10. 聖騎士候補たち
濃い青地に繊細な白い刺繍の入ったドレスを見た時、あまりの美しさにため息が出た。けれど、自分が着るとなると話は別だ。肩も背中も出した洋服を着るのも、スカートの下にパニエを何枚も重ねるのも、初めての経験だった。
汗でじっとりと濡れた手でスカートを握りしめ、美月は目の前の高い重厚な扉が開か慣れないように願った。
「――様、聖女様」
「……はぃ」
美月は虚ろな目で隣に立つリオルトを見上げた。
「なんて顔してるんですか。今にも死にそうですよ」
「……実際、死にそうです」
「何度も言いましたが、今日は少人数の晩餐会です。聖騎士候補たちとの顔合わせみたいなものですし、出席者は城内の者ばかりです。それほど緊張しなくても大丈夫ですよ」
ため息を一つ着いてから、リオルトは続けた。「常に私が隣についていますから、困ったら目で訴えてください」
目で訴えるなんてずいぶん前からしているんですがどうなんですかね、と、文句をたっぷり詰め込んだ目でリオルトを見上げたが、リオルトはすぐに視線を逸らした。
助けはあまり期待できないのかもしれない。美月はがっくりと項垂れた。
「そんな顔しないでください。さあ、そろそろ入りますよ」
扉が開かれると、割れんばかりの拍手が溢れた。
10.
高い天井からは豪華なシャンデリアが吊るされ、その光を受けた純白のテーブルクロスや食器が輝いている。室内には長テーブルがいくつか置かれ、着飾った出席者達がびっしり囲んでいる。これのどこが“少人数の晩餐会”なのかは、後でリオルトにしっかり尋ねる必要があるだろう。特に目がいく中央に置かれた長いテーブルの脇では、立ち上がった男性たちが拍手をしている。なんて現実離れした空間だろうか。美月は部屋に入ってからどうやって国王の隣の主賓席まで歩いたのか、正直あまり記憶がない。
自らの席の前でスカートを持ち、膝を折ると拍手が一層大きくなった。
「よ、よろしくお願いいたひます」
あまりの緊張に呂律も回らない。恥ずかしさに俯いて、震える足で落ちるように席に着く。隣で国王が何かを言っているが、右から入って左へと出て行ってしまう。そういえば昔、そんな芸人がいたなぁとどうでもいいことが浮かんでは消えていった。
国王の話が終わると、飲み物が運ばれてくる。グラスを持ち上げ、胸に手を当て祈りを捧げる。そういうことをするとは聞いていたが、見事に忘れていた美月は、周囲をうかがいながら必死に真似をした。
食事の用意が始まったころ、「では、そろそろ彼らを紹介しようか」と、笑顔を向けられる。
「え?」
「正面のテーブルにいるのが、10人の聖騎士候補たちだよ」
その言葉で美月に視線が集まる。すさまじい圧で、美月の背に冷や汗が流れた。
「みな、わが国の精鋭たちだよ。誰が選ばれても、素晴らしい聖騎士になるだろう」
国王が手で指し示すと、まず立ち上がったのは一番手前に座る男――ヴィッツだ。以前見た時の濃紺の隊服ではなく、丈の長い深緑の詰襟ジャケットに、細身のパンツを履いている。どうやらこれがこの国の正装らしく、そのテーブルにつく者はみな、多少の違いはあれど同じような格好をしていた。
ヴィッツは胸元に手を当て、一礼をしてから「お久しぶりですね、聖女様」と人のよさそうな笑みを浮かべた。
「……お久し、ぶりです。ヴィッツ様」
たどたどしい挨拶にも笑顔を見せてくれるヴィッツは、とてもいい人間に見える。けれどどうしても、最初の日に見せた冷たい目が心の端にこびり付いていて、心の底からこの人をいい人だと思えない。
「改めまして、ヴィッツ・ルーゼンロードです。ローゼリア王国近衛騎士団第3隊で隊長の任についています。聖騎士になった暁には、あなたの力をお借りし、精一杯この国に仕えようと思います。そして、このような素晴らしい機会を与えてくださった国王陛下にも、感謝いたします」
ヴィッツは流れるように言うと、もう一度深く礼をした。料理を運んできた若いメイドが、熱っぽいため息をつく。その頬はバラ色に染まっていた。周囲をうかがえば同じようにピンクのオーラを出した人間がちらほら。
「彼は名門ルーゼンロード家の出です。この国の娘ならみな一度は憧れるような人間ですよ」
リオルトに耳打ちされて、美月はなるほどとその顔をもう一度よく見た。あの時はひどく混乱していてそこまで意識が回らなかったが、自信に満ちた端正な顔をしている。そして名家の出身で、重要な役職にもついている。素晴らしい人間だ。
ただ、完璧すぎて、少し冷たい印象も受ける。怖いとさえ、美月は思った。
「……聖女様」
「っあ、ヴィッツ様のご健闘をお祈りいたします」
リオルトに促され、挨拶の最後にはそう言うようにと言われていた言葉を慌てて言うと、ヴィッツが「ありがとうございます、聖女様」と優雅にほほ笑んだ。
やっと一人。正直、もうお腹いっぱいだ。が、まだあと9人残っている。美月は頬の筋肉に気合を入れた。
続いて、ヴィッツの正面の男性が立ち上がる。髪の長い、穏やかそうな男性だった。「ルイ・フォントルムと申します」と頭を垂れた男性はかつて王城の騎士団に所属し、現在は薬室長をしていると言った。続くのは少し年上の男性。彼は王都の隣の街の領主だそうだ。なんだか難しくてややこしい名前をしていて、覚えられなかった。そしてそれより先の男性も、もう誰が誰だか分からない。ただでさえ馴染みのない響きの名前と、聞いたこともない役職は美月の頭を盛大に混乱させていた。
その間で次々並べられる、呪文のような料理のせいもある。「フォンレとゴメのタルタッタ」と言われたってなんの料理か分からない。
最後の候補の前に美月はすでにノックアウト寸前。こめかみのあたりが締め付けられるように痛んでいた。
「では、最後は――」
「こんばんは、聖女様」
どこかで聞いたことがある声だった。
「ローゼリア王国近衛騎士団第三隊、副隊長の任についております、シオン・カーハートと申します」
薄いグレーの正装に身を包み、滑らかな金髪を品よく分けて、シオンは深く一礼をした。再び顔を上げた時、シオンは悪戯に成功した子供のように小さく舌を出してみせた。
「シッ!?」
美月は立ち上がりそうになったのを寸前のところでこらえた。
どうしてそこに、と言う言葉は出かかった直前で引っ込む。リオルトに机の下で思い切り足を踏まれたからだ。見上げると、小さく首を横に振られる。「騒ぐな」ということだろう。シオンもまた、「静かに」と唇に人差し指を立てた。
「この度は私のような者に、素晴らしい機会を与えていただき、感謝いたします」
「……シオン様の、ご健闘をお祈りいたします」
「ありがたき幸せ」
シオンは礼をして、再び席についた。
すべての候補者たちの挨拶が終わると、ようやくゆっくりと食事ができるようになった。聖騎士候補たちが座るテーブルでもなごやかなムードが漂い、みな笑顔で食事をしている。
「……どういうことですか?」
食事をしながら、美月はそっとリオルトに体を寄せた。
「どう、とは?」
リオルトは白々しく言った。
「どうって……シオンさんのことですよ。どうしてあそこに座っているんですか?」
「どうしてもこうしても、そのままですよ。彼もまた、聖騎士候補ですから」
「でもシオンさんもリオルトさんも、そんなこと一言も言わなかったじゃないですか」
「言う必要はないでしょう。あなたには余計な情報です」
その言葉に、美月はふくれた。リオルトはかすかに眉をひそめ、続ける。
「余計な情報ですよ。あなたは選ばれた聖騎士に力を与えるのが役目です。シオンが聖騎士候補でも、そうでなくとも、あなたの今後には一切関係ありませんから」
「それは、そうですけど……」
「一人の候補に入れ込みすぎると、後で傷つくのはあなたですよ」
それは、その通りだが、だからといって簡単に分かりましたと言えるような話でもない。シオンが聖騎士候補だと言ってくれたってよかったのに。
最後に運ばれたクレープに似たデザートを食べたけれど、なぜか味はほとんど感じなかった。
◇
2時間ほどで、晩餐会は終わった。国王と少し話があると言うリオルトと別れ、美月は早足に部屋へと向かう。途中、なんとなくシオンのことが頭をよぎって、足が止まった。窓から見える空には、雲がかかった細い三日月が浮かんでいる。
――疲れた。
ため息を一つついて、頭についていた花飾りを強引に取った。人気のなくなった廊下の壁に頭を寄せると、どっと疲れが襲ってくる。目を閉じたらこのまま寝てしまいそうなほどだ。
「聖女様」
不意に声をかけられ、美月は弾かれたように振り返った。「はい!」慌てて髪を直し、姿勢を正す。
そこには予想もしていなかった人物が立っていた。
「失礼、驚かせてしまいましたか?」
「いえ、大丈夫です。どうかなさいましたか? ……ヴィッツ様」
立っていたのは笑顔を浮かべるヴィッツだった。
ヴィッツは笑顔のまま美月に歩み寄ると、その正面に立つ。心なしか距離が近い。薄暗い廊下を照らす橙色の灯りが、ヴィッツの顔の影を揺らした。
「なかなかお話する機会もありませんので、少し話したかったんです。その後、聖女様としてのお力はどうですか?」
美月はどう言えばいいのか分からず、ヴィッツから視線を逸らした。やっとのことで、「……リオルト様に、指導していただいています」と小さく言う。
「まだ、自信を持って使えるとは言えませんか?」
「それは……」
食い下がるヴィッツに、美月は不快感と恐怖を感じ、眉をひそめた。
晩餐会の柔らかな雰囲気はどこへやら。今のヴィッツは最初に会った時と同じだ。彼はどこか冷たく、威圧的な雰囲気がする。
そんな美月の気持ちを感じているのかいないのか、ヴィッツは「もちろん疑っているわけではありませんが」と前置きをした上で話を続ける。
「あなたはこの国の命運を握る聖女様です」
ヴィッツは美月の両手を自らの手で握りこんだ。
祈るような声で話すが、手を握る力はどちらかといえば拘束に近い。美月はその手を引こうとしたが、ヴィッツは離さなかった。
「ローゼリア王国のためにも、国民のためにも、そして、私のためにも、あなたが一刻も早く真の聖女様としての力を持てるように、私は祈っております」
胃のあたりに、その言葉が重たく沈む。
今までたくさんの人に「国を頼む」と自分には過剰すぎる期待をかけられてきたが、ヴィッツのそれは今までの誰とも違っているような感じがした。
彼の言葉は今まで聞いたどの言葉よりも、軽薄に感じる。きっと彼は、誰よりも私に興味がない。目を見れば分かる。彼は私を見ているようで、なにか別のものを見ている。それなのに、ヴィッツの言葉は呪いのようにべったりと耳に張り付き、時間をかけて体を侵食していくようだ。
「……精一杯、努めます」
言い慣れたその言葉を絞り出すまでにも、とてつもない時間がかかった。
「ええ、宜しくお願い致します、聖女様」
ヴィッツはまた、人のよさそうな笑みを作ってみせた。
ヴィッツと別れた後も、貧血になったときのように、足元がおぼつかない。晩餐会で神経をすり減らしたのもあるのだろう。やっとのことで部屋までたどりつこうとしたとき、膝から力が抜けた。
ぐらりと体が前のめりになって、地面が近づく。
――あの時みたいだな。
上手く働かない頭の隅で、そんなことを思った。
足を痛めた時も、こうやって倒れた。刺すような痛みがあったあと、急に地面が近づいた。本能的に絶対にやってはいけない類の怪我だと思った。そのまま地面に頬をこすり、蹲ったあとのことはよく覚えていない。
「ミツキ」
いつまでたっても頬を地面に擦ることはなかった。代わりに、耳元で焦ったような声がする。薄く目を開ければ、金色が揺れている。彼の髪は、暗闇でもその輝きを失わない。
「……シオン」
「部屋まで抱えるよ。ごめんね」
シオンはそう言うと、美月を抱きかかえた。
美月は驚いて「自分で歩けるよ」と言ったが、すぐに却下された。「歩けないでしょ」と続いたシオンの言葉は図星だ。美月はもう目を開けているのも辛い。大人しくその言葉に従って、シオンの胸元に頭を預けた。
「重くて申し訳ないです」
「鍛えてるから、これくらいじゃなんともないよ」
足を踏んだ時は、骨が折れそうとか言ったくせに、と美月は口の端に笑みを浮かべた。
「一応、聖騎士候補の一人だからね」
「……びっくりしました」
晩餐会でのシオンはいつも部屋にやってくる時とはまるで別人だった。美しく優雅で立派な一人の騎士だった。
とても驚いた。でも、驚きのあとにやって来たのは、ほんの少しの寂しさだった。
「……言ってくれても、よかったのに」
「ごめんね」
シオンの胸元からかすかに聞こえる鼓動の音と一緒に、シオンの魔力を感じた。春のひだまりのような、暖かで心地のいい魔力。シオンの魔力がまだ自分の中にあるからだろうか、彼の魔力を感じるととても安心する。
鳥の子供は、生まれて最初に見たものを親だと認識すると聞いたことがある。自分もはじめて感じた魔力を、とても身近に感じているのかもしれない。美月は小さく息を吐いた。
「僕が自己紹介した時のミツキの顔は傑作だったよ」
シオンの軽口も、今はありがたい。
「体が熱い。熱があるかもしれないね」
「……はい」
「大丈夫、疲れたんだよ。晩餐会、緊張しただろ?」
「……ん」
「ガチガチだったもんねぇ、ミツキ」
シオンは器用に足で扉を開くと、美月をベッドの上に静かに横たえた。部屋の灯りを付け、「じゃあ医務室から人を呼んでくるから」と部屋を出ようとする。
美月は顔だけシオンに向けてて言った。
「ありがとう、シオンさん」
シオンは穏やかにほほ笑んだ。
「すぐに戻ってくるよ」
その言葉の通りシオンがすぐに戻ってきたのかどうかを美月は知らない。
次に目が覚めた時は晩餐会の日から2日目の朝だった。医務室長が言うには、疲れから来る体調不良だそうだ。少し休めば良くなるとのことだった。リオルトは渋い表情で「では3日休みましょうか」と告げ、それから3日間の勉強や練習を休みにした。
医務室長の言葉のとおり、その日の夜には熱は下がり、次の日には少々暇を持て余した。
美月はぼんやりと窓の外を見ながら、皿に盛られたフルーツを食べた。
「……暇です」
「だから、本を持ってきてあげたでしょう」
様子を見にやって来たリオルトの言葉に、美月はテーブルに置かれた分厚い本をちらりと見る。小難しそうな内容の、史実を元にした小説だ。ページをめくり、その文字の細かさと内容に絶望してから開いていない。
「……もう少し簡単なものでないと」
「ですが、勉強になりますよ」
「勉強はお休みだって、医務室長も言ってたじゃないですか」
リオルトは渋い顔で「そうですね」と言った。
「……あの、リオルト先生。お願いがあるんですけど」
「……聞くだけ聞きましょう」
「外出したいです」
「だめです」
食い気味に返された言葉で、美月はがっくりと項垂れた。「だめに決まっているでしょう」と呆れた声で追い打ちをかけられて、頭はさらに下がる。
「この世界のこともろくに分からないあなたを、聖騎士選定の儀式が終わる前に、外に出せるわけがないでしょう」
「……はい」
「その体に万が一のことがあっては困りますし」
「はぁい」
リオルトの言うことは分かる。この世界で私は常に迷子みたいなものだ。一人で外に出ても、なにもできない。でも、ずっとここにいるのは息が詰まる。
この城の中に満ちている値踏みするような視線や、過剰な期待を乗せられた視線には少し疲れてしまう。
ついつい出てしまったため息をあくびでごまかして、窓の外に視線を向ける。庭園を庭師が美しく刈り揃えていた。




