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01. 誰が聖女様?


 夢を見ていた。


 すぐ目の前に、私が立っている。

 陸上トラックのスタートラインで、私が立ちすくんでいる。短い髪に、白地にブルーのラインのユニフォーム。

 どこか遠くでピストルが鳴ると、背後からすさまじいスピードで選手たちが駆け抜けていく。私はスタートラインから動けない。だって私にはもう走りたい理由がないから。

 懐かしい風が頬を撫でていくと、心臓が潰されたように痛んだ。


 これ以上この夢を見ていたくなくて、重たい瞼を上げた。



01.



 目が覚めると、星崎 美月は、ふわふわの金髪に艶っぽい紫色の瞳を持った美青年に見下ろされていた。陶器のように透き通った美しい肌に甘い雰囲気の大きなたれ目は、まるで少女漫画にでてくる王子様のようだ。淡いグレーに金の刺繍の入った詰襟のジャケットと、細身のパンツはまさに王子様のそれだ。到底平均的な日本人には似合いそうにないその服を、一切の違和感なく着こなした彼は、やっぱりどこからどう見ても日本人ではない。

 やばい、英語分からない。

 焦って「はろー」とつぶやいてはみたものの、挨拶はなく、彼は眉間に深い皺を寄せてくるりと去って行ってしまった。誰もいなくなった視界に、高く真っ白な天井が目に飛び込んでくる。


 ……なに、これ。一体どういう状況なんだろう。


 美青年のインパクトで一瞬わけが分からなくなったが、その背中を見送って、美月はようやく自分が地面に倒れていることに気が付いた。

 妙に寒いと思ったら、体がびしょびしょに濡れている。背中がやたら冷えるのは、床が大理石のような白くてなめらかな石造りだから。いったいなぜ、体が濡れているのかは分からない。さっきまで、学校の教室にいたはずだ。その証拠に、学校のセーラー服を着て、ちゃんとタイツも履いている。放課後、友達と、これからカラオケに行くかアイスクリームを食べに行くか悩んでいたはずだ。

 長い間眠った後のような気だるさを感じながらゆっくりと体を起こして、その空間の異様さに美月は言葉を失くした。

 

 そこは馬鹿みたいに高い天井の、白い壁の空間だった。窓がどこにもないのに明るい。光源はどこかと探したが、それらしいものは見当たらない。部屋の一番奥の壁には淡い青に光る滝があり、そこから流れ出た水は、自らを円形に囲むように通る細い水路を流れている。

 その水路をたどった先の光景を見て、美月の口から「ヒッ」と、小さな悲鳴が漏れた。


 そこにいたのは、先ほどの美青年と同じような格好の男性達。彼らは一様に信じられないものをみるような眼で、美月を見ている。

彼らはどう見ても日本人ではない。髪は漫画の世界の住人のような金銀、銀髪、今まで見たことのないような緑やピンク色の人もいる。

 どこまでも、現実離れした空間だった。


 ここがどこか聞かないと。と、唇を開く。喉が渇いて、声が出にくい。


「……あの」


 その掠れた声に、男性達はどよめいた。互いに顔を見合わせ、何かを話しているが、美月には何を言っているのか全く理解できない。やっぱり、日本語ではない。

 おかしい。やばい。なにこれ。

 美月が困惑していると、一人の男性がその中から出てきた。男達の中で一番背が高く、ガタイもいい。濃い赤茶色の髪をオールバックにし、涼し気な切れ長の目をしている。濃紺の詰襟の上着の胸元には、たくさんの勲章らしきものが輝いていた。

 彼は美月と男たちの間に、境界線のように引かれた水路を跨いで、軽やかな足取りでこちらに近づいてくる。


「……え?」


 その男の腰に携えられたものを見て、美月は座り込んだまま後ずさった。

 映画やマンガでしか見たことがないけれど、あれは剣ではないのだろうか。カチャカチャと、男が歩くたびに金属音がしている。

 ごくりと、喉が不安げな音を立てる。


「あの……すみません私……」


 男性は美月の前までやってくると、自信に満ちた顔の口の端を吊り上げて、言った。


「――――――!」

「……え?」


 男性は何かを言った。けれどまったく理解できない。

 自分を見下ろす相手を見上げ、美月は慌てて「すみません、わたし、日本語しか話せないんです!」と言った。けれど、男はそんな美月の言葉を聞いていないようで、身振り手振りで何かを笑顔で言っている。「あ、あいきゃんすぴーく、じゃぱにーず、おんりー」と付け加えてはみるが、男は話すのをやめない。


 どうしたものかと考え込んでいると、突然強い力で腕を引き上げられた。


「わっ!」

「―――――! ――!?」


 男の顔が近づき、美月は手を振り払おうとしたが、痛みで声が漏れるほどの力でもう一度引き寄せられる。男は興奮した様子でしきりに何かを言っているが、何を言っているのか一言も分からない。

 じわじわと沸き上がってくる恐怖が、美月の目の端に浮かんだ。どうしよう。いったいなんだろう。怖い。


 こわい、こわい、怖い!


「あ、あいきゃん、すぴーく、ジャパニーズ、オンリー!」


 パニックになりながら美月がそう叫んだのと、掴まれていた腕が別の方向から伸びた手に引き寄せられたのはほとんど同時だった。


「……――――――!!」


 一拍の間を置いて、先ほどまで美月の腕を掴んでいた男は、現れた第三者を睨みつけた。そこにいたのは、先ほどの金髪の美青年だ。

 金髪の美青年は不愛想な表情で美月の手を離すと、男に何かを告げた。男は何かを言いたそうだったが、美少年に念を押されるように何かを言われると、悔しそうに一歩引きさがった。


「……なに……なんなの?」


 美青年は美月の方を見ると、そちらに向かって手を伸ばした。顔に向かってくる手に、思わず肩が跳ねる。

 そんな美月を見て、彼は何かを言った。言葉は理解できない。でも、悪意ある言葉や、悪い言葉を言われているわけではなさそうだ。多分、「大丈夫だ」と言われている。根拠はなかったが、なぜか美月はそう思った。

 美青年の手がゆっくりと美月の前髪をかき分け、額に触れた。反射的にぎゅっと目を閉じれば、溜まっていた涙が頬を伝う。


 少し冷たい指が、ゆったりとした動きで額を滑る。彼の柔らかなテノールボイスは、鎮静作用があるかのように、美月の心を鎮めた。

 額から、体に流れ込んできた暖かなものが指先まで届いた頃、美月はゆっくりと目を開けた。


「……僕の言葉、分かる?」


 指先が離れて最初に聞こえた言葉は、しっかりと理解できた。日本語だ。


「わ、わかる」


 噛み締めるように頷くと、美少年は少しだけ表情をゆるめ「そう」と言った。


「おいシオン、聖女様は我々の言葉が分かるようになったのか!」


 声を上げたのは、先ほどまで興奮した様子で何かを話していた男だった。彼は金髪の美青年をシオンと呼び、苦々し気な表情で彼を見ている。初めて二人を見た美月でさえも、彼らの関係があまりいいものではないと簡単に想像できた。

 シオンが無表情に「ええ」と小さく返事をすると、彼は鼻を鳴らした。


「だったら今すぐにこの場から去れ。ここは聖女様の祝福の間だ。選ばれた者しか入ることができない」

「……もちろん、分かっていますよ。僕は聖女様の言葉の問題を解決しに戻ってきただけですから。ヴィッツ様が、聖女様の様子がおかしいことに、お気づきにならなかったようなので」


 とげのある言い方だった。男性の眉間の皺が深くなる。


「えっと、シオン、さん」

 

 踵を返したシオンを見て、美月はとっさに声をかけた。


「あの……よくわからないけど、ありがとう。助けてくれた、んですよね?」


 そう言うと、シオンは目をまん丸にした。けれどすぐに頬を緩ませて「どういたしまして」と小さく言い、その場から去って行った。


「……さすが聖女様ですね。あのような位が下の者にまでお優しい」


 小さな咳払い後そう言ったのは、シオンに“ヴィッツ様”と呼ばれた男だ。話し方から察するにシオンよりも上の立場の人間らしい。

 ヴィッツはシオンが去った方への視線を遮るように立つと、胸元に手を当て、人のよさそうな笑みを浮かべた。


「改めまして、私、ヴィッツ・ルーゼンロードと申します」

「はじめまして……」

「お目にかかれ光栄です、聖女様」


 せいじょ。

 先ほどから何度か繰り返されるその言葉が自分に向けられ、美月は「え?」と周囲を見渡した。が、当然誰もいない。扉のあたりで、遠巻きに見ている人たちがいるだけだ。

 間違いなくその言葉も、礼も自分に向けられている。


「……あの、さっきから気になってたんですけど、その“聖女”とは?」


 彼は目を丸くした後、小さく噴き出した。


「いやあ、可愛らしい冗談ですね」

「い、いえ。その、冗談ではなく……」

「今代の聖女様は異世界からいらっしゃったお方ですから、我々とは少し違うところもあるのでしょう」


 言葉は分かっても、ヴィッツの言っていることはよく分からないままだ。


「すみません、ここはどこですか?」

「……御冗談を」

「いえ、冗談ではなく。ここはどこですか?」


 ヴィッツの目から感情がゆっくりと消えて、浮かべられた笑みが引きつる。彼の纏う空気が冷たくなって、美月は一瞬その先の言葉を言うか迷った。だが、聞かなければ何も始まらない。濡れたスカートの裾を握りしめ、意を決して告げた。


「……人違いだと、思うんですけど。私は聖女なんかじゃありません」



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