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第二十二話 かっこ悪いのは今に始まったことではない



 もともと目立つ人だから、人通りの少ない駅ではいっそうわかりやすい。

 断続的に吹く強風に帽子を押さえながら、俺を見つけた彼女はゆっくりと歩いてきた。

「来てくれてよかった」

 言葉のわりに素っ気ない言い方をしながらも、俺の手に目を留める。

「それは?」

「ああ、ホワイトデー近いでしょ。バレンタインのとき、試食用の分けてくれたじゃないですか」

「……いつもの智樹さんなら、それノーカウントとか言いそうなのに。あれってみんなで作ったものだもん」

「実は、芹花に持たされました」

「やっぱり。でも、そんなことに限って正直に言ってくれるのも智樹さんっぽいかもね」

 いつもよりも笑顔に力が入っていない。

 彼女は軽く礼を言ってそれを受け取ると、踵を返す。

「ちょっと、待ってくださいよ」

 ヒールを気にせず、彼女は上り坂をどんどん進んでいく。俺は数歩の距離を保つように追った。

「この間の話の続きをするんでしょう?」

「そう、ね」

 俺から受け取った紙袋を鈴を鳴らすように揺らす。

「あなたが彰寿の生まれ変わりだって知ってから、前世のあなたと今のあなたを比べてた。こういうところは彰寿のまま、でもこれは彰寿の頃は絶対なかっただろうな、なんて。私の発言に対する反応も含めてね」

「……今の俺と彰寿はちがうって菊川とかにも言われました」

「うん。あなたはあそこで終わったのが悔しくて、前世に未練があるって言ってたけれど、私は今のあなたのほうがのびのびと生きているように見えた。家族やお友達と一緒にいるときなんか、特にね」

 今の松井智樹は、能力はそれなりに発揮できたかもしれないが、地位や名誉を持っているわけではない。もちろん、外見に魅力があるわけでもない。それどころか、前世への未練で鬱々としていたのに。

 でも、確かに彰寿よりも周囲の人々に対して親しみを持って接しているのかもしれない。敵対していた高山田の生まれ変わりとも仲良くやっているくらいだ。

 ああ、今は、皆のことを確かに大切に思っている。

「前世と同じく可愛くない発言も多いけど、彰寿より智樹さんのほうが優しいなって思うことだって……あったよ。そうだな、たとえば日比谷のときとか」

 すべての責務から逃れられることを幸せに思いながら死んだ、という彼女の告白。

 俺が彰寿のままだったならきっと、ただでさえいつも呆れていたというのに、と怒りと失望をぶつけていたことだろう。けれども、あのときの俺は「智樹」だった。

 そういえば、あの日は初めて彼女がただの少女に見えたような覚えがある。今の彼女は……俺の目にはどう映る?

 思い出したように彼女は小さな笑い声を漏らした。

「やっぱりあんまり優しくなかったわ。元よりあなたへの好感度はゼロだなんて」

「……無神経でごめんなさい」

「でも、あのときは彰寿はきっと激怒するなあって思ってて、あんな言い方でも私をあなたなりに励ましてくれたのはわかったから、ちょっと嬉しかったよ。あとは、私のためにお友達に連絡とってくれようとしたり? あら、それくらい? 他に何かあったっけ」

 彼女と出会ってまだ約半年。それなのに、その何倍もの時間を過ごしたような気分になるのは、生まれる前からの縁のせいなのだろうか。それとも――。

「はは、思い出すことはいろいろあるんだけどね、この感情がいつからかって自分でももうわからなくなっちゃった。いつ自覚したのかは秘密にしとく」

 わざとらしい溜め息。

「なんで好きなんだろうね。こんな、自分にまったく興味を示さないで、他の子よりもずっと雑に扱ってきて、前世でそれなりに女性経験あったとは思えないくらい鈍感な人のこと」

 こちらが返す言葉を探している間に、彼女はさらに続けて喋る。

「そう、可能性がないのはわかってたの。あなたにとって私は『亮様』でしかないから」

 否定しようとするが、唇がうまく動かない。

 彼女のことは確かに槙村映果さんという女の子だと認識している。ただ、亮様の生まれ変わりであることも大きな要素だと思っていた。

 そんな俺の心を読んだのか、彼女はこちらを向き、無理やり笑みを作る。芹花たちの前でも、こんな表情だったのだろうか。

「今生で私にチャンスなんてないんだよ。亮と名乗り、そう振る舞ってた時点でね」

「それが失敗?」

「そう。言わなければ、ただの妹の友達でいられたでしょ? 不毛な恋に悩むどころか――」

「俺は」

 とっさにその手を掴む。

「嬉しかったですよ、あなたが話してくれて」

 こうやって親しくなったのも、前世の縁あってこそではないか。

「私は後悔してる。どんどん墓穴をほる一方で、自分の弱み見せないようにあがいてさ。こうなるとわかってたら、最初からかって遊ぶんじゃなかったわ。最近なんて意地だけだったから」

 映果さんは俺を手を振りほどいて突き放し、顔を伏せた。

「前世の行いが悪かったことは認めましょう。あなたのことも家のことも何もかも。ええ、悪すぎたね。今も悪いけど」

「落ちついてくださいって」

 これじゃ、本当に日比谷の日の再現だ。

「自業自得、いい言葉だね。私の場合、罰が当たったんだ」

 そうやって自分を責めるようなことを言わないでほしい。

「今のあなたは、どちらかというと自暴自棄ですよ」

「知らない」

 身を翻して、帽子を風にとられないようにしながら、さらに上に行こうとする。万葉子ちゃんは油断するとすぐに俺が置いて行ってしまいそうになるのに、映果さんのことはいつも追いかけてばかりのような気がする。

 このあたりは細かい路地が多く、勾配が急であるため階段がいくつもある。逃すまいと必死に彼女の背を見つめる。

「あなたの意識にいるのは亮であって、槙村映果ではない。私に恋が芽生えても一人相撲にしかならない」

 俺は今まで彼女を傷つけてばかりだったのだろうか。

「気づかなくて無神経だった俺が悪いんです」

「今さら言われても!」

 振り返って睨む瞳は若干潤んでいる。思わず怯んでしまうのは、どの記憶のせいか。

「本当、馬鹿みたい。周りの人巻き込んでおきながら空回って。万葉子のこと、言えないわ」

「そんなこと言わないでくださいよ」

 彼女の姿に法子の影が重なる。

 ――彰寿さんはご自分のことをおわかりじゃないんです。そして、人の心も。

「俺はどうも、自分の見た世界がすべてだと思い込みがちのようですから」

 高山田ら平民派を侮蔑し、法子を傷つけ、亮様の悩みを知ることなく――そして彼女のこともまた傷つけている。

「……あなたから見た私って、結局何?」

 映果さんの声は頼りなく、先ほどの明瞭さは失せてしまっている。

「やっぱり、前世の従兄でしかない?」

 答えようとすると、帽子のつばを下げて顔を隠してしまう。

「……ごめんなさい、さんざん亮としてふるまっておきながら、何言ってるんだろうね。あの頃から成長してないわ」

 ずっと、愚かで器が小さいまま、と消え入るような声。

「弱みをさらすことはプライドが許さなくて、虚勢をはってばかり。日比谷のときは……何であんな風に言えちゃったんだろうね」

 彼女は俺をまっすぐ見上げる。

「あなたと一緒にいて感じる恋心は、『私』のものだった。意識が『亮』であるならありえないことだから」

「映果さん……」

「だけど、あなたにとって特別な異性になれないのなら、せめて『亮』でいたかった」

 それなら、異性でなくても俺にとって特別な存在でいられるとでも言うのか?

 言葉に表しがたい何かが胸でうずく。

「そうね、あなたの中だけなら、これからも『亮』のままでいい」

 強気な声のわりに体が震えている。

「約束、忘れましたか?」

「覚えてますとも。私が二十歳になったら、そのときは銀座かどっかでお酒おごらせていただきます。好きなだけ飲むといいわ。菊川さんもね」

 酒云々は、俺が彰寿の記憶を吹っ切った場合だろう。そのときもあなたは亮様であり続けるのか。

 この感情は何だろう。敗北宣言に失望しているのだろうか。いや、違う。

 俺はただ、彼女にこそ前に進んでほしいのだ。

 こんな投げやりで悲しそうな表情ではなくて、いつものように楽しそうに笑ったり照れたりしていてほしいのだ。おなじみのニヤリとした顔でもいいから。

 俺の背を何度も押しておきながら、どうして自分は真逆の方向へ行こうとするんだ。

 いや、俺がそうさせてるのか? 彼女には発破かけるようなこと言っておきながら俺がしてきたことは何だ? 

「よく考えたらさ、今は性別がちがうとはいえ、僕が彰寿に恋するほうがおかしいよね。もっとも、僕は、彰寿が女性だったらなあって思っていたんだけどなあ」

 ずっと感じていた特別さは、きっと仲間意識でしかなかった。それを恋心に置き換えていた。自分に言い聞かせるように彼女は言う。

 仲間意識。俺が彼女に抱いていたものも、それだけだったのだろうか。

 だが俺は俺なりに……彼女に幸せになってほしい、と思った。それは亮様が俺の知らないところで苦しんでいたから?

 いつかの雪のように疑問ばかりが降りつもる。

「明日からまた前世での従兄弟として接してくれる?」

 ただ棒立ちする俺を見て、彼女は目を細めて唇の両端を上げた。

「……困らせてごめんね。あなたが戸惑うのはわかってたけど、半端なままよりはよかったと自分では思ってるの。それと今日は、あなたへの未練を捨てるために来たんだ」

 踵を返して歩き出す。その細い腕を再びとろうとすると、振り払われた。

「彰寿、今から三分、僕の姿が見えなくなるまで待ってて……追わないで」

 待てなんて、俺は犬か。

「たかだか三分ですか。すぐに追いつけそうですね」

「追わないでって言ったよ。だったら五分でも十分でも、見失うまでそこから動かないで、後生だから。次会うときはきっと大丈夫。いつもの前世仲間に戻れるはず」

 一瞬、彼女の呼吸音が響く。

「私が、明日からやり直せるように、あなたへの想いを整理できるように、追わないで。命令だよ」

 命令と言われ、無意識に従ってしまいそうになる。それは魂にしみついた習性かもしれない。

「また来世、縁があったらそのときは今回の反省を生かすね」

 彼女の足が躊躇いがちに一歩動く。

 映果さんもまた、前世に縛られた恋をしていたと言えるだろうか。桧山さんに恋してた俺以上に、前世と現世が絡まって、どこにも進めないような。

 恋ではないが、高山田への恨みを果たそうとするときの俺は、まさしく前世に支配されていた。俺への想いがある限り、彼女もまたあのときの俺と同じような状態になってしまうのか。

 それなら、追わないで……このまま諦めてもらったほうがいいだろう。俺の次なら、どんな恋でももっと真っ当なものになるはずだ。

 それどころか、彼女が亮様として振る舞うなら、いっそ二度と会わないほうが彼女のためかもしれない。

 けれども、追いたくてたまらなかった。それは、他の誰かはまったく関係なく、ただ映果さんを追いたかった。

 さっき追っていたときよりも近くにあるその背中が、とても小さく見えてしまう。

 俺は、何を恐れているのだろう。

 亮様には迷惑かけられたけど、憎めないところもあった。またこの永喜の世でも縁ができて、複雑に思いつつも心強く感じることもあった。しかし、ここで先日の夜のように彼女が消えていくのを眺めていたら、きっともう「映果さん」には会えない。

 それ以上は考えられず、俺は遅れて一歩踏み出した。

「映果さん!」

 彼女が振り向く。その背後に、こちらに向かって下ってくる自転車。俺はとっさに彼女を抱き寄せる。

「すみません」

 ちゃんとした歩道がないうえに、ちょうど階段の前だ。避けてそのまま落ちたりしたらたまらない。

「ちょっと、離して」

 ふくれっ面の映果さんはすぐに離れる。

「もう、何なの。お願いくらいちゃんときいてよ。それに、あれくらい避けられるし」

「確かに、そうですけど」

 でも、俺は――。

 一段と強い突風が吹く。そのとき、ふわりと浮くものがあった。映果さんの帽子だ。

「おっと」

 一歩、二歩と動いて腕を伸ばし、それを捕まえたところで、右足の置き場を失った。

 身体が一瞬宙を舞う。

「智樹さん!」

 彼女の声と衝撃、どちらが早かっただろうか。

 何度か頭を打ち、視界が回転し、やがて仰向けの状態で止まる。

 三月の空は、爽やかな青に薄い雲が美しく広がるばかり。

 静かだ。映果さんが涙目で階段を下りてきて、俺に何か呼びかけているのは見えるのに、何も聞こえない。

 泣かないでくれ、そんな顔させたいわけじゃないんだ。

 この感覚は、かつて経験した。とても懐かしい。

 俺、死ぬのか。

 視界が白んでいく。目を開けているはずなのにどんどん見えなくなっていく。

 前世は何にもないところで、銃弾で命を落とした。現世は、うっかり階段から落ちて死亡、か。みっともない死因だ。

 ずっと彰寿の死を情けないと思い続けたけど、もっと間抜けな死に方をするなんて思わなかった。今度は教科書にも新聞にも載らないだろう。むしろ、載ったら恥ずかしい。

 もしかしたら俺にこそ罰が当たったのかもしれない。

 一面の白に墨が落とされ広がっていく。いよいよ危ういらしい。

 ああ、俺、まだ十九じゃないか。彰寿よりも短命だなんて、予想もしなかった。

 二十の壁は厚いな。まだ大学生。社会に出てすらいない。

 また親不孝したか。来世があるとしても、ずっとこんな感じなのかな。この魂がある限り。

 父さん、母さん、ごめん。顔を思い浮かべようとしても、思い出す力ももうないらしい。

 映果さん――。

 そこで、力が抜けた。



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