走りだした。周囲を警戒しながら、庭園を駆け抜ける。さすがに国を挙げての一大行事だけあって、城を見回る衛兵はずいぶん手薄になっている。物陰に隠れながら、どんどん進む。

 風が髪をさらっていく。

 もう、走り方を忘れているんじゃないかと少し不安だったけれど、思っていたよりずっと走れる。最後はもう走ることを想像するのも嫌だったのに、今は走れて本当によかったと思っている。こんなに重たいドレスを着ているのに、不思議と体が軽い。ずっと走っていられそうだ。


「わっ!?」

「あ、し、失礼しました」


 調子に乗って前をしっかり見ていなかったからか、建物の角で誰かにぶつかった。美月はよろめき、自分のスカートの裾を思いきり踏んで尻もちをつく。

 痛い、がやってくる前に頭に浮かんだ言葉は、「やってしまった……!」だった。恐ろしくて顔を上げられない。おおかた、ぶつかった相手は城の衛兵だろう。


「大丈夫ですか?」

「え、ええ……」


 問題なのは彼が、味方かどうかだ。


「お手を……」

「いえ。自分で立てますから」

「そんな……ん? というか、貴女は……」


 味方か、それとも敵か。


「聖女様!? どうしてここに!? ヴィッツ様が、」


 その先を聞く前に、美月は脱兎のごとく駆け出した。「おい、聖女様が逃げたぞ!」と背後から声が上がり、「なにぃ!?」と声が集まってくる。

 もうこうなったら見つからないように、なんて気にしてはいられない。もう後は全力で走り抜けるだけ。頭の中で正確性に欠ける地図を広げ、自分に向けられる好奇と驚きの混じった視線を跳ね返し、訓練場の裏手にある競技場へと進む。


「え、せ、聖女様?!」

「ごめんなさい!」


 アーチ状の入口に立っていた見張りを突き飛ばし、美月はついに競技場の中へと転がり込んだ。


 競技場に入ると、その形に沿うように薄暗い石造りの廊下があった。人の姿はない。自分の位置を確認するため、窓から、身を乗り出す。大きな爆発音が空気を裂き、観客の歓声が壁のように押し寄せた。眼下に広がるのは円形に作られた客席。客席にはみっちりと人が入っている。城下の人間が全員集まったんじゃないかと思うほどだ。興奮を隠しきれない観客の視線は、白煙に覆われた中央の円形の舞台に向けられている。

 爆発音があがったのはあそこだ。そして、シオンがいるとすれば、あそこだ。あそこに、いかなければいけない。が、どうやらここは競技場の最上階に当たる部分らしい。とにかく下へ向かわなければ。

美月はもう一度走り出した。

 試合が白熱しているおかげで、裸足でヘアメイクぐちゃぐちゃの薄汚れたドレスを着た女を気に留める者はほとんどいなかった。時折、客席から歓声が上がる。それが、シオンが負けたことによるものでないことを、何度も何度も願った。

 ようやく最下層に辿り着いて、「え? 聖女様?」と驚く見張りを押しのけて、外へと出た。そこに客席はなく、舞台を囲むように細い通路があるだけだった。低い天井の上は客席だろう。

 少し向こうから、剣と剣がぶつかり合う音が聞こえた。覆っていた薄煙が晴れ、そこにいる人物が浮かび上がる。


「シオン……」


 舞台の中央では今まさに、2本の剣がぶつかり合っている。ヴィッツの剣と、シオンの剣だ。

 容赦のないヴィッツの剣を、シオンは眼前で受け止めた。歓声が大きくなる。


「シオン」


 美月は中央で戦うシオンの名前を呼んだ。声はかき消されて届かない。周囲を見渡して、できるだけ近くへと足を進める。通路と舞台の間には胸元ほどまでの塀がある。美月は身を乗り出して二人を見た。

 戦いは拮抗しているが、次第にシオンが劣勢になっていく。美月は力のかぎり叫んだ。


「シオン!」


 剣を受け止めたシオンが、視線だけでこちらを見た。


「っ!? ミツキ?」


 受け止めた剣を振り払って、シオンはヴィッツから距離をとった。頬に通った赤い線からどろりと血が垂れる。


「なんで、どうして……」


 シオンは信じられないとでも言うように、首をゆるゆる振った。


「観覧席にいるんじゃなかったの? それにその恰好は一体……」

「なんだ、逃げ出してきたのか」


 ヴィッツのつまらなさそうな声に、シオンはゆっくりと視線を向けた。


「どういう、意味ですか」

「そのままの意味さ。椅子に縛り付けておいたのに、逃げ出してきたのかってことだよ」

「どういうことだよ」

「ご退場いただいていたのさ。俺は優しいからな。お前だって惚れた女の前で無様に切られるのは嫌だろう」

「お前……」


 シオンは歯を食いしばった。一瞬で瞳が燃えるような怒りに染まり、剣を握り直す。


「なんだ、かかってくるのか」


 ヴィッツは笑った。

 そして、その場で勢いよく剣を振る。剣からは炎が蛇のように伸び、シオンへと向かった。シオンは剣でそれを受け止め、振り払った。炎はシオンの背後に流れ、大きな音を立てて壁にぶつかった。

 さっきから時折聞こえていた爆発音はこれらしい。あの日、訓練場で見たものとは桁が違う。当たっていたら、怪我では済まないだろう。美月はぞっとした。

 避けられてよかったと息をつく間もなく、ヴィッツの剣がシオンに叩き込まれる。 


「で、聖騎士になってどうする? お前みたいな貧しい家の者が、なんのために聖騎士になる?」


 ヴィッツは畳みかけるように言った。


「憧れの聖騎士様になりたい? 笑わせる。その地位はそんな子供のような夢には見合わない! 俺には今まで先代たちが築いてきたものがある。各地の貴族や有力商人達との繋がりも、周囲からの信頼も、お前には何もない!」


 シオンは吹き飛ばされた。姿勢を崩したシオンに向かってヴィッツは容赦なく炎の玉を打ち込んでいく。なんとか張った風の壁で、炎は直撃こそしなかったが、立ち上がったシオンはふらついている。


「まさか、聖女様のために、聖騎士になりたいとでも? お前の大切なものを捨ててまで? 冗談だろ?」


 シオンは何も言わなかった。ヴィッツは優雅な笑みを浮かべる。


「俺と、なにもないお前と、どっちがここで勝つべきか分かるだろ」


 ヴィッツの剣の切っ先が、真っ直ぐシオンに向けられる。

 美月は、もう我慢できなかった。


「なにもない、なんてない!」


 なにもない、なんてそんなことはない。シオンはたくさんのものを持っている。彼のまわりにいる人たちが、その証拠だ。

 

「シオン、あなたの夢はあなただけのものだから! 他の誰も背負えないし、誰かに背負わされるものでもない! 夢の終わりを、誰かに決められたりなんか、絶対にしない!」


 怒りを吐き出すように、美月は腹の底から叫んだ。


「私はあなたの味方だから! 最後まで、側にいるから!」


 ――ああ。


 美月は気が付いた。今言った言葉は、全部、自分が言ってほしかった言葉だと。

 不思議な気持ちだった。あれだけ誰かに応援されるのが苦しかったのに、そんな自分が誰かを勇気づけるような言葉を言うなんて。


「――っ、でも!」

「大丈夫だから、孤児院は、っあ!?」

「聖女様、お部屋にお戻りください!」


 肩を思い切り引き寄せられ、美月は姿勢を崩した。腕を掴んでいるのは、さっき振り切ってきた衛兵だ。後ろを見れば、他の衛兵もやってくる。


「離して!」

「離せません。さあ、部屋に戻りましょう!」


 腕力勝負になってしまえば美月に勝ち目はない。なんとか腕の拘束から抜け出そうと、無茶苦茶に腕を振り回してみる。


「そんなものが当たるとでも、うがっ!」


 当たった。見事なまぐれ当たりだが、渾身のグーは衛兵の右頬を打ち抜いた。衛兵は頬を抑えたままよろめいて、美月の腕を解いた。


「あ、えっと……ご、ごめんなさい?」

「……このぉ、小娘が……」


 衛兵は完全にキレていた。取ってつけたような謝罪も、火に油だ。

 追いかけてきた援軍も加わって、これで三対一だ。逃げ場所もない。じりじりと壁際に追い詰められながら、美月は舞台にちらりと視線を向けた。

 再び、剣が交じり合っている。明らかにシオンが劣勢だ。

 シオンは迷っている。ここにいる自分の存在も、言った言葉も、すべてが彼の剣を鈍らせている。ヴィッツはそんな状態で勝てるような相手ではないのだろう。顔面すれすれに迷いなく打ち込まれた剣を受けて、「くそっ」とシオンの口から悪態が漏れる。


「シオン」

「ミツキ、っ、くそ!」

「シオン、孤児院は大丈夫、ぐっ!」


 伸びた手が口を覆う。3人がかりで両腕と口を押えられては勝ち目がない。それでも、と口を覆う手を噛んだ。「いだっ!」と手が離れた。


「シオン、孤児院は」

「うるせぇ!」


 頭が揺れるような衝撃が美月を襲った。頭が揺れて、視界がぐらつく。殴られた、と気が付いたのは、もう一度口が覆われた後だった。熱を持った痛みが、顔の右側をしびれさせている。


「おい! お前、ミツキに、」

「よそ見してる場合か、シオン!」


 ヴィッツが一気にシオンとの距離を詰めた。


「あのまま大人しく切られていれば、怪我を怪我だけで済んだのに!」


 ヴィッツの剣は容赦なくシオンを追い詰めていく。


「身分不相応な夢なんて最初から持つべきじゃないなぁ。なぁ、シオン」

「何を……」

「全部抱えようとするから、結局一つも得られないんだ!」


 シオンの剣は打ち払われ、大きく空いた左の脇腹に容赦のない蹴りが入る。吹き飛ばされ、地面を滑るように倒れこむと、観客たちが沸き上がる。


「なあ、お前に選択肢はないだろう、シオン」


 シオンはぐっと下唇を噛んだ。うつむきがちなまつ毛が震えている。彼の中の天秤が揺れている。私か、孤児院か。夢か、現実か。

 くやしい。美月は、出口を失った口の中で、何度もその言葉を繰り返した。くやしい、くやしい、くやしい。味方になる、なんて言ったって、結局なにもできない。たった一言を伝えることだってままならない。

 目を開けていると涙が出そうだった。一滴だって、こいつらのためになんて零すものかと固く目を瞑る。「やっと自分の立場が分かったか」と嘲笑うような声が降ってきて、腕を振りほどこうするが、がっちり掴まれて動かない。いつもだったら多少のチャンスはあったかもしれない。けれど一睡もせず、全力疾走した後だ。もう、体はろくに動かない。

 ヴィッツは美月の様子を確認すると、小さな笑みをこぼした。


「最後のチャンスだ。お前は気に入らないが、それなりに優秀な部下だ。負けたと言えば、お前のことを切らない。孤児院も、あのままあそこに存続させてやる」


 勝利を確信した、言葉だった。

 美月もシオンでさえ、ヴィッツの勝利だと、そう思った。


「……シオンの孤児院が、なんです?」


 聞こえた声に、美月は目を開けた。


「ギ、ギルバート魔導士長!」

「リオルトさん……」


 正装に身を包み髪をゆるく縛ったリオルトが、衛兵達に目を向けた。絶対零度のその視線に、彼らだけでなく美月も肩を跳ねさせる。「これは……その……」としどろもどろな言い訳をしながら、手が美月から離れた。

 その間に入るように足を進めたリオルトは、背後に立つ美月を横目で見た。


「姿が見えないと思ったら……」


 ため息交じりの言葉に美月は「すみません……」と項垂れた。

 文句の一言でも言われるかと思ったが、代わりに頭を一度撫でられる。驚いて顔を上げた時には、もうリオルトの顔は正面の男達の方を向いていた。


「で、なんですか?」


 冷え切った声が、矢のように放たれる。


「これは……」

「あなたたちは、彼女が誰か分かっていないんですか?」

「その……」

「彼女にこんな手荒な真似、誰の許可を得てしているんです?」


 男たちは互いに顔を見合わせ、俯く。口は堅く結ばれ、その人物の名前を言う気はないようだ。

 リオルトは、心底面倒くさそうに息を吐くと、「まあ、いいでしょう」と言葉を待つのをやめた。


「で、シオンの孤児院、いえ、正式には“私の孤児院”に何かありましたか?」


 リオルトはそう言うと、一枚の紙を舞台に向けた。

 “証明書”と題されたそれに書かれた一文を読んで美月は丸くする。


「……“ペリオット孤児院はリオルト・ギルバートが購入したことを、ここに証明する”……」


 まさか、とヴィッツの口がかすかに動いた。

 シオンも目を丸くしている。


「まったく、信じがたいほど高い買い物でしたよ。所有者が、とんでもない価格設定にしていましてね。確かにあの金額なら、妻も娶らず、趣味も持たず、仕事一筋で生きてきた私のような人間でないと購入できなかったでしょう。貯金が吹き飛びました」


 リオルトはふぅ、と息を吐いてそれを再び懐に入れた。


「愚かな弟子に教えてあげましょう。切り札は、最後までとっておくものだとね」


 そう言ったリオルトの笑みは極悪極まりなかった。自分に向けられたのではないとは分かっていたが、それでも美月は背筋がひやりとした。トラウマものだ。


「こちらはもう大丈夫」


 リオルトは美月の肩を支えるように抱いて、言った。


「あとはあなたが決めなさい、シオン」


 シオンはその言葉を理解すると、ゆっくり前を向いた。

 紫の瞳が射抜くのは、ヴィッツ。その瞳に、もう迷いはなかった。

 血は沸騰したかのように熱く、全身の血管すみずみまで行き渡っている。けれど頭はやけに冷静で、クリアだ。シオンは自分が、今までかつてないほど興奮して、そして集中しているのが分かった。


「……ヴィッツ」


 深呼吸を一つ。シオンは剣を構えた。剣に風が纏わりつくように吹く。姿勢を低くし、駆け出す。勢いそのままに、渾身の力を込めて剣を振った。

 刃先は、ヴィッツの剣が受け止める。高い音が鳴って、舞台上に強い風が吹く。がちがちと競り合う二つの剣は、何度か弾かれ合って、またぶつかった。

 互いの魔力と剣の力がぶつかり合う、すさまじい戦いだった。歓声は次第に止み、誰もが息を飲んで戦いを見つめる。

 二人は一旦距離を取り、呼吸を整え、にらみ合った。きっとこれが最後だ。次に剣が交じり合ったら、勝敗が決するまで二人は止まらないだろう。そうなるだろうと、誰もが感じていた。

 最初に駆け出したのはシオンだった。受ける構えをとったヴィッツに、ありったけの力を込めて剣を振った。力比べになろうとも、ここで負けるつもりはなかった。

 が、いつもたやすくヴィッツの剣は弾かれた。最初から力など込められていなかったのではないかと思うほど――。

 姿勢を崩し、そのまま仰向けに倒れたヴィッツに、シオンは馬乗りになった。

 ヴィッツはまるで、こうなることが分かっていたかのように、口の端を吊り上げた。


「馬鹿だな」


 誰に向けるでもなく小さくつぶやかれた声は、誰にも届くことなく静かに消えた。

 ヴィッツの顔の真横に剣を突き立て、シオンは言った。


「僕が、聖騎士になる」


 それが、新しい聖騎士誕生の瞬間だった。


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