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第七話 それはもう使えません



 廊下を出て、展示室に向かう。中に入ると、いつかのように足早に順路を進んだ。

 銀座事件を取り上げている第三展示室。その主な死者の一人として、彰寿がここで紹介されている。

 ガラスの内側に、わずかに展示されている遺品は鈴森家からの寄贈という。これがなかったら、もっと扱いは小さかったかもしれない。簡単にどういう血筋かとだけ綴られるくらいの。

 最も大きく取り上げられている人物は、結局銃殺されてしまった三人の閣僚と二人の要人で、それ以外は乱暴な言い方をすればオマケなのだろう。

 そうは言いつつ、恩賜で拝受した軍刀を見ると、どこか誇らしい気分が蘇ってくる。これがここにあるというのも複雑だが。

 銀座事件から先の内容を、ガラス越しに目で追っていく。

 第三展示室は裁判まで。その後、第四展示室から第六展示室まで使って、民衆蜂起、軍との衝突、他国の介入、海戦、民衆との談話、条約締結、制度の改革、軍の解体と続いている。

 俺は本当に革命の最初期で死んだわけだ。

 裁判では、首魁を含めて十一人の将校に死刑判決が出た。

 同じく中心人物とされていたはずの高山田は、それを免れて無期禁固と決められた晩に、首を吊って自ら命を絶った。

 死ねとさえ言い合っていた仲だったのに、智樹になってからその事実を知った俺は、とても笑う気分にはなれなかった。ざまあみろと言っても苦しくなるだけ。虚しくて仕方なかった。

 今生きていたら、あいつどうしていたかな。

 あの裁判で同じく無期禁錮になった人間は、後に恩赦を受けている。自決さえしなかったら、きっと高山田も塀の外だった。

 そうしたら、結果的に表向き帝室以外の身分が消滅したこの時代を、彼はどう見たか。それが気になった。

 第四展示室へ進もうとした俺は、展示ケースの端に目を留める。

 そこには、少々無骨な石碑の写真があった。

 立ち止まって、キャプションを眺める。

「銀座事件首謀者らの魂を慰めるために、革命後建てられた……」

 場所はここからすぐ近く。住所は銀座でも、ほとんど新橋といってもいいくらいの場所だ。

 行ける。そう思った瞬間、自分にびっくりした。

 何故? 義理がないじゃないか。だって、俺は――。

 どす黒い感情が広がるのに、軍博を出てそこまで行くルートを頭の中で組み立ててしまう。

 拳を握る。なんというべきか、このためにここに来てしまったような気分だ。唇を噛むと、わずかに血の味がした。

 お前が呼んだのか? 俺は右に視線を動かす。その先、少し離れたところに、高山田の写真があった。

 しばらくして、軍博を出た俺はガード下をくぐって、その場所に向かった。

 初めて行く場所ではあったものの、複雑な道ではないため迷うことはなかった。

 辿りついてみると、想像よりも静かな場所だった。土がむき出して、石のベンチがあって、公園みたいにも見える。

 年代も形もさまざまな建物に囲まれ、そこだけ別の世界のようだ。

 荒れてはいない。誰かが定期的に世話をしているのだろう。手向けられたばかりの花があった。線香の匂いが鼻腔をくすぐる。

「おや」

 声に驚いて振り向くと、白髪の男性がにこにことしながら立っていた。

「見ない顔だね。ここに来る若者なんてそんなにいないのに」

「あ、えっと、こんにちは」

 どう挨拶していいのかわからなくて、とりあえず頭を下げる。

「ちょっと、革命ゆかりの場所めぐりしていて」

「そうかいそうかい」

 彼はここの管理を請け負っているらしい。遺族なのかどうかは気になったけれど、気が引けて尋ねられなかった。

「若い人って来ないんですか?」

「そうだねえ、遺族の人と、あと熱心に研究している学生さんくらいかな」

 聞くところによると、革命時代のファンは個々の墓を訪れるほうが多いらしい。

 ここはただ、ひっそりとクーデター隊を偲ぶ人々のための場所なのだ。

 この慰霊碑の建立場所は、二転三転したようだ。どの場所でも反対意見がその都度出て、なかなか話がまとまらず、有志が粘ってようやくこの場に定められたという。革命のきっかけになった彼らを憎む層も、いくらか存在するようだ。

 碑の裏には、銀座事件に携わったのちに死亡した過激平民派の将校たちの名が刻まれている。俺は無意識に、あいつの名前を探した。

 高山田邦勝。それは、隅の方にあった。

 その名のへこみに指で触れる。石で削った分だけの空虚さがあった。

 断じて悲しくはない。けれども、嬉しさもない。

 ただ、彰寿の人生で最も嫌悪したあいつの存在がとても遠くて、それこそ自分とはまったく無関係の赤の他人に思えた。

 結局、俺、あいつのことよく理解できなかったな。

 普段の主義主張はどうであれ、彼はクーデターなぞに参与する人間ではないと思っていた。しかも、裁判で死刑を免れた夜に自決なんて、そんな最期もありえない。でも、現実は俺の印象と真逆だった。

 俺は高山田の横に並んだ名前を一通り眺める。

 彼らは身分の平等を夢みて行動を起こし、罪人として世を去った。彼らを否定して蔑んで死んだ彰寿は、どういうわけかこうして転生してしまった。

 この人たちは現代の日本を見て、どれくらい満足するのだろう。それとも、嘆くかな。

 永喜の人はよくわからない。正寧までの常識が通用しない。

 民衆の中には、あのまま他国に併合されるべきだったという思想も存在し、これが何故か現在力を持っている。正寧の頃尊ばれたものも、たくさん否定されている。

 それに比べると、彼らのほうがまだ、国を自分たちなりに良くしたかったという意識を感じさせられる。そう考えつつも、今もなお彼らの行動には疑問を抱くし、賛同はできない。やはり恨みごとの十や二十はぶつけたくなるのだが。

 恐らく、あの場で死んだことを情けないだとか呆気ないだとか思うのは、俺が彼らのことを軽視しているからだろう。しかし、その考えを容易く変えられはしない。

 お前らのせいで、という気持ちをぐっと抑え、俺は軽く手を合わせた。

 世間の人みたいに、高山田個人の墓に寄る気にはなれない。あいつとて、俺がいきなりやってきたら土の下で毒を吐くのに違いないだろう。

 せめてここで、他の人とまとめて死後の安寧を祈ろうとした。革命以後の世界を受け入れられていない自分を嘲笑しながら。



 その晩、俺よりも遅れて帰宅した父さんに呼ばれた。

 差し出してきたのは、シンプルなケース。

「開けてごらん」

 その中に入っていたのは――万年筆。

「曾お祖父ちゃんが使ってたものだけど。ちょうど智樹が好きなあたりのものだったから」

 わざわざ父さんは実家に寄ってきたらしい。

「お古になっちゃうけど、こういうほうが智樹もいいかなって」

 俺は手にとって、しげしげと眺める。

 無傷ではないが、状態は良い。大事に使い込まれた印象だ。

 もうとっくに亡くなっているけど、曾祖父さんや祖父さんは彰寿と同じ時代に生きていたんだな。

 不思議だ。当時、彰寿は松井家の存在を知らなかったし、曾祖父さんたちだって彰寿の名など聞いたことないだろう。

 本当に、妙な巡りあわせだ。

「きっとな、曾祖父ちゃんも、智樹が使ってくれるなら嬉しいと思うんだ」

 父さんは人の好い笑顔を浮かべる。

 苦しくなった。

 何故、この人は俺のために……。

 そう思った瞬間、自分がこの人の息子だということを理解する。

 けれども俺は、父親――鈴森の父をつい思い出してしまう。

「彰寿、この国は尊い。世界になんら恥じることなどない」

 あれはいつのことだったろうか。

 二人きりで歩く経験はめったになかった。唯一覚えているのは、本当に小さいときに、どこかの川縁を横に並んで散歩したことだ。

 鈴森の父はとても厳しい人だった。父と接するときはいつも畏怖があった。けれども、その緊張感がどこか心地よかった。

 次男の寿史兄が軍人になることを拒んで家を出てしまったため、三男の俺にその分期待をしていた。

「しかし、まだ完全に他国、列強に追いついたわけではない。我々は教えを乞い、追う側だ。しかし、いずれは彼らも……」

 そこで言葉を切り、俺を見下ろす。

「お前は幸いにも、帝や総理らとも縁のある立場だ。軍人として、この国の発展に大いに貢献せよ。それこそ、鈴森にとっては何よりも名誉と言えよう」

 威厳に満ちて、いささか恐ろしいところはあったが、俺はあの人のことを尊敬していた。

 鈴森家はもともと、大名たちほどの財を持たなかった。同じ立ち位置の他家が失敗して困窮し、ときには爵位返上の憂き目にあうのを見て、鈴森の祖父や父は慎重に投資や事業を行った。その結果、鈴森を軽んじていた他家を黙らせるのに十分なほど、多くの財を成した。

「いかに家に名や歴史があろうと、潰れるときは潰れる。己に能力がなければな。私自ら働きかけてお前を出世させるような真似はしない。しかし、お前が力をつけたいのであれば、いくらでもその手助けはしてやる」

 鈴森の父はたびたび彰寿にそう言い聞かせていた。

 当時、軍人の道を選ぶ華族の子弟には、少々偏りがあった。特に、鈴森と同じような家は、ほとんど軍を回避していた。だからこそ、あの人は我が子をそちらへ進ませようとしたのだ。

 己の能力。外見や身内のことばかりで持て囃されていた俺に、その言葉は何よりも魅力的だった。歳の離れた兄たちと比べ、自分の幼さを寂しく思っていたこともあった。

 だから、鈴森の父が母の反対を押し切って俺を軍人の道に進ませたことも疑問に思わなかった。むしろ、あの人の言うように国に貢献しようと――。

 目の前にいる松井の父は、威厳を感じさせず常に他人に対して腰が低い。母さんと同じくポジティブで、いつも笑っている。趣味の写生などに勤しんでいるときが一番幸せだという人だ。

 鈴森の父とは違う。

 俺は、松井家の人たちに心を開けていない。いつも、居候のような気分でいる。

 実の父親に、曾祖父の形見の万年筆をもらった。たったそれだけでどうして罪悪感に苛まれるのだろう。

 今の親はこんなにいい人たちなのに、どうして鈴森家のことばかり頭に浮かぶんだろう。俺はもう、あそこには戻れないのに。

 霊園での出来事を思い出す。他所の人間になったのだと実感した、あの日を。

 切ない心を隠すように俺は笑った。

「ありがとう、大切にする」

 その言葉だけは、偽りなかった。

 例えるなら、彰寿の人生は壊れた万年筆だ。新しく智樹という人生を得たけれども、同じインクを入れても同じように書けるとは限らない。今の俺は彰寿とは別の人間だから。

 前の万年筆で書いた文字は、ちょっと綺麗に書けただけ。それを理解しながらも、もうあんな風に書けないと俺は溜め息をついている。

 こうして考えればひどく滑稽だ。わかっているのに受け入れられない。

 前世と現世。その二つがせめぎ合って、俺をどこまでも押しつぶすのだった。




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