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14. うそつき


 いいですか、聖騎士は10人の聖騎士候補の中から選ばれます。

 一か月後の聖騎士選定の儀式で、10人は戦います。そして最後に勝ち残った一人が、聖騎士となるんですよ。



14.



 目の前の男の言った言葉の意味を理解するのに、とても時間がかかった。

 確かに、自分はリオルトから、聖騎士選定についての手順を聞いている。戦って、一番強かった人間が聖騎士になるのだと。

 だからヴィッツの言葉は「嘘だ」と思った。でも、隠しきれない優越感で歪んだ口元を見ると、彼が嘘をついているとは思えない。


「……どういう、ことですか」


 美月は絞り出すように言った。

 自分では、もっと威嚇するような声を出したつもりだったのに、声は弱々しい。


「……意味が分かりませんでしたか?」

「そうですね。私がリオルトさんから伺った話とは違います」

「魔導士長は、そう言うしかないでしょうね。制度としては、おそらく彼から聞いたもので間違いはありません」


 美月は自分の腕を掴んだ。背筋に悪寒が走る。

 ヴィッツの魔力も、彼を取り巻くマナも、嫌だ。とても歪んでいて、気持ちが悪い。どろどろに溶けた冷たく重たい液体が足元から這い上がってくるようだ。


「でも、それは制度の話です」

「……意味が分かりません」

「もう、話はついているということですよ。聖女様は聖騎士選定の儀で、我々がどう戦うかご存じで?」


 美月は足元に視線を落とし、その問いには答えなかった。


「10人を二つの組に分け、それぞれのトーナメントを勝ち抜いた二人が、決勝で戦います。そして、こちら側の対戦相手には、すでに手をまわしてあります。決勝までは、順当に僕が勝ち上がるように、と」


 ヴィッツは淀みなく言った。美月の手を離すと、壁に肩を預け、足を組む。

 余裕を感じる振る舞いに、美月は唸るように言った。


「どうしてそんなことを……」

「ここ5代の聖騎士は、すべて私の家から出ています。元は地方の商人だった私の家は、今や名門中の名門貴族です。聖騎士という制度によってここまでのし上がってきたと言っても過言ではない。それを、私の代で途切れさせるわけにはいかないんですよ」


 遠くから誰かの笑い声が聞こえた。ヴィッツの視線が周囲を警戒するように彷徨う。


「……でも、決勝では分からないじゃないですか」

「心配ありませんよ。彼は強いですからね」

「彼?」


 視線を遠くに向けたまま、ヴィッツは言った。


「シオンです」


 意外な人物の名前に、美月は言葉を詰まらせた。どうして、いま、シオンが出て来るんだろうか。不安で心がぐらりと揺れたのが自分にも、そしてヴィッツにも分かったらしい。

 見透かすような視線を向けられて、美月はごくりと息を飲む。ヴィッツの唇が美しい弧を描いた。


「もちろん、シオンにも話はついてます」


 絶対に聞きたくない言葉だった。美月はしばらく黙り込んだ後、「嘘です」と食いしばった歯の隙間から漏らした。


「嘘じゃないですよ」

「シオンは、そんな人じゃありません」

「シオンは今回の聖騎士候補の中では1,2を争う実力者です。決勝までは余裕で上がってくるでしょう。そして、決勝で私に無様に負けるんです」

「シオンはそんなことしません!」

「……しますよ」


 温度を感じない言葉に、美月は小さく肩を跳ねさせた。


「……“決勝まで勝ち上がり、そして決勝で負けること”。それが、シオンが大切なものを守るための最低条件です」


 大切なもの。

 それが、美月にはすぐに分かった。

 あの日、なにかを押し込めるように強く嚙まれた唇。背に回った震える手。マルタさんに駆け寄った時の、悔しそうな表情。


「……孤児院……」

「なんだ、知ってたんですね」


 ヴィッツはつまらなさそうに、唇を解いた。


「そうですよ。いま、あの孤児院の所有者は私です。彼が約束を果たしてくれないのなら、あそこはなくなってしまうでしょうねぇ」


 他人事のように言うヴィッツに、美月の中で何かが切れた。ヴィッツの胸倉を掴んで、怒りで熱を持った息を吐く。


「このっ……」

「どうとでもどうぞ」


 ヴィッツは穏やかにほほ笑んで見せた。それがどうしようもなく腹立たしい。美月は衝動に任せて、手を振り上げた。一発殴ってやらないと気が済まない。


「……でも」


 力いっぱい振り下ろした手は、難なく受け止められる。握られた手首には先ほどとは比べられないほどの力が込められ、その痛みで美月は小さく呻いた。振りほどこうとするが、びくともしない。


「未来の夫にそんな態度はいただけないな」


 つかまれた腕を引き上げられ、美月はヴィッツの胸に顔をぶつける。

 遠くから見たら抱き合う恋人のようにも見えるかもしれない。が、そんなことを考えるような余裕はない。


「夫って……」

「なんだ、聞いていなかったのか? 聖女と聖騎士はそのまま結婚するんだよ」

「け、結婚?……そんな……帰れるって……」

「帰る?」


 ヴィッツは不思議そうに片眉を上げたが、すぐに押し殺したような笑い声を漏らす。


「なにがおかしいんですか!」

「いや、可哀想だと思っただけだ。どうせ、シオンにそう言われたんだろうけど。でもな、残念だが俺はお前を元居た場所に帰すつもりはない」


 美月の体から力が抜けた。恐ろしいものをみるような目で自分を見上げる小さな女を見て、ヴィッツの瞳が獰猛な光をたたえる。


「俺は聖騎士に選ばれた暁には、お前を妻にする」


 美月はゆるゆると首を振った。


「でも私は、あなたを愛してなんかない」

「結婚に愛が必要だと思うのか? お前の国ではどうか知らないが、この国じゃ政略結婚なんてめずらしくないんだ。聖女様は随分夢見がちらしい。結婚に愛なんて必要ないのに」

「……あなた、おかしい」


 ヴィッツは美月の背に手をまわし、まるで駄々をこねる子供に言い聞かせるようにその背を撫でた。


「安心しな。俺は君を愛してないし、きみも俺を愛してない。ただ聖女と聖騎士が夫婦になったほうが、見栄えがいいし、どう考えたってその方が便利だろう? お前は何も考えず、俺の子を産んで、屋敷の中で静かに年老いていけばいいんだ」


 最初にこの国にやってきたときのように、美月はこの男が言っている言葉が理解できなかった。恐怖にも似た感覚で、撫でられた部分が冷えていく。

 ヴィッツはゆっくりと美月の耳元に口づけを落とした。


「楽しみにしてな」


 その言葉で、一気に現実に引き戻された気分だった。美月は渾身の力を込めて、ヴィッツを突き飛ばした。ヴィッツの口からうめき声が漏れ、よろめく。その隙に、美月は踵を返し、全力で走りだした。


 ――嘘だ。


 背後から聞こえてくる笑い声に飲み込まれないように、必死に部屋まで走り抜ける。


 ――全部、あの男の嘘だ。


 何事かと自分に声をかける衛兵や使用人たちの言葉を無視して、部屋に飛び込んだ。

 部屋に入って鍵を閉め、そのまま扉に背を預ける。早鐘のような心臓と荒い呼吸は、走ったせいだけではない。足元にまだあの男の感覚がまとわりついているような感覚がして、美月はその不快さに顔をしかめた。


「……ミツキ?」


 恐る恐るかけられた声に、美月は弾かれたように顔を上げた。

 部屋の奥から、驚いたような顔をしたシオンがこちらを覗いている。いつもの隊服に着替えた彼の手には宝飾品とドレスが抱えられていた。「どうなさいました?」と続いてメイドのリリーが顔を出す。おおかた、新しいドレスでも運び入れていた彼女をシオンが手伝ったのだろう。

 なんて、タイミングの悪い。


「……なんでも、ないよ」


 顔を見られたくなくて、美月は俯いた。いま、自分がどんな顔をしているか分からないし、いつものような笑顔を作る余裕もなかった。

 だが、逆効果だったようだ。その態度を不審がって、シオンはゆっくりと美月に近づく。


「なんでもなくないでしょ。どうしたの?」

「本当に、なんでもない」

「息上がってるじゃん。走ってきたの?」

「別に」

「ミツキ」


 シオンの手が、美月に伸びた。

 その指先が、さっきヴィッツの唇が触れた耳元に伸びる。反射的にその手を叩いた。

 思ったよりもずっと大きな音が鳴る。


「……き」

「……え?」


 言ってはダメだ、と分かっていても、美月にはそれを止められなかった。


「嘘つき」


 シオンの表情が、氷のように固まった。

 それを見て、後悔した。けれど一度吐き出してしまったものは止まらない。美月はもう一度視線を落として、「どうして……」と消え入るような声で言った。

 部屋の中の空気が一瞬にして塗り替わる。ただ事ではないことに気が付いたリリーが、不安そうに二人を見ていた。シオンはようやく、「悪いけど、リオルト様を呼んできて」と言った。リリーは頷いて、小走りに部屋から出た。廊下を駆けるその足音が聞こえなくなってから、シオンは小さく息を吐いた。


「……説明、して欲しい」


 美月は足元に視線を落としたまま、シオンが零す、いつもよりずっと張りのない言葉を聞いていた。


「何を聞いたの」


 シオンの声も、震えていた。

 美月は一度深呼吸をしてから、ゆっくりと言った。


「……聖騎士は、ヴィッツ様に、決まっていると」


 否定してほしかった。「そんなことあるわけないだろ」と、シオンが少し怒ったような顔で、全部きれいに否定してくれるのを、美月は祈るような気持ちで待っていた。

 けれど、しばらくの沈黙のあと、かえってきたのは「そう」という一言だけだった。美月はゆっくりと顔を上げた。


「……本当なの?」


 シオンはなにも言わなかった。それでも、苦虫を嚙み潰したようなその表情を見れば分かる。


「……本当に、決勝で負けるって、約束してるの?」


 シオンの唇は固く結ばれたままだ。


「シオン」


 すがるように名前を呼んだ。

 お願いだから、どうか、否定して。


「……そうだよ」


 力なく吐き出された言葉で、美月の心は怒りと絶望がないまぜになった感情で染まった。その感情に身を任せるように「どうしてっ!」と、シオンの胸を叩く。

 シオンは視線を逸らし、ただそれを受け入れているだけだ。その顔を見ていると、自分だけが空まわってるようで情けなくなる。最後に一度、美月はシオンの胸を力なく叩いて、頭を胸に押し付ける。


「……全部、嘘だったの?」


 シオンは何も言わない代わりに、そっと美月の肩を持ち、自分から離した。


「聖騎士になりたいっていうのも、嘘だったの?」

「……それは……」

「私が帰れるっていうのも……違う……結婚するって……」


 シオンは勢いよく美月を見た。その目は揺れて


「……帰れるっていうのは、嘘じゃないよ……術式と、聖女と、その力を受け取った聖騎士の力を合わせて……」

「ヴィッツは帰さないって言ったの!」


 叫ぶように言った言葉に、シオンは「ごめん……」ともう一度黙り込んだ。「ミツキをだましたかったわけじゃない……」という言葉も信用できない。

 そんな優しさなら、いらなかった。

 今まで支えにしてきたものが、音を立てて崩れていく。悲しくて、寂しくて、つらい。目の奥が熱くなって、感情があふれ出る。

 溢れたしずくで、足元に小さなシミができた。


「……こんな……どうしたら……」

「ミツキ……」

「ひどいよ、こんなの……」


 雫を救いあげようとするシオンの手から顔を逸らして、自分の甲で乱暴に目元を擦る。


「マルタさんや、孤児院のみんなが応援してくれてる気持ちに嘘ついてたの?」

「……じゃあ、」


 食いしばった歯の隙間から、漏れ出した声。


「じゃあどうするんだよ!」


 シオンは震える声で叫んだ。


「僕に何が言えるのさ! 本当のことを言って、誰が幸せになれるんだよ!」

「それはっ……」


 美月は押し黙った。

 シオンは乱暴に頭を掻いて、「くそっ」と大きなため息をついた。テーブルに腰かけると、俯いたまま「最悪だ」とぽつりとこぼす。

 重たい沈黙が部屋を支配している。

 何かを言いたい。けれど互いに言葉にするには、いろいろな感情がありすぎた。視線は足元を漂うだけで、交われない。二人はもうその場から動けなかった。


 足音が部屋に近づくと、ノックもせずに扉が開かれる。


「シオン、ミツキ!」


 扉を開いたのはリオルトだった。


「どうしたんですか。メイドが血相を変えて走ってきましたよ」

「リオルトさん……」


 まっすぐにこちらに向かってきたリオルトの後ろを、シオンが早足に去っていく。


「待ちなさい、シオン! まったく……で、どうしたんですか? シオンとケンカでも? どうして泣いているんですかミツキ。理由を教えてください。私は泣いている人間を慰める方法など知らないんですよ」


 リオルトの手が戸惑いがちに背中に添えられ、美月は泣いた。涙の理由も、もうよく分からない。

ただ、ただ、胸が痛い。


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