第二十一話 待たされるのが男の甲斐性とか
衝撃の告白のあと、映果さんは顔を真っ赤にして俯くのみ。そんな彼女を連れて下りのエレベーターに乗ったが、二人の間にあるのは沈黙だけだった。
俺については、多くの疑問が浮かんでも、混乱して言葉がうまく出てこなかった。
だって、この人は――。
「まだ信じられない、か。そうだよね」
「え?」
「だから万葉子の勘違いに便乗したまま、一人でひそかに満足してたんだけどね」
全部、自分が悪手ばかりを打ったのがいけない。かぶっていた帽子をとりながら、彼女は溜め息をついた。
「最初は、本当に恋愛感情なんてなかったんだよ。あの日言ったとおり。ただ、あの歌を知っている謎のお兄さんが気になってただけ。それで突っ込んでみたら彰寿の生まれ変わりで、こんな近くに仲間がいたなんてって嬉しくなってさ。あー、もう、あの時点で失敗だったわ」
今さら何を。
出会った頃は確かに難事がひとつ増えたとしか思っていなかったし、亮様のことを苦手に思う気持ちを引きずっていた。けれども、彼女にはいろいろと感謝してるし、幸せになってほしいと思っていて――。
扉が開くと、映果さんはさっさと降りてしまう。やっぱり、万葉子ちゃんよりもだいぶ早足だ。歩幅は俺のほうが大きいとはいえ、不意をつかれるとすぐには追いつけない。
「いざ好きだと気づいても、私は実際あなたの好みからかけ離れているうえに、あなたはまさに好みの女の子に片思いしてるって知ってるし。そもそも亮として振る舞ったせいで恋愛対象外になってたし。せめて応援しようと思ってたらああなるし」
桧山さんのことを彼女に持ち出されるのは胸が痛みつつ、引っかかることがある。
「あの、いつから俺のことを……?」
追いついて横から声をかける。彼女は俺と目を合わせぬまま低い声を出す。
「もう今さらそれを言ってもどうしようもないもの。あんなに万葉子との仲を応援するようなこと言ってたくせに、土壇場でひっくり返したのは謝ります。あの子には汚れ役させちゃって、智樹さんのこと振り回して、自分が嫌になるわ。最悪」
「そこまで言わなくても」
そういえば、万葉子ちゃんは俺たちの前世などまったく知らないはずだ。でも、俺が頷くという可能性をすこしでも考えていたら、あんな行動には出ないんじゃないか。
それを指摘すると、映果さんは歩きながら薄く笑う。
「本能的にわかってたんじゃない? 女の子っていうのは、相手が自分に恋愛感情抱くかどうか、そういう勘働いたりするみたいだもんね」
「……何ですか、他人事みたいに。あなただって今は女の子でしょう」
彼女は俺を一瞥する。鋭い光を宿した瞳で。
「今はね。でも」
そこで言葉を切って立ち止まり、俺を見上げる。何かを訴えるように。
「……今日のことは、私が嘘ついたのがいけないんだから、万葉子のこと悪く思わないでね」
「思いませんって」
かなりびっくりさせられたが。でも、自分の恋云々よりも親友のためというほうがずっとしっくりくる。
「ああ、馬鹿みたい。万葉子にですら取られたくないって……。今日だって行くか迷って、二人のこと必死に探してさ」
頭を振る彼女に、どんな表情をしていいのかわからなかった。映果さんはそんな俺を手を握る。その指先がやけに冷えていて、思わずびくりとしてしまう。
「この勢いのままって思ってたけど、やっぱりちょっと時間が必要みたい。また連絡するから、それまで待ってくれないかな」
お願い、とすがるような声。俺が反射的に頷くのを確認すると、彼女は帽子をかぶりなおして逃げるように行ってしまった。止めるのも聞かず。
一人になってしまった帰り道。まだ動揺は治まらない。
映果さんは映果さんだ。けれども、亮様であるのもまた事実。あの人が自分に対して恋愛感情を持っているなど思いもよらなかった。
亮様は俺――彰寿の顔が好きだ。あの人なりの親しみを持ってくれていたことも理解している。だが、あくまでも従兄弟同士。それだけでなく、前世であの方の女性関係もうっすらと把握している。
そう、過去に亮様が愛したのは女性だけだ。だからこそ、今は映果さんという女性で、恋愛対象が男性であることは理解していても、彰寿であった俺に恋心を抱くなんて思いもよらなかった。
秋からのいろいろな出来事が駆けめぐる。俺の思いこみさえなければ、気づけたことはたくさんあっただろうか。
「鈍いのは認めるけどさ……」
まさかここで、もっと大きな爆弾が投下されるとは思わず、頭を抱えるばかりだった。
人ごみに飛び込むように行ってしまった彼女の後姿を思い出す。追いかけるべきだったか。しかし、俺に何が言えた?
「……ただいま」
「ねえ、映果さんどうだった?」
俺が帰宅するなり、玄関にやってくる芹花。
「……なんでそこで鈴森さんじゃなくて槙村さん?」
「え? 映果さん、来たんだよね?」
驚愕する妹に話を聞くと、こいつは今回の計画知っていたらしい。
「映果さんがお兄ちゃんの件は勘違いだったって言い出したとき、なんか様子がおかしかったの。不本意ながら諦めますって感じで」
それは万葉子ちゃんも同感だったらしい。
「私が、お兄ちゃん誰かに取られてもいいのってからかったら、魂が抜けたように『いいよ』って言ってさ。そしたら万葉子さんが」
――私でも?
「それで、あの人何て答えたの?」
「作り笑いで『お似合いだと思うよ』って」
その様子がきっかけとなって、今回の行動に至ったのだとか。
「妹よ、兄の気持ちがどうのとか考えないのか」
「お兄ちゃんにそんな権利あるの?」
しまった、最近家庭教師役をさぼってしまっていた。高校の教科書だけでもしっかり読め、権利についてもっと勉強しろ。
「ていうか、お兄ちゃん、あのイベントのとき映果さんに何か言ったでしょ。よく考えたらあの日からへこんでるような気がするんだけど」
何も、と言いかけて、ひたすら三崎を勧めたことを思い出す。
気のない異性を勧められるのは嫌だっただろう――そういえば秋ごろ、俺はそんなこと思ってたな。彼女の場合は、よりによって俺にだから、余計に嫌だったかな。
「で、結局万葉子さんとデートしただけとかは言わないよね? どうなったの?」
「いや、確かに彼女来たけど……いろいろ保留になった」
芹花の視線は、矢というよりも銃弾に近かった。
「かわいそ、映果さん」
「そんなこと言っても」
「お兄ちゃんってさ、歩実さんのこと好きだったっていうのはわかるけど、いつも妙に気使ってたじゃん。でも、映果さんに対しては馴れ馴れしくて、私からしたらずっと仲良さげに見えたんだけどな」
仲良い相手には遠慮ないよね、なんて菊川と同じようなこと示し合わせたかのように言わないでくれ。
亮様と気安い仲、か。いつの間にかずいぶん親しくなったな。最初は彼女のこと、万葉子ちゃんの友達としか思っていなかった。
――あの時点で失敗だったわ。
そんなこと言わないでほしかった。でなかったら、俺は兄上にも会いにいけなかったし、菊川とも自分とも別の形で前世にとらわれている彼女の心を知ることもなく生きていた。
前世以上に親しくなれたのは事実だ。けれども、まさかこんなことになるなんて。
「あ、携帯鳴ってるじゃん」
映果さんかとはしゃぐ芹花だったが、帰宅して興奮がさめたとたん我に返ったと窺える万葉子ちゃんからのメールだった。そういうところが彼女らしい、と俺に妙に冷静な気分で画面を眺めていた。
それからも映果さんからの連絡は来ず、落ち着かない日々が続いた。複雑な思いを抱きながらカレンダーの日付が変わっていくのをただ眺めていた。
俺は今まで、彼女のことを傷つけていたのだろうか。彼女は、何も知らぬままの関係を今も望んでいるのだろうか。
俺は俺なりに、彼女のことを特別に思っていた。前世の仲間として。
好きだと言われて、ただただ驚くばかり。不思議なことに、誤解されていると思っていた時期のように迷惑に思ったりはしない。けれども、その拒むわけではない感情は、桧山さんに失恋した自分にとって都合のいい相手が出現したからではないかと疑ってしまう。
何かの折に菊川に電話をかけたときにこのことを漏らすと、うすうす気づいていたとか言われた。しかも、三崎も早い段階で察したようだと。意味がわからなかった。
「槙村さん、彼に話しかけられるたびにちらちらお前の反応窺ってたじゃん」
確かに何度かこちらを見てきた覚えはあるが……。
「俺とお前が友達になるなら、彼女がお前のこと好きになっても不思議ではないと思うけどね。それとも、軍学校時代から俺とは仲良くなりたかったとか?」
「いや、それはまったくない」
それは即答できる。
「なら、そういうことなんじゃない?」
通話を切っても、名前をつけられないような感情が渦巻いていた。
自分は彼女とそういう関係にならないと意識の根底にあった考えが、一瞬の浮上を見せてはまた沈む。
ただ、彼女からの連絡が待ち遠しかった。
ようやく呼び出しをもらって出かけたのは、三月のよく晴れた日。まだ残っている梅を横目に、冷えの残る空気のなか、俺は約束の場所へと向かった。




