11. 城下の冒険
「――ミツキ」
ゆっくりと目を開けると、飛び込んできたのは金色だ。ああ、きれいだなぁ、なんて美月は寝ぼけた頭で思った。そっと手を伸ばして触れると、ふわふわしている。気持ちいい。まるで、シオンの髪みたいだ。満月のようにキラキラ輝く、美しい金の髪。
「ミツキ」
ふわふわした世界の中でもはっきりと聞こえたその音に、鼓膜が震えた。
「……え? シオンさん!?」
シオンみたいじゃない。シオン本人だ!
美月は弾かれたように起き上がるが、すぐにその肩を押されてベッドに戻されてしまう。両手を縫い留めるように押し付けられて、美月は目を白黒させながらその人物――シオンを見上げた。今何時、ここはどこ、というかなぜシオンさんが、と次から次へと疑問が浮かんでくるが、答えは出ない。ただ分かったのは、寝起きに美青年のドアップは精神衛生上とてもよろしくないということだけだ。
「しーっ、大きな声出すと衛兵が来るだろ?」
子供を言い含めるように言われて、美月はでとりあえず頷いた。
「いい子」
「いい子っ……というか、これってどういう状況なんですか?」
「ん?」
シオンは優雅に口の端を吊り上げ、ぐっと美月に顔を近づけた。
美月は小さく息を飲む。
「……え、衛兵を呼んだ方がいい感じがする、んです、けど……」
冷静になると自分の状況を理解できた。
早朝、ベッドの上、寝起きの私、そして馬乗りになったシオン。両手を握られ、顔は近い。
万が一、いや、億が一にもそんなことがないのは理解している。こんな超ド級の美男子が、平々凡々の極みのような私にそんなことがないのは分かっている。
けれど客観的にみれば、どう考えたってこの状況から導き出されるのはいかがわしい答えだけ。
「ミツキの想像してることはだいたい分かるけど」
シオンの唇が美しい弧を描いた。
「そんなことよりも、もっとイイコトしようよ」
「い、いいこと……?」
「そ、イイコト」
11.
門をくぐると、すっぽりかぶったフードの間から見える景色が一変した。
石畳の大通りの両側には新鮮な青果から衣料品まで、ところ狭しと出店が並び、人でごった返している。どこかから漂ってくるいい香りが鼻先をくすぐると、つられてお腹が鳴った。
すぐ隣から押し殺した笑い声が降ってきて、美月は軽くその脇腹を叩いた。
「ごめんって」
「仕方ないじゃないですか。こんな急に連れ出されて」
結局わけも分からないまま、「大至急身支度して」との言葉に急かされて着替えを済ませた。顔を隠すようなマントを巻かれ、泥棒のようにこそこそと城を抜け出たのだ。行先も、目的も告げられないままに。
「まあまあ。あ、そろそろ顔出してもいいよ」
フードを取ると、そのまぶしさに一瞬目がくらんだ。けれど次の瞬間には高い青空と明るい世界が広がっていて、美月は感嘆の声を漏らした。人々の笑い声や、活気あふれる呼び込みの声がより鮮明に聞こえ、賑やかな雰囲気を肌で感じることができる。
ふと振り返ると、今さっき出てきたばかりの城が分厚く高い門に囲まれてそびえ立っている。あんな大きなものの中から出てきたのだと思うと、少し不思議な気分だった。
「今日は月に一度の朝市の日なんだよ。晴れてよかった」
シオンはどこか誇らしげに言った。
美月はその横顔を見上げる。柔らかな朝日が、シオンの金色の髪に透けてキラキラと輝いている。いつもの隊服ではない、ラフなシャツを細身のパンツ姿に、胸が鳴った。
「なに?」
「いえ……なんでもないです」
ふと、体を引き寄せられた。すぐに目の前を大きな荷が詰まれた馬車が過ぎ去っていく。「人の往来が多いから気を付けて」と、なんでもないことのように言われ、手は離れた。けれど、シオンの熱がまだそこに残っているような気がした。触れると、熱い。
「――聞いてる?」
「え?」
「なに? まだ寝ぼけてるの?」
「いえ……すみません。ちょっと考え事です」
「ふーん……まあ、いいや。とりあえず朝ごはんを調達しよう。僕もお腹空いたんだよね」
シオンは美月の手を取った。
異性に手を握られるのは初めての経験だ。美月は思わず声を上げそうになるが、寸前のところでこらえた。だってシオンは涼しい顔をしている。自分だけが動揺しているのは馬鹿みたいだ。
「食べられないものとかある?」
「わりとなんでも食べられますけど、辛い物は少し苦手で……」
「りょーかい。じゃあ、こっち。いい店があるんだ」
シオンに手を引かれ、連れてこられたのは初老の女性が一人で営む小さな出店だった。店先には焼きたての丸いパンのようなものが並んでおり、奥で女性が大きな寸胴をかき混ぜていた。お腹の虫を刺激する、いい香りが漂ってくる。
女性はシオンに気が付くと、「あら」と表情を綻ばせた。
「久しぶりねぇ」
「今日は久しぶりに休みが取れたんだ」
二人は古くからの知り合いのように見えた。シオンは城では見せないリラックスした表情を女性に向けている。女性も、まるで息子でも見るような穏やかな表情だ。
「元気そうでうれしいよ、で、そのお嬢さんは?」
突然視線を向けられ、美月は小さく肩を跳ねさせた。自己紹介をすべきかどうか悩んでいると、握ったままの手をほどかれ、代わりに背を軽く叩かれた。見上げると、小さくウインクされる。
安心しろよ、ということらしい。なんてキザな仕草だろう。
「彼女はツキ。最近新しく城に来た使用人でさ、すんごーい田舎の出身なんだ。だから、僕が素晴らしき王都を案内してあげてるわけ」
「へぇ」
女性は意味深な笑みで美月を見た後、「そうかい」と頷いた。
「シオンは相変わらず面倒見がいいんだねぇ」
「まあね」
「で、何にするんだい」
「焼きたてのジガーと、スープ2つ」
紙で包まれたジガーと木製のカップに入ったスープを持って、美月とシオンは人込みから少し離れた場所にある噴水広場の花壇の縁に腰を下ろした。周囲には同じように軽食を取る人や、大きな笑い声を上げながら走りまわる子供達がいる。服装や見た目こそ日本とは違えど、そこにあったのは人々の普通の暮らしだった。
不思議だが、安心する。
「はい、これ美月の分」
「あ、ありがとう」
ジガーは、パンにそっくりだった。バターロールのようなころころした見た目で、においもそれに近い。美月はそれを小さくちぎって口に入れた。
「バターロールの味だ!」
「え、なに?」
「あ、ごめん。日本にも似たような食べ物があって」
「へー」
シオンはジガーを二口で口に押し込んで、それをスープで流し込んだ。以前、晩餐会で見た時よりもずいぶんと男らしい食べ方だ。
美月もそれに倣ってスープを飲む。家でよく食べるシチューに似た味がした。城で食べるものよりも、自分の口には合う感じがする。中にはごろごろと野菜が入っていて、噛むと素朴な甘さが口に広がる。
「おいしい?」
「はい。おいしいです。正直、城で食べてるときは、食べ物の味よりも作法とかの方が気になっちゃって、あんまり食べた気がしなかったんですよね」
メイド達やリオルトに見られながら食べる食事は、正直あまり居心地のいいものではなかった。本人たちに悪気がないのはよく分かってはいたのだけれど。
美月は思い出して、苦い笑みを浮かべた。それを見て、シオンは口の端をわずかに上げる。
「ミツキは庶民っぽいよね」
「……馬鹿にしてますか?」
じっとりとした視線を向けると、シオンは「冗談だよ」と美月の肩を叩いた。
「分かるよ。僕も最初そうだったから」
「最初?」
その先を聞きたくて視線を向けたが、シオンは広場で走りまわる子供たちを見ながらゆるい笑みを浮かべているだけだった。懐かしむようなその視線は、穏やかで、少しだけ寂しそうに見えた。
美月はもう一口スープを飲んだ。台所に立つ、母親の背中を思い出した。
食事を終えると、シオンは美月に朝市や周囲のことを教えながら歩いた。
美月にとっては見るものすべてが新鮮だった。歩いている人たちを見ているだけでも驚きが止まらない。漫画の世界から飛び出してきたようなカラフルな髪や目に、洋画のファンタジー映画で見たような洋服。不思議な形の野菜や果物。どこからどう見てもリンゴに見える果物を「おいしいよ」とシオンに渡され、なんの躊躇もなく食べた時、レモンと梅干を混ぜたような強烈な酸味を感じた時は、驚いた。
げらげらと笑うシオンを見て、さすがの美月も殺意を感じた。けれどそれも大道芸を見て笑っているうちにどうでもよくなって最後には美月も大声で笑った。
「はぁー、楽しい」
大通りから少し離れた道を歩きながらぽろりとこぼれた言葉は、心の底から出た言葉だった。体を大きく伸ばして大きく息を吸って息を吐くと、体中に溜まった悪いものや消化できなかったものが出て行くような感覚がした。
「それはよかった」
「ありがとう、連れてきてくれて」
「いいよ。ていうか逆だよ。僕の非番に、ミツキを付き合わせてるだけ」
美月は困ったように眉を下げ、もう一度「ありがとう」と言った。
シオンが言ったことは嘘だ。自分が煮詰まっていたことに、シオンは気づいていた。そして、城から連れ出してくれたんだ。リオルト様にだめだと言われて……
そこで美月はハッと気が付いた。
「リ、リオルト様……」
楽しくてすっかり失念していたが、外出はリオルトに絶対だめだと言われていた。
リオルトの怒った顔を想像すると、顔からさーっと血の気が引く。口元を抑える手が震えた。
「ん? リオルト様がどうかした?」
「わ、私リオルト様に絶対に城から出るなって言われてて……」
「ああ」
「……シオンさんがリオルト様に許可をもらってくれたんですよね?」
美月は祈るような気持ちでシオンに尋ねた。頼むからそうであってくれ。
シオンはあくびを一つ噛み殺して、なんでもないことのように言った。
「え? まさか。リオルト様がそんな許可くれると思う?」
その言葉を頭の中で反芻させた後、美月は声にならない悲鳴を上げた。
「わわわわ私帰る!」
自然に体が城の方向を向く。リオルトの許可を取らずにこっそりと外出なんて、命がいくつあっても足りない。美月は城へ帰る道を探すため、きょろきょろと周囲を見渡した。
「大丈夫だよ」
「私は逆になんでシオンさんがそんなに平然としてるのか疑問なんですけど!」
「どうしてって、言われたって……やっぱり師匠だからかな。怒られ慣れすぎて、なんとも思わなくなったていうか」
美月は振り返った。シオンは口元を抑えて唸りながらリオルトに怒られても怖くない理由を探していた。だが、いま美月が知りたいのはそんなことではない。
「え? 師匠?」
「あれ? 言わなかったっけ。リオルト様は僕の師匠なんだよ」
「き、聞いてないです」
「そうだっけ? 僕もミツキと一緒で、リオルト様から魔力の扱い方とか、魔術の使い方教えてもらったんだ」
だからリオルトさんの教え下手にも慣れてるんだよ。とシオンはからからと笑った。
確かに、そう言われれば納得できる。二人は妙に息が合っているように感じていたし、どこか雰囲気が似ているような気もしていたのだ。
「そうなんだ……」
「そーそー。それで僕の身元引受人がリオルト様で」
「身元引受人?」
「うん」
シオンはそう言って足を止めた。
立ち止まった先にあったのは、青い屋根の建物。柵に囲まれた内側にはよく手入れされた庭があり、子供たちの笑い声が聞こえてくる。
門の横には
「……ペリオット孤児院」
と書かれたプレートが下がっている。
シオンは「そうだよ」と薄く笑みを浮かべ門をくぐった。
「どうしてここに、」
「あーっ!」
理由を尋ねる前に、大きな声にかき消される。声の主は、美月の腰ほどまでの子供だった。いたるところに泥を付けたその男の子は、まん丸な目をキラキラと輝かせて、二人を指さしている。
「シオンっ!」
名前を呼ぶと、男の子は甲高い声と共にシオン弾丸のように飛び込んだ。
「えーっ! シオン!?」
「わぁ、シオン! どうしたのー、今日お休みなの?」
「シオンあそぼーっ!」
男の子の声を皮切りに、どこからか子供たちが集まってくる。誰もがキラキラした目でシオンを見て、側に駆けていく。
「おーっ、元気だったか?」
シオンは顔をくしゃくしゃにして、子供たちの頭を乱暴に撫でている。ずいぶんと仲が良く見える。
美月はどうしていいのか分からずに、シオン達を見ていた。シオンはすぐに頬に泥を付けられてしまっている。
「シオン」
落ち着いた声が、優しくシオンの名前を呼んだ。
「おかえりなさい」
「……ただいま、マルタ」
マルタと呼ばれた女性は、その庭に咲き誇る花のように笑った。
白髪の混じった明るい色の髪を一つにまとめ、質素なワンピースの上にエプロンを付けている。シオンの母親と呼ぶには少しばかり年上に見えるが、マルタに駆け寄ったシオンは子供のように幼い笑顔を見せていた。
土のついたマルタの手を取ると、「腰を悪くしてるんだから、無理に土いじりなんてしなくていいのに」とその汚れを払う。マルタは「困った子ねぇ」と言いながらも、嬉しそうだった。
「それで、シオン。彼女はどちら様?」
マルタの視線が美月に向けられると、つられたように小さな子供たちも一斉に視線を向けた。
「彼女はツキ。新しく城に来た使用人だよ。田舎の出身だから、今日は王都を案内しているんだ」
シオンに手招かれ、美月はマルタの前に立った。「こんにちは」と礼をすると、すぐに子供たちに手を引かれる。
「ねーね、田舎ってどこ?」
「城ではたらいてるのー?」
「ツキちゃんコマキの実食べたい? もぎたてなの」
次から次に飛び出す質問に返事をする前に、小さくて赤い、サクランボのような実が手渡される。それを美月に手渡した女の子は、歯を見せて笑ったあと、自分も一粒食べた。美月は戸惑いながらもそれを口に入れる。
嚙むと、張りのある皮からはじけるように甘い実と果汁が飛び出した。
「あ、ありがとう。おいしい」
「いいよ。これねー、わたしがまいにち水あげたの」
「そうなんだ、すごいね」
舌ったらずに話す子供に、美月は頬をゆるませ、目線を合わせた。この国に来てから初めて会う、城の中以外の人に、嬉しさと好奇心が混ざったような気持ちでドキドキする。
美月はしばらくコマキというものの育て方について話を聞いた。楽しそうに話す女の子によると、コマキの実というのは細い木になる実で、真っ白な花が咲いた後、小さな実をつけるそうだ。とれる量はあまり多くないが、そのまま食べてもおいしいし、甘く煮るのもおいしいので子供たちにとても人気だそう。
「煮たのができたら、ツキちゃんも食べにきていいよ」
「ありがとう。でもいいの? 私がそんな大切なもの食べても……」
「いいよ。だってツキちゃんはシオンのこいびとでしょ」
こいびと。
その言葉に美月は一瞬固まったあと、顔を赤くした。
「い、いや、ちが、うよ」
子供の言ったことだから、と思ってもそう言われると恥ずかしくてしどろもどろになってしまった。必死に首を振るが、女の子はまっすぐな目でコテンと首を傾げる。
「え? ちがうの?」
「う、うん」
「じゃあ、シオンのことが嫌いなの?」
「い、いや、嫌いじゃなくて……」
「すき?」
「すっ……!?」
美月には分かっている。こういうときの大人の対応というのは、「うん、そうだね、大好きだよ」とサラッと言ってしまうことなのだと。そうすれば人間同士の好きだと周囲の大人は分かるだろうし、そもそもまだ幼い彼女の言う「好き?」とは「コマキの実好き?」と同じレベルくらいの意味しかもたないだろう。
だから、早く「好きだ」と言ってしまえればいいのに。
その三文字を言おうとすると、唇が震える。
「リオネ」
背後から伸びた手が、女の子の名前を呼んで抱きかかえた。
「ツキちゃんが困ってるだろ」
「え? ツキちゃん困ってるの?」
「そうだよ」
抱えた女の子の頬を撫でながらシオンは言った。
助かった、と思うと同時に、恥ずかしさがこみあげてくる。あんな風にあたふたしてしまったら、まるでシオンのことを好きだと本人に勘違いされてしまわないだろうか。
美月は熱を持った頬を手で仰ぎながら、立ち上がる。
そしてふと、シオンの横顔を見た。シオンの顔色は変わっていない。ほらやっぱり、恥ずかしい気持ちになっていたのは自分だけだ、と思って安心した。
が、気づいてしまった。
「あら、シオン、耳真っ赤ね」
美月の心を代弁したように、マルタが言う。シオンは背を向けたまま「うるさいよ」と小さく言った。
「さあ、ツキさん、どうぞ中へ。歓迎しますわ。私たちの家へようこそ」
マルタの手が、美月の背をそっと押した。彼女はいたずらが成功したように、口の端に小さな笑みを浮かべていた。その表情は、シオンのそれにとてもよく似ていた。




