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第二十四話 こんな未来もアリなんでしょう


 久々に戻った我が家は、相変わらずカフェだのファンシーだの言われる有様だった。さんざん話のネタにされて、正直そこまで好きなわけでもなかったが、今の俺の帰るべき場所はやはりここだった。

 退院の慌ただしさも過ぎ、今日は父さんも母さんも仕事。芹花は同人仲間と楽しいイベント。俺一人だ。外出もせずに窓から春の町を眺めていると、待ち人がやってきた。

 すこし鈍ってしまった身体で階下に向かい、玄関のドアを開ける。

「いらっしゃい」

 彼女は視線を地面に落としながら、包みを差し出す。

「退院おめでとう。もう大丈夫なんだよね?」

「ええ、医者もびっくりするほどです」

 まだ何度か通院する予定だが、概ね問題ないようだ。新学期に間に合ってよかった。

「これ、何ですか?」

「お茶。ストレートで飲むと美味しいやつ」

「ありがとうございます。今、一緒に飲んでもいいですか?」

「うん……」

 映果さんをリビングに通してキッチンに向かおうとすると、慌てて追いかけてくる。

「まだ本調子じゃないでしょ。もとは私の帽子のせいだし、持ってきたのも私だし、こっちがいれます」

「お客様にそんなことさせられませんって」

「いいから」

 こういうとき強いのはやはり彼女のほうで、結局俺が追い出される。

 何度も来ているせいか、勝手知ったる様子ですぐに彼女はトレイとともに現れた。

 俺の斜向かいの席に座ろうとするのを隣に誘導してみるが、彼女はそのまま座ってしまう。

「智樹さん自らお誘いくださるとはね。私も出世したわ」

「え、旅行の土産のときは俺が誘ったじゃないですか」

「おうちは。いつも芹花さんに招かれてお邪魔してたから」

 言いながら、彼女は自分のカップに砂糖を入れる。癖なのかミルクも持ってきてしまい、きまりが悪そうに脇へよけた。

 俺から声をかけたのに家に来させるのは悪い気がしたのだが、俺の体調を気遣ってくれたのは彼女だ。

「兄上のときといい、今回といい、映果さんにはお世話になってばかりですね。ありがとうございます」

 映果さんは目を丸くしたあと、感情を抑えたような顔を見せる。

「……もうあれで最後かなって思ってたから、連絡が来てびっくりした」

「最後、ですか?」

「だって、あなたどうせ私のこと苦手なんでしょう?」

「苦手じゃありません、映果さんのことは」

「何それ」

「前世のあなたは、すごく苦手でした」

 映果さんは無言で俺のカップにミルクを注ぐ。色がだいぶ変わってしまったが、今日は構わない。

「そういえば、結局きちんとした返事しないままでしたね」

 彼女は幼子のように顔を横に向ける。

「あの日頂いたつもりでいたけど」

「確かに、あなたは俺にとって亮様でもあります。きっと、一生その事実を忘れることはないでしょう」

 彼女の前髪の下で、形のいい眉がぴくぴくと動く。

「やっぱり、生まれ変わっても可愛くない人。遠慮がなくなった分、痛いところにどんどん塩塗りたくってくる。今、諦めがついたわ。全部気の迷いだったね」

「最後まで聞いてくれませんかね」

「なんだい? もっと僕を責めたいのかい? どうぞご勝手に」

 立ち上がって彼女の隣に移動し、その両肩に触れてこちらを向かせる。

「な、何を」

「今の俺にとって、あなたは特別な人なんだって気づいたんです」

 ぽかんと口を開ける。あの日の俺とどちらが間抜けだろう。

「は?」

「一人の女の子として」

 映果さんは呼吸を荒くさせながら、俺の手を叩き落とす。

「何それ、何それ。タチの悪い冗談やめてよ」

 ありえない、ありえない、と彼女はぶつぶつと呟く。

 信用がないのは、俺のこれまでの行いのせいか。

「遅い。遅すぎるって」

 今までの恨みごとをぶつけられる。俺が覚えていない、些細なことまで。どうやらこちらの想像以上に思い悩んでいたらしい。

「じゃあ、もうあなたは俺のことどうでもいい?」

「そちらはどうなのよ。今さら、どういう変化があったの? 頭打っておかしくなったとか言いださないでよね」

 彼女からしたら、今までまったく自分に関心を示さなかった男がいきなりこんなこと言いだしたら不審極まりないだろう。

「俺にとっては、生まれ変わってもあなたは主ですからね。しかも、前世の記憶と恋がぐちゃぐちゃになるなら、次は真っ当な恋をすればいいとまで思ってました。でも、あのとき、どうしても待てなかったんです」

 また次に会うときからは、自分に恋をしていた女の子ではなく、亮様の生まれ変わりとして接すればいい。今生の別れではなく、彼女の心の整理がつけばそのうち連絡をくれたかもしれない。

 それなのに、俺はどうしても、彼女を失いたくなかった。

 これもまた、手離しかけたものに対しての執着なのかもしれない。けれども――。

「亮様じゃなくて、映果さんと一緒にいたいんです。俺といれば、あなたは亮様でいることを選んでしまう。それならばいっそ会わないほうがあなたのためになる。そう思っても、どうしても映果さんを追いたくなってしまった」

 俺は彼女の手に自分のそれを重ねた。

「これからも俺のそばにいてくれませんか? 亮様でなく、映果さんとして」

 触れ合うと、彼女が小刻みに震えているのがよくわかった。

「勝手なのはわかってます。でも、俺は……今、あなたのことが好きなんです」

 法子や桧山さんに抱いた恋心とはまた少し形がちがうけれども。

 彰寿として見れば、この人は俺をからかってばかりの面倒な人だ。

 けれども、智樹として見れば、強がりで、意地っ張りで、世話焼きで、友達思いで、放っておけなくて、いつも楽しそうにしてくれないとどうも落ち着かない……これもまた面倒な人と言えるかもしれないが、亮様ではない。

 そして、俺がそんな彼女に抱く感情は、彰寿としてのものではない。彰寿が亮様に向けていたのは、こんな想いではない。

「せっかく……私が諦めようとしたあとで、いきなりそんなこと言いだすんだから」

 本当に嫌な人、と言いながらも顔は穏やかだ。

「あとで、吊り橋効果がどうのとか言わない?」

「言わないと誓います」

「私といて前世吹っ切れるの?」

「俺がとても苦手な相手だと思っていた亮様を前世に持つあなたを愛する。まさに現世を生きている感じしません?」

「ひどっ! 私をそんな風に利用しないでよ」

 わざとらしく頬をふくらませる。

「どうやらかなり深いご縁のようですし、あの勝負の件協力してくださいよ。菊川にはまだ追いつけた気がしないので」

 あいつに酒をおごったら、とんでもない金額になる。そう言うと、映果さんはふきだした。

「強いの?」

「強いですよ、相当」

「智樹さんは?」

「どうでしょうね、まだ試してません」

 そうか、と彼女は破願する。

「そんなに亮のことは苦手だったのね」

「そうなんです。だから、映果さんを愛すれば愛するほど、俺は彰寿でなく智樹になれるんです。勝敗にだいぶ影響を及ぼすと思いませんか」

 俺を見ては視線を外す。それを何度繰り返しただろうか。

「……しょうがないなあ」

 重ねたままの手がするりと逃げ、俺の頬に回った。

「生まれ変わっても生意気で無礼なあなたじゃ、勝ち目なさそうだもんね。力貸してあげようかな」

「よかった」

 そのまま抱きしめると、妙な声があがる。

「あの、手出すの、早すぎない?」

「ぐだぐだしていたら逃がすって、過去の経験で学んだので」

「いつの?」

「ご想像にお任せします」

 一度身を離すと、その瞳は頼りなげに揺れていた。

「私、あなたの好みじゃないけどいいの?」

「それ、俺の台詞のはずですけど。まあ、彰寿の好みからは外れてますけど、今の俺の好みはきっとあなたです」

「きっと?」

 不満そうな声とは対照的に、愉快な顔をする。

「まあ、いいでしょう。そのうち、絶対と言わせてやりますから」

「もう言いたくなってきました」

 見つめ合う。彼女の瞳に映る自分の姿を眺めながらその髪に触れ、俺はゆっくりと顔を近づけた。

 その次の瞬間、胸に衝撃。呆気にとられているうちに、頬を紅潮させた彼女はソファの端に寄って座りなおす。

「映果さん?」

「……なるほどね。あの時代、こうやって女の子を誑かしてたのか」

 なんでそこで亮様モードになるかな。

「……やりにくいのでやめてください」

 彼女は手のひらで顔を隠しながら、一度天井を仰ぐ。

「ごめん、つい癖になっちゃってて。もう……ひねくれた態度とらなくてもいいはずなのにね」

 これからもずっと俺たちはこんな関係なのだろうか。

「でも、そうやって照れたりからかったりしてくるあなたのほうがずっと好きです。泣いたり落ち込んだりした姿でなく、楽しそうにしている姿を見たいんです」

 彼女は躊躇いがちに手を外し、俺と目を合わせる。お互い苦笑してしまった。

「じゃあ、泣かせないでね」

「約束します。ところで、あなたは俺のどこを好きなのか、もうすこし詳しく」

 開きかけた口は、すぐに閉じられてしまう。

「考えておきます。そのうちね」

 これまた長期戦になるだろうか。だが時間はまだたっぷりあるはずだ。




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