七夕祭りの前日に
ーー七夕飾りに、なにを願う?
同じクラスでサッカー部に所属している速水君は、短冊に『サッカー全国大会ベスト4!』と書いた。そんなの書いてる暇があれば練習したらどうかな、とは思うまい。この程度の文字を綴る時間を練習に使ったところで大勢に変化はないのだ。それに、神頼みは僕らみんなの特権だ。彼だけがその恩恵に与れないなどということは許されない。むしろ、それで願うことがサッカーに関することであったことに、僕は感心したし、少し羨ましくもあった。速水君は普段彼が公言しているように、本当にサッカーに命を懸けているのだな、と。
クラス委員の橋本さんは『世界が平和でありますように』と書いていた。聖人君子なのかと思うくらい、ひどく利他的な願いだ。世界が平和になれば、巡り巡って彼女の周りも平和になるのだから、ある種ひどく利己的と言えなくもないが。まあ、彼女らしいな、と思った。
僕の場合も、ある側面から見たらひどく利己的で、ある側面から見たらひどく利他的で、そして自分の力ではどうしようもないことをなんとかして欲しくて、短冊に願いをかけた。
叶ったらいいなと思いつつ、叶わないと諦めていたりもする。
なんとも、自家撞着甚だしいことだ。
「おじさん、終わったよ」
「おう、毎年悪いな。助かったよ」
「どういたしまして。それじゃ、吊り上げるときにまた呼んで」
「いや、うちの若い衆でなんとかするわ。高校生にそこまで頼ってちゃ大人失格だからな」
「そう?別にいいのに」
「飾りを手伝ってくれただけで十分だ。ありがとうな。これ、とっとけ」
「いや、小遣いが欲しくてやってるんじゃ……って、ヤク○ト?」
「おう!喉乾いたろ!飲め!おごりだ!」
「余計に喉乾きそうだね」
僕の暮らす町では、毎年七月七日にお祭りがある。
町に暮らす人がそれぞれ、自分の家の前に大きな七夕飾りを立て掛け、町全体で七夕を祝う七夕祭りだ。
当然、僕の家も七夕飾りを作るのだが、僕の両親は面倒臭がりなので、僕の身長ほどの笹に白紙の短冊ときらきら光る銀紙の短冊を適当に散りばめ、軒先の雨樋に括り付けるだけだ。作成所要時間、およそ二十分。なんとも簡素な飾りである。
そのため、お祭りの前日で忙しなく準備をする町の人たちの中にあって暇を持て余している僕は、町をぶらつきながら知り合いの七夕飾り製作の手伝いをして回っているのだった。
「で、この飾りたちをつければいいの?」
「ええ、シュンちゃん、お願いできるかしら」
「うん。大丈夫。やっとくから、おばさんは休んでていいよ」
「あら、そう?ほんと、シュンちゃんは良い子ね。うちのどら息子に爪の垢でも煎じて飲ませてやってくれない?」
「はは。いや、それはアキラに悪いから」
僕は今、隣の地区に住む親戚のおばさんの家まで来ていた。
目の前には大きな竹と並んで、提灯や短冊、折り紙を切って輪飾りにしたものを繋ぎ合わせたもの、玉扇状の飾りの下部から細長い紙を幾重にもぶら下げたものなど、様々な飾りが並べられている。
それらひとつひとつに麻紐を通し提げられるよう手を加え、丁寧に竹の葉に結んでいく。
通りにしな垂れる時のことを考え、長い飾りは先端のほうに、短く小さな飾りは根元のほうに。
立て掛けた時の見栄えを予想しながら、計算して飾りを配分していくのが、この作業の醍醐味だ。
「そういえば、アキラは今どこに?」
「アキラなら、友達と遊びに行ったわ」
「ふうん。そうなんだ」
「お祭り前日なのに、手伝いもしないで……」
「まあ、あまり責めないであげてよ。遊びたい盛りなんだし」
「いいえ、帰ってきたら叱りつけなきゃ。シュンちゃんを見習いなさいって」
「僕になんて、見習うべきところがないよ」
「何言ってるのよ。こうやって他の家の手伝いをするなんて、とても立派なことじゃないの。……それにしても、相変わらず器用ねぇ」
おばさんは、僕が次々に飾りをつけていく様子をまじまじと見つめていた。
「まあ、昔からやってることだからね。やってるうちにコツを掴んだというか」
「去年もやってもらっちゃったのよねぇ。でも、私がやるより上手に飾り付けてくれるものだから、助かってるんだけど」
「お役に立ててるならなによりだよ」
有り難がられると、少しこそばゆい感じがした。
僕が無理に頼み込んで手持ち無沙汰を解消させてもらっているだけなのだから。
おばさんに見守られながら作業を続けていると、いつしか地面に並んでいた飾りは、残りひとつを残すのみとなっていた。
「これで、最後?」
「そうね。それは私がやっておくわ。今年もありがとうね」
「うん。じゃあ、あとはお任せします」
こうして、僕はおばさんの元を離れた。
次はどこの家を訪ねようか悩みながら通りを眺めていると、近所に住むおばさんと目が合った。すぐに方向を変えようと振り向いたら、背後に小走りに駆けるサンダルの音がして、諦めた。
「あら、あら、シュンくん。こんにちは。今年もお手伝い?偉いわねぇ。せっかくの七夕祭りだものね、シュンくんも楽しみたいわよね」
「こんにちは、サカエさん。そうですね。年に一回のイベントだしーー」
「そういえばね、近所にほら、末永さんっているじゃない?知ってる?その末永さんだけど、今年は七夕飾り用の竹を新調したそうよ!それもすっごい大きいの!」
「あ、そうなんですかーー」
「あ、そうそう竹といえばね、七夕といえば笹の葉さらさらーっていう歌があるじゃない?でもうちとかご近所さんとか、みんなお祭りに使うのは竹なのよね。笹と竹って違うものだから、もしかして間違えてるのかと思ってたら、実はどっちでもいいんだってね!おばさんびっくりしちゃったわ!」
「へえ、笹と竹ってどんな違いがーー」
「あ、そうそうそういえば!ほら、近所にちっちゃな子がいるでしょ?姫愛ちゃんっていう名前なんだけど、幼稚園で練習した七夕の歌を明日披露するらしいのよ!広場に幼稚園のみんなが集まって、合唱するんですって!いいわよねぇ。今年も七夕がきたって感じがするわよねぇ」
「あ、はい、そうでーー」
「あ!それとね!シュンくんのうちの隣!大きな犬を飼ってるでしょう?その犬がーー」
僕が逃げたがった理由は、判っていただけたと思う。
このサカエおばさんは、少々、いや、重度の話したがりなのだ。
興味もない話をつらつらと聞かされた上、終わったと思いなにか言おうとすると、こちらの反応も聞かずに次の話が始まってしまう。
正直、僕はサカエおばさんが苦手だ。
だから、その話題が十回くらい転換したところで、決まってこう言うのだ。
「ごめんなさい、おばさん。もうちょっと聞いてたいんだけど、約束があるんだ。続きはまた今度聞くよ」
「あらそう?約束があるなら仕方ないわね。ごめんね引き留めちゃって」
このように、いつまでも話すかと思われたおばさんも、僕のこのセリフを聞くと割とあっさりと解放してくれる。
いつもなら。
今日は少しだけ、毛色が違った。
「あ、ちょっと待って。もうひとつ。さっきアオイちゃんが、シュンくんを探してたわよ?」
「え……」
「いろんな人に声をかけて、結構必死に探してたんだけど、なに?隠れんぼでもしてるの?」
「……うん。まあ、そんなところかな」
「あらそう?じゃあ、怪我なんかしないよう、気をつけてね」
「うん、ありがとう。サカエさん。それじゃ」
高校生にもなって、隠れんぼなんて遊びはしないけど。
そんなことを言うとまた長い話が始まってしまいそうな気がしたから、適当に話を合わせた。
僕を探しているというアオイは、僕の幼馴染だ。
親同士が仲が良いということもあってか、たびたび僕の面倒を見にやってくる。
今回も、要らぬお節介でも焼くつもりかもしれない。
とはいえ、特に隠れる理由もないから、例年通り、当初の予定通り、七夕飾りの手伝いを続けることにした。
「こんにちは、金子のおじいさん」
「おお、シュンくんかい。いらっしゃい」
「おじいさん、七夕飾り、もう出来た?」
「いいや、まだだよ。ちょっくら、茶でも淹れようかいのう」
「あ、お構いなく。飾り、手伝おうか?」
「ああ、いや、儂とこは今年は飾らんからの。竹、割れちまってな」
「あ、そうなんだ。残念だな」
「そうやのう。残念やのう」
「代わりの竹ってないの?小さいのでも、飾らないよりマシじゃない?」
「それが、なくてなあ。シュンくんは毎年、ようけ来てくれるからの。茶でも飲んでくといい」
「ありがとう。おじいさん」
「ちょっと待っとれ。淹れてくるから」
「うん」
そうか。割れてしまったのか。
金子のおじいさんのところの七夕飾りは、それはそれは立派だった。
大きくて、葉っぱの付き方も良くて、家の前に立てると向かいの家の近くまでその穂先がしな垂れたものだ。
毎年、飾り付けを手伝ったということがほんの少し僕の誇りになっていた。
それが、割れてしまったのか。
なんだか、ちょっぴり切ない。
「お待たせ」
「ありがとう」
渡された茶をずずっとすすると、強烈に苦い味が口の中に広がった。
「おいしいよ」
「そうかね。そりゃよかった」
またひとつ、ずずっとすする。
「そういえばさ、飾り、今どうしてるの?」
「ん?倉庫のほうかねえ。とはいえ、竹が折れちまって今年は諦めたから、去年飾ってあったやつが埃かぶって眠ってるだけだがねえ」
「いくつか、綺麗なやつ貰えない?飾りだけでも、お祭りに参加させてあげたいから」
「そうかそうか。シュンくんは優しいねえ。どれ、ちょっと探してこようかね」
「ゆっくりでいいからね」
金子のおじいさんは立ち上がり、表へ出て行った。
これで、寂しそうなあの顔が少しでも晴れるといいんだけど。
手元のお茶を、またすすった。
苦さに慣れて、その中に仄かな甘さがあるのに気がついた。
うん。これは、本当においしいかもしれない。
「あ、いた!」
金子のおじいさんちの玄関に、アオイが立っていた。
「もう!探したのよ!」
「うん。ごめん。ありがとう。でも用事があるから、また後でね」
「なによそれ!いいから、帰るよ!シュンが急にいなくなったって、おばさん心配してたんだから!」
「書き置き、しとけばよかったかな?」
「そういう問題じゃない!」
「アオイちゃんも来たのかい?いらっしゃい。ああ、お待たせ、シュンくん」
「おじいさん。ううん、大丈夫。全然待ってないよ」
「あ、金子さん、お邪魔してます」
アオイは、大人に会うと花が萎んだように大人しくなる。
いつものことだ。
金子のおじいさんから、飾りを受け取った。
手の平サイズの小さな提灯だった。
「おじいさん、もっと大きい飾り、無かったっけ?」
「ほとんど傷んでるしの。綺麗な飾りいうたら、それくらいしかなかったのう」
「そう。分かった。じゃあ、飾った後、どこに飾ったか教えに来るよ」
「いいや、ええよ。教えんで。今年はシュンくんがその提灯をどこに飾ってくれたか探しながら楽しむからの」
「でも、これだけ小さいと見つけられないかも」
「ええよええよ。見つからんでも。今年はぼうっと眺めるだけかと思うとったからの、シュンくんのおかげで楽しい祭りになりそうじゃ」
「うん。じゃあ、できるだけ見つかりにくいところに飾っておくよ」
「うん、うん。シュンくん、ありがとうなあ」
アオイを伴って、金子のおじいさんの家を離れた。
手の上に乗った小さな提灯は、力を入れると潰れてしまいそうなくらい、柔らかかった。
「今年も、いろんなお家の手伝いしてるのね」
「うん。暇だったからね」
「金子のおじいさん、嬉しそうだったね」
「そうだね」
「シュンはすごいね」
「そんなことないよ」
アオイとともに、七夕飾りが並ぶ町の中をゆっくりと移動する。
ふと見上げた飾りに、願いの書かれた短冊がかかっていた。
『あの人にこの想いが伝わりますように』
誰に、どんな想いを願ったのかな。
「アオイは、短冊に願い事書いた?」
「うん。書いたよ」
「なんて書いたの?」
「ひみつ」
「ふうん。そっか」
「シュンは?なにか書いた?」
「ひみつ」
「ふうん」
去年も、こんなやり取りをした気がする。
まるで、去年の七夕を繰り返しているようだ。
自分たちが成長していないことを証明するかのようなやり取りをしているのが少し嫌だったから、もう少し会話を繋げてみた。
「でも、願っても叶わないかもね」
「どうして?」
「だって、僕の願い事は、僕が頑張ってもどうしようもない、ほんとにただの神頼みだから」
「そうなの?どんな願い事?」
「それはやっぱり、ひみつだけど」
「ふうん」
が、着地点は変わらないようだった。
やっぱり僕らは、なにも成長していないらしいし、なにも進展しないのだろう。
それはきっと、これからもずっと。
そう思うと、少し悲しくなった。
「でも」
「え?」
「私は、シュンの願い事が叶うといいなって、そう思うよ」
「……うん。ありがとう」
僕がどう思ったって、体は勝手に成長するものだ。
心もきっと、成長する。
僕らもきっと、成長している。
知らない間に、けれども、確実に。
いつまでも同じ関係ではいられないかもしれないけれど、やっぱり、僕はアオイのことが好きだから。
だから、願わずにはいられなかった。
『いつか、彼女と並んで歩けますように』
と。
「あ、あの飾り、海月が空を泳いでるみたいね!」
僕の車椅子を押すアオイの顔を見上げると、今日はちょっぴり、なんだか少し、いつもより綺麗な顔をしているように見えて、僕は、少し顔が熱くなった。
金子のおじいさんの小さな提灯は、僕の家の前の、簡素な笹に括り付けることにした。
お祭りの当日、誰の目にも止まらないかもしれないし、金子のおじいさんも見つけられないかもしれない。
でも、それでもいいのだ。
誰の目にも止まらなくたって、誰の興味も引かない存在であったって。
きっと誰か一人くらいは、その存在をちゃんと知ってて、認めてくれるんだ。
アオイにとっての僕はきっとそうじゃないけど、僕にとってのアオイが、そうであるように。
あの提灯も、僕の前でだけ、誇らしげに、胸を張って飾られていたらいい。
織姫と彦星は、今年も無事に会えたのでしょうか。
会えたならいいな。
とにかく、今年の七夕ももう終わりますね。
今年もみなさまに良いことがありますように。