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12. 秘密


 長テーブルに腰かけると、目の前の木製のカップに果物のジュースが注がれ、ふかふかのパンケーキに赤いソースとフルーツがふんだんに乗せられた皿が置かれる。カフェでこれが出てきたら、誰もがすぐにスマホを取り出すだろう。

 美月は目を輝かせ、ごくりと唾を飲んだ。「おいしそう」と無意識のうちにこぼれた言葉に、シオンが隣の席に腰かけながら「おいしいよ」と返した。


「マルタのケーキは世界一だから」

「まあ、ありがとうシオン。さあ、みんな席についた? では神の恵みと、そしてシオンとお友達がやってきてくれたことに感謝していただきましょう」


 叫ぶような「いただきます」の大合唱の後、子供たちはいっせいにケーキをほおばった。いたるところから「おいしい」「おいしい」と声があがる。

 美月も戸惑いがちにケーキをフォークで切り分けて、ソースを付けて食べた。甘酸っぱくて幸せな味がした。



12. 



 この孤児院は約150年前に、当時の聖騎士によって建てられたものらしい。その言葉の通り建物は古いが、掃除は行き届いているし、丁寧に修繕された跡もある。どこを見ても、たくさんの人に大切にされてきたことがよく分かる家だった。

 現在は、15人ほどの家族と暮らすことのできない子供達が暮らしているそうだ。マルタは周囲の住民の手を借りながら、この孤児院を一人で切り盛りしている3代目の“母”で、また彼女自身もこの孤児院の出身なのだと、すっかりきれいになった皿を拭きながら言った。

 美月は少し低い位置に備え付けられた流しで皿を洗いながら、その話に耳を傾けた。

 流しの正面につけられた小窓の向こうでは、ケーキを一瞬で平らげた子供たちが笑い声を爆発させ、シオンと庭を駆けまわっている。


「古い台所は使い勝手が悪いでしょう? 腰が痛くならないといいけれど」

「いえ、大丈夫です」


 最後の一枚を手渡すと、マルタは「ありがとう」とほほ笑んだ。


「ごめんなさいね、手伝ってもらっちゃって」

「いえ、こちらこそ、急にお邪魔したのに、あんなに美味しいケーキをいただいてしまって……」

「いいのよ。おいしいものは、みんなで食べたほうがおいしいわ」


 マルタは最後の皿を拭いて重ねると、それを食器棚に戻し、小窓の向こうに視線を投げた。子供たちの姿を見ると、目元を緩ませる。きっと何年もそうしてきたんだろう。とても自然で、母親らしい仕草だった。


「ツキさん、聞いてもいいかしら」


 マルタは美月に手を拭くタオルを渡し、首を傾げた。「もちろんです」と美月はそれを受け取りながら頷く。


「シオンはお城で上手くやっているかしら?」

「ええ。もちろん」

「そうなの」

「はい。なんたって聖騎士候補ですし」

「……え?」


 マルタの目が不安げに見開かれたのを見て、美月の頭の中にも疑問符が浮かんだ。彼女は、まるで今そのことを初めて聞いたような顔をしている。どうしてそんな反応をするのか分からず、美月の目も不安げに揺れた。


「あ、いえ。なんでもないの。そう……聖騎士候補に……そういうことなのね」

「あの……」

「いいえ。なんでもないわ。こちらの話よ」


 なんでもない、なんて言ってしまえるような表情ではなかったが、先ほどまでと変わらない笑みを浮かべるマルタにそれ以上を聞くことはできなかった。


「……うれしいわ。シオン、ずっと聖騎士になるのが夢だったのよ」

「そうなんですか」

「ええ、がんばってるのね。あの子なかなか帰ってこないし、愚痴の一つも言わないから、どうしてるのか心配だったのだけれど」


 マルタはほっとしたような、でもどこか寂しそうな表情だった。

 美月はそんなマルタを見てから、視線をタオルに落とす。使い込まれたタオルは、少し、ほつれが目立つ。


「……シオンは、いい人です」


 そう言ったのはマルタを安心させるためでもあったし、自分が言いたかったからでもあった。


「すごく、すごく、いい人だと思います」


 それ以上の言葉が見つからないくらい、シオンはいい人だと美月は思う。多分、彼がいなかったら自分はここまでやって来れなかったと、自信を持って言える。


「私は城に来てまだ日が浅くて……仕事も、ままならないことが多いんですけど……」


 言葉を探しながら、話した。


「そういうことに打ちのめされたり、混乱したり、つらいと思ったとき、いつも“大丈夫”だって言ってくれるんです。まるでヒーローみたいに、私がだめになりそうなときに、来てくれて」


 そしてあの日、あの雨の日抱きしめられた。怖くて悲しくて、向き合えなかった、置いてきた夢ごと抱きしめてもらった。夢に破れた自分を、やっと肯定してもらえたのだ。


「……シオンさんに大丈夫って言ってもらえると安心するんです」

「そう」


 マルタのとろけるような相槌を聞いて、美月は、はたと顔を上げた。

 目を細め、自分を見るマルタの表情はまるで小さな子供の初恋話を聞いたときのように柔らかい。

 頭の中に、先ほどの女の子の「こいびと」という言葉が甦って、美月は顔を染めた。


「あ、いや、人として、いい人、という意味、です」


 誰に対してのものなのかよく分からない弁解をしながら、美月は首を振った。


「いいのよ。嬉しいわ。シオンも大事な私の子供だから、嬉しいの。そんなに恥ずかしがらないで」

「いや……」

「ねぇ、シオン?」


 その言葉に、美月は声も出せず固まった。恐ろしくて振り返れないが、そこにその人物がいるのは、マルタの視線が教えてくれる。

 しばらくの沈黙ののち、ぎ、と古い床が鳴った。動いたのは美月でもマルタでもない。背後のその人物だった。


「……手伝いに、来たんだけど」


 隣に立ったシオンを、美月は見れなかった。けれど声は、いつもと同じような気もする。


「あら、もう終わりましたよ。ツキさんが手伝ってくれましたから」

「そうなんだ」

「シオンこそ、子供達と遊んでいたんじゃないんですか?」

「ちょっと抜けてきた。あいつら体力底なしなんだもん。付き合って走りまわってたらこっちが持たない」

「みんなあなたに会えて嬉しいんですよ」


 そろりと視線をシオンの足元に向けると、靴やズボンの裾が随分汚れてしまっていた。ずいぶん気合を入れて遊んだらしい。


「……彼女、借りてもいい? 少し、建物の中、案内したい」

「ええ、どうぞ」


 ツキ、といつもと変わらない声が降ってきて、美月は顔を上げた。シオンの頬は、ほんのりと赤い。それが遊びまわっていたせいなのか、それとも自分の小っ恥ずかしいセリフのせいなのかは分からない。

 握られた手もまた、熱かった。


「こっち」

「う、うん……」

「じゃあ、ツキさん。お手伝いどうもありがとう」

「いえ、こちらこそ」


 シオンに腕を引かれ、美月は台所を出た。



 ここが、寝室。僕がいたのはあの窓際の二段ベッドの上。こっちは図書室。っていっても小さいし、古い本ばっかりだけど。ほとんどは街の人からの寄付だよ。僕がお気に入りだった本もまだある。ぼろぼろだけど。もう、あと何回か読んだらバラバラになりそうだね。こっちは裏庭。静かだろ。表ほど遊ぶ場所はないから、あんまりみんなこっちには来なかったんだ。時々、一人になりたいときはここに来た。


 そう言って、シオンはもう使われていない古い花壇の縁に腰を下ろした。隣をぽんぽんと示され、美月はそれに従う。


 遠くで聞こえる子供たちの笑い声を聞きながら、柵沿いに咲く薄いピンク色の花を見た。時折抜ける風で、ゆらゆらと揺れている。時折鼻先で踊る香りは、どの花のものかは分からなかったが、いい匂いだと、美月は思った。

 柔らかな午後の日差しが、植物達の瑞々しさをよりいっそう引き立たせている。


「うるさい所でしょ」


 シオンはもう花の植えられていない花壇に生えた草の葉を撫でながら言った。


「……でも、私は好きです。幸せな感じがします」

「そ? ありがとう。僕も世界で一番ここが好きなんだ」


 シオンは息を零すように笑った。


「っていうか、ずっと言おうと思ってたんだけど、いつまで敬語なの」

「え?」

「歳そんなに変わらないだろ。別に、そんなに丁寧に話さなくたっていいのに」

「でもシオンさん、年上ですよね」

「うん。でもそういうの気にしないで」

「でも……」

「なんかかゆいんだよね、だからいいよ」


 年上に敬語を使うのは、長い部活時代に叩き込まれたルールの一つだ。体に染みついている。今更とも思ったが、シオンになら、まあいいかとも思えた。

 「うん」と小さく返した答えを受けて笑ったシオンの顔は、城で見るよりも少し幼い感じがした。金色の髪が、揺れる度に輝く。


「12歳までは、ここにいたんだ」


 頭の隅で考えていたことの答えをはっきりと言われ、美月は少し言葉に詰まった。

 そうですか、とも、そうだったんですね、と言うのも違う気がする。結局、鼻を鳴らすような曖昧な相槌しか打てなかった。


「そんな顔しないでよ。別に悲しい話でもなんでもないから」

「……うん」


 頬を手の甲で押されて、美月は顔をあげた。


「見ての通り、貧乏な孤児院だからさ、12歳のときに下働きとして城に働きに出たんだ。珍しく、募集があったんだ。孤児院を建てた聖騎士にもずっと憧れてたし、いつか城に行ってみたかったから、いいチャンスだった。そこでリオルト様に“あなたには素質がある”って言われてさ、それから魔力の扱い方とか、剣術とか教わった」


 シオンが、懐かしむように遠くを見る。


「騎士になればお金がもらえて、孤児院に恩返しだってできた。強くなれば聖騎士になるチャンスだってある」


 まあ、夢物語だけどさ、と続ける。


「毎日楽しいよ」

「……そっか」

「みんな、好きだし」

「うん」

「だから、ミツキに見せたかった」


 シオンはそう言って、少し恥ずかしそうに頬を掻いた。


「ミツキ、こっち向いて」

「な、」


 なに。という前に、視界が金色になる。

 抱きしめられたと気が付いたのは、首に回った腕が離れた後だった。

 突然のことに声も出ない美月に対し、シオンはまるでなにもなかったかのように、姿勢を戻した。


「……え?」

「ん?」

「ん? って、いま」

「それ、あげるよ」


 美月は頬にじんわりと熱が集まるのを感じながら、それ、と視線が向けられた先の首元に触れた。指先が、冷たい何かに触れる。そこにあったのは、細い紐に付けられた紫の石のペンダントトップ。揺れると、太陽の光を受けて輝く。


「ネックレス?」

「そ」

「こんなのいつの間に」

「さっき大道芸見てるときに、ちょっと」


 シオンは気恥ずかしそうにそう言って、ごまかすように無造作に生えた小さな青い花を手折った。それを指先で遊ばせる。


「その石に僕の魔力が入れてある」

「シオンの魔力が?」


 石を握ると、確かにほんのわずかだが、シオンの魔力を感じる。


「自分がちゃんと魔力を使えるようになるか、不安なんだろ。もし、上手くいかなかったらこれを使いな」

「これを使いなって……ど、どうやって?」

「そうだなぁ……」


 自分でそう言ったのに、「うーん」とシオンは腕を組んで天を仰いだ。


「まぁ、お守りかな」

「お守り」

「これがあるからと言って魔力が上手く扱えるようになるわけじゃないけどさ、いつだって味方がいるんだって、思い出してよ。ミツキに足りないのは、多分、自信だよ」


 胸元に触れる石が、ほんのり熱を持った。それを握りしめ、震える声で「ありがとう」と絞り出す。


「ミツキの気持ち、分かるよ。僕も、初めて城に行ったころとか、騎士団に入ったころは大変だったから」


 そう言って薄い笑みを浮かべた横顔がきらきらして見えた。全部、全部、まるでシオンが世界から祝福されているかのように、光を受けた輪郭が溶けるように輝く。


「大丈夫。ミツキらしくやればいいよ」


 美月は不思議だった。

 どうしてこの人は、いつも自分が欲しい言葉をくれるのか、不思議だった。そして、胸をゆるく締めるようなこの感情がなんなのか不思議だった。


「うん」


 美月の返事を聞いて、シオンは満足げに立ち上がった。「戻ろう」と差し出された手を握り、建物の中に戻る。

 建物の中では子供たちがシオンを待ち構えており、子供たちは再びシオンの腰もとに抱きついた。誰から聞いたのか、「ねぇ、聖騎士候補に選ばれたって本当?」「すごいねぇ、よかったねぇ」「がんばってね!」と表情を崩す。シオンは膝をつき、「うん、がんばるよ」と子供たちの頭を撫でた。


「そろそろ戻ろうか」

「そうだね」

「マルタに挨拶だけしてから」


 子供たちから離れ、マルタを探しに衝立の裏側から玄関先を覗き込んだその時だった。


「っ隠れて」

「え?」


 強い力で体を引かれ、美月はその場に倒れこんだ。咄嗟に目を閉じたが、痛みはいつまでたってもやってこない。それどころか、なにか暖かいものに包まれている。恐る恐る目を開けた時、整った顔が目の前にあって美月は驚きで大きく息を吸い込んだ。


「待った、叫ばないで」


 吸い込んだ息が悲鳴になる前に、出口を手で押さえられる。隙間からくぐもった声が出るが、それさえも漏らさないように力を込められる。

 文句を言ってやろうと腕を掴んだところで、美月はシオンの様子がいつもと違うことに気が付いた。鋭い目で、衝立の隙間から何かを見ている。その先をたどるように、美月も視線を向けた。


 ――ヴィッツさん。


 入り口に立っていたのはヴィッツだった。隊服を着て、腰には剣を下げている。

 ヴィッツにはあまりいい思い出がない。冷たい目や、とげを感じる言葉を思い出して、美月は無意識にシオンに体を寄せた。口元を抑えていたシオンの手がゆっくりと離れ、美月の背中に回る。


「……どうして、ここに」


 美月からぽろりとこぼれた言葉の答えは、すぐに分かった。「まあ、ヴィッツ様、どうなさったのですか」と困惑した声を出すマルタの問いに、ヴィッツは鼻を鳴らし、答えたのだ。


「ここは私の所有物だ。尋ねるのに理由が必要か?」


 いつもの人のよさそうな話し方は見る影もない。随分と突き放すような言い方だった。


「いいえ。もちろんいつ来ていただいてもかまいませんわ。ですが、先に一言言っていただければ、もっと歓迎できますのに」

「そんなものは不要だ。子供は嫌いだからな」


 詳しくは分からないが、ヴィッツはこの孤児院のオーナーのようだ。だけど、子供は嫌いだと言う。矛盾しているように感じるし、なぜ自分たちが隠れる必要があるのかも分からない。

 美月はシオンを見上げた。シオンの眉間には、深い皺が寄せられている。


「……あいつは来ているか?」


 ヴィッツは声のトーンを落として聞いた。


「あいつ?」

「はぐらかすな、シオンだ」


 その名前が忌々し気に吐き出されると、美月の背に回った手に力が込められた。

 シオンは何かをこらえるように、下唇を噛んでいる。そんなシオンの様子を、美月は初めて見た。いつも穏やかな笑みを浮かべていて、優しい彼はすっかり影を潜めてしまっている。それ以上噛み締めたら唇から血が出てしまうんじゃないかと思うほどだ。

 美月はそっとシオンの唇に触れた。

 驚きに染まったシオンの視線が向けられて、美月はゆるゆると首を振った。

 しばらくの間を置いてその意図は伝わったようで、シオンは唇を解いた。その表情は今にも泣きそうだ。


「いいえ、シオンは最近、姿を見せていません。聖騎士選出の儀式も近いですし、城にこもって訓練でもしているんでしょう」

「……ああ、そうだな」


 ヴィッツは嘲笑するように言って、周囲を見渡した。


「シオンが姿を見せたら、俺に連絡を入れろ。何を話していたのかも、一字一句漏らさずな」


 その言葉にマルタは何も言わなかった。ヴィッツの顔が険しくなる。


「分かっているだろうな。今、この家を所有しているのは俺だ。俺が気に入らないことがあれば、明日にでもここを更地にすることは可能なんだぞ」

「……ええ、もちろん。ヴィッツ様。あなた様の言うとおりにいたします」

「はじめからそう言えばいいんだ」


 ヴィッツは不遜な態度でそう言うと、それ以上の用はないとでも言うように、建物から出て行った。

 美月はほっと息をついた。

 シオンはすぐに立ち上がると、慌ててマルタの元へ駆けていく。少し丸まったその背を支え、不安げに声を揺らす。


「大丈夫?」

「ええ、大丈夫ですよ」

「……ごめん」


 シオンは歯を食いしばった。

 マルタはそれを見て、「なんて顔をしてるんですか」と困ったように笑う。


「あなたが気にすることではありませんよ」

「でも、僕のせいで……」

「あなたのせいだなんて一度も思ったことはありません」


 マルタはシオンの頭を抱き寄せた。そしてその金色を優しく撫でつける。


「あなたはあなたらしく生きなさい」


 握りしめたシオンのこぶしは開くことがなく、彼は城に戻るまでどこか苦しそうな表情を崩さないままだった。


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