3週間
「冬夜! 早く起きなさい!」
(ん〜、うるさいな〜)
一階のリビングから母さんの甲高い声が聞こえる。
「もう遥ちゃん外で待ってるわよ! 早くしなさい!」
(え? 遥が? そんな訳ない。だってまだそんな時間じゃ......)
枕元にある目覚まし時計を確認すると、眠気は一気に引いていった。
「うわっ! ヤバい!」
ベッドから跳ね起き、急いで制服に着替える。
焦りからか、シャツのボタンをつけ間違えたがそんなの御構い無しに、けたたましく階段を駆け下りた。
「もう! 7時に起こしてって言ったじゃないか!」
「起こしたわよ。あんたが起きないのが悪いのよ」
「起きなかったら一緒じゃないか!」
文句を言いながらも顔を洗い、歯を磨いてリビングへと向かう。
「全く、また昨日も遅くまでファミコンしてたんでしょ? ねえ、お父さんからも何か言ってあげてよ」
食卓で新聞を広げていた父さんが、ん? っと顔を出した。
「ははは、母さんはちゃんと起こしてたぞ冬夜。それにファミコンのやり過ぎも体に良くない。やりたいなら母さんにバレないようにやらないとな」
「うん。今日からはテレビの音量を消してからやるよ」
僕も食卓につき、トーストをかじりながら返した。
「もうお父さんまで冬夜の味方するんですか? たまにはガツンと言ってもらわないと困りますよ」
「ん? そうか? まあ、いいじゃないか。冬夜もこうしてまた学校に行くようになったんだから」
「まあ、それはそうですけど......」
母さんの怒りが少しおさまった所で、トーストを半分残し牛乳を一気飲みして席を立った。
「ごちそうさま! っと、行ってきまーす!」
「あ! ちょっと! 待ちなさい! 朝はしっかり食べないと!」
「もういいよ! それよりも遥を待たせてるから!」
母さんの返事を待たずにカバンを持って家を飛び出した。
****
「とと、とうや君っ......おはようございますっ!」
玄関のすぐ先に、セーラー服に赤いマフラーを巻いた、小柄な女の子がポツンと立っていた。
「は、はいっ! おはようございますっ!」
「きょ、今日もっ......いい天気だね!」
「え? そ、そうだねっ! 気持ちが......いいねっ!」
「........................」
「........................」
空はどんよりと曇っている。
間違っても気持ちがいい天気とは言えないが、毎朝の恒例行事になりつつあるその片言の会話を、僕は楽しんでいた。
「じゃ、じゃあ学校行こっか......」
「そ、そうだね......」
いつも通り。どちらも下をうつむきながら田んぼ道を歩き始める。
冬の澄んだ空気や霜柱の踏んだ感触が心地良い。
しかし、今は冬の風物詩を喜んでる場合じゃない。こんな寒空の下で、僕が家から出てくるのを震えながら待っていた女の子に、お礼のひとつでも言うのが礼儀だと思う。
「えっと......遥?」
下を向いていた顔を、並んで歩いている遥へと向ける。
目が合った。
「ひゃっ!」
3秒程見つめあったあと、驚いたような声を上げて遥はまた下を向いた。
雪のように真っ白な顔が真っ赤に染まっている。よほど恥ずかしかったのだろう。しかし、僕も例外ではない。
赤くなってないよね、僕の顔。
ーー無言の時間が続く。
横並びになったかと思えば一方はペースを落とし、もう一方はペースを速める。そのうちにジグザグな距離感に気づいたお互いがまた横並びになろうとする。
端から見れば挙動不審なことこの上ないだろう。
しかしそれでも、この時間は僕にとって大切なものなんだ。
無言の時間を楽しんでいた矢先、後ろから突然威勢のいい声が聞こえた。
「おいおい! もう冬夜が転校してきて3週間は経つのに、お前らはなんでそんなにぎこちないんだ? 見てるこっちが恥ずかしくなってくるぜ」
振り向くと、制服をルーズに着こなしたガタイのいい男子生徒が立っていた。
「「そんなことない(よ)」
僕と遙の言葉がハモった。
次の瞬間、また顔が赤くなっているであろう遥が声の主に突っかかる。
「もーう! やめてよ真沙斗! 別に冬夜くんとハルはぎこちなくないもん。ね? 冬夜くん」
「え? う、うん......」
突然の遥のパスに、顔に熱いものがこみ上げてくるのが分かった。
遥って、割と確信犯なんじゃないか?
「あーはいはい。悪ぅござんしたよ。それより冬夜! 昨日スーパーヒゲおじさんどこまで進んだ?」
「うーん、昨日はあんまり進まなかったな。あのステージが難しくて......」
サッと遥を受け流して、真沙斗は僕の隣で喋り始めた。
真沙斗が僕達のことをからかうのもいつものことだ。
しかし、不思議と嫌味っぽくないのが真沙斗の不思議な所でもある。
短髪で体が大きく、ガキ大将と言った感じだが決して弱いものイジメはしない。
それに、真沙斗の言うことにも一理ある。この土地に引っ越してきてから毎日のように迎えに来てくれる遥。
僕は遥と2人きりになると急に喋れなくなる。そしてそれは遥も同じらしいのだ。
「グッモーニンエブリワン! 今日も青春してるかね君達!」
と、今度は正面から仁王立ちで僕達を迎える女の子の姿があった。
「おはよう♩ 茜ちゃん」
「押忍! 茜」
「おはよう」
「よーし! いい感じだね。それじゃ、この調子で今日も性格の性に春と書いて性春しようじゃないか! ははは」
茜は胸を張って堂々とそう言った。
健康的なスタイルで、セーラー服にスパッツ。
ショートヘアがよく似合ってる。
「性春? どういう意味だろ? ねえ冬夜くんどういう意味?」
「えっと......多分......性的な......」
ゴン!
真沙斗からゲンコツをもらった。
「痛った! なにするんだよ!」
「おい! 遥に変なこと教えんなって!」
とばっちりだ! 絶対に茜が悪いと思う。
「まあまあ諸君。仲良く仲良く!ふはははは」
そう茜が笑うと、僕たちは一斉に笑い始めた。
これが僕達のいつもの朝の風景だ。
****
ーー1986年1月。僕はここ、M県の山間部にある獣ヶ山村に引っ越してきた。M県は九州にある南の県で、海側は南国のような風景がたくさんある。気候もわりと暖かで、冬であっても雪が降ることは滅多にない。積もるなんてなおさらだ。特にこの獣ヶ山村は、何十年かに一度降ればいい方だという。
温暖な気候もそうだがここは自然がいっぱいだ。こんなに木々があふれた土地を見るのは初めてだった。空気も美味しいし、流れる川も綺麗で輝いている。
しかし、なんでこんな中途半端な時期に引越しをすることになったかと言うと、その原因は僕にある。
ーー引きこもりだった。
キッカケは中学に上がったばかりの頃、クラスのリーダー的ないじめっ子に目をつけられたことだ。
僕は読書やファミコンが趣味で、性格はどちらかと言うと暗い方だ。イジメる標的になるには、申し分ない存在だったんだと思う。
先生にも何回も相談した。しかし、答えは「根性が足りない」と言うものだった。大人もクラスメイトも誰も信じられなくなった。
こうして、絶望した僕が学校に行かなくなるのに、そう時間はかからなかったと言うことは、わかってもらえると思う。
受験する志望校も決まらずにただただ引きこもりの生活をしていた僕に、父さんが強く当たることはなかった。むしろ、都会の殺伐とした高校へ進学させるよりも、高校の選択肢が少なく偏差値も高くない田舎の中学に転校させると言うグッドアイディアを思いついたのだ。
足を引きずってでも学校に連れていくという親が大半を占めていたなかで、それは異例中の異例だったに違いない。
だが、周りの反対を押し切って決断した、父さんの息子社会復帰計画は成功したと言ってもいいだろう。
なぜなら、ほぼ2年間引きこもりだった僕は、冬休み明けからの転入だったにもかかわらず、その温厚な性格のクラスメイト達に優しく受け入れてもらったのだから。クラスメイト達は、なにも詮索はせずにただただ新しい友達として僕を見てくれている。
前に住んでいた都会ではこんなに人の愛情を感じることはなかった。まだ、住んでから3週間程だが、この土地へ引越しを決意した父さんに感謝してもしきれない。本当にこの村に来て良かったと思っている。
いや、思っていたと言うのが正しい。
そう、引っ越してきてから3週間。あるささいなことが
僕の頭の中にひどくつっかえていたのだった......