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第十七話 命短し止まれよ暴走娘



「そっか」

 聴き終えた映果さんは俯く。

「彼は……辛かったろうね」

 一応世話になっているので彼女にも土産は用意した。秋に行ったカフェに映果さんを呼び出してそれを渡すついでに、詳細はいくらかぼかしつつ旅での出来事を簡単に語った。

「でも、最後は清々しい顔になっていましたよ。俺よりもずっと彼の方が吹っ切れているように」

「彼は自分の前世を受け入れたうえで、今を生きようとしているのか」

 見習わなくてはと言う彼女の顔に、問いたくなる。あなたはあなたでまだ引きずっているのか、と。彼女は女性であることを楽しんでおり、前世での重責のすべてから解放されているはずなのに。

 映果さんは俺を見つめ返す。

「智樹さんは、どう?」

「一時期よりは、というところですね」

 よろしいと言うように頷くと、映果さんはいきなり表情を変える。

「そうだ、聞きましたよ。中学のとき、登山遠足で荷物に煉瓦仕込んでたんだって?」

「どうしてそれを?」

「三崎さん情報。菊川氏も大笑いだったみたいよ」

 おい、菊川。お前なら気持ちがわかるのではないか。絶対、今までに一度はやったはずだ、お前なら。

「軽いと逆に落ち着かないんですよ。うちにたくさんありますしね」

「ああ、いろいろ自分たちでやってるって話だもんね。あの芹花さんのベッドもお父さんと二人で作ったんだっけ」

 母さんが監督、父さんと俺で設計と制作を担当した。芹花自身が恥ずかしがるくらいの、立派なお姫様ベッドとやらが出来上がった。

 芹花が一度自分の部屋に彼女たちを通したとき、万葉子ちゃんがえらく興奮していたそうな。普段の装いを見るに、あのようないかにも女の子らしい物が好きそうだ。

「いいなあ……私も作ってほしい」

 意外なことを言う。

「お宅なら業者にパパッと作ってもらえるんじゃないですか? 必要なら、設計図まだ家のどこかに転がってると思うんで渡しますよ」

「……智樹さんは作ってくれないのね」

 むくれる。本当に俺のこと下僕だと思ってるな。まったく。

「あ、そういえばさっき、三崎情報って言ってましたね。ずいぶん仲良くなりましたね」

 先月の運動会でさらに距離が縮まったか?

 俺のからかいに、珍しく映果さんは顔を真っ赤にした。

「違う、万葉子経由! あのとき、私たちが買い物行ってる間にそんな話が出たみたいなの」

 照れてそっぽ向く。こんな反応するなんて珍しくて、つい笑ってしまう。前世でも、俺がやられる一方で、この人はとうとうその弱さを見せてくれなかったから。

「映果さん、人づてばっかりじゃなくてあなたもちゃんとアピールしなきゃ。バレンタイン、ちゃんとチョコあげたんですか? うちの母のとっておきレシピ教えたんだから、ちゃんと成果出してもらわないとね」

「だから、そうじゃないもん……」

「意地張らずに。俺みたいに失恋しますよ」

 映果さんはキッときつい目で見上げてくる。

「彰寿の分際で、僕をからかうとはね」

「ぐ!」

 テーブルの下にて、ブーツのヒールで思い切り踏まれる。卑怯だ。

 痛みに俺が顔を歪めると、彼女は心のこもっていない謝罪をした。

 反撃したくてもできない。本当、昔からこういう関係を利用するところは変わらないなあ……。

「君だって、もうそろそろ別の女の子に目を向けてるの? 革命時代わからない子がーとか言ってたけど」

「あー、どうしましょうね」

 あれ以降、出会いとか気にしてる場合じゃなかったからな。

 映果さんは身を乗り出してくる。

「ねえ、万葉子はどう?」

「はあ?」

 どうしてそこで、彼女の名前を出す。桧山さん相手ですら、彰寿BL妄想がネックで何も言えないまま終わったのに。

「前も言ったとおり。彰寿の顔を持つ女の子と、彰寿の中身を持つ男の人のカップルを、間近で見てみたい。ああ、なんて素敵なんだろう、眺めているだけで幸せになれるだろうね」

 完全に個人の趣味ですか。というか、後半、亮様の口調になっていますよ。

 万葉子ちゃんに言いたい。君の友人は大変危険だ、と。

「嫌ですよ、兄の孫なんて。俺からすればただの親戚です」

「そんなこと言わないでよ。あんなに可愛いのに」

「ていうか、自分と同じ顔だし」

「ちがう!」

 いきなりそう言われて吃驚していると、彼女は気まずそうに目をそらす。

「……今は、別の顔じゃない」

「わかってますって」

 どれだけあの顔が好きなんだ、この人。そりゃあ、伯爵家の血をひいているとはいえ、亮様はまったく別の系統の顔だったが。

「私が言いたいのはね、智樹さん、いかに前世と現世を切り離すかってこと」

「じゃあ、さようなら」

 立ち上がろうとすると、慌てた手が袖を掴む。

「だめだめだめだめ、そういう意味じゃなくて。前世の楽しい思い出だけ残して、あとは悩みの種にしないで封印しましょうってこと」

「楽しい思い出?」

 俺がじっと見つめてやると、拗ねたように顔を背ける。

「私は、楽しかったもん」

「一方的な感情を押しつけるのはやめましょうね」

 彰寿の人生を……いい思い出だったと言えるまではもう少しかかりそうだ。

 暦の上では春だが、窓の外は白い。こんな日に限って雪が降っている。

 細かな粒が世界を染めていく。幻想的に思えるこの風景は、俺を半世紀以上前の銀座に戻すのだ。惨めで無様な死を遂げたあの冬に。

 あれは決して良い思い出になりえない。高山田への恨みを手放した今でさえ。

「うりゃ」

 ふざけた声が俺を永喜の時代に戻す。

 映果さんがテーブルに備えてある器から出した角砂糖をふたつほどカップに放り込んでいた。もちろん、それは俺の飲んでいるもので。

「まったく、あなたは何十年経っても変わりませんね」

「そっちこそ」

 ニヤリと笑う顔は、女の子としてはあまりよろしくない表情だ。この人もいいかげん、いつも可憐に笑う術を身につければいいのに。



 ホワイトデーにはまだ遠いという中途半端な時期だというのに、万葉子ちゃんが一人でやってきた。とうとう映果さんなしで来るようになってしまったほど母さんに取り込まれてしまったのだろうか。

「あれ、槙村さんはいないんだね」

「映果は部活があって」

 ああ、確かダンス部だっけ。たまに忘れそうになる。帰宅部並みに暇そうだから。

 彼女の前で映果さんの話をした迂闊さに気づいたのはそれから。まだ誤解は続いているのだ、と内心焦ったが、万葉子ちゃんの反応がやけにおとなしい。

「あの、お兄さん……」

「え?」

 やけに思い詰めた表情に見える。

「失恋した、とお聞きしたのですが」

 絶句しつつ芹花を見ると、まさかそんな直球を投げるとは思っていなかったらしい我が妹も狼狽している。

「えーっと、まあ、かっこわるい話ではあるけれども」

 万葉子ちゃんはそこではっとして頭を下げる。

「ごめんなさい! ……あの、傷をえぐりたいわけじゃなくてですね」

 思い切りえぐられている気がするよ、万葉子ちゃん。発覚したときの分まで今痛みがやってきているよ。

 お前は岩を投げとるやないか。前原の台詞がよみがえる。

 これは俺に似たのか? 鈴森の血なのか? いや、寿貞兄上はこんな人じゃなかった。里津子さんか?

「あの、お兄さん?」

「あ、ごめん。気にしなくていいから」

「私……すみません、ずっと勘違いしてしまっていて」

 勘違い? 兄妹そろって首を傾げていると、万葉子ちゃんはそっと俯く。

「映果は……ずっとお兄さんのことが好きなんだって、そう思ってたんです。だからお兄さんと両思いになったらいいなって陰ながら応援していたのですが」

 思い切り日向に出ていませんでしたか、お嬢さん。

「映果から否定されちゃいました。自分は他に好きな人がいるからって」

「え?」

 誤解をといてくれ、と頼んだことは何度もある。けれども、予告なしにこういう展開になるなんて思わなかった。そりゃあ、この間万葉子ちゃんを売り込まれたけど……。

 というか、好きな人?

「……三崎、ですかね?」

 万葉子ちゃんは不満げな様子だ。

「教えてもらえませんでした。そうかもしれませんけど」

 なんだ順調じゃないか。

 ほっとした様子をすると、万葉子ちゃんが目をかっと開く。

「そ、それで、なんですけど……」

 もじもじとしながら、万葉子ちゃんは芹花を横目で見る。何かを察した芹花は、うまく母さんを誘導して、一緒に二階へ上っていく。

 首を傾げていると、彰寿は絶対しないような頬の赤らめ方をして、彼女は不意打ちの矢を放ってきた。

「私と、今度、デートしてくれませんか」

 何を言われたのかわからず、三分ほど硬直してしまった。

 デート? 映果さんと? でもこの子、今「私と」って言ったぞ。

「突然でごめんなさい。困っちゃいますよね。実は……映果とのこと応援しているうちに、私がお兄さんのこと好きになっちゃったんです」

 言葉を失う。

 これは、現実なのだろうか? どうして俺は今、兄の孫からこんな言葉を吐かれている?

「え?」

 返した声の間抜けなこと。それでも、万葉子ちゃんは真剣に、力のこもった瞳で俺を見上げる。

「まずは一回でいいんです。二人で、お出かけしませんか?」

 どうやら勢いに負けて頷いてしまったらしい。それに気づいたのは、万葉子ちゃんから具体的な候補日を提示されてからだった。 



「あっはははは!」

 電話の向こうから、甲高い笑い声が響く。

「その現場見たかった! 万葉子可愛すぎる~」

「本当にあなた彼女のこと好きなんですね」

「万葉子は何をやっても可愛いもん」

 いつもよりも機嫌がよさそうな声だ。理想の展開に王手かかってるもんな。

「いいんじゃない? 付き合いなよ」

「何度だって言いますが、兄上の孫ですよ? 前世の自分の顔と似てるんですよ? あなた並にありえない相手ですって」

「はぁ?」

 怒気にはらんだ声に、一瞬たじろいでしまう。

「……そんなこと関係ないでしょ。あの子に何の不満があるの?」

「万葉子ちゃんは可愛いと思いますよ。でも、親戚の子だからであって」

「私の大事な万葉子からデートに誘われて嬉しがらない男がこの世にいるとはね。しかも、僕に直接それを言うとはいい度胸だ」

 言っているうちにだんだんと亮様モードに入ってくる。俺はただのおもちゃだったのに、万葉子ちゃんは完全に溺愛か。

「命令。万葉子をちゃんと楽しませること。つまらないところに連れていかないでよ、エスコートしてね」

「……今時のデートってどういうもんですかね」

 こういうとき思い出すのは、他の誰でもなくて、法子とのことばかりだ。

「自分の好きなところばかり連れ回すのはやめてね」

 釘を刺されてしまう。

「そういえば、三崎とはどうなんです?」

「……なんでそこで三崎さんが出てくるの」

「今度発表会あるんでしょう、招待すればいいですよ。うかうかしてると本当に誰かに取られちゃいますよ、あいつモテるから」

「うるさい!」

 切れてしまった。これはきっと、かけ直しても無駄だろう。

 さて、どうしたものかね。

 ひとまず情報を探ろうと、万葉子ちゃんの友達兼現役女子高生に聞き取り調査してみる。

「なあ、芹花。お前は、どこにいるときが一番楽しい?」

「イベント会場。同人ショップ。仲間と萌え語りできるお店」

 人選を誤った。三崎あたりに相談しよう。



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